狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

雑誌「WILL」が暴露!琉球新報の言論封殺

2011-11-09 12:02:00 | ★パンドラの箱訴訟

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以下の記事は過去エントリーに一部加筆したものである。

二年以上も前のエントリーながら、まるで「パンドラの箱掲載拒否訴訟」を予見したかのような内容である。

ちなみに二年前は筆者は上原正稔さんと面識はなかった。

                     *

沖縄集団自決「軍の命令ではない」 地元誌が特集記事
産経新聞 2009.6.10

・・・・ 上原氏は長く「鉄の暴風」を疑ったことがなく、現地調査した作家の曽野綾子氏が1973年に「ある神話の背景」で疑問を呈したさいも、軍命による集団自決を事実として信じて疑わなかった。ところが、沖縄タイムスや琉球新報などで沖縄戦に関連した連載記事を書くうちに、新たな住民の証言や米軍の報告書などを入手、「(『鉄の暴風』は)現地調査しないまま軍命による集団自決をでっち上げたという結論に達した」という。

 上原氏によると、こうした結論を2年前に琉球新報で長期連載中の沖縄戦をめぐる記事に盛り込もうとしたところ、「新聞社側の圧力で断念せざるを得ず、『うらそえ文藝』での発表に踏み切った」と説明している。

 また、星氏も沖縄県史編纂(へんさん)で40年ほど前に、集団自決事件の起きた渡嘉敷島を訪問した際、住民の話から軍命の存在に疑問を抱いたが、「鉄の暴風」が沖縄県民の間で定着し、疑問を差し挟めない状況だった。しかし、「今回は勇気を持って真実を知らせるべきと決心した」と、話している。

 富田詢一・琉球新報社編集局長の話「上原氏への圧力はありません」

                        ◇ 

■琉球新報の言論封殺、雑誌「WILL」が暴露!

星、上原両氏の勇気ある告発にも関わらず、琉球新報は己が行った言論封殺を否定している。

だが、次に述べるように、筆者(狼魔人)は、何時でも琉球新報の言論封殺を立証できる立場にある。

当時、筆者は琉球新報を購読し、上原氏の連載記事を愛読していた。 ところが、読者に一言の断りもなく同連載が突然「無期限中止」になった。 そこで何度も琉球新報に問い合わせの電話をした。

だが、対応した新報職員は中止の理由はもちろん、再開するかどうかについても納得できる説明はできず、「目下調整中」の一言しかなかった。 その詳しい経緯については当日記でもしつこくエントリーしてある。

⇒ 【再掲】琉球新報の言論封殺に抗議します

琉球新報の上原正稔氏についての言論封殺については、さらには筆者(狼魔人)は、その年(2007年)の月刊誌『WILL』8月増刊号でも「偏向報道ウォッチング これが沖縄の言論封殺」と題する小論を書いている。

月刊誌『WILL』の一部を引用するとこうだ。

・・・平成19年6月19日は、琉球新報の長期特集記事(火曜から土曜の夕刊に掲載)の第二話「パンドラの箱を開ける時 沖縄戦の記録」の掲載予定日であった。 第一話「みんないなくなった 伊江島戦」が前日で終了、19日からは第二話「慶良間で何が起きたか」が始まる予定であった。 筆者上原正稔氏は掲載日の前、知人に「集団自決」に関するもので、圧力に屈することなく執筆する」と語っていたという。
「集団自決」というテーマは地元二紙を中心に沖縄メディアが“民意”を煽っている最もホットなテーマのはずだった。 言うまでもなく慶良間とは「集団自決」に関する「軍命令の有無」が問題になっている座間味島と渡嘉敷島を含む、慶良間諸島のことを指す。 
だが、その特集記事は、読者に何の断りもなく、突然、中止になった。執筆者あるいは新聞社側の「お知らせ」や「弁明」等は一行も掲載されていなかった。 
地元を代表する新聞が、「集団自決」に関する連載記事を突然中止したことに対しては当然、いろんな憶測が飛び交った。
「新聞を中心に展開されている教科書検定運動に水をかけることになる内容になるため」だとか、「編集担当者の態度に変化があり、今回の事態になった」とも言われた。 偏向記事で知られる沖縄紙ではあるが、連載中止という非常手段に打ってでるのはよっぽどのことがあったに違いない。 
上原氏の連載が中止された日の朝刊、文化面のトップに林博史関東学院大学教授の「沖縄戦」特集の第一回目が掲載されていた。 林教授といえば日本軍は残虐非道だと糾弾するサヨク学者で、「集団自決訴訟」でも被告側の証拠を収集したことで知られている。
上原氏の記事「慶良間で何が起きたか」には、一体、琉球新報を動揺させるどんな内容が書かれていたのだろうか。
>(月刊誌『WILL』2007年8月号より)

