蓮
蓮の花は見事ですね。
それに、泥の中からこのような気品のある花を咲かせるということで、エジプトやインド、東南アジアから中国にかけて、聖なる花って言われています。(あっちは睡蓮でしょうとか、熱帯睡蓮だよなんて細かいことはこの際なしにしておきましょうね)
花を活けるとなるとちょっと大変。水揚げが悪いので、下からポンプで水を送ってあげます。それようのポンプが花屋さんには売ってあるのですね。
そして、私の友人達はメタボ検診が終わるころになると、蓮の花や、果托に似せたあの、砂糖が一杯の食べ物をお召しになる。
そんなことをしていたら、一年はあっという間で、次の検診のときに、「要注意、計画書を出しなさい」なんてことになりかねないのに、、、、、
古代の詩人達は蓮の花よりも葉っぱの上の水玉をよく詩に詠んでおりました。
朝の早い時間、まだ空気に爽やかさが残っている時間、朝日を浴びて葉っぱの上でころころと光り輝く水玉は詩人達の心を奪ったのでしょうね。
そして、花が終わり、
果托を愛でるのも終わり、、、
それで終わりでしょうか?
ほんとうはそうなんでしょうね。
では、これは?
ただのごみというには、もったいなさすぎですよね~
私の人生の最後もかくありたい、なんて思うのは年寄りにありがちな、、、、
ということで、やめておきましょう。
有終の美
葉脈が透けて美しいですけれど、まだまだ終わりではない透明な力を感じます。
葉脈パワーかな
レース編みのように透き通っているので、
お日様やお月様の光が
いつも新鮮です
撮り方によっては、もっと綺麗に撮れたかも知れませんが、なんせ蓮までは遠く、カメラにつけていた300ミリではこれが精一杯でした。
美しくないって思われているものでも、見かた、撮り方によっては綺麗になるなんていうと、友人達が「ワタチのポートレートを撮って」って言って来るかも知れないのでやめておきます。なんせあの方達は、どう撮っても、、、
(あわわ、、、、仕方ない、本意ではないですけど、、、危うきに近寄らないため)
普段から美しいので、私じゃなくても大丈夫なんですから。