狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

マスコミの加熱取材が普賢岳災害をもたらした!

2011-06-03 20:42:02 | 県知事選

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今日は普賢岳火砕流から20年と言うことで島原市の追悼式の様子を報道するマスコミは多い。

殆どの報道が「記憶を風化させず後世に伝えるのは私たちの責務」などと、もっともらしいことを述べているが、多数の犠牲者を出した最大の理由が、マスコミの傍若無人な取材合戦による人災である、と報じる反省の記事はひとつもない。

 

復興体験の継承誓う 普賢岳大火砕流から20年 島原市で追悼式典

2011年6月3日 13:44 カテゴリー:社会 九州 > 長崎
 
消防殉職者慰霊碑に献花する遺族たち=3日正午すぎ、長崎県島原市 長崎県雲仙・普賢岳で1991年6月3日に43人の死者・行方不明者を出した「6・3大火砕流」から20年を迎えた3日午前、同県島原市の島原復興アリーナで、同市主催の犠牲者追悼式が開かれた。遺族29組93人を含む約700人が参加、黙とうや献花で犠牲者の冥福を祈り、災害体験の継承を誓った。

 式典では横田修一郎市長が「記憶を風化させることなく伝え、復興した島原の地から東日本大震災の被災地へ『災害は必ず復興できる』との応援メッセージを発信してまいります」とあいさつ。

 遺族を代表して、消防団員だった父山下日出雄さん=当時(37)=を亡くした長男譲治さん(33)が「島原の復興は集大成を迎えており、私たち遺族も頑張っていきます」と述べた。

 フランス人火山学者のクラフト夫妻や米国人研究者ハリー・グリッケンさんの遺族らも初めて参加した。

 式典終了後、アリーナ近くの消防殉職者慰霊碑前で消防団殉職者の追悼式があり、団員たちが次々に献花した。

 90年11月に始まった普賢岳噴火は、96年6月の終息宣言まで5年半もの長期災害となった。犠牲者は93年の火砕流で被害に遭った1人を含む44人。島原市と旧深江町(現南島原市)では、最大2896世帯1万735人が避難を強いられた。

=2011/06/03付 西日本新聞夕刊=


普賢岳大火砕流から20年、遺族ら700人追悼式
 大火砕流から20年を迎えた普賢岳溶岩ドーム部分(3日午後0時31分、本社ヘリから)

 
43人の死者・行方不明者を出した大火砕流(1991年6月3日午後4時すぎ、長崎県島原市で、本社ヘリから)

 
犠牲者追悼式後、消防殉職者慰霊碑を訪れた山下譲治さん(左)(3日午後0時9分、長崎県島原市で)=泉祥平撮影 43人の死者・行方不明者を出した長崎県雲仙・普賢岳の大火砕流から、3日で20年を迎えた。被災地の同県島原市では犠牲者の追悼式が開かれ、遺族や消防、行政、報道関係者ら約700人が鎮魂の祈りをささげた。

 大火砕流は1991年6月3日午後4時8分に発生。普賢岳の麓の同市上木場(かみこば)地区で警戒に当たっていた消防団員12人のほか、警察官2人、住民6人、火山学者3人、報道関係者16人、タクシー運転手4人が巻き込まれ、犠牲になった。

 島原復興アリーナで行われた追悼式では、全員で黙とう後、横田修一郎市長が「遺族のなお癒えやらぬ心情を察すると言葉もない。災害と復興を通じて学んだ生命、絆、感謝の心を大切にし、記憶を風化させず、後世に伝えるのは私たちの責務」と強調。さらに、東日本大震災の被災者に向け、「復興した島原の地から『災害は必ず復興できる』とのメッセージを発信したい」と述べた。

 遺族は家族ごとに献花し、犠牲者を弔った。消防団員だった父、日出雄さん(当時37歳)を亡くし、遺族代表であいさつした同市の中学教諭、山下譲治さん(33)は「復興が集大成を迎える今、私たちも頑張っていきます」と語った。

(2011年6月3日  読売新聞)

              ☆

20年前の出来事を「天災」と捉える人人は多くいても、「人災」と捉える人は少ない。

 

亡くなったほとんどの犠牲者はマスコミ報道陣の傲慢な態度がもたらした人災であったという事実に触れ、それを反省する記事は皆無である。

当時の取材狂想劇に加わった読売も、「火砕流は1991年6月3日午後4時8分に発生。普賢岳の麓の同市上木場(かみこば)地区で警戒に当たっていた消防団員12人のほか、警察官2人、住民6人、火山学者3人、報道関係者16人、タクシー運転手4人が巻き込まれ、犠牲になったと一言の反省も示さず淡々と報じている。

 

だが、実際は亡くなった村の消防団員や警官などのほとんどが地域住民であり、立ち入り禁止地域に無謀にも立ち入ったマスコミ報道陣を救出するため、やむなく「定点」以内に踏み込んで、火砕流の犠牲者になった人たちである。