上原氏の封殺された原稿には、まさに琉球新報が動揺するような「慶良間島の真実」が描かれていたのである。

上原氏は琉球新報のあからさまな言論封殺に遭い、遂に地元の文芸誌『うらそえ文藝』に「慶良間島で何が起きたか」の内容を発表するという非常手段に訴えたのだ。

そして地元二紙が『うらそえ文藝』発刊後一か月経過しても黙殺を続けているが、上原氏は沖縄紙の黙殺という卑怯な態度に業を煮やし、記者会見に踏み切ったのである。

さて、琉球新報に突然の連載中止を受けた後、琉球新報は読者に向かってその顛末をどのように説明したのか。

当日記はこれについても、しつこくエントリーしている。

 ⇒再開された上原正稔氏の特集  パンドラの箱は開くか?

四ヶ月にも渡る長期中断の後(その間に「11万人集会」が行われた)、連載再開に当たって琉球新報は連載中止には一言も説明せず、卑怯にも執筆者に苦しい弁解を強いてお茶を濁していた。

『WILL』にその後の経緯についても書いてあるので、引き続き同記事を引用する。

10月16日、連載再会の冒頭で、執筆者の上原氏は次のような弁明をした。《「パンドラの箱の順序も中身もちょっと変更を加えることにしたのでご了承お願いしたい。 だが、読者が「あっ」と驚く話が続くことには何ら変わりはない》
前述のように事前の予告では「慶良間で何が起こったか」を明らかにし、集団自決の真実を白日の下にさらすとのことだった。 
しかし、再開した上原氏の原稿タイトルは「軍政チームは何をしたか」であった。 「集団自決」が起きた1945年3月下旬の慶良間を飛び越えて、4月以降の沖縄本島の米軍上陸、投降住民の管理の模様を記しており、「慶良間に何が起こったか」については触れていない。
>(『WILL』より)

では、『うらそえ文藝』で上原氏は自分が琉球新報から受けたあからさまな言論封殺をどのように語っているのか。

そうですね。現在でもある意味では統制されているわけですからね。

 上原 もう完全に右も左も統制です。僕は琉球新報のM記者たちに「パンドラの箱…」の掲載をストップさせられた。怒鳴りつけてやった。「君らは表現の自由を知ってるか」ってね。しかし動じる様子もなかった。連載は二〇〇七年四月から四ケ月も中断した

  社の方針に反するということだろうね。それはまたその人たちも統制の枠の中にいるってことだが、意識してないかもしれない。

 上原らはまず沖縄の知識人、自分たちは文化人だと思い込んでいるんですよ。それで自分たちの発言や行動はすべて正しいと思っているわけです。

 正しいかどうかは何十年か何百年か経たないと分からない。

 上原 いつも彼等は正しいと思ってる。だから、僕が本当のことを書こうとしたら、もう読みもしないうちからストップかけるわけです。これは新報の編集方針に反するからといってね。僕は二回にわたって四人組の記者から吊し上げられ、連載を申止させられた。一番腹が立ったのはM記者だったが、彼も新聞社をバックに空威張りしたのにすぎない。彼等も統制のオリの中にいるわけですよ

産経新聞の那覇支局は、県庁近くの琉球新報の旧本社社屋内に事務所を間借りしている。 

沖縄タイムス社内に事務所を構える朝日新聞那覇支局なら、お互いに同じ論調なので問題はないが、琉球新報が大家さんに当たる産経那覇支局としては、大家が報道しない記者会見を報じるのは大家の顔に泥を塗るとになるとでも思ったのか、昨日の記事でも記者会見そのものについては触れていない。

だが、産経は昨日の記事で、上原氏が琉球新報で長期連載中の沖縄戦をめぐる記事に盛り込もうとしたところ、「新聞社側の圧力で断念せざるを得ず、『うらそえ文藝』での発表に踏み切った」というくだりに関して、富田詢一・琉球新報社編集局長の裏付けのコメントを取っている。

