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狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

みの、国際試合で韓国に感激 ◆あいまいさ言葉「関与」

2007-12-20 07:03:59 | 教科書

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みの、韓国に感激 「おかげ様」で日本もやり直し2007/12/19              
   クウェートを中心に中東にはめっぽう甘く、日本や韓国には厳しい笛が鳴り響く「中東の笛」というのがあるそうだ。審判がこの"魔法の笛"を駆使したハンドボール北京五輪アジア予選に待ったがかかった。


   アンフェアな判定に対し、日本と韓国が予選やり直しを要請していたことについて国際ハンドボール連盟(IHF)は12月18日、今年8月と9月に行われた男女の五輪アジア予選のやり直しを決めたのである。

   『朝ズバッ!』は、そのアンフェアぶりをVTRで一部再現した。9月に行われた五輪アジア予選男子、日本vsクウェート戦、審判はイラン人2人。

   クウェート選手によるブロッキング(相手の進行を邪魔する行為)やホールディング(相手プレーヤーの腕、手を捕まえる行為)が続出しても甘い判定、日本選手が同じ行為をすると笛が鳴り一回で退場。結局、29対27で惜敗。日本は予選3位となり北京五輪への出場を逃した。

   スポーツ競技の場で、何故アンフェアな「中東の笛」がまかり通るのか?

   ハンドボールはクウェートでは国技級の人気スポーツ。アジアハンドボール連盟会長はクウェート出身の王族、シェーク・アーマド。同連盟本部もクウェートにあり、中東諸国で要職を占めているという。

   日本ハンドボール協会の市原則之副会長は「ひどい時にはアーマド自身が(競技の場に)下りてきてレフェリーを替えたり、抗議したりしていた」というほど。

   そこで、みのが持ち出したのは、イラクのサダム・フセインによるクウェート侵攻を機に勃発した1991年1月の湾岸戦争。日本は総額130億ドルを支援した。

   みのは「どれだけの大金を拠出したと思っていますか?ありがとうの新聞広告を出したが、日本の名前はなかったんですから。そういうことを忘れちゃいけないんだ、我々は」と、ここぞとばかり吠えまくった。

   最後にみのは、今回のIHFへの要請が韓国主導で行われたことに、ことのほか感激を示した。日本は国際競技の場ではあまり主張せず、弱腰が目立つのを、暗に批判したのかも。(TBSみのもんたの「朝ズバッ!」)

                                              ◇

上記はTBSみのもんたの「朝ズバッ!」をテキスト化したものです。

>日本は国際競技の場ではあまり主張せず、弱腰が目立つのを、暗に批判したのかも。 

国際競技も、国際政治(外交)もルールをタテに外国と戦うという点では根っこは同じ。

国内的には「不言実行」や「沈黙は金」「言わぬが花」「(弁明せずとも)惻隠の情」といった日本人的美徳も、

国際舞台では人好しとして馬鹿にされるのがオチである。

馬鹿にされるのはスポーツであれ政治であれ同じこと。

みのもんたが指摘するまでもなく次の例を日本外務省は忘れてはいけない。

>イラクのサダム・フセインによるクウェート侵攻を機に勃発した1991年1月の湾岸戦争。日本は総額130億ドルを支援した。

>みのは「どれだけの大金を拠出したと思っていますか?ありがとうの新聞広告を出したが、日本の名前はなかったんですから。そういうことを忘れちゃいけないんだ、我々は」と、ここぞとばかり吠えまくった

最近では「慰安婦問題」を国際的に放置したがために、それが「20世紀最大の人身売買をした日本」という誹謗中傷が国際的に定着しつつある。

「南京大虐殺」にしても政府は国際的プロジェクトチームを組んで歴史の歪曲に大声を出して抗議すべきである。

他の点は学ぶ必要は無くとも、今回のIHFへの要請で韓国が示した猛抗議は大いに学ぶべきで日本の外交に最も欠ける点である。

                 。。。。。。。。。。。。。 
 

◆「関与」という言葉の曖昧さ◆

日本語が主語や目的語を必ずしも厳密に扱わないという点で曖昧な言葉であることは認めるが、

この曖昧さが必ずしも日本語の欠点とは思わない。

むしろ日本語の特性、長所だとさえ思うのだが、ノンフィクションや歴史の記述となるとその曖昧さが欠点になる。

「集団自決裁判」の被告大江健三郎氏は、ノーベル文学賞受賞記念講演で「あいまいな日本の私」と題した講演をしたという。

なるほど大江氏は法廷での証人尋問でも曖昧な弁明で終始していたが、その著書『沖縄ノート』は曖昧を通り越してデタラメとしか言いようがないのだが。

さて、その裁判にも関連する「教科書記述」問題で文科省の決断で問題になるのが「関与」という世にもあいまいな言葉の扱いである。

文科省は当初「軍の命令や強制」という表現は削除しても「軍の関与」まで否定しているわけではないといっていた。

となると「命令や強制」という言葉は記述しなくとも「関与」というあいまいな言葉を使って「軍の命令」「軍の強制」は十分に表現できる。

渡海文科大臣が「11万人」集会の脅しを受けて「工夫と知恵と努力」で県民感情に配慮すると言ったのは「関与」という曖昧な言葉の濫用だったのか。

歴史記述に曖昧な表現は許されない。

今回の歴史教科書記述には軍の関与」或いはこれに類する述語の記述は「軍の命令」「軍の強制」と同列に扱って厳に記述岸にすべきである。

高校の歴史教科書レベルでは「集団自決」の存在とその悲惨さを記述すれば十分であろう。

一部には「軍の命令、強制の有無」について両論併記を主張する人もいるが、教える教師の資質にもよるがこれも百害有って一利なしだ。

曖昧なことは記述せず、更に興味のある生徒は大学、大学院レベルで専門的に勉強すれば済むことだ。

何よりも高校の授業で「世界史」は必修でも「日本史」は必修ではない国ではないか。

何も選択科目の「日本史」の中の「集団自決」だけを取り上げて、

あいまいな記述まで駆使して自国を誹謗する必要はない。

関与といえばこんな事件もある。↓

  • 神奈川県警 警視が霊感商法関与か 職員十人超勧誘疑い(12月20日 朝刊)
  • 犯罪に関与すれば逮捕されるのでしょう?

     

    【付記】11:40

    沖縄タイムス(2007年12月19日(水)朝刊25面 )の関連記事記事転載を忘れていましたので下記に付記します。 
     
     
    教科書検定/「再訂正」各社出そろう【沖縄タイムス】

     文部科学省が高校の日本史教科書から、沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」に対する日本軍の強制を示す記述を削除させた問題で十八日、都内で教科用図書検定調査審議会の日本史小委員会が開かれた。各教科書会社から再訂正の申請が出そろったことを受けての開催とみられる。
     日本史小委員会では、審議委員に各社からの再訂正の内容について説明があったとみられるが、その可否についての結論は次回に持ち越した。

     関係者によると、少なくとも二社が、沖縄戦では住民に捕虜になることを許さなかった日本軍の方針が徹底されていたことなどの背景を付け加えた上で、「集団自決」には「軍の強制」もあったことを示す記述での再訂正を予定していた。

     ただ、同審議会は沖縄戦の「集団自決」について「直接的な軍命は確認できていない」として、「過度に単純化した記述」への懸念を示す指針を出しており、再訂正の申請に向けて教科書会社と文科省がやりとりする中で、記述が「軍の強制」を薄める内容に変更された可能性もあるという。

     渡海紀三朗文科相は記述訂正について年内には結果を示す方針で、教科書審議会の意見が決まるのを待って、来週内にも結論を明らかにするとみられる。


    「つくる会」が不承認意見書


     【東京】沖縄戦「集団自決(強制集団死)」に関する教科書検定問題で、「新しい教科書をつくる会」(藤岡信勝会長)は十八日午後、文部科学省を訪れ、民間教科書会社から申請される訂正の「不承認」を求める意見書を提出した。

     藤岡会長は「文科省は検定意見は撤回せず、『過度に単純化した表現を認めない』としており、『軍の強制』を明示した表現は不承認とするのが当然の筋道である」などとした。同会が意見書として文科省に申し入れるのは四回目。


    ◆関連:エントリ:

    曖昧な妥協は国を辱しめる 「軍の関与」も認めてはならない 

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    祝!初の弾道ミサイル迎撃に成功

    2007-12-19 18:30:10 | 普天間移設

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    海自イージス艦、初の弾道ミサイル迎撃に成功…ハワイ沖   

     【カウアイ島(米ハワイ州)=勝股秀通】海上自衛隊のイージス艦「こんごう」は17日正午過ぎ(日本時間18日早朝)、米ハワイ沖の太平洋上で、初の弾道ミサイル迎撃実射訓練を行った。

     こんごうから発射された迎撃ミサイル「SM3」は、目標となる模擬弾道ミサイルを大気圏外で直撃、破壊することに成功した。今回、実射訓練が成功したことで、日本は、ノドンやテポドン1などわが国を標的とする北朝鮮の弾道ミサイルの脅威に対抗し得る手段を手に入れたことになる。

     現地時間17日午後0時5分、カウアイ島の米海軍太平洋ミサイル射場から、1発の模擬弾道ミサイルが発射された。同島北部海域で待機していた「こんごう」は、発射と同時に、模擬弾の探知、追尾を開始。発射から約4分後、迎撃ミサイル「SM3」(ブロック1A型)を発射し、その約3分後、高度100キロ以上の宇宙空間で模疑弾の弾頭に命中、破壊した。

     過去、SM3による迎撃実験は、米軍が13回実施し11回成功しているが、海自が実験するのは初めて。今回は、北朝鮮が保有する中距離弾道ミサイル・ノドン(射程約1300キロ)を想定、模擬弾も、発射後にミサイルの推進部分と弾頭部分が分離する「ノドン型」と呼ばれるもの。分離しない「スカッド型」と呼ばれる模擬弾に比べ、飛行速度(マッハ10前後)が速く、迎撃の難易度は高い。実験の成功によって、イージス艦による迎撃の信頼性の高さが証明された。

     カウアイ島にある米海軍の射場には江渡聡徳防衛副大臣も駆けつけ、射場内に設けられたモニター画面で、「こんごう」の前部甲板から迎撃ミサイルが発射される映像などを見入った。模擬弾が発射されてから迎撃が成功するまでわずか7分。SM3が模擬弾に接近していく様子が赤外線カメラでとらえられ、命中したことが確認されると、緊迫した会場内では、拍手と歓声がわき起こったという。

     江渡副大臣は「発射実験の成功は、緊密な日米防衛協力の象徴」と話し、同席した米国防総省ミサイル防衛局のヘンリー・オベリング局長は「日米の強力な同盟関係が確認できた。日本には同盟国の中で、ミサイル防衛を先導する役割を担ってもらいたい」と実験の意義を強調した。

     日本は、1998年8月、北朝鮮が日本列島越しに弾道ミサイル・テポドン1を発射したことを境に、米国と共同してミサイル防衛(MD)システムの早期配備を急いできた。

    (2007年12月18日13時10分  読売新聞)

                         ◇

    賛成派も反対派も何故か反応が鈍い。

    だが、当日記はとりあえず初の弾道ミサイル迎撃成功に、
     
    おめでとう」と拍手を送りたい。
     
    日本は、ノドンやテポドン1などわが国を標的とする北朝鮮の弾道ミサイルの脅威に対抗し得る手段を手に入れたことになる。
     
    これだけでも日本国民なら拍手に値すると思うのだが。
     
    国防とか軍事がらみのニュースには必ずといっていいほど、
     
    「反戦平和運動」に連動したサヨクお花畑の香りムンムンの社説や識者の意見が出てくるものだがやはり案の定だ。
     
     
     
     
    肝心の朝日新聞やいつもなら大騒ぎのはずの沖縄タイムスも何故か大人しいが様子見なのか。
     
    迎撃ミサイル配備の報道でも脊髄反応して大騒ぎした反戦平和団体も今回は大人しい。
      
    北朝鮮のテポドンミサイル乱射の時、東門沖縄市長はコメントを求められて、「アメリカや日本の発表だけで、北朝鮮からの発表が無いのでコメントできない」としてノーコメントを貫き通した。
     
    自国の発表や同盟国の発表より北の将軍様の発表を信じる、というノーテンキ振りにもあきれるが、
     
    迎撃ミサイル配備の時のこのサヨク市長の発言には開いた口がふさがらなかった。
     
    その時、東門市長、早速米軍基地を訪問して、猛抗議をした。
     
    飛んでくるミサイルを迎撃し命中した場合、「その破片が落ちてきて危険だ」、というのには恐れ入った  ⇒ ミサイルより破片が怖い
     
    平和団体の発言は「中国のミサイルはОK! 迎撃は許さない」というのだから話にならない。

    こんなこともあった。⇒核ミサイルはОKだがパトリオットは反対!市民団体座り込み

     

    で、今回のミサイル迎撃成功にいちゃもんをつけるののは大体次の点だろう。

    米国を狙ったミサイルの迎撃の場合集団自衛権の議論が以前として灰色である

    他の議論なら腰を入れて灰色がクリアされるまで議論すれば問いが、事は国の安全の問題だ。

    灰色なら白、つまり自国に有利に判断するのが世界の常識だ。

    ②効果の割りにはコストがかかりすぎる。

    国の安全、つまり国民の生命を守るのにコストが高いもクソもないだろう。

    コストを安くしようと思えば究極の低コスト防衛策は「先制攻撃」がもっとも効果的だろう。

    一時議論が沸騰したようにミサイル発射台が発射体勢に入ったら、ミサイル発射前にミサイル基地を先制攻撃すればコストは格段に安くつく。 これを「予防攻撃」と呼ぶ。

    だが、日本の現状では、その実現する可能性は極めて低い。

     

    お隣の韓国では日本がうらやましくてしょうがないが金が出せないのと、

    サヨク大統領政権が続いたため中国さまのご機嫌が気にかかるから出来ないと白状している。↓ 

    韓国にまだミサイル迎撃システムがない理由 

    北朝鮮と接する韓国は、北朝鮮のミサイル攻撃を受ける可能性が日本よりも高いが、いまだにミサイル迎撃手段は皆無といっていい状態だ。唯一の手段といえるのが在韓米軍基地に配備されているパトリオットPAC2・3ミサイル64基だが、韓国が自主的に保有しているものではない。その上、韓国は金大中(キム・デジュン)政権以降、政治的・経済的な理由から米国のMDシステムには参加しないことを決めている。中国の反発に対する懸念、反米を主張する一部市民団体の反対、巨額の開発コストなどを考慮した結果だ。(朝鮮日報)

                                         ◇

    ◆お知らせ

    -認めてはならない検定再審-

     沖縄戦集団自決教科書記述・訂正に反対する!
    <『語る』運動から『行動する』運動へ>

    日時:平成19年12月20日(木)、午前11時集合、街宣開始11時半

    場所:文部科学省前(千代田区丸の内2丁目5、JR東京駅丸の内南口)

