狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

中尊寺と尖閣諸島

2011-06-26 20:01:47 | 未分類

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「希望の光になれるよう努力」=中尊寺貫首らが会見-平泉

 「平泉の文化遺産」が世界文化遺産に登録されたことを受け、中尊寺の貫首らが26日午前、岩手県平泉町の町役場で記者会見した。
 中尊寺の山田俊和貫首は、一時は登録延期となったものの、東日本大震災を経てもたらされた吉報について、「運命的なものを感じないわけにはいかない」と神妙な様子で話した。「(被災した人たちの)希望の光になれるよう、われわれも努力していかなければならない」と話した。
 毛越寺の藤里明久執事長も「(被災者にとって)登録が精神的なよりどころ、支えの一助になることを願っている。それが平泉の今後の使命でもある」と話した。(2011/06/26-12:31)

                    ☆

小笠原諸島に続いて、平泉が世界文化遺産に登録されたことは、東日本大震災で甚大な被害を受けたわが国とって久しぶりの朗報である。特に被災の激しかった岩手県にとってこんな明るいニュースはない。

平泉の中尊寺と沖縄の尖閣諸島の不思議な関係について、『うらそえ文藝』16号に寄稿してあるので読んでいただきたい。

うらそえ文藝 第16号  販売価格: ¥ 1,000 (税込)

 

【グラビア】 浦添御殿と市指定史跡『浦添御殿の墓』・・・・仁王浩司
【巻頭エッセイ】  砂浜の宝・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・又吉栄喜

【対談】 作家の証言と意見一問一答 大城立裕・星雅彦

【緊急特集 尖閣諸島問題】
・尖閣諸島問題とどう向き合うか・・・・・・・宮城鷹夫
・八重山から見た尖閣問題・・・・・・・・・・・三木健
・尖閣諸島問題の背景 ・・・・・・・・・・・・・江崎孝
・問われる沖縄のアイデンティティ
リトマス試験紙としての尖閣問題・・・・・・伊波健一郎
・尖閣諸島海域を日本・中国・台湾の共存、共生の生活圏へ・・上里賢一

 

 同稿は、以前に当日記にエントリーした尖閣と中尊寺と日本の真珠王と卓球とを一部加筆したものなので、該当部分を引用しておく。

<・・・ここで話が急転し、今中国の領海侵犯で揺れる尖閣諸島が、日本の国宝である奥州平泉の中尊寺と関わりがあるとか、日本の真珠王・三木本幸吉と縁が深い,

さらには「卓球」という言葉は尖閣の2代目当主に端を発し、それが全国に流布したなどとと言い出したら、話があまりにも唐突過ぎてホラ男爵との誹りを受けかねない。

だが、筆者は古賀辰四郎が創業した古賀商店で、長年番頭をしていた日高栄次郎の次男・剛に取材する機会を得て、尖閣と中尊寺そして日本の真珠王との関係を知ることが出来た。

子宝に恵まれなかった2代目古賀善治は番頭日高栄次郎の次男剛を養子にして古賀商店の三代目にする内諾をしていた。 そうなれば当然日高剛が尖閣諸島の三代目の持ち主になるはずであった。 

だが、実際には現在の持ち主栗原国起に譲り渡された。 

何故養子縁組が破談になり、日高剛が古賀家(古賀商店)の三代目ならなかったのか。 はたまた何故沖縄から遠く離れた埼玉在住の栗原国起に尖閣が転売されることになったのか。

現在も那覇市西町の旧古賀商店の跡地に居を構える日高剛からその経緯を聞くことができた。

だが、ここでその経緯に深入りするのはあえて避けるが、ただ一言で日高剛の心中を表現するなら「若気の至り(剛氏談)」だったという。

さて、国宝・中尊寺や真珠王・三木本幸吉と尖閣との関係だが、古賀辰四郎は尖閣に渡る前、石垣島の川平湾で日本の真珠王・三木本幸吉と共同出資で真珠の養殖を手がけ、貝殻細工の原料の夜光貝の輸出にも手がけ財をなした。 

