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大阪高裁の控訴審判決が、昨年沖縄で行われた「11万人」集会を否定した。
と書くと、「ウソをつけ!」と脊髄反射をする輩(琉球新報では使用禁止らしい)がいう湧いて出てきそうだ。
なるほど、判決文では「11万人」集会について触れていない。
狼魔人日記も敗訴のショックでトチ狂って、遂にカニハンリてしまったのか。
カニハンリとは沖縄方言で、カニは金、ハンリ(ン)は外れる・・・
つまり「金具が外れる」が文字通りの意味だが、
詳しくはここ↓[後半部分]
ヘリコプターマネー ノーベル経済学者がお墨付き!
カニハンリたかどうか、・・・とにかく最後まで読んで下さい。
◆
11月2日のエントリーでこう書いた。
その日の沖縄タイムス朝刊の大見出し≪「強制」復活 希望と課題≫は、読者を馬鹿にした印象操作で、、正確に書けば
≪「強制」復活は今後の希望と課題≫と書くべきだ・・・と。
同じ紙面に
≪歴史継承は「実践で」≫と意味深な見出しもあった。
高裁判決は、結局昨年の3月に公表された2008年度用の高校歴史教科書の検定意見を是認する結果となった。
検定意見とは、「集団自決の命令や強制は削除するように」ということ。
昨年9月の「11万人」集会で、撤回を求めた「教科書検定意見」を高裁判決が、撤回どころか逆に認めてしまったのだ。
判決後の集会で、津田則光・沖縄国際大学非常勤講師は、
「判決は100点ではない」と話した。
その理由をタイムス記事はこう説明している。
≪判決が軍命令と隊長命令を区別し、住民を「集団自決」に追い込んだ日本軍の責任がそのまま個人としての責任を意味しない、との見解を述べているからだ≫
被告側のスポークスマンともいうべき沖縄タイムスが、この記事で言わんとする判決の意味は次の2点だ。
①集団自決に対する梅澤、赤松両隊長の責任はない。
②従って、教科書から「命令」や「強制」は削除を支持。
これで両隊長の名誉は一応回復され、
教科書から「命令」や「強制」が削除されたわけだから、裁判に勝ったような気さえする。
「判決は100点満点ではない」どころか、被告側は判決では勝ったが、勝負には負けたとの意見さえある。
そこで先ほどの見出しの≪歴史継承は「実践で」≫の意味が生きてくる。
そう、法廷外の「プロ市民運動」で勝負に勝つ!
文科省が何といおうが、
判決が何といおうが、
歴史継承は「実践」で!
■「11万人」集会■
昨年の9月29日、宜野湾市の海浜公園広場で行われた「11万人」集会の正式な名前は
「教科書検定意見撤回を要請する県民大会」という長ったらしい名前である。
その「11万人」の勢いを駆って、何度も大勢の代表団を上京させ文部省に「検定意見撤回」を要請したが、結局不拒否されていた。
今回の控訴審判決は、計らずも「県民の総意」である「検定意見撤回の要請」を、木っ端微塵に打ち砕いた結果になった。
タイムス記事に、判決後の梅沢さんの、次のようなコメントが紹介された。
「裁判を起こしたことで教科書が変わり、子供たちが『間違った歴史』を学ぶことがなくなった」(11月3日沖縄タイムス)
そう、ご本人の名誉も回復し、これはある意味の勝利宣言ではないか。
沖縄タイムスは控訴審判決で「検定意見」が是認された結果になったのがよっぽど悔しいのか、
同じく検定を認めない朝日の社説と、
検定是認の読売社説をならべて記事ネタにしている。
沖縄タイムス11月2二日の社会面見出し
<朝日「検定の異常さを思う」>
<読売「検定の立場維持」>
全国紙、対照的な主張
この対照的な二紙の社説の意味するものは何か?