    ※各自プラカードを持参してください。


    主催:新しい歴史教科書をつくる会
        主権回復を目指す会

     ●教科書検定制度を守れ!第4弾
     沖縄戦「集団自決」異例の再検定 文科省の責任を重ねて問う緊急集会

     日時:十二月二十日(木曜)午後一時~二時

    会場:衆議院第二議員会館 第一会議室

    主催者:教科書検定への政治介入に反対する会(小田村四郎代表)
    千代田区平河町二丁目一六の五の三〇二
    高池法律事務所気付

    登壇者:小田村四郎、中村粲、藤岡信勝ほか

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    沖縄・首里城再建と紅型の父鎌倉芳太郎 【付記】

    2007-12-19 06:49:38 | 未分類

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    ウィークリー沖縄-本土に伝わらない沖縄の真実-

     ■沖縄コラム
    ◎「紅型」の父、鎌倉芳太郎

     今月初め、香川県の高松南ロータリークラブのメンバーが沖縄を訪れた。「人間国宝だったわが県の鎌倉芳太郎さんが情熱を注いだ縁の地をぜひみんなで見学したかった」と、代表者の一人である豊田章二さんは、訪問の理由を語った。

     泡盛と並んで、沖縄の特産物の一つとして、「紅型」がある。紅型とは、沖縄の伝統的な染織技法の一つで、「紅」は色全般を指し、「型」は型絵染めの型紙をいう。起源は16世紀ごろとされているが、この紅型を戦後世に出したのが、鎌倉芳太郎である。

     1898年生まれの芳太郎は、香川県師範学校卒業後、東京美術学校図画師範科(現在の東京芸大)に入学、1921年に沖縄県女子師範学校と県立第一高等女学校に赴任する。教鞭(べん)を執る一方で沖縄の美術工芸を研究、持参のカメラで現地の文化財を撮影したほか、克明にノートを取った。特に首里城に感激し、詳細に記録を残した。

     23年にいったん帰京、東京美術学校研究科に再入学し、東京帝国大学の伊東忠太教授に師事、沖縄研究を続けた。同年6月、老朽化した首里城正殿の取り壊しの報道に接した芳太郎は、伊東教授に相談した。同教授が内務省に電話し、取り壊し寸前に内務省が工事中止の命令を出して、正殿は史跡名勝記念物として保存されることになった。首里城の保存、再建に貢献したのも芳太郎である。

     24年に伊東教授とともに琉球芸術調査事業のため沖縄入りし、琉球王朝尚家や那覇の名家の所蔵品を調査、撮影し、それが現在の「鎌倉資料」となって現存している。

     45年の空襲で自宅と蔵書、資料を失うが、琉球芸術資料だけは東京美術学校文庫に保管していたため、焼失を免れ、芳太郎の琉球紅型研究の再出発となる。
    その後、「琉球紅型」の実物大彩色豪華本を完成、61年に日本工芸会正会員となり、72年の伝統工芸展で日本工芸会総裁賞を受賞。翌73年に人間国宝に認定され、10年後の83年に84歳で亡くなった。

     鎌倉芳太郎について、「一般県民はあまり知らない」(地元の知人)。沖縄の伝統文化・芸能に貢献した彼の名を忘れずにいたい。(H)
    (2007.12.18 )

                                             ◇

    鎌倉芳太郎という名を聞いてもその名を知る沖縄県人は少ないだろう。

    だが沖縄観光の目玉とも言える首里城の復元の最大の功労者であり、沖縄が誇る伝統工芸「紅型」の名付け親であると言われると改めて鎌倉芳太郎と沖縄の密接な関係に感じ入るだろう。

    沖縄人は何かというと「本土の人は沖縄のことを知らなさ過ぎる」と不満を述べるが、人間自分の地域のことは良く知っていても他県のことは知らなくて当たり前のこと。

    知らないのを怒る前に知らしめる努力が必要だと思うのだが、かく言う筆者も含めて意外に地元のことは知らないものだ。

    以前、佐渡出身で沖縄嫁をもらい沖縄に永住している某君と酒を飲んだ時の沖縄人への不満を想いだす。

    「沖縄人はヤマトンチュが沖縄のことを良く知らないと、すぐ馬鹿にしているというが、佐渡の出身だと言うと『帰省するのが大変ですね、タライで帰るのですか』と本気で聞くのですよ」

    まぁ、この話は極端な例だが似たような話は多々転がっている。

     

    鎌倉芳太郎については首里城復元の折、戦火で原型もないほど破壊しつくされ図面も消失していたが鎌倉芳太郎が戦前の首里城の詳細な図面を記録し大事に保存していた。

    その図面と鎌倉芳太郎助言なくしては現在の首里城は復元できなかったと言われている。 なお鎌倉芳太郎は首里城の完成した姿を見ること無く亡くなっている。

    紅型も琉球王朝時代に栄えたが廃藩置県とともに衰退し、戦後に復興したが紅型の普及にも鎌倉芳太郎の存在なくして考えられない。

    紅型の字が当てられた のは、大正14年に鎌倉芳太郎が講演で使った時からで、それまで古文書では「形附」が一般的な呼び方であった。

    昨日のエントリで愛媛県のことをミカンと「坊ちゃん」の舞台となった程度の知識しか無いと書いたが、訪問したことのない土地なんて所詮はこんなもの。 

    お隣の香川県についても「讃岐うどん」の本場程度の知識だったが首里城、紅型の大恩人鎌倉芳太郎が香川県の出身だったとは上記ニュースで初めて知った。

     

    香川県つながりで恐縮だが私事を言わしてもらうと、

    娘の夫が香川県の出身で、現在夫婦は車で那覇から二時間ほどの名護に住んでいる。

    夫(義息子?)は琉球大学農学部を出て数年間食品会社に勤めていたが、永年の夢諦めがたくそこを辞めて現在ヤンバル(山原ー沖縄北部)にある小さな牧場で牛糞にまみれて牛の世話をしている。

    本人の父君が公務員なのでただ1人の男の子にも公務員になって欲しかったようだが、沖縄に遣ったのがウンのつきだったようで沖縄の田舎に住み着いてしまった。

    勤務場所は社会保険もない個人牧場のようだが、めったにない休日にもわざわざ母校の琉大で飼育している牛を見に行くくらいだからよっぽど動物が好きなのだろう。

    現在は辛くとも将来は自分で牧場を経営したいらしい。

    夢を失った若者が目に付く昨今、牛糞まみれでも夢のある若者はいいね。

    本題から完全に外れてしまったが、首里城、紅型の大恩人ともいえる鎌倉芳太郎の故郷は香川県であることを知って、

    まだ訪ねたことのない香川県にも親戚がいるということで強引に締めにしたい。

     

    【付記】

    話が脱線して肝心のことを書き漏らしてしまった。

    香川県の有志が故郷の先輩鎌倉芳太郎氏がその文化歴史の研究に情熱を燃やした沖縄の地を訪問してくれた、・・・これは沖縄の地方紙としては、県人に忘れ去られがちの鎌倉芳太郎氏の紹介と共に是非とも記事にして欲しいニュースだったはず。

    だが、琉球新報、沖縄タイムスともこのニュースはスルーした。

    首里城や紅型に関連付けても記事にして欲しかった。

    両紙は「集団自決」で大騒ぎするだけが地方紙の役目ではないはずだ。

    県民の知る権利を何と心得る。

    鎌倉芳太郎氏は石垣名誉市民になっているが同じ石垣名誉市民・「風邪のウスメー」こと岩崎卓爾の記事と関連付けて八重山毎日新聞にこんな記事があった。⇒東北人の足跡Add Star

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    「坊ちゃん」の町で教科書裁判  愛媛の団体、来月提訴/

    2007-12-18 08:36:29 | 教科書

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    沖縄タイムス2007年12月17日(月) 朝刊 1面  
     
     媛の団体、来月提訴/検定意見撤回と国賠請求

     文部科学省が高校歴史教科書から、沖縄戦「集団自決(強制集団死)」に対する日本軍の強制を示す記述を削除させた問題で、「えひめ教科書裁判を支える会」などが呼び掛け、「違法な政治介入を行った」として、国(文科省)などを相手に、検定意見の違法確認と取り消し、損害賠償を求める訴訟を起こす方針であることが十六日、分かった。来年一月下旬までに愛媛県の松山地裁に提訴する。同問題をめぐっての訴訟の動きは、全国で初めて。国と同時に検定撤回などを求めず違法を放置した、として愛媛県教育委員会も訴える予定。
     今月中に原告参加者の第一次集約を行う。原告や支援者を募っている。

     同会は、同県で扶桑社の「新しい歴史教科書」が採択されたことなどで国や県に対しその取り消しや損害賠償を求める裁判などを支援している。

     同日、松山市民会館で行われた集会で、提訴の方針を示し、参加者に協力を求めた。また、9・29県民大会に愛媛から参加した人の報告もあった。

     同会連絡先になっている奥村悦夫さんは「文科省は、記述回復だけで、責任をあいまいに済まそうとしている。問題の根本を問いたい。全国でも同じような動きが起きて、問題解決への力になってほしい」と話した。

                                                 ◇

    ■プロ市民の巣窟愛媛県■

    愛媛県といえば、「みかんの花咲く丘」の故郷と勝手に連想したり、

    漱石の「坊ちゃん」の舞台松山市から、のどかな人情の町のある町とこれも勝手に連想する程度の知識しかなかった。

    ネットを利用するようになるまでは愛媛県も沖縄に負けず劣らずサヨク市民が活発に活動する地域だとは知らなかった。

    今回の「集団自決」に関する「教科書騒動」の震源地沖縄でさえも、この問題に関する訴訟にまでは至っていないというのに、

    愛媛県では全国に先駆けて訴訟に踏み切ったというから驚きだ。

    沖縄では県や各市町村の議会が「教科書検定意見書撤回」の議決をし、本土各地でもこれに追随する動きもあったが、

    愛媛県の場合も県議会松山市議会を始め11市の教育委員会が議決し請願書を出していた。

    愛媛県
     県議会、松山市議会に市民が請願提出(9月19日)
     東温市議会文教委員会、継続審議(9月20日)
     新居浜市・西条市・今治市など11の市町教育委員会に市民が請願(9月25日)

    >奥村悦夫さんは「文科省は、記述回復だけで、責任をあいまいに済まそうとしている。問題の根本を問いたい

    奥山悦夫という人物は愛媛県では名の知れたプロ市民活動のようで、

    「新しい歴史教科書をつくる会」主導で出来た教科書が採択されたことで,

    「精神的苦痛を受けた」として県知事らを相手に訴訟を起こした「えひめ教科書裁判原告団」(約120人)の代表者である。

    まぁ、自分の気に食わぬ教科書が採択されたら「精神的苦痛を受ける」という人は、国歌を聞いたり国旗を見ると精神的苦痛を受けて「カメムシが見えてくる」といった特殊な病気の持ち主なのでしょうか。

    このような病を患うと、そのうち「軍靴の響き」が聞こえたり、「みかんの花咲く丘」が「いつか来た道」に見えたり、

    ミカンの香りも「きな臭い」臭いに感ずるようになるのかもしれない。

    この病は「幻覚、幻聴、幻臭」が特徴で、診断名は「国籍同一性障害」の疑いが有るので早期治療をお勧めしたい。

    ★国籍同一性障害については文末参照。

    ■愛媛のプロ市民、「坊ちゃん広場」で「9・29県民大会」と連動■

    9月29日、沖縄中を狂乱の渦に巻き込んだ「11万人」集会と同じ日に

    愛媛県内のプロ市民団体が「坊ちゃん広場」で検定意見撤回の集会を開いていた。

    沖縄の「11万」狂乱集会が目立ちすぎて注目を浴びなかったが愛媛新聞には次のように報じられたいた。

    2007年09月29日(土)
    「集団自決」検定撤回を 松山でも集会

     沖縄戦で日本軍が住民に「集団自決」を強いたとの記述の削除を求めた文部科学省の教科書検定意見に抗議する
    沖縄県民大会に連帯しようと29日午後、愛媛県内の市民団体が松山市湊町5丁目の坊ちゃん広場で集会を開き、検定意見撤回を訴えた。
     集会は「えひめ教科書裁判を支える会」や「とめよう戦争の道!100万人署名運動愛媛県連絡会」などが共催。
     平和主義を打ち出した日本国憲法をたたえる歌を参加者で歌った後、各団体のメンバーらが次々マイクを握り、文科省の不当性を主張した。
    http://www.ehimenp.co.jp/news/local/20070929/news20070929680
    .html

    この集会には「教科書裁判」とか「100万人署名運動」とか叫ばれているので急進派左翼系の人物が多く関わっていたと思われる。

    ■愛媛新聞は小朝日新聞?■

    プロ市民が跋扈する地域には必ずと言っていいほど彼らを支援する偏向地方紙の存在がある。

    沖縄における沖縄タイムス、琉球新報の役割については今更言うまでも無いだろう。

    愛媛新聞を小朝日新聞愛媛新聞 と断じて批判する「酒たまねぎuraHP」(http://www.tamanegiya.com/ehimesinnbunn.html)を以下に抜粋引用します。

    平成17年4月4日月曜日晴れ ○
     我が国には多くの新聞社があります。その中にはまさに小朝日ともいうべき新聞社も多く存在します。その地域においてはこういった地方紙の購読率は高く、影響力もあります。
     「教科書訴訟 隣国の『痛み』重く受け止めたい」と題された愛媛新聞の3月31日の社説です。
    http://www.ehime-np.co.jp/shasetsu/shtsu20050331.html
    以下引用
     県内の県立中高一貫校などで「新しい歴史教科書をつくる会」主導の扶桑社版歴史教科書が採択された問題をめぐる裁判で、新たな展開があった。
     一つは、韓国の国会議員や中国の大学教授ら262人が加戸守行知事と県教育委員会などを相手取り、慰謝料と謝罪広告を求める訴えを松山地裁に起こしたことだ。
     訴えでは、「つくる会」主導の教科書は日本の植民地支配や中国などへの侵略を美化しており、原告らの名誉を傷つけるとともに、精神的苦痛をもたらしたとしている。
     同教科書の採択では、県内の市民グループや県立学校の教諭らが採択の無効や慰謝料などを求め、訴訟を起こしている。そこでも韓国の大学講師らが原告に加わっているが、これだけ多数の外国人が訴訟を起こすのはきわめて異例である。
     韓国や中国では「つくる会」主導の歴史教科書の出版や、その採択に強い抵抗がある。今回の提訴で関心がさらに高まるのは間違いないだろう。
     両国との外交や交流に影響を及ぼしかねないだけに、県民としても提訴を重く受け止め、注視していきたい。
     略)

    ■松山市の「男女共同参画推進条例」騒動■

    愛媛県でプロ市民が跋扈している例は他にもある。

    松山市議会では全国に先駆けて男女共同参画条例を採択し、その運用が危惧された。

    その条文に隠された危険なジェンダーフリー思想に歯止めをかける

    『松山市男女共同参画推進条例の運用の基本方針を明確にすること』の請願が全国の保守派・良識派のメール、ファックスによって支援され、

    昨日17日、本会議で賛成多数で採択された経緯もある。

    ■「教科書裁判」提訴の狙い■

    教科書の記述訂正申請に対する文科省の最終決断は今月の20日過ぎだといわれている。

    教科書検定問題も愈々大詰めを迎えたこの時機に「教科書裁判」の提訴を発表することは、

    追いつめられた左翼勢力が最後の手段として文科省に圧力をかけるため裁判をちらつかしたといえば分かり易い。

    「教科書記述に軍の命令、強制を明記させなければ訴えるぞ!」、・・・何と分かり易い脅迫だ。

    文部省は、こんなこけおどしに微動だに「せずに粛々と法令に従って最終決断をして欲しいものだ。

    一方、「大江・岩波裁判」も今月の21日には結審を迎えるが、こんな脅しで裁判官の心証に影響が有るとは思えない。

    今回の提訴はサヨク勢力の焦りの象徴だと見る。

     

    ★国籍同一性障害関連エントリ:

     

    日本は全体主義に向かっているのか? 不治の病

    従軍慰安婦に群がる女性議員達は「国籍同一性障害」?

