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「集団自決訴訟」の控訴審第一回口頭弁論が、今日大阪高等裁判所で行われる。
判決言い渡しは明年三月ごろだと言われているが、原告被告のどちらが勝っても上告が予測され、結局は最高裁までもつれ込むものと言われている。
この裁判に和解はない。
長い戦いの途中の第一歩である。
被告側は当初から敗訴を想定していた気配があり、大阪地裁への署名提出やメールなどで、「場外乱闘作戦」を大々的に行っていた模様。
今回も被告側の団結力はすさまじいものがあり、「大江・岩波沖縄戦裁判を支援し沖縄の真実を広める首都圏の会」が、二十日、東京都内で結成一周年総会を開き約百人が参加したという。
控訴審での勝利を目指して、沖縄と連帯して引き続き署名活動などの運動を強めるとのこと。(沖縄戦裁判 控訴審勝利を/首都圏の会が1周年総会 )
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原告弁護団の徳永弁護士の講演会を三回に分けてエントリーし、大阪地裁判決の問題点を整理した。
徳永弁護士が講演の最後の部分で最も力を入れて大江健三郎氏を批判した部分は、裁判のポイントとは関係ないと思われたので、独断と偏見で勝手に省略した。
その部分を番外編としてエントリーする。
だが、その前にもう一つ。
法廷での大江氏の戯言とも言うべき証言も、ついでに書いておこう。
大江氏の法廷証言は次の三つに分けられると書いた。
①曽野氏の「誤読論」
②匿名論⇒戦隊長の個人名は挙げていないので名誉毀損には当たらない。
③「軍命構造論」⇒タテの構造云々から時限爆弾としての軍命令
①の「誤読論」については既に論じた。
②の匿名論については、当時の渡嘉敷島の戦隊長は、赤松隊長であり、座間味島の戦体調は梅澤隊長ただ一人である。 徳永弁護士のような大阪人が那覇市の市長の名前を知らなくとも、「那覇市の市長が痴漢を働いた」と報道があれば、それが那覇市長の名誉を毀損するのは明らかであり、判決でもこの論点は一蹴している。
③の点は、「命令」を軍のタテの構造の力だとか、時限爆弾の命令だとかいったようなことを窺わせる解説は、『沖縄ノート』の中のどこにもないことは大江氏自身も認めており、判決もまた、「命令」を大江氏のように読むには、大江氏の解説を受けなければ無理であるとしている。
判決は、裁判でその有無が争われている「命令」とは、大江氏の言う「タテの構造云々」と解説の必要な種類のものではなく、
「住民は、部隊の行動を妨げないために、また食料を部隊に提供するため、いさぎよく自決せよ」という命令を指すものだとして、これも一蹴している。
結局、大江証人の法廷での世迷言はことごとく粉砕されたのである。
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大江健三郎氏は、法廷での尋問の様子を朝日新聞の連載コラム「定義集」で取り上げ、次のように述べた。
「『死の美化』『殉国の思想』の復活は、人間の尊厳を貶めるもの」だと。
しかし、徳永弁護士はまさにこうした大江氏の思考こそが、戦後民主主義の落とし穴であったと考える。
そして小林秀雄の次の言葉を大江氏に対する回答とした。
「過去の時代の歴史的限界性を認めるのはよい。 しかし、その歴史的限界性にもかかわらず、いかにその時代の人々が、いかにその時代のたった今を生き抜いたかに対する尊敬の念を忘れてはだめだ。 その尊敬の念を忘れたところには、歴史の形骸があるばかりだ」
集団自決が行われたあの日、あの時代の≪たった今≫を精一杯に生きた先人に対する尊敬の念を忘れ、後知恵で人々を裁く姿勢そのものが、「人間の尊厳」に対する最大の冒涜なのだ・・・・と、徳永弁護士は最後を結んだ。
なるほど、愛する家族に人間としての尊厳を失うような死に方をして欲しくない。
そう思えばこそ、そして家族を愛すればこそ、集団自決というギリギリの行動を選択したのだ。
それを「軍の命令」でもって、愛する家族を殺したと、後知恵で裁く者こそ死者に対する最大の冒涜になる。
控訴審は、大江氏のまやかし論が既に否定され、死者の名誉毀損の逃げ道もなくした状態からの訴訟である。