そう、「11万人」集会のテーマである「教科書検定意見撤回を要請する県民大会」は、大阪高裁判決で事実上粉砕されたのである。
◆
朝日社説
集団自決判決―あの検定の異常さを思う
太平洋戦争末期の沖縄戦で、住民の集団自決に日本軍が深くかかわっていた。そのことが大阪地裁に続いて大阪高裁でも認められた。
06年度の教科書検定で、軍のかかわりを軒並み削らせた文部科学省の判断の異常さが改めて浮かび上がる。
問題になっていたのは、ノーベル賞作家、大江健三郎さんの著書「沖縄ノート」だ。米軍が最初に上陸した慶良間諸島で起きた集団自決は日本軍が命令したものだ、と書いた。
これに対し、元守備隊長らが指摘は誤りだとして、大江さんと出版元の岩波書店に慰謝料などを求めた。
沖縄の日本軍は1944年11月、「軍官民共生共死の一体化」の方針を出した。住民は根こそぎ動員され、捕虜になることを許されなかった。そんな中で起きたのが集団自決だった。
大阪高裁は「一体化の大方針の下で軍が集団自決に深くかかわったことは否定できず、軍の強制ないし命令と評価する見解もあり得る」と述べた。
集団自決が軍に強いられたものであったことは沖縄では証言がたくさんあり、学問研究も積み上げられていた。判決はきわめて常識的なものだ。
裁判で元隊長は、住民に「決して自決するでない」と命じた、と主張した。控訴審では、その命令を聞いたという男性の陳述書も提出された。
判決は「元隊長の主張は到底採用できない」と指摘し、男性の供述を「虚言」とはねつけた。遺族年金を受け取るために隊長命令説がでっちあげられたという原告の主張も退けた。
そのうえで、判決は「出版当時、隊長命令説は学会の通説ともいえる状況にあり、真実と信じるに相当な理由があった」と結論づけた。
そこでもうひとつ注目すべきは、表現の自由を幅広く認定したことだ。原告側が「沖縄ノート」の発行後に隊長命令説を否定する資料が出てきたと主張したことに触れ、「新しい資料で真実性が揺らいだからといって、ただちに出版の継続が違法になると解するのは相当ではない」との判断を示した。
それにしても見逃せないのは、文科省が教科書検定で「日本軍に強いられた」というような表現を削らせた大きな理由として挙げていたのが、この裁判の提訴だったことである。一方的な主張をよりどころに、歴史をゆがめようとした文科省の責任は重い。
問題の検定は、「戦後レジームからの脱却」を唱える安倍政権の下でおこなわれた。時の政権の持つ雰囲気が、歴史の見直しという形で影を落としたのではなかったか。最終的に「軍の関与」を認める訂正をしたのは、次の福田政権になってからだ。
ありのままの歴史にきちんと向き合う。その大切さを、一連の教科書検定と裁判を機に改めて確認したい。
ooo
読売社説
11月1日付 集団自決判決 検定の立場は維持すべきだ
結論は1審判決と変わりはない。しかし、受け止め方によっては、沖縄戦の集団自決をめぐる歴史教科書の記述に、新たな混乱をもたらしかねない判決である。
集団自決を命じたと虚偽の記述をされ名誉を傷つけられたとし、旧日本軍の守備隊長だった元少佐らが、作家の大江健三郎氏と岩波書店に出版差し止めと損害賠償を求めた控訴審で、大阪高裁は1審判決を支持し、原告の控訴を棄却する判決を言い渡した。
裁判では、隊長命令説が長い間定説となっていた渡嘉敷島と座間味島の集団自決について、軍命令の有無が争われた。
控訴審判決は、集団自決に日本軍が深く関(かか)わっていることは否定できず、「これを総体としての日本軍の強制ないし命令と評価する見解もあり得る」とした。1審判決にはなかった見解である。
集団自決の背景に軍の「関与」があったこと自体を否定する議論は、これまでもなかった。
昨年春の教科書検定では、沖縄の集団自決に日本軍の「関与」はあったが、「強制」「命令」は明らかでないとする検定意見が付けられた。「関与」と「強制」「命令」を混同した議論など、決してあってはならないことだ。
一方で判決は、隊長が集団自決を命令したという事実の有無については、断定することはできないとした。
渡嘉敷島の集団自決の隊長命令説をめぐっては、生存者を取材した作家の曽野綾子氏が1973年に出した著書によって、その根拠が大きく揺らいだ。
座間味島の守備隊長に、自決用の弾薬をもらいに行って断られたという証言を盛り込んだ本は2000年に刊行されている。
判決は、新資料が出現して、従来の主張の真実性が揺らいだ場合でも、「社会的な許容の限度を超えると判断される」などの要件を満たさなければ、直ちに書籍の出版を継続することが違法になると解するのは妥当でないとした。
公共の利害に深く関わる事柄については、論者が萎縮(いしゅく)することなく、批判と再批判を繰り返していくことが、民主主義社会の存続の基盤だとも指摘した。
「言論の自由」を守るということでは、その通りだ。
しかし、控訴審判決でも日本軍が集団自決を命令したと断定されなかった以上、「軍の強制」といった記述は認めないとする教科書検定意見の立場は、今後も維持されるべきだろう。
(2008年11月1日01時37分 読売新聞)
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