    【国籍同一性障害】田嶋陽子氏が「吉田証言」で【自爆動画】

    「国籍同一性障害者」の集い  「軍歌の音が聞こえてくる」

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    墓場に持ち込んだ真実  大田記者の13年の沈黙

    2007-12-17 08:30:35 | ★集団自決

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    ■13年間の沈黙■

    物を書くことを生業とする者なら、自分の書いた著作への毀誉褒貶には素人が考える以上に敏感なもの。

    地方新聞の文化面などでも、ある学者の著書に対しての批判や反批判の応酬は良く見られる。

    そんな場合最初に批判した文に対する反論はあまり時間をおいては意味がない。

    時機を逸して反論しても、忘れやすい読者の記憶から消えてしまうか、或いは自作品に対する批判をそのまま受け入れて敗北したともとられかねからである。

    少なくとも批判されてから1年も過ぎてからの反論は事実上の敗北宣言とられるし、例え反論しても負け犬の遠吠えとも取られかねない。

    ところが自作品を有名作家によって公然と致命的ともいえる批判を受けていながら沈黙を守り続け続け、10数年経過した後、やっと反論を始めた著者がいた。

    1945年8月、『鉄の暴風』(朝日新聞、沖縄タイムス刊)の著者・大田(伊佐)良博記者のことである。

    『鉄の暴風』発刊の27年後の1972年、作家の曽野綾子氏が同書を徹底的に批判した『ある神話の背景』(文芸春秋社刊)を発刊した。

    新聞社をバックにした記者のプライドをかけ直ちに反論に及ぶかと思われたが、

    太田氏が曽野氏の批判に対して反論を試みたのは何とそれから13年後の1985年になってからである。

    太田氏は曽野氏の「『鉄の暴風』は伝聞証拠で書かれた読み物」だと、

    沖縄戦記を自認する『鉄の暴風』としては致命的とも言える批判に対して何ゆえこのような長い沈黙を守っていたのか。

    よくある論争で有名人の著作を無名の人物が売名行為で批判する場合がある。

    その場合「売名行為に加担したくない」と批判された側が黙殺することが多々あるが、

    曽野氏と大田氏の場合批判した曽野氏はその時点で有名作家であり、地方紙の記者である大田氏は全くの無名といってよい。

    「売名行為に加担したくない」を13年の沈黙の理由にするには立場が全く逆である。

    曽野氏の『鉄の暴風』批判は地元沖縄に大きな波紋を投げていた。

    ■仲程琉球大学教授の『鉄の暴風』批判』■

    事実『ある神話の背景』を読んだ仲程昌徳・琉球大学教授(当時)は、次のように『鉄の暴風』の伝聞取材を批判した。

    現在の沖縄の言論空間の異常な閉塞状態では考えられないことだが、

    『ある神話の背景』(集団自決の真相)発売当時の1972年の沖縄には、地元の大学教にも『鉄の暴風』のデタラメさを公然と批判する良識派の学者がいた。

    <太田氏が辛うじて那覇で《捕えた》証言者は二人であった。一人は、当時の座間味の助役であり現在の沖縄テレビ社長である山城安次郎氏と、南方から復員して島に帰って来ていた宮平栄治氏であった。宮平氏は事件当時、南方にあり、山城氏は同じような集団自決の目撃者ではあったが、それは渡嘉敷島で起こった事件ではなく、隣の座間味という島での体験であった。もちろん、二人とも、渡嘉敷の話は人から詳しく聞いてはいたが、直接の経験者ではなかった>

    <ルポルタージュ構成をとっている本書で曽野が書きたかったことは、いうまでもなく、赤松隊長によって、命令されたという集団自決神話をつき崩していくことであった。そしてそれは、たしかに曽野の調査が進んでいくにしたがって疑わしくなっていくばかりでなく、ほとんど完膚(かんぷ)なきまでにつき崩されて、「命令」説はよりどころを失ってしまう。すなわち、『鉄の暴風』の集団自決を記載した箇所は、重大な改訂をせまられたのである>(『沖縄の戦記』仲程昌徳 )

    ここで問題を整理するために、時系列で『鉄の暴風』関連の小年表を作ってみよう。

    ・1945年8月 『鉄の暴風』発刊

    ・1970年   『沖縄ノート』発刊 大江健三郎

    ・1972年   『ある神話の背景』 曽野綾子

    【大田氏と曽野氏の論争ー沖縄タイムス紙上】

    ・1985年   4月8日~18日に掲載(4月14日は休載)。
              『沖縄タイムズ』紙上で大田氏の反論。
              「沖縄戦に“神話”はない」沖縄タイムス         

    ・1985年    5月1日~6日(5日は休載)。
              それに曽野氏が再反論、「沖縄戦」から未来へ向って

    ・1985年   5月11~17日(12日は休載)。
             太田氏が反論、「土俵をまちがえた人」 

    太田氏・曽野氏の論争について詳細は上記リンクで確認してもらうとして詳しいコメントは避けるが、

    結論だけを記すと仲程教授の指摘を待つまでも無く、太田氏は曽野氏によって完膚なきまで論破されてしまっている。

    ■沖縄タイムスの逆襲■

    ノンフィクションを書くのが本業のはずの自社記者の著作『鉄の暴風』を「良く出来た読み物」だとして致命的に批判され、困惑したのが発刊元の沖縄タイムスである。

    13年もの間の臥薪嘗胆の結果が完膚なきまでの論破による敗北では納まりがつかなかった。

    それでは沖縄タイムスがこれまで構築し県民を煽ってきた、

    「日本軍は残虐非道である」という反日歴史観の根底が揺らいでしまう。

    そこで沖縄タイムスが考え付いたのが作戦変更による「反日歴史観」への再挑戦である。

    1985年の「大田、曽野論争」の3年後これまで何度も沖縄戦の資料に登場する元渡嘉敷島兵事主任の富山真順氏(旧姓新城)の口から唐突と思える証言が飛び出してくる。

    これまでの富山氏の証言記録では見たことも無い「手りゅう弾配布証言」である。

    沖縄タイムス紙面を舞台にした「大田・曽野論争」で完敗した沖縄タイムスは「富山証言」というおいしい「特ダネ」を敢て親会社の朝日新聞に委ねてその影響力に全てを託したのである。

    ■手りゅう弾軍命説の新登場(1988年)■

    以後、「軍命あり派」の唯一の「証拠」とされる「手りゅう弾配布」の富山証言の登場である。

    昭和63(1988年)年6月16日に朝日新聞に富山真順氏の証言として次のように掲載された。

    <昭和20年3月20日に渡嘉敷島の17歳未満の少年と役場の職員に手りゅう弾が配られ、一発は敵と戦いに一発は自決用に配られた>

    だが、富山真順氏は、昭和20年3月20日に手りゅう弾が配られたということをそれまで一度も話したことが無かった。

    『鉄の暴風』発売後13年目に行われた「大田、曽野論争」から更に三年経って、唐突とも思えるタイミングで地元紙ではなく朝日新聞に「富山証言」は登場した。

    唐突という理由の一例を挙げると、

    昭和28年3月28日付けの『渡嘉敷島の戦争の実相』にある「慶良間列島渡嘉敷島の戦闘概要」では全く手りゅう弾のことは触れていない。

    これまで富山氏は集団自決の重要証言者として頻繁に発言していながら「手りゅう弾配布」については始めての発言だった。

    戦後43年経過して唐突に現れた富山証言は沖縄戦史の専門家と称する人たちの「軍の命令、強制」の唯一の論拠となって係争中の「大江・岩波裁判」の被告側の「証拠」にされている。

     

    資料1
    「富山手りゅう弾説」を主張する「大江・岩波裁判」。

    被告側証言者・安仁屋政昭沖縄国際大学名誉教「陳述書 」(2007年7月12日)抜粋。
     
    4 富山真順氏の証言
      さらに渡嘉敷島については、具体的な軍命令があった証拠があります。
      (略)  富山真順氏の証言は、つぎのとおりです。
     ① 1945年3月20日、赤松隊から伝令が来て兵事主任の富山氏に対し、渡嘉敷の住民を役場に集めるように命令した(非常呼集)。富山氏は、軍の指示に従って「17歳未満の少年と役場職員」を役場の前庭に集めた。
     ② そのとき、兵器軍曹と呼ばれていた下士官が部下に手榴弾を2箱持ってこさせた。兵器軍曹は集まった20数名の者に手榴弾を二個ずつ配り、「米軍の上陸と渡嘉敷島の玉砕は必至である。敵に遭遇したら一発は敵に投げ、捕虜になるおそれのあるときは、残りの一発で自決せよ」と訓示をした。
     ③ 3月27日(米軍が渡嘉敷島に上陸した日)、兵事主任の富山氏に対して軍の命令が伝えられた。その内容は「住民を軍の西山陣地近くに集結させよ」というものであった。駐在の安里喜順巡査も集結命令を住民に伝えてまわった。
     ④ 3月28日、恩納河原の上流フィジガーで住民の「集団死」事件が起きた。このとき防衛隊員が手榴弾を持ちこみ、住民の「自殺」を促した。
       (略)
      

    また富山氏の証言は1988年6月16日の朝日新聞(乙12号証)にも掲載されています。 

    資料2
    戦後23年で初めて登場した「手りゅう弾軍命説」。
    [朝日新聞1988年6月16日夕刊

    軍の自決命令 私は聞いた…

    渡嘉敷島の「住民集団死」
    当時の役場兵事主任ら証言
    呼集し手榴弾配る
    「まず攻撃、残る一個で…」 

    沖縄戦初頭に沖縄の離島、渡嘉敷島で、住民三百余人が「集団自決」した。これが日本軍に強制された「死」だったのか、文字通りの「自発的な死」だったのか。沖縄戦の歴史的評価に深くかかわるとされながら、
    今ひとつ決め手の証拠を欠くまま論争が繰り返されてきた。が、最近になって、当時、渡嘉敷村役場で兵事主任を務め、「集団自決」の際に生き残った人が「日本軍は非戦闘員の住民にも自決命令を出していた」と初めて明らかにし、インタビューに応じてその詳細を証言した。戦後四十三年、沖縄戦には、なお多くの陰が残されているようだ。間もなく六月二十三日、沖縄の日本軍壊滅の日が来る。(藪下影治朗編集委員、写真も) 

    一日一便、那覇への村営定期船は、渡嘉敷漁港近くの岸壁から出る。漁協二階からは、渡嘉敷地区の集落、港、そして村民のいう「玉砕場」へと続く山なみが一望できる。漁協組合長で村議の富山真順さん(72)。事前の約束を得ていたのに、その口は用意には開かなかった。

    「できれば話さずにおきたい。それが本心なので……」

    陸軍を負傷で除隊した富山さんは、1942年(昭和十七年)、郷里渡嘉敷村(当時の人口約千三百人)の役場に入った。軍隊に詳しいので、翌年、兵事主任に任命される。徴兵のための兵籍簿の管理、予備役兵の定期点呼、出征兵士の身上調査など、村の軍関係事務のすべてを担当する重いポストだった。

    渡嘉敷村史などによると、沖縄戦が始まった四五年(昭和二十年)三月当時、島には赤松嘉次大尉指揮下の海上特攻隊など約三百三十人と、招集された村民七十人の防衛隊などがいた。同月二十三日朝、島は猛烈な艦砲射撃と大空襲に見舞われる。日本軍と県民約二十万人が死んだ沖縄戦の始まりだった。島の集落はたちまち焼け落ちた。

    「島がやられる二、三日前だったから、恐らく三月二十日ごろだったか。青年たちをすぐ集めろ、と近くの国民学校にいた軍から命令が来た」。

    自転車も通れない山道を四の阿波連(あはれん)には伝えようがない。役場の手回しサイレンで渡嘉敷だけに呼集をかけた。青年、とはいっても十七歳以上は根こそぎ防衛隊へ取られて、残っているのは十五歳から十七歳未満の少年だけ。数人の役場職員も加えて二十余人が、定め通り役場門前に集まる。午前十時ごろだったろうか、と富山さんは回想する。

    「中隊にいる、俗に兵器軍曹と呼ばれる下士官。その人が兵隊二人に手榴弾の木箱を一つずつ担がせて役場へ来たさ」

    すでにない旧役場の見取り図を描きながら、富山さんは話す。確か雨は降っていなかった。門前の幅二ほどへの道へ並んだ少年たちへ、一人二個ずつ手榴弾を配ってから兵器軍曹は命令した。

    いいか、敵に遭遇したら、一個で攻撃せよ。捕虜となる恐れがあるときは、残る一個で自決せよ」。
    一兵たりとも捕虜になってはならない、と軍曹はいった。少年たちは民間の非戦闘員だったのに……。
    富山さんは、証言をそうしめくくった。

    三月二十七日、渡嘉敷島へ米軍上陸。富山さんの記憶では、谷あいに掘られていた富山さんら数家族の洞穴へ、島にただ一人いた駐在の比嘉(旧姓安里)喜順巡査(当時三〇)が、日本軍の陣地近くへ集結するよう軍命令を伝えに来た。

    「命令というより指示だった」とはいうものの、今も本当に健在の元巡査はその「軍指示」を自分ができる限り伝えて回ったこと、「指示」は場所を特定せず「日本軍陣地の近く」という形で、赤松大尉から直接出たことなどを、認めている。

    その夜、豪雨と艦砲射撃下に住民は“軍指示”通り、食糧、衣類などを洞穴に残し、日本軍陣地に近い山中へ集まった。今は「玉砕場」と呼ばれるフィジ川という名の渓流ぞいの斜面である。“指示”は当然ながら命令として、口伝えに阿波連へも届く。「集団自決」は、この渓流わきで、翌二十八日午前に起きた。

    生存者の多くの証言によると、渡嘉敷地区民の輪の中では、次々に軍配布の手榴弾が爆発した。

    が、手榴弾が防衛隊員にしか渡されていなかった阿波連の住民の輪では、大半の住民は肉親を棒や石でなぐり、首を絞めた。その一人、沖縄キリスト教短大の金城重明教授(59)は、母と幼い弟妹の三人をなぐり、絞めて殺した、という。

    「今だ」といったような自決の引き金命令が出たかどうか、はっきりしない。富山さんの一族は二つの輪になって、手榴弾を真ん中に投げた。が、発火操作のミスがあったらしい。富山さんの二個は不発に終わり、いとこのそれは爆発した。一族のうち十三人が死に、六人が生きのびる。

    「日本軍のそばが最も狙われて危ない。二十三日の空襲、艦砲射撃後、それは住民の常識だった」
    と金城教授はいう。
    「命令されなければ。住民が、食糧も洞穴も捨てて軍陣地近くへ集まるはずはなかった」
    と。

    そして沖縄戦の研究者、安仁屋政昭・沖縄国際大口授(53)は住民集結命令の意味を次のように説明する。
    「沖縄戦では住民のほとんどが軍に動員され、陣地造りや弾薬運びなどに使われた。住民が米軍の支配下に入ると、戦闘配備が筒抜けになると日本軍は恐れた。兵力のない渡嘉敷島では、それを防ぐ手は、集団自決の強制しかあり得なかった……」

    インタビューの終わりに、富山さんに尋ねた。四十三年後の今になって、なぜ初めてこの証言を?

