夢幻泡影

「ゆめの世にかつもどろみて夢をまたかたるも夢よそれがまにまに」

今日のお目覚 春夏冬と十三の悲劇

2017年09月26日 08時06分11秒 |  あなたの鼓動、華


昨日もそうでしたが、日中は直射があると暑いですね。
今日も朝から陽射しが強い。
でも、気温の方は、秋になったことを肌に知らせています。
世の中は夏から秋へと目まぐるしく走り出しているのに、今日のトップの写真、昨日のお目覚の写真と同じような花(でも種類は違うもん) 同じような撮り方で、代り映えのしないこと。

とにかく、昨日は、お神輿について行って町を練り歩くときに、可愛い子ちゃんたちの踊りでもなんて思いもしないんですよ、歳をとると体を動かすことが億劫で、私の人生は秋を過ぎて冬にまっしぐらですかね~



町には「春夏冬」って中華食堂があります。ここではちょっと変わって、「しゅんかとう」って読ませるらしいですけど、普通はあれ、「あきない」って読むんですよね。「秋がない⇒飽きない⇒商い」の言葉遊びなんですけど。
私の人生も「春夏冬」ですかね。もっとも、私の場合は、 「秋がない⇒空きがない」なのか、、、もう一つ、収穫の時期、実りの秋、なにかの結果が実るときの意味があるんですけど、私の場合は、何も実らせなかったし、、、、 その意味でも「秋ない」ですね~ しょんがいな。

でも、こんな言葉遊びのレベルのものは、一度聞けば忘れないからまだ許せますか。数は多いですけどね~
池之端の十三屋さん(結局ここの柘植の櫛も買いたいと思いながら買いそびれて、今となっては買っても、あと何年使えるだろうって、、、髪も長い友達だったんですけど、一本一本と別れて行っちゃいましたからね)も、「くし」は「苦と死」につながるからって「九と四」を足した十三にしたんだって噂でしたけど。

外国語ってまじめに勉強したことがないんですけど、文法や単語を覚える以上に、それを使っている人たちの、歴史や風土、文化の集大成なんだってところで挫折しちゃうんですよね。そんなのまじめに覚えようとするとやっぱり、赤ちゃんの時から(つまり、英語で言う「お母さんの膝の上で」ってことですけど)その国で育たなければって、でも、それだったら、もう「外国語」じゃないですよね。さじを投げちゃったり。
映画で「ティッシュ」って言葉が出てきて、四苦八苦した覚えがあります。辞書を引いても、木の繊維がどうたらこうたら、それからどう類推しても目の前の画面とは違うんですよね。そのころの日本ではまだ、ティッシュペーパーなんて普及してませんでしたから。
俳句を世界に広めようとしている団体の方とお話をしたことがあります。「何が一番難しいですか」って私の質問に、やはり、この風土の問題が出て来ましたですね。「物悲しい「枯葉」って単語一つにしても、南方に行けば、頭の上からどさっと落ちてくる危険なヤシの葉っぱなんかを想像するんですよ、、、、」なんですと。確かに一年中夏だけの国々ですからね~
反面、南極で冷蔵庫は売れないと考えるあなたは、私と同じ出世しないグループなんです。南極でも売れるんです。冬だって、使えるんです。「外に出しておくと寒すぎて、ちょうどよい温度でキープするために冷蔵庫が必要なんです」だそうですよ。

不条理をセ・ラ・ビなんて感覚的により多く認めるラテン系の人たちは、風俗歴史をきちんと分からないと理解できないから分かりにくい? でも、論理的だと言われるゲルマン系だって、根っこには13を嫌う部分があったりして、むしろ論理的だと頭だけで理解しようとしたら、大きな間違いを起こすんじゃないなんて、、、、
そんな思いで、神秘主義の企画をやろうかって騒いだこともありましたけど。
でも、ちょっと前まではそれでよかったんですよ。「すべての事象は、体を通じて入ってくる」んですから、でも、今やデジタルの世界になって、そんなの論議しているのすら無駄。論議するべきものはすべて公理の上に立つものだけにしようよなんてことになって、、、世の中面白くなくなりましたよね~

ところで表題の十三。勤めていたところが北欧に関係したところでしたのでいろいろと役得(?)がありました。特にお招きの時、出席者が13人だと、大慌てで呼び出しがかかる。特にシッティングなどだと13を避けたいのですね。
ある日、この例でお呼びがかかりました。主賓は新任の英国大使。ホストは我が方のトップ。
そこで、英国大使夫人が、「日本は男尊女卑の国だから、これから私はどうなるんでしょうね」なんて話をしだして、我が方の夫人が、「まあ、表はそうだけど、実はそうでもない。例えば、夫が稼いだものは全部妻に渡すことになっていて夫にはほとんど権利がないし、日本の男って外ずらだけよくって、実情は可哀想なもんよ。ねえ、そうでしょう」って話を私に振ってきたんです。
可哀想な日本の夫としては、超恐妻家の上司の、奥さんからあれ買え、これがなくなったって電話を毎日受けている顔を思い出しながら、「まあ、そうですね~」なんて、一座の同情に満ちた目線を受けながら、いたたまれない気分でもじもじとしておりましたです。
今思い出しても、役得なんてのは受けてはいけないものですな~