昭和37年から始まる中尊寺の「昭和の大改修」では、貝殻細工の螺鈿の調達の話が京都大学を通じて古賀商店に舞い込んで来た。 当時沖縄の古賀商店は貝殻細工工芸・螺鈿では全国にその名を知られていたことがわかる。

二代目当主善次はテニスや卓球を沖縄に紹介したスポーツマンで、今でもテニスや野球に「古賀杯争奪戦」としてその名を残している。 ちなみにその頃2代目当主の善次は既に古賀商店の実務から遠のいており、商人というより沖縄の文化人としてベルリンオリンピックの見学に行き、その時沖縄紙の特派員を頼まれ、ベルリン報告記事を送信している。 

その時、当時「ピンポン」の名称に初めて「卓球」と」命名したのが善次だといわれている。 新聞の版組みにピンポンの活字が入らず困っていたところ善次の「卓球でよいだろう」との機転で以後、「卓球」という言葉がピンポンに代わって全国的に広まったという。 つまり「卓球」という言葉の始まりは沖縄の新聞、ひいては尖閣諸島の2代目の持ち主・古賀善次ということになる。

さて初代当主の古賀辰四郎が冒険心に溢れた野人の趣があるのに対し、二代目善次はお公家様の風貌を持つ文化人であり、中尊寺の大改修の話が舞い込んできた頃は、その事業のほとんどを番頭をしていた日高栄次郎の南海商会に引き継がしていた。名刺に肩書きの欲しかった善次は、南海商会の取締役の肩書きを使用していた。

さて、中尊寺の大改修の件だが古賀商店の仕事を引き継いでいた日高栄次郎が夜光貝の納入に奔走し、「大改修」を成功裡に終えることができた。 

石垣島の川平湾では今でも古賀辰四郎と三木本幸吉が手がけた真珠養殖が石垣名産の黒真珠となって輝いているし、奥州中尊寺には尖閣諸島の開拓者辰四郎の壮大な冒険心の結晶が中尊寺の螺鈿細工に化身して、今でも燦然と光り輝いていることになる。>

 

【付記】

来月は上原正稔さんが琉球新報を提訴している「パンドラの箱掲載拒否訴訟」の第2回口頭弁論があります。

上原さんを支援する「表現の自由を守る会」が共催する下記コンサートにご参加の上、上原さんをご支援下さいますようお願い申し上げます。 

  

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一将功成りて・・ゆすりの名人が「自治賞」だって

2011-06-26 07:28:41 | 未分類

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仲井真沖縄県知事に「ゆすり大魔王」の称号を送ったら、「肝心の人を忘れちゃいませんか」と声がかかった。

沖縄タイムス・自治賞を受けた宮城篤実前嘉手納町長のことだという。

だが、宮城篤実氏については、すでに「ゆすり名人」の称号を進呈している。

強請りの名人は誰か!宮城前嘉手納町長、勇退を表明の訳は

ゆすり新聞・沖縄タイムスが宮城氏を表彰したのは措いても、彼ほどゆすりを効果的に行った首長は沖縄でも他に類を見ない。

宮城氏が自治賞で沖縄タイムスから表彰を受けたが、嘉手納の街はゴーストタウンになっている。

一将(いっしょう)(こう)成りて万骨(ばんこつ)枯る

町長功成りて街枯る・・・宮城氏のことである。

沖縄タイムスが宮城氏を沖縄タイムス自治賞で表彰したことを報じる記事の見出しが「『基地』逆手に街おこし」とあるように、宮城氏が行った街おこしは、通常とは逆発想の街の破壊であった。  

祖国復帰以前から交通の要所である1号線(現在の国道58号)に面した嘉手納は中部地区ではコザ市(現沖縄市)につぐ繁華街で、近隣の町村の住民にとって「嘉手納に行く」ということは映画を見たり、食事をしたり、買い物をしたりで、愉しみであり一種の憧れでさえもあった。

だが、現在の嘉手納町はかつて人で賑わっていた国道沿いの商店街は軒並みにシャッターを下ろし、沖縄でも有数のシャッター街と化してゴーストタウンの名が相応しいくらいである。

宮城氏がゆすりで得た収入で疲弊した嘉手納の街おこしをするのなら、街の弱点であった駐車場不足の解消のためロータリー地域に町営の無料駐車場を完備すれば、近隣の住民が、昔のように嘉手納に出てくる楽しみにし、街の再生が期待できたはずである。