    「いや」
    と富山さんは答えた。
    玉砕場のことなどは何度も話してきた。しかし、あの玉砕が、軍の命令でも強制でもなかったなどと、今になって言われようとは夢にも思わなかった。当時の役場職員で生きているのは、もうわたし一人。知れきったことのつもりだったが、あらためて証言しておこうと思った


                        ◇

    ■真実は墓の中■

    四十三年後の今になって、なぜ初めてこの証言を?

    >「いや」
    >と富山さんは答えた。
    >「玉砕場のことなどは何度も話してきた。しかし、あの玉砕が、軍の命令でも強制でもなかったなどと、今になって言われようとは夢にも思わなかった。当時の役場職員で生きているのは、もうわたし一人。知れきったことのつもりだったが、あらためて証言しておこうと思った

    富山氏は戦後新城から富山に改姓しているが戦後も渡嘉敷島の有力者で、島の知己に、

    「真実は私だけが知っている。 その真実は私が墓の中まで持っていく」と語っている。

    ということは朝日新聞へのインタビューには真実を語っておらず、真実は自分が墓の中まで持っていくととうのが真実だったのだ。


    この経緯を富山氏から直接聞いた渡嘉敷在住の源哲彦氏が9月1日の沖縄タイムス「論壇」で次のように述べている。

    当時の村長や兵事主任はすでに故人となり、生の声で「証言」を聞くことは出来ないが、富山氏は生前「真実は今や私だけが知っている。 その真実は墓場まで私が持っていく」といったのを直接聞いた事がある。≫(沖縄タイムス)

    富山助役、玉井村長(旧姓古波蔵)など真相を知る村人は「真実」は何も語らず「墓場まで」持って言った。

    巷に溢れている「手りゅう弾軍命令説」は真実ではない。

     

    【追記】2007年1月13日

    事実誤認がありましたので下記の通り訂正と共にお詫びいたします。

    「訂正」⇒大田良博氏は、1973年7月、琉球新報で曽野綾子氏に対する反論記事を載せていました。

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    札幌で「集団自決」の講演会  証言者達の人間の絆

    2007-12-16 07:09:53 | ★集団自決

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    語り継ぐ沖縄の悲劇 札幌 吉川さん講演(12/10) 
    沖縄戦の集団自決について、渡嘉敷島での自らの体験を証言する吉川さん
     
     沖縄戦集団自決の生き残りで、沖縄県渡嘉敷村教育委員長を務める吉川嘉勝さん(69)を招いた講演会「沖縄戦-集団自決の真実」が七日夜、札幌市中央区北三西一九の西本願寺札幌別院で開かれた。当時六歳だった吉川さんの体験証言に約百二十人が耳を傾けた。

     札幌の僧侶らでつくる「12・8戦禍を語り継ぐ会」(打本顕真会長)の主催。毎年、太平洋戦争開戦の十二月八日に合わせて「語り継ぐ集い」を開いており、今年は「集団自決の史実を広く知ってほしい」と吉川さんに講演を依頼した。

     吉川さんは、渡嘉敷島の自決場に集められた住民が次々と手りゅう弾で自決する中、母が「人間は生きられるまで生きねば」と思いとどまったおかげで生き延びたことを証言。「誰も本来死のうとは思っていない。そういう状況がつくられたから、みんなそうしてしまった」と話した。

     そして、教科書検定問題を念頭に、「(集団自決は)紛れもなく、そこに軍隊がいたから。軍の関与はなかったという国の意見には我慢ならない」と憤った。(稲垣重則)

                                                     ◇

    平和学習の語り部が証言者■

    >「(集団自決は)紛れもなく、そこに軍隊がいたから。軍の関与はなかったという国の意見には我慢ならない

    「集団自決」の証言者は沖縄だけではなく今や全国区で講演等で引っ張りだこのようだが、

    この証言者達は雰囲気としては「軍の関与」等軍の責任には触れても、肝心な「軍命の有無」には言及しない。 

    これは「集団自決」の生き残りの証言者といえども「軍の命令や強制」を客観的には証言できないということを意味している。

    吉川氏も上記講演会でも「軍の命令があった、或いは強制があった」とは証言していない。

    吉川氏は、7月6日の「県議団言質調査」でも証言しているがそのときも「軍の命令があった、或いは強制があった」とは証言していない。(沖縄タイムス;「集団自決」の現場視察 県議会文厚委【写真】

    調査団に対し、証言者・吉川嘉勝氏(68)は

    自決命令は、無かったかもしれないが、軍隊がいたから集団自決は起こった。軍国主義教育があったからあのような悲劇は起こった。」(沖縄タイムス)

    としか語っていない。

    吉川氏は最近(4月19日)まで渡嘉敷村の教育委員長を勤めていた教員上がりの村の偉い人でもある。http://www.vill.tokashiki.okinawa.jp/vill_inf/so_6/so_6_01.htm

    ちなみにこの吉川氏、島の子どもや修学旅行生を相手に平和学習の案内役をしていると言う。

    そう、吉川さんは証言者である一方、「平和学習」の語り部でもある。

    だが、いくら日本軍の残虐さを語る左翼思想の語り部でも、

    自決命令は、無かったかもしれないが、軍隊がいたから集団自決は起こった。軍国主義教育があったからあのような悲劇は起こった。」と語るのが精一杯だった。

    参考:「平和学習」
    埼玉の中3生、修学旅行で「集団自決」地に 「平和」努力を決意 カメラ  (7/5 16:05)

     

    ■引っ張りだこの証言者■
      
    金城重明氏もそうだが、冒頭記事の吉川氏の証言は全国大手紙でも引っ張りだこだ。

    今年の慰霊の日の朝日新聞では次のように証言している。

    だが、「軍曹が命じた」と巧妙にミスリードする朝日記事でも

    吉川氏は一言も「軍の命令」とは証言していない。

     

    http://www.asahi.com/national/update/0623/SEB200706230011
    .html

    62年前に見た集団自決の現場 「軍曹が命じた」
    2007年06月23日15時30分

     沖縄戦の戦没者ら約24万人の名を刻んだ「平和の礎(いしじ)」。糸満市摩文仁(まぶに)に立ち並ぶ碑の前で23日朝、元中学校教諭の吉川嘉勝さん(68)は妻の英子さん(68)と一緒に静かに手を合わせた。礎には米軍の艦砲射撃で亡くなった父の名がある。

     62年前、吉川さんは「集団自決」の現場にいた。

     那覇市の西約30キロにある渡嘉敷島。周囲25キロの島に米軍が上陸したのは45年3月27日のことだ。住民らは土砂降りの雨の中、島北部の通称「北山」を目指した。吉川さんと家族もその中にいた。当時6歳だった。

     「集団自決」が起きたのは翌28日。たどり着いた山中で家族や親類ごとに円陣を組んで座った。★村長の短い訓示の後、「天皇陛下万歳」の叫びとともに、あちこちで手投げ弾が爆発した。

     吉川さんの家族ら約10人が輪になった中でも、義兄らが手投げ弾を石に打ち付けた。だが、爆発しない。父は「火を燃やして、投げ入れろ」と指示した。

     母が叫んだ。「手投げ弾を捨てろ」。生きられるだけ生きるべきだと必死に訴えていた、と吉川さんは振り返る。家族はその場を逃れた。

     母が教えてくれた「命の重さ」を伝えるため、吉川さんは教師になった。校長を最後に教職を退き、島に戻った今は、地元の子どもや修学旅行生を相手に平和学習の案内役を務める。「自分たちの歴史を知り、戦争のない社会をつくってほしい」と語り続ける。

     その島で、沖縄国際大名誉教授の安仁屋政昭さん(72)は88年、かつて村の兵事主任だった故富山真順さんから、ある証言を聞いている。

     富山さんは45年3月20日、戦隊からの命令で17歳未満の少年と役場職員を役場の庭に集めた。兵器係の軍曹が住民二十数人に手投げ弾を2個ずつ配り、「敵に遭遇したら1発は敵に投げ、捕虜になる恐れのある時は残りの1発で自決せよ」と訓示した、という。

     沖縄ではいま、「集団自決」を巡る教科書検定で「日本軍による強制」が削除されたことに強い反発が起きている。安仁屋さんは言う。「富山さんの話は自決命令の存在を示す重要な証言だ」

    アリバイ作りの県議団調査  結論は決まっていた!

                      ◇

    ■アリバイ証言の条件■

    「昨日の夜10時から12時の間、何処に居ましたか?」

    「自宅でテレビを見ていました」

    「それを証明できる人は?」

    「妻が証明します」

    「親族以外でどなたか居ませんか?」

    「親族の証言では何故ダメなの?」

    「親族の証言は信憑性が薄いから」

    テレビの推理ドラマで刑事と被疑者の間で交わされるお馴染みのシーンである。

    証言者は「犯人」との関わりによってその信憑性の有無が問われる。

    当然、アリバイの証明には被疑者の親族の証言はその信憑性が疑われる。

    自分のお婆ちゃんの証言を疑われて、

    「うちのおばーがウソをつくというのですか」

    と訴えてもこれは論理の問題ではなく感情の問題になってしまう。

     

    「集団自決」の教科書記述に関して、数多くの証言者が登場したが、

    検定意見で問題となった「軍の命令、強制」の有無に関する客観的証言は皆無だった。

    軍の命令や強制を主張している証言者と「当事者」との関係を知ればその証言内容の信憑性の参考になる。

    渡嘉敷村の場合、当時の村長古波蔵惟好氏が、米軍に包囲され島民がパニック状態になった時「自決」のきっかけを作って、「集団自決」に島民を導いたと言われている。(★上記朝日記事参照)

    生き残った村長は戦後古波蔵と改姓し、赤松隊長の命令だったと主張したがその一方、島民の援護法適用の運動に尽力した。

    金城重明がその体験から証言できるのは、集団自決前に古波蔵村長が音頭をとった「天皇陛下万歳」の三唱だった。彼は、軍からの自決命令そのものだと強弁した。最近の新聞でも、そんなことを語っているらしい。しかし、音頭をとった村長や幹部達は自決せずに生きていたのであり、ちょっと頭を冷やして考えれば、それが軍からの自決命令だという理屈に大きな飛躍があることは誰でもわかる。(沖縄集団自決冤罪訴訟を支援する会)http://blog.zaq.ne.jp/osjes/article/35/

     

                         *

    ■戦後、改姓の多かった島■

    渡嘉敷村には古波蔵村長の親類縁者が多く、渡嘉敷村出身で古波蔵という姓を名乗るものは古波蔵村長の親族か何らかの縁者だといわれている。

    しかし、戦後渡嘉敷島出身者で改姓した人が多いのは単なる偶然なのであろうか。

    渡嘉敷村住民で戦後改姓した例を挙げると、

    ★古波蔵(「集団自決」時の村長)→米田、

    ★新城(兵事主任)→富山

    古波蔵→源

    古波蔵→古賀

    ★古波蔵→吉川(嘉勝)

    古波蔵→田村

    古波蔵→田中

    ★古波蔵(戦後の村長)→玉井(喜八)
    与那嶺→杉原
    与那嶺→新崎
    与那嶺→吉本
    鈴川、秋山、平井、吉原

    そう、冒頭記事のように札幌まで出張して「集団自決」の生き残りとして「軍の関与」を証言しているの吉川嘉勝氏は旧姓は古波蔵である。

    ■証言者達が背負う人間の絆■

    「集団自決」の事実上の指導者だとされる古波蔵村長が戦後米田と改姓し、吉川氏も同じ古波蔵という姓だったいうのは偶然の一致なのだろうか。

    「集団自決」当時、島の村長で戦後も村の有力者だった古波蔵氏は戦後介せして米田を名乗った。

    一方、集団自決の生き残りとして「軍の責任」を追及する証言を続ける「平和活動」の語り部吉川氏も旧姓は古波蔵で村長とは渡嘉敷島の古波蔵一族であるという共通項を持つ。

    果たして吉川氏は当事の島のリーダーだった古波蔵村長の「アリバイ」(軍命だった)を証言できる立場にいると言えるのか。

    人間関係が複雑に交錯する小さな島で起きた「悲惨な事件」。

    その証言にも、メディアで証言し続ける人、現在でも黙して語らぬ人・・・夫々が背負った重い人間関係の絆によって発言のスタンスが変る。

    生証人の証言だからといって、それだけで軽々に歴史を語っては歴史の真実を見誤ることにもなる。

    参考: 届け、証言の重み 「集団自決」体験吉川さん、思い切々 カメラ  (9/29 11:22)

     
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    国辱!欧州の慰安婦決議に抗議せよ!20世紀最大の人身売買

    2007-12-15 08:22:05 | 従軍慰安婦
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    欧州議会が慰安婦非難決議 「20世紀最大の人身売買」

    2007年12月14日19時34分

     旧日本軍による従軍慰安婦問題について、欧州連合(EU)の欧州議会は13日の本会議で、日本政府に公式の謝罪などを求める決議案を賛成多数で可決した。議会の定数は785だが、決議案への投票数は57で、賛成54、棄権3だった。決議に拘束力はない。

     1930年代から第2次大戦にかけて、日本政府が公式に慰安婦獲得を命じたとし、20世紀最大の人身売買だと認定。そのうえで歴史的、法的責任を認め、被害者に賠償金の支払いを求めた。

     決議案は最大会派の欧州人民民主党や第2会派の欧州社会党など5会派の議員が提案。米国やオランダ、カナダの下院も同じような決議を採択しており、それに追随した形だ。

                        ◇

    言うに事欠いて

    「20世紀最大の人身売買」

    とは驚いた!

    つまり日本人は「20世紀最大の人身売買」の下手人だから謝って賠償せよって事でしょう?