つまり報道陣を救助するために犠牲になった人たちなのだが、記事には一行の反省も記されていない。

被害の背景には、マスコミの取材競争が過熱し、十分な知識を持たない報道関係者が、取材のため「定点」と呼ばれた山と火砕流を正面から望める地点に入ったことがある。

多くのマスコミ関係者などが死んだ「定点」は、避難勧告がでていた。

危険地域であることを示すため、公的機関の観測員、消防団員は、一旦は勧告地域から撤退していた。

だが、マスコミ関係者は、規制には強制力がないことから、雇ったタクシーとともに避難勧告地域内の「定点」に詰めて、タクシーの運転手も犠牲になった。

傍若無人な報道関係者は、無人の住民の家に勝手に上がり込み、電気、電話を無断使用する事件が 起こった。 住民に不安が高まり、いったん避難勧告区域外に撤退していた地元消防団は、ふたたび避難勧告地域内に入り、見回りを始めていた。


これらのマスコミ関係者、タクシー運転手、消防団員、許可を得て中に入っていた地元住民が火砕流に巻き込まれ死んだ。

消防団員以外の地元犠牲者は5名。それ以外が約35名。 避難勧告地域の境界で検問をやっていた警察官2名は、火砕流発生の連絡を聞き、中の人たちに知らせるために勧告地域内に入り、殉職した。

公的機関の避難勧告はほぼ完璧であった。 火砕流の到達範囲は、まさに避難勧告地域内におさまっていたからだ。

その避難勧告を無視し、彼らを救うために危険地帯に立ち入った消防団員らが犠牲になったのだ。

避難勧告をマスコミが守ってさえいれば、死者数ははるかに少なくて済んだに違いない。

 雲仙普賢岳の災害ほどマスコミの傲慢さを露にした人災を、筆者は寡聞にして知らない。

 

【おまけ】

参考エントリー:

マスコミが報じない「雲仙・普賢岳噴火災害...

 マスコミが犯人の長崎・雲仙普賢岳噴火災害

浅間の噴火 雲仙・普賢岳の教訓を忘れるな...

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一夜明けたら「早期退陣」だって、恥ずかしい社説

2011-06-03 06:54:36 | 未分類

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首相の早期退陣へ圧力強まる
NHKニュース6月3日 4時3分 
 
菅総理大臣が2日夜の記者会見で、東京電力福島第一原子力発電所の事故で「冷温停止が一定のめどだ」と述べたことから、与野党の間では、退陣の時期は来年1月との受け止めが広がっています。これについて、民主党内では、当初の方針を撤回して内閣不信任決議案に反対した議員に加え、参議院の幹部などからも強い批判が出ているほか、野党側も菅総理大臣の政治姿勢を追及する方針で、早期の退陣を求める圧力が強まっています。

菅総理大臣は、2日、党の代議士会で「震災に一定のめどがついた段階、私がやるべき一定の役割が果たせた段階で、若い世代の皆さんにいろいろな責任を引き継いでいただきたい」と述べ、震災対応や原発事故の収束に一定のめどが立った段階で退陣する意向を表明しました。これによって、菅内閣に対する不信任決議案の採決では、民主党内で賛成する意向を示していた小沢元代表らが採決を欠席したほか、鳩山前総理大臣らが反対に回ったため、決議案は反対多数で否決されました。しかし、菅総理大臣が2日夜の記者会見で、「原発事故の収束に向けた工程表で言うと、ステップ2が完了して、放射性物質の放出がほぼなくなり、冷温停止という状態になる。そのことが、まさに一定のめどだと思っている」と述べたことから、与野党の間では、退陣の時期は来年1月との受け止めが広がっています。これに対して、鳩山前総理大臣は、復興基本法案の成立や今年度の第2次補正予算案の早期編成にめどがついた段階で退陣することで、菅総理大臣と認識が一致したとしており、鳩山氏は「私との約束がうそだったということになれば、直ちに辞めてもらうしかない」と反発しています。また、内閣不信任決議案の採決で賛成する意向を撤回して反対に回った議員が反発を強めているほか、参議院の幹部などからも強い批判が出ています。さらに、野党側からは、自民党の石原幹事長が「あきれてものが言えない。世界の信頼をますます失うことになるのではないか」と述べるなど、早期退陣を求める意見が相次いでいます。野党側は、3日に行われる参議院予算委員会の集中審議などで菅総理大臣の政治姿勢などを厳しく追及する方針で、早期の退陣を求める圧力が強まっています。

              ☆

昨日の国会の茶番劇を放映したテレビが匂い付であったら、この期に及んでも権力の座にしがみつこうとする菅首相の姿から腐臭が漂っていただろう。 真剣にテレビを見ていた国民こそいい迷惑だ。