ところが宮城氏が行った街おこしは、常軌を逸していた。

ロータリー近くで開発前まで頑張っていた店舗を撤去し、公的建造物を次々と作っていった。 市の開発に期待して残っていた店舗も開発後は次々と閉店した。

沖縄タイムスが表彰した自治賞とは一体何だったのか。

それはゆすりで得た収入で嘉手納再開発として、昔からの商店街を廃墟に追い込み、その一方で町役場の収入を上げたことである。

さらに宮城氏は箱物を作る場合でも防衛施設庁という脅しやすい組織と賃貸契約を結んだ後に、建築にかかったのだからこんなリスクの少ない不動産業を筆者は知らない。

国からゆすり取った税金で箱物を作り、国に賃貸しさらに賃貸料として税金をゆすり取る。

ゆすり・新聞の沖縄タイムスが宮城氏を「自治賞」で表彰するのもむべなるかな、である。

嘉手納は、「ゆすり」を唯一の産業とする沖縄一財政の豊かな自治体である。 

市の財政は豊かでも、店じまいした商店主たちはどうすればよいのか。

ゆすればよいではないか!by宮城篤実

嘉手納爆音で提訴 原告2万2058人 国内最大

2011年4月28日 10時36分 
  【中部】米軍嘉手納基地の周辺5市町村に住む2万2058人(7489世帯)は28日、国を相手に米軍機の夜間・早朝の飛行差し止めや爆音被害による損害賠償など求める「第3次嘉手納爆音差し止め訴訟」を那覇地裁沖縄支部に起こした。航空機の騒音差し止めをめぐる訴訟としては国内最大規模。「静かな夜を返せ」との思いの下に結集した大原告団が、爆音被害を一向に改善しない国の不作為を三度(みたび)問う。

                 ☆

 嘉手納近くの道路には、嘉手納爆音訴訟の原告募集の横断幕が張られている。

 

街を潰して、何が自治賞だ!

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【おまけ】

宮城篤実氏のゆすりの手口を強請りの名人は誰か!宮城前嘉手納町長、勇退を表明の訳はから抜粋しておく・

 


宮城市長が残したゆすりの手法は、補助金を引き出して箱物を作るといった単純なものではない。 米軍基地と自衛隊を諸悪の根源のように罵倒しながら、米軍基地公害で強請った金で箱物をつくり、そこに防衛庁を店子として入れるという離れ業をやってのけているのだ。 これで店子の家賃は国によって補償されるという一挙両得の強請り技である。 おかげで那覇にあった防衛庁官舎のほとんどが嘉手納町の箱物に店子として移転した。  だが、これを知る県民は少ない。

昨日の沖縄タイムスに2009年度一人当たりの市町村民所得ランキング表が掲載されている。

多い順にベスト10を挙げるとこうなる。

(1)北大東村

(2)南大東村

(3)渡名喜村

(4)嘉手納村

(5)渡嘉敷村

嘉手納町はベスト4に位置しているが、他は全て離島であり本島の都市部に限れば嘉手納は堂々の第一位になる

離島の一人当たりの所得が多い理由を沖縄タイムスは、「人口に占める就業者の割合が高いことが主な要因だ」と記しているが、サトウキビに対する高額な国の補助金も要因のひとつだと考えられる。

またタイムスは「前年度と比べ増加率が最も大きかったのは嘉手納町で、沖縄防衛局などの移転により、財産所得が増加した」と報じているが、高額の家賃収入付の箱物を強請り取るとはさすが「ゆすりの名人」とメア氏が驚嘆するのも当然である。

 

町の中心街はシャッター通りばかりで、これといった産業の無い嘉手納町が、強請りだけで一人当たり本島で第一位の栄誉に輝くとは、宮城町長が「ゆすりの名人」と賞賛されるゆえんである。

宮城嘉手納町長は「反戦平和」を標榜しながら一方では、毎年年末には基地内で、米軍司令官と忘年会を楽しむという別の顔を持っている。

嘉手納町長が基地内で忘年会!米軍司令官と

 

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