     

    軍隊の後を追いかける「戦地売春婦」が、ついには

    「20世紀最大の人身売買」に言いかえられ挙句の果ては日本に対して謝罪要求ときた。

    欧州議会が慰安婦決議 日本政府に公式謝罪要求 

    その間、日本政府は「慰安婦」が「従軍慰安婦」、「強制連行された慰安婦」に言い換えられるのを、毅然とした態度で否定するどころか「河野談話」でこれを認めてしまった。

    そして米国下院が「性奴隷」と更に言い換えて「対日謝罪決議」の採択を阻止することが出来なかった。

    そのときの保守派の弁解が「拘束力のない下院決議なんて無視すればよい」といった類の無責任な論だった。

    だが、これを放置したツケがカナダ、オランダと「謝罪決議」が飛び火し今回は欧州議会と飛び火が拡大してきた。

    米下院の時と同じように元売春婦のばあさん達が恥じも無く、議会で証言して日本を貶めているようだ。【動画】↓

    日本政府も警戒しているようだが「悪事千里を走る」の例えの通り、米下院で議決された議決を阻止できなかった日本に他の国での議決を止める根拠は弱い。

    欧州の「慰安婦」謝罪決議、政府は警戒強める

     政府は、いわゆる従軍慰安婦問題をめぐり、各国議会で日本に対する謝罪要求決議が相次いでいることに警戒を強めている。

     欧州議会でも同様の決議採択の動きがあることから、外務省は欧州連合(EU)日本政府代表部や欧州議会がある仏ストラスブールの日本総領事館などを通じ、議員らに慰安婦問題に関する正しい理解を訴え、決議阻止に全力をあげる考えだ。

     謝罪要求決議は、今年7月30日に米下院で採択されて以来、オランダ下院(11月8日)、カナダ下院(11月28日)と続いた。

     欧州議会も11月、韓国の市民団体やアムネスティ・インターナショナルなどの働きかけで、元慰安婦の証言を聞く公聴会を開催。これを受け、決議案を採択する動きが活発化している。

     各国議会などの決議は法的な拘束力を持たないが、外務省によると慰安婦問題への認識不足や、事実誤認が見られるという。

    (2007年12月8日11時55分  読売新聞)

    >外務省によると慰安婦問題への認識不足や、事実誤認が見られるという。

    事実誤認で世界中から非難されていいものか。

    決議阻止に全力をあげる考えだ。

    全力を上げるつもりなら、先ず言われ無き非難に対して怒りを表明すべきではないのか。

    本気でこれに対処するには手段はただ一つ、臭いものは元から絶叩きゃダメだ。

    怒りを持って抗議すると同時に、

    「河野談話」の撤回以外にこれを止める方法は無い。

    「河野談話」を撤廃すれば、これを唯一の根拠に議決採択した「米下院議決」も根拠を失い、議決撤回も可能である。

    この手の問題は当事者の日本がもっと怒りを持って声を上げなければ問題の解決の道は遠い。

    怒るためには問題を知らねばならない。

    で、今回の欧州議会の慰安婦決議の内容とは?

    慰安婦決議の要旨  
     
     【ブリュッセル13日共同】欧州連合(EU)欧州議会が採択した従軍慰安婦決議の要旨は次の通り。

     ▽事実認定など

     一、第2次大戦終戦まで日本政府は軍に対する性的労働のため、慰安婦徴用に関与。

     一、20世紀最大の人身売買の1つ。

     一、数十件の訴訟が日本の法廷で棄却。

     一、1993年の河野洋平官房長官、94年の村山富市首相の談話を歓迎。

     一、日本の一部政治家が談話を希薄化、無効化する意見を表明。

     一、日本の一部学校教科書が慰安婦問題を矮小(わいしょう)化。

     ▽対日要求

     一、公式な被害認定、謝罪を行い、明確な形で歴史的、法的な責任を負うことを日本政府に要求。すべての元慰安婦、遺族らへの賠償を要求。

     一、慰安婦問題が存在しないとする主張に対する公式な否定を要求。

     一、日本の国会に賠償請求の障害を除去する立法措置を要求。

     一、日本国民と政府に、自国の歴史を十分に認識することを奨励し、将来にわたる教育を要求。(初版:12月14日1時40分)

     

    うーん、これを国辱といわずに何と言おう。

    このいわれ無き「対日要求」を拱手傍観するほど日本はお人良しでよいのか。

    事実無根の謝罪決議でニコニコしていては馬鹿にされるだけだ。

    話は飛ぶが、たった1,2頭のジュゴンの命を大事にして国防をおろそかにする国だからオーストラリアにも馬鹿にされ調査捕鯨船にも軍艦を出すなんて脅かされるのだ。

    日本の捕鯨海域に軍艦派遣も 「写真撮影で証拠集め」(産経イザ/共同配信記事)

     オーストラリアのラッド首相は13日、日本の調査捕鯨に関し将来国際裁判所に提訴する可能性に言及、証拠集めのため南極海にオーストラリア軍の船を派遣し、日本の捕鯨船団を追跡、写真撮影などを行うことも辞さないと語った。同首相が党首を務める労働党は先月の総選挙で政権を奪還する以前から、日本の調査捕鯨監視のため軍偵察機を派遣する方針などを示していたが、ラッド氏が首相就任後、この問題に言及したのは初めて。

     日本は戦後GHQの催眠術にかかってしまい、日本さえ他国を侵略しなければ平和は訪れると信じて国の防衛をアメリカに丸投げしてしまった。

    そして世界中は良い国の集まりであるかのよう日本自身もお人好しの行動をしてきた。 

    その結果はどうだ。

    北朝鮮には自国民を拉致され何も出来ないし、韓国には竹島を乗っ取られ状態。

    中国には尖閣ガス田界隈を侵犯され、外交文書は勝手に削除される有様。

     日中経済対話:中国が「内容を勝手に削除」を否定(毎日新聞/共同配信記事)

    終戦のどさくさに火事場泥棒のようにホップ領土を奪ったロシアには今でも何かというと拿捕で返答されている。

    ロシアが日本漁船4隻拿捕=国後島周辺海域
    時事通信 - <NOBR>2007年12月12日</NOBR>
    外務省によると、北方領土の国後島北方水域で13日午前4時ごろ、日本漁船4隻がロシア警備当局に拿捕(だほ)された。乗組員の安否や船体番号などは不明。 ...
     
    話を慰安婦謝罪決議に戻そう。
     
    日本が繰り返し批判される論拠は、前述した通り1993年の「河野談話」に尽きる。
     
    その談話には、日本の官憲が組織的、強制的に女性を慰安婦にしたかのような記述があった。

    ところがそうした事実を裏づける資料はなく、「河野談話」の実体は「強制連行」を認めるよう迫る韓国側の圧力をかわすための「政治的妥協」だったことを、石原信雄元官房副長官らが証言している。

    臭いものの根源、すなわち国際社会の誤解の根元である「河野談話」を撤廃することが不可欠だ。。

    国際社会では「善意で応対すれば善意で答えてくれる」なんて日本的対応では善意どころ馬鹿にされるのがオチだ。
     

    慰安婦謝罪決議オランダ・カナダ大使館抗議動画
    ドガログ版(21分)
    http://dogalog.excite.co.jp/viewvideo.jspx?Movie=48051149/48051149peevee106977.flv

    youtube版1
    http://jp.youtube.com/watch?v=_okWIAs3QbE

    youtube版2
    http://jp.youtube.com/watch?v=K9v9f667oZ4
     
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    コメント (3)

    公明党と教科書問題

    2007-12-14 15:18:45 | 教科書

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    12月も半ばになって教科書問題も愈々大詰めを迎えた。

    教科書執筆者の「記述訂正申請」を受けて、文科省の「指針」があるとか無いとか騒いだようだが、

    後は文科省の決断(20日前後?)を待つだけとなった。

    新聞報道もよっぽどネタに困ったのか、

    「沖縄平和ネットワーク」http://okinawaheiwa.net/という左翼団体が文科省の「指針」に抗議の文書を「郵送した」というだけでも記事になるようだ。(琉球新報 14日夕刊)

    9月29日の「11万人」集会以来民主、社民、共産各党が沖縄の左翼勢力を支持して国会に働きかけてきたが、

    自民党と連立の公明党の動きはどうだったか。

    「宮崎正弘の国際ニュース・早読み」(2007年12月14日金曜日)で佐賀のTKさんが公明党に関して怒りのコメントを書いておられるので引用させていただきました。

    以下引用

    (前略)

      ※「『沖縄の痛みを受止め真実を子どもたちに伝えよう』・沖縄戦の教科書検定問題」 
     
     高校日本史の教科書検定で「沖縄戦のときに旧日本軍が住民に集団自決を強制した」という部分が削除された問題で、公明党の北側幹事長は2007年10月5日午前、那覇市内の沖縄県庁で仲井真弘多知事と会談しました。
    席上、北側幹事長は、「沖縄戦の史実、事実関係について、冷静かつ客観的に検証し、きちんと残していく作業をしていかなければならない」と述べました。
     これに先立つ2日昼、公明党の太田昭宏代表は、政府・与党連絡会議で、「旧日本軍の関与は否定できるものではない事実だ」との認識を示した上で、「後世に(沖縄戦の)歴史を残す意味からいっても、冷静かつ客観的な調査・研究が必要ではないか」と述べ、新たな研究機関の設置などの検討を提案しました。
    さらに、太田代表は「沖縄の皆様の痛み、心に重きを置いて、善処してもらいたい」と要請しました。
     教科書検定問題については、他党にさきがけて党沖縄県本部(糸洲朝則代表=県議)が同4月10日、記述に削除は極めて残念なことだとして伊吹文明文科相(当時)あてに申し入れを実施。その際、白保氏は「住民が日本軍の配った手榴弾で命を絶ったという多くの事実がある」と、軍主導の集団自決はまぎれもない事実であると指摘。教科書検定委員と沖縄県民による沖縄戦の共同機関の設置や、教科書検定委員が沖縄戦の犠牲者の証言を直接聞く機会を設けることを求めています。
     
     ※ 『生命の尊厳を叫びぬくことが私たちの責務。』

     日本軍の関与なくして「集団自決」がありえなかった事は、覆い隠す事のできない真実です。この沖縄戦の実相に目を閉ざすことなく、生命の尊厳を叫び抜くことが私たちの責務です。教科書の改ざん問題を受け、公明党は他党に先駆けて、文部科学省に対し記述の回復と県民参加の沖縄戦研究機関の創設を訴えました。
    教科書問題は政治的イデオロギ-を超えた問題であり、その背景には、沖縄と本土との歴史認識の落差があるのです。(公明党沖縄県本部代表 糸洲朝則。)


     いや、実に驚きました。
    この政党、日本国を崩壊させ、会長様を中華属国の「国王」に据えるのが終極の目的であるため、党員の破壊工作策動は絶対な使命、として理解できますが、何故にこの様な「壊国党」組織と、「国体護持」の自民党が手を組むのか、と憤っています。
     自民党の地方議員が陳情演説をしながら公明党を盛上げていた様には、自民党の終焉か、とさえ感じました。
     「中国訪問団の段取りをつけたのは公明党なのに、TVに映っているのは福田総理だけで、側にいた党幹部の者は誰も映っていない、マスコミは怪しからん」等と、それとなく自慢していました。
      
     「こんな売国奴的政党は何とかならんものか」と歯ぎしりをするものの、保守政党の責務は国家・国民を守り富ませる事にある筈なのに、政権政党の自民党が国民感情から離反した政治を行っているようでは、宗教政党を頼るのも致し方のない事かもしれませんですね。トンネルの先にある悪魔の本性を知らない者達にとっては。
     「選挙区は自民党へ、比例区は公明党へ投票して下さい」と保守としての節操を欠いた小泉政権下での街頭演説を聞いて、戒めの離反をした者達が多かったと云うのに、今尚「困った時の神頼み」ならぬ「困った時の仏頼み」で「壊国者」を内包温存していては益々自民党離れが多くなるのではないかと危惧しています。

     それにしても保守の目覚めは何時来るのでしょうか。
    昭和天皇は、「戦後復興には300年掛かる」とその深慮を吐露されたそうですが、だとすると「日本国」の質はまだまだ下降線を辿るということでしょうか。
     「美しい国『日本』」が腐敗し乱れ行く現状を見れば、陛下が御案じになられた世情に成って来ている事に驚かされます。
     何としても歯止めを掛けなくては、と“ごまめ”もそれなりに頑張っています。
        (TK生、佐賀)

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    おばーが造ったチャンプルー英語

    2007-12-14 09:23:43 | 未分類

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    ■ネコはコーラより安い■

    「コーラは25セントだね」

    「ネコは5セント?」」

    「ライムは10セントだよね」

    沖縄が米軍占領下だった頃の、オバー達の会話である。

    当時はアメリカドルが通貨だったので単位がセントなのは理解できる。

    だが当時にしてもコーラが25セントと言うのは高すぎるし、ネコの五倍もするのもおかしい。

    「ライムが10セント」にいたっては意味不明だろう。


    初めて英語に接する時、平均的日本人は学校の教科書で目を通して学ぶ。

    だが米軍占領下の沖縄のオバー達は初めての英語を目でなく、耳を通して学んだ。

    そして米人達は25セントのことを「コーラ」と呼ぶことも耳で学んだ。

    目で英語に接した人は【quarter 】のことを「クウォーター」と発音するだろうがこれでは米人達には通じない。

    目で覚えた悲しさだ。  やはり耳で覚えた「コーラ」が正しい。

    それで「ネコ」は?

    そう、これも目で覚えた人には理解不能だろう。

    沖縄のオバーは米人達が5セントのことを「ネコ」と呼ぶことも耳学問で知った。

    【nickel】はどうしても「ニッケル」になってしまうが、やはり「ネコ」と発音しなけりゃ通用しない。

    「ニコ」と言わずに「ネコ」と言うところがいかにもそれらしい。

    「ライム」は?  沖縄の年よりはダ行とラ行の発音をよく取り違える。

    少なくとも「テン・セント」よりこの方がカッコいい。

    沖縄語の構造・文法は日本語で古語が残っていると前にも書いたが、その言葉の幹に
    中国風の単語が加わり更に米語の発音が加わる。

    「コーラ」や「ネコ」とは、チャンプルー文化の面目躍如と言ったとこ。

     

    ■蛸飯は沖縄名物■

    突然話題が変わるが、イカの胴に炊き込みご飯を詰めた「イカ飯」がデパートの物産展等によく出る。 函館の名物だと言う。

    ところで「蛸飯」が沖縄の名物と言ったら首を傾げる人がいるだろう。

    「イカ飯」は食べたことがあっても沖縄で「蛸飯」なんて食べたことない。

    その秘密はアメリカ、メキシコを結ぶ沖縄のチャンプルー文化にある。

    自国の料理に自信のないアメリカ人はメキシコ料理を好んで食べる。

    その影響で沖縄でもメキシコ料理が普及した。

    中でもタコスが好まれた。  

    そのタコスの、皮の代わりにご飯にしたのが、沖縄名物の蛸飯、・・・じゃなく、タコライス。 

    沖縄のレストランはもちろんレトルトパック入りの沖縄土産にもなっている。

    ■チンコンカンという料理■

    他にも奇妙な名前の異文化の食べ物がある。

    今ではあまり見られなくなったが、米人の出入りするレストランで「チリコンカン」とカタカナで書かれたメニューをよく見た。

    アメリカ人も、沖縄人にもそのままの発音で通じていた。

    おばー達はチンコンカンと発音した。

    アメリカ人が好むメキシコ風の料理で、豆と牛肉を独特の風味で煮込んだものをチリコンカンと言うらしかった。

    この奇妙にして発音しやすい言葉は何語かと調べて見たがよく分からない。

    何しろこれを販売している店のおばーもそのいわれは知らないし、それを注文して食べている米人も良く意味を知らないという。

    当時琉球大学でスペイン語の教授に聞いてもそんなスペイン語は聞いたことがないという。

    だが、ある店で見たメニューですべての謎が一瞬にして氷解した。

    そのメニューにはカタカナのチリコンカンの他に【chile con carne】と併記されていた。

    チリはchile sauceのチリで、

    コンは英語のwithをスペイン語でconと言うからチリコンまではわかる。

    だが、カンは?  