前首相との約束を反故にしてまで権力の座に居座ろうとする菅首相も見苦しいが、約束を破られたと怒り狂う鳩山前首相も似たようなものだ。 首相辞任のとき議員引退を公言し、首相を務めたものは政治の表舞台には立たないと言ったのは誰だったのか。

お互いに約束を反故にするのが得意のはずだから、なにも今さら鳩山氏が怒ることもないと思うのだが・・・。

それにしても、よくもまぁ恥知らずの首相が続くものだ・・・民主党政権は。

今朝の沖縄タイムス社会面トップは「茶番国会『日本の恥』」と、最大級の批判をしている。 これに準じて社説のタイトルも「早期退陣し収拾図れ こんな政治はいらない」となっている、

これに関しては、珍しく当日記も沖縄タイムに同意するが、その一日前の2日の社説との整合性のなさには改めてあきれ果てる。

2日の社説はこうなっている。

「与野党結束の時なのに」

昨日のエントリーでこのように書いた。

この期に及んで、「急流を渡っている時に馬を換えるな」との諺を持ち出したり「首相交代などやっている場合じゃない」未だに言ってる向きもあるようだが、そうやって80日間も我慢してきた結果が現在の惨憺たる状況だということを、いい加減に認識すべきではないか。 急流を渡る能力も意思も持っていない馬に乗っているのは国民であり、こんな未曾有の駄馬と心中するのは勘弁して欲しいと言うのが国民の意思である。

与野党結束の時なのに、こんなことやっている場合じゃない」と菅内閣の存在を容認することは、それは「被災地の惨状をこのままにしてかまわない」という意思表示していることになる。

ちなみに本日の沖縄タイムス社説のタイトルが「与野党結束の時なのに」であるのには、思わずコーヒーを吹いてしまった。

 「与野党結束の時なのに」 (沖縄タイムス社説タイトル)

沖縄タイムスは国民に菅内閣と心中せよとでも言うのだろうか!

 

沖縄タイムスは昨日の時点までは菅首相の続投を支持し「与野党結束の時なのに」と不信任案提出に批判的であった。

それが、一夜明けたら何の恥もなく「早期退陣し収拾図れ」と豹変するのだから恐れいりやの何とやらである。

マスコミがこぞって支援した政権交代の実像にあきれた国民は、参院選、統一地方選と立て続けに、民主党政権にレッドカードを突きつけた。

ところが国民の真意を見誤った沖縄タイムスは昨日の時点まで、菅政権の続投を望んでいたが、昨日の国会での茶番劇で、初めて政権交代の実態を知り、初めて菅首相に見切りをつけたというのだから、その見通しの甘さには呆れて言葉を失う。

昨日と今日の社説のタイトルが沖縄タイムスの見通しの甘さを如実に表していて興味深い。

昨日・2日の社説⇒ 与野党結束の時なのに

(茶番国会『日本の恥』)

本日・3日の社説⇒「早期退陣し収拾図

 

沖縄タイムスは、こんな一夜でコロコロ変わる社説を書いて恥ずかしくないのだろうか。

もっとも自分が支援した政権交代の結果、恥知らずの首相が2代も続いているわけだから、恥ずかしさも麻痺しているのだろう。

 

今回の茶番劇は与野党を巻き込んだ菅首相の「ヤメルヤメル詐欺」だと思う方クリック応援願います。

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【おまけ】

首相発言要旨―民主代議士会

2011年6月2日12時46分  
. 菅直人首相が2日午後の民主党代議士会でしたあいさつの要旨は次の通り。

   ◆   ◆

 東日本大震災の中、野党から不信任案が提出された。私に不十分なところがあったことが不信任案提出を出すということにつながったと受け止めていて、改めておわびしたい。

 今、私たちが置かれているのはどういう状況か。何としても震災の復旧・復興の道筋をつけていくこと、原発事故の一日も早い収束を図ることに、すべての力を傾注しないといけない。被災者からは、遅い、不十分だという厳しい指摘もたくさんいただいている。私の指導力や考え方に不十分だった点も多々ある。

 三つのことをしっかり目標として取り組んでいく。一つ目は、震災は原発事故が継続中だし、復旧・復興もこれから本格化する。全身全霊をあげて最大限の努力をする。二つ目は民主党を壊してはならないという根本に立って行動する。そして、三つ目に、自民党に政権を戻すことがないよう対応していく。

 震災への取り組みに一定のメドがついた段階で、私がやるべき一定の役割が果たせた段階で、若い世代に責任を引き継いでもらいたい。一定のメドがつくまで責任を果たさせてもらいたい。そのためにも、不信任案に一致団結して否決し、自民党に政権が移ることのない道筋を歩み、一定のメドがついた段階で若い世代への引き継ぎも果たしてほしい。国民が政権交代で期待したこと、被災地のみなさんの望んでいることにつながると思う。

 

         

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