当然のごとく富田詢一・編集局長は「上原氏への圧力はありません」と上原氏の発言を否定しているが、

執筆者が前日に予告までした最も書きたい記事、同時に読者も最も読みたがっていたその記事が掲載予定日になって、何の断りもなく「無期中断」を強いられた。 富田編集局長は、これが新聞社の圧力でなければ一体誰の圧力だったと強弁するつもりだろうか。

まさか、悪逆非道の日本軍の圧力があったとでも・・・。 

いや、直接の圧力の有無は問題でなく、「右傾化した政府のタテの構造による無言の圧力」とでも・・・。

この「圧力の有無」で訴訟が起きるとは思わないが、その時は「狼魔人日記」と『WILL』記事が大きな証拠物となるであろう。(笑)

何しろ電話で問い合わせたときの新報職員の動揺ぶりはただ事ではなかった。

なお『WILL』(2008年8月増刊号)の記事にはほかにも、小林よしのり氏が琉球新報の罠にかかって、沖縄紙を根城にする「サヨク知識人」たちに袋叩きに遭う様子も「罠にかかった小林よしのり」という項目を設けて書いているので、興味のある方は一読をお願いしたい。

 

今回の星、上原両氏の沖縄マスコミへの挑戦とも言える言動に対して、沖縄タイムスや琉球新報に相手にされないのでその鬱憤晴らしの記者会見といったデマを流しているサヨクブログがあるようだが、

両氏は、少なくとも沖縄では知名人であり、上原氏は琉球新報に長期連載記事を書いていたし、星氏は沖縄紙の文化面の常連ともいえるほど頻繁にその論が掲載されており、昭和44年3月には第3回沖縄タイムス芸術選賞奨励賞を受賞しているくらいで、両氏とも沖縄メディアに冷たくされるどころか、大変重宝されていた知識人である。 

星、上原両紙の挑戦は、マスコミに相手にされないからマスコミにたてついたのではなく、マスコミの「全体主義」に逆らって正論を述べたため、マスコミが対応に苦慮しているというのが真実である。

サヨクブログの誹謗は両氏の勇気ある発言に動揺し、これに反論しようとしても、やっかみと中傷の暴言を吐く以外に打つ手がないのであろう。

これをゴマメの歯軋りと人はいう。

 

沖縄県庁での記者会見の内容を、地元紙が黙殺し、ほとんどの県民はつんぼ桟敷に置かれている。 わずかに全国紙を購読している一部の県民が会見の模様を全国紙で知るという異常な事態が沖縄の言論空間である。

これこそ沖縄が「全体主義の島」と呼ばれる所以である。

            ★

 

 

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パンドラの箱掲載拒否訴訟、琉球新報の言論封殺

2011-11-09 08:17:18 | ★パンドラの箱訴訟

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昨日那覇地裁で「パンドラの箱掲載拒否訴訟」の第4回口頭弁論が行われ原告側から膨大な数の証拠書類が提出された。

 

琉球新報が2007年に上原さんの原稿を掲載拒否したとき、まさか後に上原さんが巨大組織を相手取って訴訟に踏み切るとは夢にも考えていなかった。 従ってそのときの掲載拒否の理由も「社の方針に合わない」と比較的正直に、2007年当時の社のキャンペーンに合わないからと吐露していた。

2007年当時の琉球新報の全社を挙げてキャンンペーンとは何だったのか。

3月末、文科省は高校歴史教科書から「沖縄戦の集団自決は軍の命令である」という記述を削除せよとの検定意見を発表した。

これに反発した琉球新報と沖縄タイムスの沖縄2紙は連日「集団自決は軍命である」というキャンペーンを張り、読者をそのように印象操作するため、裏付けのないデタラメな証言を毎日のように垂れ流していた。

昨日エントリーの「オカッパの少女は自分だ」と名乗り出た詐話師・大城盛俊氏のヨタ話でも「社の方針に合う」という理由で平気でスクープとして大々的に報道した。

だが、琉球新報が「社の方針」で連載中の上原さんの原稿を掲載拒否したとなると、琉球新報が検閲をしたことになり、言論封殺を認めたことになる。

予期しなかった上原さんの提訴に動揺した琉球新報は、裁判に際しては突然言を左右にして、掲載拒否の理由を、「以前と重複する原稿だったから」と変更し、言論封殺ではなく「編集権」だと主張してしている。

