天下の親鸞さんにたてをつく気はないけれども、本当に「善人なおもて往生す」でいいのかな~
確かに、阿弥陀さんは、できるだけたくさんの人々を救いたいと、ただただ念仏さえ唱えれば救われますよって言ったのだろう。だから一生懸命自分で精進して往生することを願う人は阿弥陀さんからみれば、自分の功徳を信じない人。そんな人でもまあ、救ってやるから、念仏さえ唱えていれば悪人でも何でも救われるよというのが親鸞さんなんだろうね。
親鸞さんのお師匠さんの法然さんも、仏像やお寺を寄進したり、お布施を差し出したり、そんなことが救いの選抜ではない。そんなもので選抜しようとすれば、お金のない人たちは救われないじゃないかって言っていますよね。
でも大乗の教えで判らないのは、それならお寺にも、坊さんにも何も寄進しない。家でただ念仏だけ唱えている。坊さんは寝るところもなく、飢え死にしても仕方ないじゃないって皆が思ったとしても、反論できないんじゃないかな。
なんてことが小乗の徒としての私の敢えて、喧嘩売りの雑感でした。
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