    そう、carne(牛肉)はスペイン語でカルネと発音するが、英語式ではカーンと発音する。

    これを、聞いた沖縄のオバーは 「チリコンカン」と理解した。

    珍にして妙なるネーミングだ。

    ちなみに今では普通名詞化した「タバスコ」という辛子ソースも米軍占領時の沖縄おばーは「ハッソース」(hot sauce)と発音していた。

    タコライスはチャンプルー文化の産物である。

     


    【蛇足】
    chili
      【植】チリトウガラシの一種; チリのさや(の粉末)香辛料

    chili sauce
      チリソースチリ, 酢, 砂糖, タマネギをトマトソースで煮つめたもの.

    chili con carne
    《メキシコ料理》チリコンカルネ
     牛ひき肉, 豆をチリで味つけしたメキシコ風シチューの一種.
     スペイン語でチリコンカルネと発音する。

    taco
      タコス:メキシコ料理でトウモロコシ粉のパンケーキに肉・野菜をはさんだもの.
      複数形でタコス

    Taco-Rice→タコライス
     タコスの具である挽肉・チーズ・レタス・トマトを米飯の上に載せた料理。
     辛みをつけたタコスソースを乗せて食べる。
     米軍占領下の沖縄チャンプルー文化の産物。沖縄では学校給食に採用され、今では沖縄名物料理とさえ言われている。

    quarter
    25セント硬貨。

    dime
    10セント硬貨。

    nickel
    5セント硬貨。

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    石原都知事「教科書訂正申請で苦言」

    2007-12-13 08:12:00 | 教科書

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    教科書検定、訂正申請後に書き直しhttp://news.tbs.co.jp/part_news/part_news3730941.html

     沖縄戦の集団自決に関する歴史教科書の検定問題で一部の教科書会社が「訂正申請」して文部省に提出した教科書について、異例の書き直しをしていたことがわかりました。
     沖縄戦での集団自決に日本軍の強制があったとする教科書の記述を巡っては、ことし春には教科書検定で削除され、沖縄などからの反発を背景に訂正申請では復活し、しかし文部科学省の審議会が教科書会社に、「根拠となる資料もなく断定的には書かないよう」求める意見を伝えていたことが先週明らかになっています。

     これについて教科書の執筆者の1人が、会見で「強制した、という骨格は変えないものの、より多様な背景が分かるよう内容を増やした」として、訂正申請した後に再び書き直した事を明らかにしました。

     訂正申請後に審議会の意見で教科書の内容を書き換えるのは異例の事です。最終的にどの教科書が認められるのかは今月中にも決定する事になります。(TBS NEWS EYE    12日19:26)

                                                  ◇

    最近博士資格を持った人でも大学教員の就職は厳しいと聞く。

    修士資格しか持たない無能教授が大学教師の座に居座って、風通しを悪くしているのが原因だという。

    その割には沖縄の大学は安易に?怪しげな反日左翼教授が全国から集まってきているように思われる。

    教科書問題で左翼のリーダーとなっている高嶋伸欣琉球大学教授も元高校教師だが教科書執筆者を足がかりに「教科書裁判」でその名を知られるようになり、気がつけば国立大学教授となり、今では左翼運動のリーダーとして八面六臂の大活躍なのは周知の通りである。

    今や大学教師のポストは真面目な学問研究ではなく、派手なパーフォーマンスでマスコミに露出する方が近道だという声さえあるくらいだ。

    してみると、最近教科書執筆者の高校教師がやたらと記者会見をしたりマスコミに好んで登場するのも理解できる。

                         *

    >沖縄などからの反発を背景に訂正申請では復活し、しかし文部科学省の審議会が教科書会社に、「根拠となる資料もなく断定的には書かないよう」求める意見を伝えていたことが先週明らかになっています。

    そもそも数を頼んだ「圧力集会」があれば、教科書記述が変えられるという考えがおかしいのだが、

    「根拠となる資料もなく断定的には書かないよう」

    という「指針」はごく当たり前のことであり、これに異議を唱えている勢力は「根拠となる資料もなく断定的に『軍の強制である』」と記述したから問題になったのだ。

    >教科書の執筆者の1人が、会見で「強制した、という骨格は変えないものの、より多様な背景が分かるよう内容を増やした」として、訂正申請した後に再び書き直した事を明らかにしました。

    書き直しの「指針」が、

    <・・・、日本軍だけが住民に「集団自決」を強制したと読み取れる表現を事実上、禁じている。>(沖縄タイムス「軍だけが強制」禁止/文科省指針 全容判明

    と「軍の強制」を記述することを禁じている以上、この執筆者の当初の申請は却下されるのを前提のパーフォーマンスだったと思われるが、「より多様な背景が分かるよう内容」を加筆することによって、あわよくば合格したいと思うようになったのだろう。

    だが、「軍が強制したという骨格は変えない」以上、合格させてはならないのは当然である。

    ■石原都知事が教科書訂正申請で苦言■

    石原都知事もこの執筆者の記者会見を受けて正論でこのパーフォーマンス執筆者の発言を批判している。

    「軍命令を断定的に記述する状況にはない」

    「教科書は事実の堆積(たいせき)としての歴史を伝えることが必要。政治的な思惑で歴史事実を書き換えることは許されない」

    東京都の知事は沖縄の「集団自決」には直接関係ないようにも思えるが、教科書の記述ということは日本の歴史、日本の誇りに関わることだ。

    同じ発言でも石原都知事が発言すればメディアは必ずこれを報じる。

    遠慮なく今後も正論を吐いて欲しい。

    教科書訂正申請で苦言 2007.12.13 01:23
      沖縄戦集団自決をめぐる高校教科書検定問題で、東京都の石原慎太郎知事は12日、教科書会社が文部科学省に訂正申請したことに触れ、「軍命令を断定的に記述する状況にはない」と苦言を呈した。都議会一般質問で古賀俊昭氏(自民)の質問に答えた。

     軍命令がなかったという証言があることを指摘したうえで、「教科書は事実の堆積(たいせき)としての歴史を伝えることが必要。政治的な思惑で歴史事実を書き換えることは許されない」とした。

     一方、教科書執筆者の1人が12日、集団自決の多様な背景を記した上で軍の強制を残して、記述訂正を再申請する考えを明らかにした。この執筆者によると、複数の教科書会社が同様の内容で再申請する見込みだという。

     文部科学省は今月上旬、「集団自決で直接的な軍命令は確認できていない」などとして、軍強制を強調した教科書会社の訂正申請に書き直すよう示唆した。

                          ◇

    「軍だけが強制」禁止/文科省指針 全容判明 (沖縄タイムス)

    「軍責任のごまかし」/体験者・識者ら懸念

    <「教科書検定意見の撤回を求める県民大会」の玉寄哲永副委員長は、開口一番に「審議委員や教科書調査官は沖縄戦をまったく分かっていない」と非難した。

     指針が「沖縄では軍・官・民一体となった戦時体制の中」としている点を、「県民が沖縄を地上戦の舞台にすることや、軍への協力を自発的に望んだわけではない」と批判。「異常な戦時体制をつくり、教育訓練を施したのは軍だ。沖縄戦全体が軍命によるもので、それを否定すれば、かえって『集団自決』の本質が分からなくなる」と述べた。>

    < 琉球大の高嶋伸欣教授は、「『過度に単純化した表現』は駄目だというのが一番の本音。『軍による強制』は書かせたくないということを示したものだ」と指摘する。

     一方で「背景・要因を書き加えれば考慮する姿勢も見せており、厳しい世論を考慮せざるを得ないという審議会の立場の表れとも読み取れる」とも説明。その上で「こういうもの(指針に隠されている文科省の意図)に対してきちんと原則を守るよう声を上げることが必要だ」と強調した。>

     <文科省からの要請を受け、「集団自決」教科書検定問題についての意見書を提出した林博史・関東学院大教授は「沖縄戦で起きた『集団自決』の一番の要因である『日本軍の強制』の記述を認めるかどうかが最大のポイントだ」と説明する。

     「『直接的な軍命』を『確認できていない』としているが、検定では、これを理由に軍の強制を削除させた。同じことが繰り返されないか」と懸念する。「前提に日本軍の強制を挙げ、背景としてさまざまな要因を書かせるならいいが、背景だけを書かせて強制を書かせない意図であれば、ごまかしにすぎない」と指摘した。>(沖縄タイムス 2007年12月9日 )

                         ◇   


     沖縄タイムスにはお馴染みの顔ぶれが判で押したような意見を述べるのが定例化しているが、

    高嶋、林両教授に負けずマスコミ露出度の高い、「教科書検定意見の撤回を求める県民大会玉寄哲永副委員長、

    このお方は本来は「県子ども会育成連絡協議会」の会長のはずだ。

    沖縄の子どもたちが全国で学力最低と分かって、

    田貝公昭・目白大学教授は「沖縄の夜型社会が問題。学力テストの結果から見ても、生活習慣を見直さないと学力も上がらない」と家庭教育の重要性を指摘されている。

    政治運動より「子ども達の学力向上」、いやその前に「子どもの生活習慣の見直し」の方が緊急の問題だと思うのだが・・・。


     児童の自立度低下/夜型社会の影響指摘 (2007年12月8日)

     目白大学(東京都)の教授らが県内の小学生を対象に行った食事や睡眠などの生活習慣調査で、「自分で着脱する」「朝、一人で起きる」など四十八項目中、十七年前は四十項目を達成していたが、二〇〇六年は十四項目に止まったことが分かった。生活習慣の乱れが浮き彫りになり、同大の谷田貝公昭教授は「沖縄の夜型社会が問題。学力テストの結果から見ても、生活習慣を見直さないと学力も上がらない」と家庭教育の重要性を語った。
     同調査は、〇六年に県内の子ども会に所属する小学生九百五十三人の親が回答。質問項目ごとに七割を超えた学年が一つでもあった場合を「自立」と判定した。十七年前に比べ、自立が早まった項目はなく、以前は四十項目のほとんどを一年生で達成していたが、〇六年は十四項目中、一年生で達成できたのは六項目だった。「就寝前に歯磨きをする」「宿題を自分からやる」など残りの項目は、全学年すべて七割以下だった。

     同調査は埼玉県や中国、台湾、韓国などでも実施。日本が最も「自立」が低かった。谷田貝教授は「子どもたちの健全育成を考える上で真剣に検討する必要がある」と警鐘を鳴らす。

     「毎朝、朝食を食べる」の項目で、一、二年では七割を超えるが、学年が上がるにつれて減少し、六年では約五割。一年で「テレビを見る時間が決まっている」のが約11%、「寝る時間が決まっている」も約30%にとどまった。同大の高橋弥生准教授は今回の結果から「部屋も散らかしっぱなしで、掃除も自分でできず、学校や交通の規則、時間を守らない傾向にルーズな印象を受けた」と語った。

     県子ども会育成連絡協議会の玉寄哲永会長「親子の接する時間が少ない。PTAとも話し合いの場を持ち、県や教育庁に報告し、改善につなげたい」と語った。

     

    石原都知事はGJ!、

    「子ども会」会長は政治運動より、子どもの学力向上に専念せよ!

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    テポドンが教える「反日新聞」

    2007-12-12 09:50:32 | 未分類

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    最近の一連の「集団自決」に関する「教科書問題」で、沖縄の地元2紙、沖縄タイムスと琉球新報が極端に偏向していることが全国的にその名を知られるようになった。

    最近刊行された『反日マスコミの真実2 』(西村幸祐 著) でも沖縄タイムス、は北海道新聞、中国新聞と並んで代表的「反日地方紙」として紹介されている。

    新聞の偏向振りをテストするのにリトマス試験紙の役割を果たしたのが去年の6月に乱射された北のテポドン乱射であった。

    教科書問題が勃発する1年程前の事件だったが、沖縄タイムス、琉球新報は偏向地方紙の特徴を臆面も無く丸出しにした社説を書いていた。

    そのときのエントリを抜粋して以下に再掲し改めて地元両紙の変らぬ偏向ぶりを回想してみたい。

    でも「ミサイル乱射でも目覚めぬ人々」もいたようだ。http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/85c544dcc
    745bc9d9e5aee31a1e35885

                           ◆

     

    嵐が吹けば雨戸を閉め、

    雨が降れば傘をさす。 

    これはごく自然な人間の防御行動。

    ところが、

    「雨戸を閉めるから、嵐が吹くのだ」、

    「傘をさすから雨が降るのだ」

    と本末転倒の理屈を述べる人々がいる。

    嵐や雨は自然の力だから人間はひたすら防御を考えるが、悪意ある人間が故意に嵐を引き起こし迷惑を撒き散らすとしたら先ず雨戸を閉めて、その迷惑な人に「止めなさい」と言うのが正常な判断だろう。

    今回のテポドン騒動については日本のメディアもほぼ正常に判断して「やめなさい」と意見を述べた。

    沖縄の地元ニ紙を除いて。

    沖縄では「閉された言論空間」が今でも生きている。(「閉された言語空間ー占領軍と戦後日本」江藤淳著 文芸春秋社http://www.amazon.co.jp/gp/product/4167366088/249-9080934-4878720?v=glance&n=465392

     

    ◆「テポドン騒動」は一方的に北朝鮮が仕掛けて来たものであり、北朝鮮のどんな言い訳も通用しない。

    これだけ世界の世論が非難する中、仮にテポドン発射を強硬すればどのような対抗手段をとられても文句は無いはずだ。

    日本のメディアが「北朝鮮はテポドン発射をやめよ(日経社説 6/19)」、とか「テポドン2号 挑発行為をただちにやめよ(毎日社説 6/20)」と北朝鮮に厳しいのも当然だ。

    非は一方的に北朝鮮にあるのだ

    北の無謀な行為を止めるように言うのが当然であろう。

    が、沖縄のメディアに関してはこの常識が通用しない。

    辛うじて琉球新報が6月23日の社説で「テポドン発射準備・力任せで関係改善はない」と初めてこの問題に触れた。

    社説の前段から中段にかけては流石に北朝鮮の方を持つわけにはいかず極めて常識的な意見を述べているが、文末の結論になってくるとどうしても「地」がでてしまう。

    ≪しかし、六カ国協議が機能不全に陥っている中で、これを真に受けると北朝鮮は考えているのだろうか。打ち上げに使われるミサイル自体を、日米は脅威としてとらえているのだ。イランの核問題と同様、やはり説得力を欠いていると言わざるを得ない。≫

    ここまでは未だまともだが、最後がいけない。

     ≪米政権は、制裁措置を駆使しながら金正日体制を封じ込める強硬路線を敷くとみられる。だが、対話の道筋を放棄するのが賢明な策とは思えない。六カ国協議の枠組みが完全に空中分解する事態だけは避けねばなるまい。
     国際関係の打開を力だけに頼ることの無意味さは、イラク情勢を見れば明らかだ。日米韓に中国などを加えた関係国は、冷静な対応を求められていることを再確認してほしい。≫

    最後は、一方的に愚かな行為を行おうとする北朝鮮を批判せず、「愚挙は止めろ」と説得する日米韓に「力に頼るのは無意味。冷静な対応を求める」と本末転倒なご意見を披露している。