外堀は既に埋められて落城寸前の城を攻めるようなもの。
松本藤一原告側弁護団長は、「控訴審は、『軍の関与』と『隊長の関与』のマジックワードのみによって辛うじて勝ちを拾った大江被告との戦いの場である。原審判決の破棄は必死である」とのコメントを述べている。
昨年の7月、連日「集団自決軍命説」が渦を巻くような、琉球新報のオピニオン面「声」欄に、
まるで四面楚歌のような状況の読者の「声」が掲載された。
被害妄想の軍命 糸満市 有馬光正 (自営業、62歳)
7月10日付け声欄で「思考停止はやめよう」という40台の方のご意見に、正直ほっとした。 自分も常々沖縄の新聞の論調には辟易してきた。 この方の言うように、「戦前、戦中は日本軍が悪い。 戦後は米軍が悪い。 悪いのはみんな他人で自分を省みない」という感情を特に色濃く感じるのは、最近の集団自決の軍命の有無」に関して、教科書検定で「軍命」の語を削除した政府に対する県下の地方議会や新聞の態度である。 真実がどうのというより、、「人は追いつめられると自分の尊厳を守るために、自ら死を決意する」という人間に対する崇高な信頼感はなく、「軍隊の命令がなかったら、自決などしなかった」という思い込みだけで議論が進められている。
これは、自決した方々の人格に対する甚だしい冒涜というべきではないか、 自決命令があった、という証拠は、現在まで見つかっていない。 とすれば、教科書には、軍の命令には触れないことは当然の措置だろう。 自分たちだけが被害者だという、卑屈な思い込みはいいかげん、やめてもらいたい。
沖縄にも良識ある県民は数多くいる。
投稿者の言うように、人軍の命令があったというだけで、自分の愛する子供や、親兄弟を手に書けたりするだろうか。
動物だって敵に巣穴を見つけられそうな時には、親は我が子を守るため巣穴を飛び出して身を挺して敵の気を引く。
集団自決の犠牲者を、「軍の命令で我が子や愛する家族を殺した」と、後知恵で貶めるものこそ、最も死者を鞭打ち且つ冒涜するものである。
【おまけ】
2008年6月24日(火)「しんぶん赤旗」
皇軍美化の「慰霊祭」
自衛隊強行 赤嶺議員ら抗議
沖縄戦の犠牲者を追悼する「慰霊の日」の二十三日明け方、当時沖縄に配備された第三二軍の牛島満司令官らをまつった糸満市摩文仁(まぶに)の「黎明(れいめい)之塔」で、自衛隊による「慰霊祭」が強行されました。同塔の敷地内では沖縄県平和委員会や日本共産党の赤嶺政賢衆院議員らが「自衛隊は皇軍美化の慰霊祭をやめよ 自衛隊による沖縄戦の史実改ざん糾弾」とする横断幕を掲げて抗議しました。
まだ暗い午前五時すぎから、制服に身を包んだ自衛官らが献花、参拝して「慰霊」しました。県平和委員会によると参加したのは、陸上自衛隊第一混成団の団長、同広報室渉外担当ら十四人です。五時四十分すぎ、桑江良逢・同団初代団長が献花すると、自衛官らは直立不動で見守りました。
「慰霊祭」の中止を申し入れていた県平和委員会の大久保康裕事務局長(45)は「軍隊は住民を守らないというのが沖縄戦の本質だった。県民を守るどころか、『国体護持』のため。その第三二軍を顕彰する塔で自衛隊が『慰霊祭』を行うのは史実をねじまげるものだ」と厳しく批判します。
自衛官らは県平和委員会などの抗議に対して「私的なことだ」と繰り返しました。
自衛隊の「慰霊祭」をめぐっては、一九七〇年代に千人規模の「行軍」まで行い開催し、住民の強い反発を受けその後中止されていました。二〇〇四年から再開され、今年は、昨年にくらべ参加者が半減しました。
◇
>軍隊は住民を守らない
ここで河野洋平衆議院議長は、日本共産党の赤嶺政賢衆院議員ら共に、抗議運動の先頭に立って、
「軍隊は住民を守らない」
とシュプレヒコールはしなかったのだろうか。
【おまけ】
大阪高裁の控訴審は午後二時改定(予定)なので、詳細は夕刊に間に合わなかったのだろう。 新報は、朝刊の記事のみで夕刊はスルー。
だが、詳細記事は間に合わなくとも、社会面のトップにこの記事を持ってくるあたり、沖縄タイムスの焦りなのかそれとも「場外乱闘作戦」の一環なのか。
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