狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

セミに先駆け大合唱、沖縄マスコミの「場外乱闘」

2008-06-14 06:37:35 | ★集団自決
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夏の早い沖縄でも、セミの大合唱にはまだお目に(お耳に?)かかっていない。

だが、セミに先駆け、沖縄のマスコミが今を盛りに大合唱を始めた。

名目は直前に控えた恒例の慰霊の日特集としているが、実の狙いはその二日後の「集団自決」控訴審に焦点を合わしているのは明らか。

新たな証言者を発見し、裁判の「場外乱闘」ともいえる特集企画を組む。

法廷外での被告の援射撃の開始だ。

だが、昨日の琉球新報の朝刊の一面トップの大見出しには流石に驚いた。

執筆記者は「慰霊の日取材班」となっているが、

慰霊の日(6月23日)の二日後の「集団自決控訴審」に焦点を合わせた、ワッペン記事。

それを一面トップに、大きく持ってきた紙面構成から、

控訴審にかける沖縄マスコミの「場外乱闘」への決意が伺える。

ワッペンのタイトルは、

住民虐殺

ー“銃”を向けた日本兵 -1-

そして、ショッキングな白抜きの大見出しは、

銃声、崩れ落ちた少女

日本兵、無言で引き金

<自然濠の暗闇の中。 赤ちゃんが一人、二人と泣き出した。 敵が知るのを心配した日本兵が「黙らせろ」と怒鳴った次の瞬間だった。 光がやっと届く暗がりで、斜め座りし、両手で目をこすって泣いていた小学1、2年生ほどのおかっぱ頭の少女に将校が濠の奥から歩み寄った。 無言で拳銃の銃口を左のこめかみに当てた。 大きな一発の銃声が濠内に響いた。 右のこめかみから煙が上がった。 少女は声もなく前方へ崩れ落ち、動かなくなった。 濠内は静まり返った。 将校は平然と暗闇の奥へ消えた>(琉球新報 2008年6月13日)