    力に頼るのは無意味。冷静な対応を求める」と声高に叫ぶ相手が違うのではないか。

    それでも琉球新報は未だいいほうだ。

    沖縄タイムスとなると、この新聞は既に北の工作員に乗っ取られているのでは無いかという疑念さえ持ってしまう。

    沖縄タイムスは「テポドン騒動」には全く無視を決め込んでいたが、テポドンに対する迎撃ミサイル「パトリオリット」の沖縄配備のニュースが入ると同時に反対の論陣を張った。(6月23日社説)

    北朝鮮と日米同盟は現在話し合いが途絶えている。

    この事実上の戦争状態にある現実には故意に目を瞑り、北朝鮮の立場で日米両国を批判する。

    話し合いの席に出てこないの北朝鮮の方だ。

    ≪日米が検討しているミサイル防衛システム(MD)はまず、敵国から発射されたミサイルをイージス艦に搭載されたスタンダード・ミサイルで大気圏外で打ち落とす仕組みだ。それに失敗した場合にPAC3を発射して大気圏内で迎撃することになる。≫

    忠告を無視してミサイルを撃ってくるおそれのある相手は北朝鮮だろう。

    だとすればこれを防御する手段を考えるのは国の責任だろう。

    が、沖縄タイムスの求める平和は所謂「奴隷の平和」(田英夫の非武装防衛論)、のようだ。
    (「テポドンで日本の安全保障を考える」http://blog.goo.ne.jp/taezaki160925/e/306bf574ff56a765d56e
    7b49ab3426f8
    )

    後段は沖縄タイムスの「非武装平和論」が炸裂する。

     ≪嘉手納基地への配備は、北朝鮮が発射準備している長距離弾道ミサイル「テポドン2号」や中国の弾道ミサイルの脅威への抑止が目的というが、要は同基地が標的になる恐れがあるからだろう。そうでなければ沖縄に配備する必然性はないはずだ。

     政府は「なぜ嘉手納にか」という県民の疑問にきちんと答えてもらいたい。

     沖縄市、北谷、嘉手納両町の三首長は「米軍再編に名を借りた基地強化だ」と怒りを表明している。≫

    沖縄タイムスも抗議する相手を間違えているのか、それとも既に北の将軍様にタマを握られてしまって北に向かっては何も言えなくなってしまっているのか。

    北朝鮮は「平和目的の人工衛星を打ち上げて何が悪い」と開き直るかもしれない。

    だが、事前通告をせずミサイルの推進装置で打ち上げれば国際社会はミサイル発射とみる。

    制止を無視すれば、北東アジアの平和と安定を大きく揺るがすのは確実だ。

    それによってもたらされる事態の責任のすべてが北朝鮮にあることは言うまでもない。

    挑発の最大の狙いは米国を揺さぶることにあるといわれている。

    ブッシュは北朝鮮への金融制裁として、米国の銀行に北朝鮮が口座を持つマカオの銀行「バンコ・デルタ・アジア(BDA)」との取引を禁じた。

    これに北朝鮮が反発し、核開発をめぐる6カ国協議への出席を拒否している。

    金融制裁によって北朝鮮通貨の対ドル交換レートの下落が加速するなど打撃を受けている。

    制裁見直しを求めテポドンで揺さぶりをかけているというのがアメリカの見方だ。

    だが、そもそも米国が金融制裁に踏み切ったのは、北朝鮮が偽ドル製造に絡むマネーロンダリング(資金洗浄)をBDAで行っていたとの疑惑があったからだ。

    国際常識に反する行為は偽ドル製造だけでない。

    覚せい剤の製造、密輸では日本が闇取引の舞台とされている。

    北朝鮮の主要産業は偽ドル製造、密輸、麻薬それに人攫(さら)い。

    まだある、テポドンによる恐喝、ゆすりたかりだ。

    まず、態度を改めるべきは北朝鮮の方だと言うことは明々白々だ。

    北に向かって何もいえない沖縄のメディアは北朝鮮と同じ孤立化への道を辿るだろう。

    仮に、ミサイル発射に踏み切れば、日朝平壌宣言や米朝合意、さらには6カ国協議の共同声明の精神に背を向けることになる。

    北朝鮮が国際社会の中で一層孤立するのは確実だ。

    麻生太郎外相とシーファー駐日米大使の会談では、発射すれば「断固たる措置」をとることで一致した。

    具体的には北朝鮮制裁のための国連安全保障理事会の開催を求めることになるはずだ。

    日本は外国為替・外国貿易法に基づく送金、貿易の停止や特定船舶入港禁止法で「万景峰号」の入港拒否を検討することになる。

    北朝鮮に融和政策をとる韓国の盧武鉉(ノムヒョン)政権は困惑しているに違いない。

    盧大統領には独自のパイプで自制を強く働きかけてもらいたい。

    中国も発射を封じる影響力を発揮してほしい。

    日本海に海上自衛隊のイージス艦が出動した。

    在日米軍の電子偵察機も朝鮮半島周辺であわただしく偵察飛行を繰り返している。

    狂気の行動に走ろうとする隣国の暴挙に備えるのは国の義務だ。

    沖縄タイムスも日本の新聞であるならテポドン騒動を契機に、国の安全保障ををじっくり考えて見たらどうだろう。


                       ◇

    ◆沖縄タイムス 社説(2006年6月22日朝刊)

    [PAC3配備]

    負担軽減は掛け声だけか

     地元がどう反対しようが、「負担軽減の原則に反する」と怒りを示そうが意に介さないということか。
     在日米軍再編に伴う日米の政府間協議で、米側が年内にも最新鋭の地対空誘導弾パトリオット(PAC3)の嘉手納基地配備を伝えたという。

     嘉手納基地では自衛隊との共同訓練も最終報告で合意されている。加えてPAC3が配備されれば、周辺住民に新たな負担を強いるのは必至だ。

     しかも常駐している電子偵察機RC135による情報収集機能と連動させる狙いがあるという。これでは政府が言う負担軽減に逆行し、基地機能を強化する動きにしか受け取れない。

     嘉手納基地では夜間、早朝に戦闘機の離着陸音やエンジン調整で一〇〇デシベル以上(電車通過時の線路脇の騒音相当)の騒音が続くことが多い。

     午後十時から翌朝六時までの騒音防止協定さえ守られず、周辺住民の平穏な暮らしは脅かされたままだ。

     「現在ですら基地周辺住民は米軍の訓練に恐怖を抱いている。これ以上戦争に結び付く、住民の不安を増幅する兵器の配備は許されない」(田仲康榮嘉手納町議会議員)という切実な声を政府はどう考えているのか。

     地域にとって我慢の限界は既に超えている。静かな暮らしを求める住民にこれ以上の負担を強いてはなるまい。

     日米が検討しているミサイル防衛システム(MD)はまず、敵国から発射されたミサイルをイージス艦に搭載されたスタンダード・ミサイルで大気圏外で打ち落とす仕組みだ。それに失敗した場合にPAC3を発射して大気圏内で迎撃することになる。

     嘉手納基地への配備は、北朝鮮が発射準備している長距離弾道ミサイル「テポドン2号」や中国の弾道ミサイルの脅威への抑止が目的というが、要は同基地が標的になる恐れがあるからだろう。そうでなければ沖縄に配備する必然性はないはずだ。

     政府は「なぜ嘉手納にか」という県民の疑問にきちんと答えてもらいたい。

     沖縄市、北谷、嘉手納両町の三首長は「米軍再編に名を借りた基地強化だ」と怒りを表明している。

     府本禮司県基地防災統括監の「政府は日本の国防をどうするのかということを国民、県民にきっちりと説明した上で協議を進めるべきだ」との発言も的を射ている。

     普天間飛行場の危険性除去を先送りした上に、きちんとした議論もないまま新たな負担を強いる政府に不信感は募るばかりだ。日米両政府は、県民との負担軽減の約束を掛け声倒れにしてはならない。

     

    ◆琉球新報 社説

    テポドン発射準備・力任せで関係改善はない

     北朝鮮をめぐる情勢がにわかに緊迫の度合いを強めている。
     北朝鮮は、今年に入って人工衛星の発射に備えた動きを加速させていることが分かった。科学者を動員し、軌道の設定や計算作業に着手したと伝えられている。
     通常だと人工衛星を打ち上げるだけならば、過剰に騒ぎだてる必要はない。しかし、相手が北朝鮮で、しかも人工衛星を装った長距離弾道ミサイル「テポドン2号」発射となると、緊張をもたらさずにおかない。
     これまで北朝鮮は、日米などとの関係が行き詰まる局面では、核開発やミサイル問題を表面化させる戦略を得意としてきた。いわゆる瀬戸際外交だ。今回も局面展開を狙い、「核カード」を切ったいつもの戦術とみられている。
     韓国メディアは、打ち上げに備えた北朝鮮情勢について相次いで報じた。聯合ニュースは、18日か19日にミサイルを発射する可能性が高いとの見方で日米韓当局が一致したと伝えた。
     テポドン2号は、これまでにない新タイプの多段式ミサイルとされ、米アラスカ州の一部も射程に入るといわれるだけに、米政権が挑発的な行動の自制を強く求めたのは当然だ。打ち上げについて北朝鮮は「平和目的の人工衛星」と説明するだろうとの観測がある。
     しかし、六カ国協議が機能不全に陥っている中で、これを真に受けると北朝鮮は考えているのだろうか。打ち上げに使われるミサイル自体を、日米は脅威としてとらえているのだ。イランの核問題と同様、やはり説得力を欠いていると言わざるを得ない。
     米政権は、制裁措置を駆使しながら金正日体制を封じ込める強硬路線を敷くとみられる。だが、対話の道筋を放棄するのが賢明な策とは思えない。六カ国協議の枠組みが完全に空中分解する事態だけは避けねばなるまい。
     国際関係の打開を力だけに頼ることの無意味さは、イラク情勢を見れば明らかだ。日米韓に中国などを加えた関係国は、冷静な対応を求められていることを再確認してほしい。


    (6/18 9:57)

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    集団自決と戦陣訓の幻  「生きて虜囚・・」は建前だった

    2007-12-11 07:18:42 | ★集団自決

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    「戦陣訓」追記し再申請 検定審「指針」で1社  (12/9 9:55)

     【東京】高校歴史教科書の「集団自決」(強制集団死)検定問題で、訂正申請を出した教科書出版社6社に対し、教科用図書検定調査審議会が「集団自決」の背景にある複合的要素を詳しく記述するよう求める「指針」を示した件で、1社が軍人や住民に対し捕虜となることを禁じた「戦陣訓」を追記し、再申請する方針であることが分かった。
     
    「戦陣訓」は1941年1月に東條英機陸軍大臣が全陸軍に通達した訓諭。この中で「生きて虜囚の辱めを受けずとして、軍人が捕虜となることを禁じた。沖縄戦において「戦陣訓」は住民にも浸透していた。戦前の皇民化教育や沖縄守備軍・第32軍の「軍官民共生共死」方針とともに、「集団自決」を引き起こした要因とされている。
     教科書各社は検定審議会の「指針」を踏まえ、皇民化教育や軍から住民にもたらされた米軍に対する恐怖心などを新たに盛り込む形で訂正申請を出し直す方向で検討を進めている。
     今後、再申請された訂正内容について、教科書各社と文科省教科書調査官との細かい調整が行われるものとみられるが、文科省は直接的な「命令」「強制」に関する断定的記述には難色を示していることから「軍の強制性」が教科書記述に明示できるかは微妙だ。


    (琉球新報 12/9 9:55)

                                               ◇

    先日、テレビドラマで松本清張の「点と線」を見た。

    若い頃小説で読んだが、時代があまりにも変りすぎて、特にアリバイ崩しが売り物の小説をテレビドラマ化することの難しさを感じた。

    「点と線」というタイトルは、点と点を結ぶと線になり、線が交差すると面になるが、松本清張は点と言う事実をつなぎ合わせてそこから導き出される刑事の推理の象徴として「点と線」という当時としても秀逸なタイトルを思いついたものと推測する。

    「歴史事実」という一つの「点」を、解釈の余地を残さない一つのセグメントの事だと解釈すると、「歴史事実」を線でつなぎ合わせて、面を造り、そして「歴史認識」が生まれる。

    「歴史認識」とは「歴史事実」を積み上げた「歴史に対する解釈」あるいは「事実と事実を結びつける解釈」だと考えられる。

    当然、「解釈」には理解も有れば誤解もありうるし、中国の歴史認識と日本の歴史認識が違っても不思議ではない。

    >「戦陣訓」は1941年1月に東條英機陸軍大臣が全陸軍に通達した訓諭。

    1941年に東条英機が「戦陣訓」は紛れも無い「歴史事実」であり歴史上の「点」である。

    これに対して、「戦陣訓は兵隊に周知徹底されていた」と思い込んでしまうのが、「歴史認識」でしばしば後世の人の「誤解」を呼ぶ。

    ところが、この「誤解」に更なる「誤解」が重なると、「戦陣訓は沖縄では兵隊のみならず民間住民にも周知徹底されていた」という大きな歴史の過ちに陥っていく。

    そして、「誤解した歴史認識」を更なる誤解によって複数接続すると、「戦死者があんなに多く出たのは、戦陣訓のせいだ」とか、「集団自決は戦陣訓のせいだ」という“物語”が出来上がって来る。

                         *

    ◆「恥ずかしながら生きて帰りました」

    終戦を知らずグアム島で28年間潜んでいた日本兵横井正一軍曹が日本に着いた時の第一声がこの言葉だった。

    この言葉はその年の流行語にもなった。

    「恥ずかしながら」という言葉は国民に向って発せられたが、深層心理学的に言うとグアムで戦死した戦友たちへ向っての「恥ずかしさ」と「申し訳なさ」だった推察出来る。

    ◆その2年後、今度はフィリピン・ルバング島から小野田寛郎少尉が30年振りに帰国した。

    小野田少尉が天皇陛下との面談も断って彼が真っ先に行った行動は、

    靖国神社への参拝であり戦死した部下・戦友の墓参りだった。

    横井氏のような流行語は発しなかったが小野田も靖国参拝の時や、戦友の墓参りの時の心境は、同じく「恥ずかしながら」と「申し訳ない」の心境だったろうと想像できる。

    ◆「ビルマの竪琴」という映画を見た。

    大戦末期のビルマ。ビルマからタイへ逃れようとしていた井上部隊は、 そこで戦争の終結を知り、 イギリス軍に降伏し、 捕虜収容所へと送られることになる。

    疲れきった隊員達の心を唯一慰めるのは、 水島上等兵の奏でる美しい竪琴の音色。そんな中、 未だに徹底抗戦を続ける友軍を説得する任務を水島が任されることになった。

    しかし、 彼の説得は受け入れられず、 友軍部隊は全滅する。

    1人生き残った水島はおめおめと原隊に戻る事が出来ず、そのまま姿を消してしまう。

    やがて収容所に着いた井上隊は、 そこで水島とよく似た僧侶に出会う。

    「水島、一緒に日本に帰ろう」と柵の中から呼びかける戦友達の声に寂しそうに顔をそむけて立ち去る僧衣の水島の姿が印象的だった。

    彼は、 戦死した日本軍の霊を慰めるため故国への帰還を拒絶してビルマに残ったのだ。

    彼が帰国を拒否してビルマに残った心境は何だったのか。

    投降説得に失敗して友軍を全滅させてしまい、ただ1人生き残ってしまったことだった

    そう、「恥ずかしながら」生き残ってしまったのだ。

     