創作作家ではなく実証を重んじるドキュメンタリー作家の上原さんのテーマは主として「沖縄戦」であり、これまでも琉球新報や沖縄タイムスの新聞連載や地元出版社で数多くの多くの「沖縄戦記」を著している。

当然、引用資料や事例の表現に重複はありうるもので、同じ事例を記述するのに全く重複を避けるとしたら、琉球新報のようにウソを書かねばならぬ。

「うつろな目の少女」の事例のように。

琉球新報は、1985年の取材時には「少女は玉那覇春子さんが本人である」と報道し、2007年の取材のときは「大城盛俊氏が本人である」とこのなるウソをついてでも記述を変えなければいけなくなる。

だとしたら琉球新報は「集団自決は軍命である」とウソでもいいから記述するように上原さんに暗に強要したことになるではないか。

昨日の口頭弁論で上原さんが発言を求めたが被告側弁護士の「拒否」にあい、言いたかったことを省略したようなので、提出した陳述書を以下に公開する。

               ★

ぼくが読者に伝えたかったことと琉球新報の言論封殺
2011年11月5日
上原正稔

 ぼくは「パンドラの箱を開ける時」の「はじめに」の中で次のように書いた。――第1章は“第1話「みんないなくなった-伊江島戦」から始まる。伊江島の戦いは知られているようで知られていない。数多くの住民が女、子供まで戦闘に参加し、死んでいった。その凄惨な戦いを知ることは慶良間の「集団自決」を理解する重要な手掛かりになるだろう。――
 ぼくはそのため沖縄史料編集所で発見した第77師団アクション・リポート-伊江島戦を中心に1996年に新報で発表した「沖縄戦ショウダウン」の中のグレン・シアレス伍長の語る伊江島戦と沖縄戦研究者たちがその存在を知りながらも読もうとせず、軽視している「沖縄方面陸軍作戦」の伊江島戦を並列して読者に伝えることにした。(これらの資料は全て前泊博盛君に渡している。)被告琉球新報は「みんないなくなった」の中でご丁寧にも「沖縄戦ショウダウン」の引用部分を逐一選び出して「新資料ではない」と的外れの指摘してくれたが、物語の本質を見失っている。細かいことを指摘すると、「みんないなくなった」伊江島戦①と②の初めの「翌日の作戦会議でブルース少将の要請通り、二個連隊が伊江島に上陸することになった」までは「沖縄戦トップシークレット」の中の「情報戦の敗北と勝利」から引用したものだ。だが、被告はそれにも気付いていない。ぼくの本を全く読んでいないのだ。被告が「沖縄戦ショウダウン」の引用を知ったのはぼくが「慶良間で何が起きたのか」の冒頭で「先ず、慶良間と渡嘉敷で住民の“集団自殺”を目撃したグレン・シアレス伍長の証言から始めよう。シアレス伍長は第1話でも重要な証言してくれた。第77師団306連隊第1大隊A中隊の歩兵である」と書いたからに外ならない。ぼくは徒らに前に発表したものを使っているのではない。それが物語の本質を知る上で大切なものであるからだ。全ては密接に繋がっているのだ。
 ぼくは「みんないなくなった」の終盤の⑫と⑬で第77師団アクション・リポートの「日本軍はいかに戦ったか」と「住民戦闘員はいかにして戦ったか」を伝えた。そして「千五百人以上の住民が武装し、軍服を支給されていた。これらの住民兵はアメリカ軍の攻撃に対し積極的に死に物狂いで抵抗し、自殺(玉砕)突撃と夜襲に参加した。多くの77師団の兵士たちが指摘しているが、日本軍の夜襲が終わった前線兵士たちは女性を含む住民らの死体を発見した。そんな例が数多い。多くの場合、住民の戦いぶりと日本兵の戦いぶりには違いが見られなかった。日本兵は住民服を着用、住民は軍服を着用していたのだ。他の住民のある者は武装もせず、日本兵と行動を共にし、ある者は日本兵に手榴弾や爆雷を運び、日本兵と共に死んだ。日本軍はよく戦った。持てる物を最大限に利用したのだ。(中略)-この指摘は極めて重要である。伊江島では軍民が完全に一体となって命を懸けて戦い、死んでいったのである。グレン・シアレスさんの物語だけでなくアメリカ軍の記録も日本軍の記録も明快にこれを裏付けている。このような事実はこれまで誰も知らなかったことだ。もっと正確に言えば誰も知ろうとしなかったのだ。」と記した。「住民戦闘員はいかにして戦ったか」はアメリカ軍の冷静な観察記録である点に大きな意味がある。