この凄惨な証言をしたのは、少女から約5メートル奥にいた当時17歳の仲松庸全さん(80歳)。

記事によると、仲松さんは、その時、日本軍への怒りと恐怖、そして何も出来ない自分にもどかしさを覚えたという。

仲松さんは、少女銃殺を機に投降を決意し、一人濠を飛び出し、背後から日本刀で切りかかる日本兵の追尾を逃れて投降する。

捕虜収容所で昭和天皇が日本降伏を告げる玉音放送を聞いたが、寝そべってラジオには見向きもしなかったという。

仲松少年は、その時、骨の髄まで軍国少年だったはずの自分が変わったことを自覚する。

そして、次のように断言する。

軍隊は住民を守らない。 これがわたしの体験から得た最大の教訓だ」

「教科書問題で文科省が検定意見を撤回しない態度は本当に腹が立つ。 体験から集団自決は軍命でやられたとはっきり言える。 軍の体質だ」

                     *

当日記は、仲松さんの証言の真偽を検証できる立場にはない。

だが、少なくとも新報記者が書いた記事には、現場に居合わせた人の証言にしては違和感を覚える部分が多数あるのは事実だ。

>赤ちゃんが一人、二人と泣き出した。 敵が知るのを心配した日本兵が「黙らせろ」と怒鳴った次の瞬間だった。

次々と泣き出したのは「赤ちゃん」であり、日本兵が敵に知られるのを恐れたのは「赤ちゃんの泣きき声」だったはず。

銃声と赤ちゃんの泣き声のどちらが敵に知られる恐れがあるかについて論議するのはさておき、

奥から出てきた将校は何ゆえ、「次々泣き出す赤ちゃん」をそのままにして「両手で目をこすって泣いていた小学1、2年生ほどのおかっぱ頭の少女」を平然と射殺したのか。

>右のこめかみから煙が上がった。 少女は声もなく前方へ崩れ落ち、動かなくなった。

平和な時代に生きている筆者にとって、左のこめかみから撃ったら、右のこめかみからは血が飛び散る光景は映画のシーンでしかしか知らない。

だが、右のこめかみから血が飛び散る代わりに煙が立ち上る光景は、どうしても想像できない。

それに記録映画等の知識では銃で左の米神から撃ったら右に倒れ込むのもので、声もなく「前方へ崩れ落ちる」のも想像し難い。

>濠内は静まり返った。

何時の時代も泣き止まない赤ちゃんには手を焼くもの。 

銃声一発で濠内が静かになったとは・・・、泣き喚いた赤ん坊たちは何故静かになったのか。

>「軍隊は住民を守らない。 これがわたしの体験から得た最大の教訓だ」

判で押したような左翼勢力のスローガンの「軍隊は住民を守らない」は、記者の誘導なのか。

>「教科書問題で文科省が検定意見を撤回しない態度は本当に腹が立つ。 体験から集団自決は軍命でやられたとはっきり言える。 軍の体質だ」

「体験から」というが、仲松さんの体験は本島南部の摩文仁界隈の濠の中の出来事のはず。

それをもって「集団自決は軍命でやられたとはっきり言える」と断言するのも、やはり新報記者の誘導なのか。

                     ◇

沖縄戦の「濠」の話は「平和祈念資料館」の親子に銃剣を向ける日本兵人形に象徴されるように、

泣く子供を銃殺したとか、抜刀して濠から追い出したとか、「残虐な日本兵」を印象付ける話しかマスコミは取り上げないが、

日本復帰以前には、泣き叫ぶ子供を連れた母親が恐れたのは、日本兵というより、むしろ「濠内の他の住民」の「何とかしろ」という非難の声だった、という証言も多かった。

背中に突き刺さるような濠内の他の住民の非難の声に耐えられず、

濠を飛び出したり、水を含ましたタオルで泣き叫ぶ赤子の口を塞いで、我が子を殺してしまった母親の証言なども聞いた記憶がある。

だが、不思議なことに、最近飛び出してくる証言は揃って「残虐非道の日本兵」を糾弾する証言のみで、上記記事もその一つの例。

昨年は掃いて捨てるほどの証言が出てきたが、「毒おにぎり」で有名になった仲里県議議長の証言の中に「濠と住民」に関する証言があった。

「毒おにぎり」の証言よりも、仲里議長が「みなさん」といった住民の態度に注目して欲しい。

「動画」⇒『日本軍の強制による集団自決 はあった!』証言1
(「毒おにぎり」と「皆が出て行け!」)

泣き叫ぶ親子を濠から追い出したのは日本兵ではなく、同じ住民の声だったことが分かる。

 

去年の大阪地裁に対する「場外乱闘」では、沖縄マスコミは、高校生に「おじー、おばーが嘘をつくはずがない」といった、年寄りと子供を使って世論扇動をした。

それに味をしめたのか、今年の控訴審の場外乱闘も高校生に焦点を合わしたようだ。

高校生側としても、こんなおいしい話はないだろう。

高校の演劇部の活動を、新聞が一面で取り上げるような幸運はめったにあるものではない。

ところが「集団自決」を演目に取り上げただけで、新聞が社会面トップで大きく取り上げてくれるのだ。

                      ◇

沖縄タイムス 2008年6月13日(金) 朝刊 29面   
 
「集団自決」劇で表現/美里高生 教科書問題機に

 昨年九月の「教科書検定意見撤回を求める県民大会」に参加した美里高校の生徒らが「集団自決(強制集団死)」をテーマにした劇「明日への幸せ」を十三日午後二時から、沖縄市の沖縄市民会館で披露する。入場無料。「集団自決」の証言集など沖縄戦関係の資料を丹念に読み込んだ演劇部の生徒らが脚本・演出も担当。「事実をなぜ変えるのか」。教科書問題で疑問に感じた思い、平和への願いを自作の劇で表現する。(宮城貴奈)
 舞台は多額の借金やいじめなどに苦しみ自殺を図ろうとする社会人、高校生、主婦の三人が糸満市の喜屋武岬で出会うところから始まる。そこに沖縄戦の「集団自決」の犠牲者の霊が現れ、当時の体験を語るストーリー。

 捕虜になるより自決を選ぶようにと日本兵から渡された手りゅう弾で命を絶つ場面。生きたくても生きられなかった悲しい歴史を通して、「命の尊さ」を伝える。

 脚本を担当した島袋史奈さん(17)=三年=は教科書問題で沖縄が大きく揺れ動いたのを目の当たりにし、「変えなくてもいい事実をなぜ変えるのか」と疑問を感じたという。

 「6・23慰霊の日平和学習」発表会は同校のダンス部や吹奏楽部など五つの部の生徒が平和をテーマに朗読などを行う。

 今年は昨年の教科書問題を受け、「集団自決」を盛り込んだ内容にしたいと、演劇部の生徒が主体的に証言集や資料集を読み込んだ。体験者の証言集を手にし、「こんなに追い込まれていたのかと胸が痛くなった」と語る島袋さん。