これが慶良間の「集団自決」を理解する重要な手掛かりだ、ということをぼくは「はじめに」示唆していたのだ。そして第2話「慶良間で何が起きたのか」を伝えようとしたのだ。
今、語る者はいないが、伊江島住民は沖縄戦の中で最大級の戦死者を出した。伊江島戦の直前に島に残っていた四千五百人(推定)の住民のうち二千五百人(推定)が軍と運命を共にし、戦死した。生き残った二千四十一人(確定数)は飛行場建設というアメリカ軍の都合により、慶良間諸島の渡嘉敷、座間味、慶留間に送られた。そして伊江島の住民は「みんないなくなった」のだ。
 こうして、ぼくは第1話で多くの伊江島住民が日本軍と完全一体となって戦い、死んでいったことを読者に伝えた。「みんないなくなった」を入口にして「慶良間で何が起きたか」を伝えようとした。日本軍と一体となって戦った、あるいは戦おうとしたのは伊江島住民だけではない。慶良間の住民も同じ運命を辿るはずだった。ところが、そうはならなかった。第2話「慶良間で何が起きたのか」は渡嘉敷、座間味、慶留間の「軍がいた」島々の「玉砕」と呼ばれた集団自殺と、同じく「軍がいた」阿嘉島で「集団自殺が全く起こらなかったこと」を伝え、「軍がいなかった」屋嘉比島で「集団自殺があったこと」を伝え、その時の島々の住民の心理状況を徹底的に分析し、「集団自決」そして今では「集団死」とか「強制集団死」とかの言葉が新聞紙上や書籍に氾濫している現状も徹底的に分析しようと考えた。そして、戦後の援護法を“玉砕者”あるいは“集団自殺者”の遺族に適用する過程で真相が歪められ、隠されていったことを明らかにするつもりだった。
 2007年6月17日、ぼくは前泊記者に「慶良間で何が起きたのか」についての添付ファイル2件を送った。写真を入れて、5回分だった。その冒頭でぼくは次のように書いた。「今、沖縄の新聞は「軍命による集団自決」が教科書から削除されてようとしている問題で国に対して厳しい批判をしている。この問題は渡嘉敷の海上挺進第三戦隊長であった故赤松嘉次さんの弟と座間味の海上挺進第一戦隊長であった梅澤裕さんが「自決命令をだしていない」としてその名誉を傷つけたとされる「沖縄ノート」の著者大江健三郎さんと岩波書店、そして新崎盛暉さんを大阪地裁に訴えたことに起因する。“集団自決”が行われた慶留間、渡嘉敷、座間味で一体どのようにして“集団自決が始まり、終わったのか、そして、なぜ集団自決が起きたのか、これから詳しく検証しよう。読者の多くは自決命令があったかなかったか既に結論を出しているはずだ。この物語を読む前に、読者は頭を白紙にする、つまり結論は最後に下すことだ。いかなる結論を下すにしても、検証の前に結論があっては、真実は見えてこない。」
 この時点では気づかなかったが、前泊ら四人組の編集委員が過激に反応するとは思わなかった。ぼくは読者に語りかけているのであって、編集委員らのことは頭になかった。第一、ぼくは既に十年以上も前に「沖縄戦ショウダウン」の長い「注:渡嘉敷で何が起きたのか」で新聞、特に沖縄タイムスを徹底的に批判し、新報の記者らはよくぞ書いてくれたな、と賞賛してくれたからだ。第二に、言うまでもないことだが、ぼくの「表現の自由」の権利は憲法で守られていることに疑問はないからだ。四人組の編集委員らが反応したのはこれだけではない。被告側の第4号証書には2007年6月19日付と記され、この日「慶良間で何が起きたのか」が始まることになっていたことを示している。だが、この証書には1945年4月2日付のニューヨーク・タイムズの「渡嘉敷の集団自殺」についての記事がスッポリ抜けているのだ。1985年に発表した時との大きな違いはsoldiersを「日本兵」と訳したが、実は「防衛隊」だったということだ。この違いは大きい。今、渡嘉敷の集団自決の碑には同じ記事の抄訳が記され、末尾に日本兵とは防衛隊のことである、との注が付いている。これが被告側がニューヨーク・タイムズの記事を隠した大きな理由だったのだ。
 ぼくは6月15日(金)に前泊が東京に行く前に彼に会った。その時までに原資料と「慶良間で何が起きたのか」の原稿を渡していたが、彼は「おもしろそうだな」と上機嫌で言った。東京で誰に会ったか想像はつくが、想像は事実ではないからここでは述べない。そして彼がどのようにして四人組の仲間に連絡したのかも知るところではない。だが、6月18日の月曜日、例の“集団リンチ事件”とぼくが呼んでいる言論封殺事件が起きたのだ。彼らは事件が起きたのは6月27日だとしているが、それは嘘だ。ぼくの物語を丹念に読んでいた江崎孝さんが毎日のように言論封殺をブログに記し、6月19日には新報にどうなっているんだ、と電話していることをブログに記している。この時にはぼくは江崎さんとは面識がなかったことを特に述べておく。
 2011年6月18日時点の四人組の氏名と職名は前泊博盛(次長・編集、論説委員)、上間了(編成、整理本部長)、枝川健治(次長兼文化部長)、玻名城泰山(次長・報道本部長・現在編集局長)であった。6月25日には時期はずれの人事が発令され、上間は論説委員長、枝川は編成、整理本部長に昇格している。詳しいことは知らないが、新報内部の闘争があったことを伺わせるものだ。この四人組が6月27日にぼくとの“話し合い”があったとしているのは“十分に検討して話し合った”と言いたいのだろうが、それは作り話にすぎないことを指摘しておこう。実はこの頃、新報もタイムスも一大キャンペーンを張っていたのだ。2007年3月31日の新報、タイムスの紙面は「文部科学省が教科書検定に際して集団自決は軍による命令、強制によるとの表現を削除するよう教科書会社に求めた」とする記事で埋め尽くされた。その日から両紙は「集団自決は軍命によるもの」とする大学教授や沖縄戦の研究者と称する文化人や知識人の意見、論文を連日のように載せ、社説で各市町村議会に意見書を提出するよう、けしかけ、ついに2007年5月14日、豊見城市議会が「軍による強制は明確」との意見書を出し、翌日には那覇市議会が「集団自決が日本軍による命令、強制なしには起こりえなかった」とする意見書を出し、5月29日には座間味村議会、6月14日には渡嘉敷村議会も同様の意見書を出し、6月28日の嘉手納町議会、国頭村議会の意見書により沖縄県内41市町村議会全てが全く同じ内容の意見書を出した。沖縄県議会も6月22日、7月11日と二度にわたり意見書を出すという異例の対応だった。そのキャンペーンを先導したのが、琉球新報であり、沖縄タイムスだった。その詳しい内容は弁護士から提出することになろうが、戦時中の“鬼畜米英”を皆が信じ、玉砕していった狂気の裏返しとしかぼくには思えないのだ。
そんな中で被告琉球新報はぼくが“沖縄住民は軍民完全に一体となって戦死した”とか“援護金が欲しいがために赤松さんと梅澤さんを犠牲にした”とか真相を告げることは言語道断と言っているのだ。だが、それこそが言語道断なのだ。ぼくには確信がある。日本国憲法の「表現の自由」は厳として生きており、新聞社がそれは守ることは当たり前のことだ、と。
現実にはぼくは言論封殺に遭い集団自殺の真相を読者に伝えることができないでいる。

去る10月中旬、沖縄のメディアが「世界のウチナーンチュ大会」で浮かれて騒いでいる時、ぼくは兵庫県に向かい、故赤松嘉次さんの実弟秀一さんに迎えられ、一緒に加古川市のお寺の赤松嘉次さんが眠るお墓に花束と泡盛を捧げ黙祷した。ぼくは神も仏も遠い存在だったが、人として当たり前のことをやり遂げ、永年の肩の荷が降りた気がした。

琉球新報だけでなく沖縄の人々に伝えたい事がある。梅澤裕さんは九十三歳の高齢だが、まだ健在であられる。一日も早く、梅澤さんに心を込めて謝罪し、許しを乞うことだ。彼はきっと感涙し、「ありがとう」と言ってくるはずだろう。その日が近いことを祈る。

              ★

 

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