 昨年の県民大会に参加した小渡歩さん(18)=三年=は「沖縄出身者として、沖縄戦であった『集団自決』の事実を多くの人に伝えていきたい」と来場を呼び掛けた。

                      ◇

同校のダンス部や吹奏楽部など五つの部の生徒が平和をテーマに朗読などを行う。

なるほど、「集団自決」のようなオイシイ話を演劇部だけに独占させることはないと思ったのか、五つの部が共同で取り組む気持ちも良く分かる。
 
 
歌や絵本で沖縄戦継承 証言者減少で表現模索(2008.6.10)
 < 北部農林高校1年の仲村ハンナさん(15)、中村芽衣さん(同)、玉城ありささん(同)は、2007年の東中学校在籍時に沖縄戦「集団自決」(強制集団死)の日本軍関与の記述が修正・削除された問題について、村議会への意見書採択を求める請願を行ったことや、同年9月の県民大会の取り組みを、ことし5月の全国高校生サミットで発表したことを報告した。
 「県民大会に11万人を超える人が集まり、教科書の記述も大幅に回復した。沖縄県民が取った行動は大きな意味があった」と発表した。>
     
                      ◇

高校生達の活動と、それを報じる新聞報道で特徴的なのは、「集団自決」を「強制集団死」と書き変える動きを始めていることである。

そもそも「集団自決」なる言葉は『鉄の暴風』の筆者の大田良博記者が初めて使用したと記憶する。

最近この言葉を使用に関し、「軍命あり派」の動きが激しい。

6月11日付け琉球新報に「沖縄戦認識の弱点」と題する次のようなコラムが載った。

沖縄国際大学教授の石原昌家さんが『南東文化』(同大南東文化研究所紀要第30号)に、「イデオロギーとなった集団自決という言葉の意味」と題した論文を発表している。 政府・国防族や「歴史修正グループ」は、「集団自決」という言葉を、戦争責任を)免責する言葉として意識的に使用し始めた、と指摘。 「自国軍による自国民の殺害、死に追い込んだ沖縄戦のイメージを一掃して、沖縄戦=集団自決(殉国死・尊厳死)というイメージを全国的に定着」させようとしていると分析する。 
大江・岩波裁判の判決の日、大江健三郎さんもこの論文に目を通したという。 大江さんは「世界」6月号で、石原さんの論考に賛同して次のように書いている。 「渡嘉敷における集団死の強制が(それを自決と呼ぶことの不当を示し、強制された集団死と石原昌家教授の持続的な論考に学んで、私も以後この書き方で統一します)」

石原さんは「集団自決」と「強制集団死」が相反する意味にもかかわらず、同義語のように使われている状況を「沖縄戦認識の弱点」憂えている。

「集団自決」が軍の命令や強制が合ったかどうかを争点に争われている裁判で「集団自決」を「強制集団死」と規定してしまったら、被告の大江氏が喜んで「私も以後この書き方で統一します」と書くのは当然であろう。

石原教授は「軍命あり派」の学者として知られているが、

自分の研究で「軍の命令」は援護金のために、「政府援護課が『軍命』を指導した」と発表してしまい「軍命派」の中でも微妙な立場と想像される。

それで、得意のレッテル貼り(歴史修正グループ)や、言葉の言換え(強制集団死)で「沖縄戦認識の弱点」の一点突破を図ろうとしているのだろうか。

「集団自決」をその意味から判断して最も相応しい熟語を当日記が選ぶとしたら、

「集団無理心中」。

沖縄マスコミの控訴審での「場外乱闘」は教育現場に目標を決めたのか、高校生の部活を指導する若手教師集団にもターゲットを絞っている模様。

沖縄タイムス 6月14日 朝刊 社会面

教師「集団自決」学ぶ  宜野湾高校

若手が宮城さん講演企画

<沖縄戦で起きた「集団自決(強制集団死)」について生徒たちに教える立場にある教職員たちが理解を深めようと、宜野湾高校で13日、女性史研究家の宮城晴美さん(58)の講演会が開かれた。 学校が教師を対象に歴史勉強会は珍しいといい、・・・(略)>

教師が生徒を洗脳し、その教師を宮城晴美氏が集団洗脳する。

場外乱闘の極地ともいえる良く出来た構図だ。

>学校が教師を対象に歴史勉強会は珍しい・・・

係争中の裁判の重要証人が教師の講演会を開くことは、珍しいなんてものではなく、異常だとは思わないのだろうか。

 

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