    ◆横井軍曹や小野田少尉そして水島上等兵は「仲間」が全滅し自分だけが生き残ったことに「恥ずかしながら」或いは「申し訳ない」という心境だったと推測できる。

    だが、彼らが一つだけ救われるのは「仲間」が全滅したのは、敵であるアメリカ軍の攻撃による戦死だったことである。

    ところが「全滅」から生き残りながらも救われない人々がいた。

    ◆沖縄慶良間島の「集団自決」を生き残った人達である。

    彼らの「仲間」は敵米軍の攻撃による戦死ではなく、お互いの手で親兄弟、或いは知人縁者を「全滅」させたのだ。

    「恥ずかしながら」や「申し訳ない」では済まされない、

    「贖罪意識」を胸に秘めて戦後を生き抜かねばなら無かった。

    例え戦時中で敵に取り囲まれ無差別攻撃を受けたパニック状態の出来事だとは言え、

    自分の手にかかって「全滅」した「自決者」のことを考えると、理由はともあれ「集団自決体験者が「贖罪意識」に駆られるの当然のことだろう。

    「集団自決体験者」の「贖罪意識」に巧妙に入り込んだのが左翼学者集団の「反日思想」である。

    「残虐非道の日本軍」という左翼の扇動に集団自決の生き残りの人々が引き込まれていくのは自然の成り行きであり、結果として「軍の命令説」が形作られていく。

    「体験者達」は「軍の命令で仕方なく」親兄弟、知人縁者を手にかけたと主張することで、心の奥に潜む「贖罪意識」は少しは緩和されたのだろう。

    これに「援護法」の適用の問題が絡み、更に問題を複雑にしていく。

                          ◇

    横井さんが帰国した時、マスコミは「恥ずかしながら生きて帰った」と言う発言に対し、それまであまり聞かれなかった戦陣訓という「点」と「横井さんの帰還」という点を強引に線で結んで一つの「面」を創造し報道した。

    それは「生きて虜囚の辱を受けず」の精神に横井は縛られていたかのような報道だった。

    ところが、自らも陸軍にいた司馬遼太郎氏は戦陣訓について、

    戦陣訓という訓令があるとは知っていたが、どんな内容であるかは全く知らなかった。その程度のものだった」と、

    自らが理解できない出来事(横井氏の帰還)に明確な原因と結果を求めたがるマスコミの姿勢を批判した。

    同じく陸軍経験のある山本七平氏も戦陣訓については次のように明言し、戦陣訓の影響は戦争を知らない戦後の人々の後知恵であると喝破している。

    <たとえば横井さんが出て来たとき、すぐにその原因は戦陣訓ということになり、私自身も取材を受けたが、私は戦陣訓など読んだことはないし、部隊で奉読されたこともないと言っても、その人は信用しない。私は自己の体験を語り、その人は戦後生まれで軍隊を知らないのに信用しない。>(「私の日本軍」より)

    陸軍経験のある多くの作家が戦陣訓について、司馬遼太郎氏と同じようなことを書き残しているが、安岡章太郎氏は前記山本氏を補足して次のように解説している。

    ≪ 戦陣訓に戻っていえば、私自身も一年半の軍隊生活で戦陣訓を強制的に講義されたりしたことは一度もない。それは軍隊内で、いわば体よく無視されていたと言えるだろう。
     しかるに現代のマスコミは、なぜ戦陣訓を重視したがるのか?それは山本氏も言うように、戦陣訓は実は当時のマスコミにかつぎ上げられてマスコミの中だけで拡まっていたものであり、それは現代のマスコミにも体質的に通い合うものがあるからではないか。」≫

                          ◇

    ◆「沖縄慶良間島の集団自決は軍の命令或いは強制によるものだ」と、主張する勢力は、これまでの論争の中で「軍命があった」という客観的証拠や、証言が無いと分かると戦術を変更し、「軍命の有無は問題ではない」と論点をすり替え始めた。

    その論点すり替えの論拠が、

    「軍官民共生共死」、「公民科教育」、そして「戦陣訓」という三つキーワードであった。

    ところが今回文科省が出したとされる指針によると、

    日本軍だけが住民に「集団自決」を強制したと読み取れる表現を事実上、禁じている。 一方で「集団自決」が自発的な死ではなく、住民が「『集団自決』せざるを得ない状況に追い込まれた」ことは認め、その「背景・要因」を詳細に記述するよう促している。」(「軍だけが強制」禁止/文科省指針 全容判明

    つまり、文科省指針は、これまで「軍命あり派」が「命令、強制」の根拠にしていた「軍官民共生共死」や「皇民化教育」といった左翼用語を使用しても(背景・要因)、日本軍だけが「集団自決」を強制したと読み取れる表現を禁じたのだ。

    「軍命あり派」にとっては表現上非常に困難な立場に追い込まれたことになる。

    これが町村官房長官や渡海文科大臣が繰り返してきた「工夫と努力と知恵」の見せ所だというのだろう。

    >沖縄戦において「戦陣訓」は住民にも浸透していた。

    沖縄在住の戦史研究家・奥茂治氏は「沖縄では戦時中といえども戦陣訓の『生きて虜囚の云々』は殆ど知られていなかった」と証言している。

    「生きて虜囚の・・・」が初めて沖縄で知られるようになったのは、
    昭和19年頃沖縄で放映された戦意高揚のニュース映画のアナウンサーの声で、初めてそんなものがあるのだと知られるようになったと言う。

    そういえば、物故した筆者の父も生前、晩酌等などで御機嫌の時、戦時中に「教育勅語」を暗記した例は話していたが「戦陣訓」の話を聞かされた記憶は無い。

                        ◇

    戦陣訓の「生きて虜囚の・・・」が亡霊のように甦ってきたのは戦後30年近くたって日本国民を驚かした横井さんや小野田さんの帰還により、主として朝日新聞を筆頭にした左翼マスコミによって作り上げられた「誤解」である。

    そしてひとたびマスコミを通じて一人歩きを始めた「誤解」は、一つの「歴史認識」として左翼学者の「歴史解釈」に多大な影響を与えた。

    それが後戻り出来ないのは陸軍体験者山本七平氏の次の言葉が全てを表している。

    「(取材を受けて)私は戦陣訓など読んだことはないし、部隊で奉読されたこともないと言っても、その人は信用しない。私は自己の体験を語り、その人は戦後生まれで軍隊を知らないのに信用しない。」

    沖縄でも戦陣訓の「生きて虜囚の・・・」が頻繁にマスコミに出てくるようになったのは左翼学者が主張する「日本軍の残虐さ」を議論し始めた戦後かなり経過してからである。(これについては稿を改めて書いて見たい)

    左翼学者は横井さんや小野田さんの例と同じく、

    「歴史事実」である「集団自決」(点)と「戦陣訓」(点)の間を強引に線で結び、「沖縄戦において戦陣訓は住民にも浸透していた」という戦後の誤った解釈で次の結論をひねり出した。

    「軍命による集団自決」、

    つまり「歴史の誤解」をでっち上げたのである。

     

    「付記」

    戦陣訓の本訓その二 第八「名を惜しむ」項

    恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励して其の期待に答ふべし。生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。


    【意味】
    「恥を知る者は強いものだ。ふるさとの親類や家族の対面を考えて、(軍規に反して略奪や暴行などを行い)(憲兵に)捉えられてて収監されたり、死んでまでも罪人として扱われるような行動をしてはならない。」

     

    【追記】2008年4月21日

    虜囚は囚人であり、

    捕虜は捏造である、

    と下記ブログで論証しています。

    戦陣訓虜囚の辱の意味戦陣訓本意囚人を捕虜と63年間捏造(つまみ食い)報道 

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    「長寿県沖縄」はインチキだって?老教授の怒り

    2007-12-10 13:43:04 | 未分類

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    ヘルシーフードの沖縄で何が起きている? 「おきなわカロリーブック」が売れる理由 2007年12月7日

     長寿の島として知られる沖縄県。その土台を支える沖縄の食べ物は、体によいヘルシーフードとして広く認知され、最近では首都圏でも沖縄料理店が増えている。しかし、そのヘルシーなイメージを覆すような1冊の本が、今沖縄で売れているという。

     今年6月、沖縄県内で発売された「おきなわカロリーブック」がそれ。既存のカロリーブックで表示されている一般的なメニューのカロリー表示は全くなく、沖縄独自の加工食品を中心に、特定メーカーの缶詰や菓子類、特定の飲食店のメニューなどのカロリーをズバリ表示しており、その具体的な内容が読者に好評だ。


      那覇市中心部のショッピングセンター「パレット久茂地」内にある、リブロブックス・リウボウブックセンター店長の的場真由美さんによると、発売から半年経った現在でも順調に売れ行きを伸ばしており、同店の今年度のベストセラーには確実に入るという。また、女性だけではなく中高年男性の購入者も多く、割合的には半々ぐらいというのも興味深い。

     健康的な食生活を実践している感のある沖縄の人に、今なぜカロリーブックが求められているのか

     著者である管理栄養士の宇栄原千春さんに、お話を伺うことにした。

     「沖縄県は今、肥満の県なのです。管理栄養士という職業柄、クリニックで肥満の人達に栄養指導をしているのですが、食文化が日本本土と異なる沖縄では、どうしても既存のカロリーブックで説明するのには限界がありました。それで、沖縄の人達に理解しやすいように、沖縄の食品だけでカロリーブックを作ったのです」(宇栄原さん)

     
    えいよう相談室代表 管理栄養士 宇栄原千春氏
     沖縄県民が健康や肥満に気を使うきっかけとなったのは、平成14年に公表された都道府県別の平均寿命。女性の平均寿命は全国1位をキープしているものの、男性に関しては平成7年の全国4位から26位に後退したことで、長寿を誇る沖縄県民に危機感がつのった。さらに、中小企業の従業員を主な対象とする政府管掌保険の平成16年度の健診データでも、沖縄県の30歳代以上の男性で46.9%、女性で26.1%が肥満とされ、肥満割合が全国で最も高いという結果も出ている。これらの数字を受け、県や各市町村でも、肥満対策や、肥満をきっかけに発症する成人病対策を県民に呼びかける、さまざまな取り組みを行うようになった。

     このような状況の中で、自分達の食生活の改善や肥満防止に対しての興味が日増しに高まっていた矢先に発売された「おきなわカロリーブック」は、まさしく沖縄県民が待ち望んでいたもの。好調な売れ行きがそれを物語っている。
                         ◇

     沖縄の生徒は教科書の記述には人一倍気を使うのかと思いきや、全国一基礎学力が低いと言うオチがついて、

    生徒を政治運動に煽った教育界は大慌て。

    でも「学力よりも健康が一番」と言えば多少は言い訳にもなったのだが、

    健康と癒しが売り物はずの沖縄は「肥満天国」でメタボリオヤジの巣窟だとはしゃれにもなら無い話。

  • 沖縄「長寿でない」41%/働き盛りに強い危機感 (沖縄タイムス)
  • 肥満「寛容」に警鐘 (沖縄タイムス)
  • ところが地元では以前から専門家が警告を発していたが、生来の「テーゲー気質」で反省するものは少ない。

    テーゲー主義とは宮崎にお株を奪われた「テゲテゲ」と同じく大概(たいがい)に語源を持つが、要するにいい加減ということ。

    沖縄のテーゲー気質と肥満について囲うと思うのだが、・・・

    私事で恐縮だが先日より風邪をこじらして咳と鼻詰まりで思考朦朧として話がまとまらない。

    頭の中がモウロウ(朦朧)なのかロウモウ(老耄)なのか、その境もつかないくらいなので、一年半程前に似たようなテーマでエントリした記事を一部書き換えて再掲でお茶を濁したい。

    最も似たようなテーマとはいっても、

    「沖縄の長寿はインチキだ」と言う学説があり、更にその原因が「いい加減な戸籍制度にある」と聞いて、

    琉球大学の老教授が敢然と立ち上がったのだが・・・。

    対応する県庁のお役所仕事に怒り狂った老教授が、ボロクソに役所に悪態をついている愉快(失礼?)な話なのだが・・・。

                        ◇

    以下再掲。

    老教授が怒っている。

    教授の名は鈴木信先生。

    沖縄では知る人ぞ知る著名人である。

    琉球大学の医学部の創設に尽力してくれた先生と言ったほうがわかりやすい。

    いや、それよりも琉球大学教授時代、沖縄の長寿と食物の関係を研究し沖縄の百歳のお年寄りを医学的に調査した事で知られている。(「百歳の科学」(新潮社)等々他多数)
    (「沖縄の長寿は今」http://www.ocnet.or.jp/kassei/kassei15nen-No2-p1.html)
     

    教授は1933年横浜生まれで1976年 琉球大学保健学部付属病院助教授として沖縄と関わって以来30年にも及ぶ。

    1999年琉球大学を定年退官、現在も琉球大学名誉教授、沖縄長寿科学研究センター長、沖縄国際大学人間福祉学科教授の要職にある。

    それで教授は一体何を怒っているのかって?

    琉球新報のコラム「日曜評論」(2006年4月16日)に教授は「後生に行って聞いてこい?」と題して沖縄長寿科学研究センター長の肩書きで寄稿している。 因みに「後生」とは沖縄の方言でグソーと発音して「あの世」の意味。

    最近沖縄の男性の平均寿命が26位に落ちたと言うニュースがまだ耳に新しい。

    それでのコラムも沖縄の長寿を長年見つめてきた教授が沖縄男性にご立腹の寄稿だと早とちりした。

    耳が痛いので一瞥しただけで詳しくは読まなかった。

    三日遅れで今朝その「日曜論壇」を偶然読んで驚くやら笑うやら。

    教授の怒りの矛先は「肥満日本一の沖縄男性」では無く沖縄の「お役所仕事」だった。

    他にももう一つ、いや怒りの元凶は「外からの誹謗」であった。(これについては後述)

    教授は沖縄の「お役所仕事」によっぽど腹に据えかねたのか関わったK課長の事を「融通の利かない石頭」、「意地っ張り」、「腑抜け」と怒りが納まらない。

    最後に「先代や先輩から賜った長寿沖縄を守り通すために・・・肥満(ひまん)という内部の敵に対応し、誹謗(ひぼう)という外部の敵に対処することに一丸となって、この沖縄の一大事に立ち向かおうではないか!」と誠に意気軒昂。

    肥満は判るとしても「誹謗という外部の敵」に就いては、これまでの説明ではよく判らないであろう。

    それに「沖縄の一大事」が肥満だけを指すにしては教授の怒りは一寸はりきりすぎにも思える。

    が、詳しくは琉球新報の「日曜評論」を読めば教授の怒りにも納得するだろう。


                        ◇


    琉球新報の三日前の記事を読め・・・と云われても実際、古新聞を探し出して読む物好きはいない。

    そう判断して下記に要約する。

    1985年まで沖縄は男女とも平均寿命日本一を誇っていた。 
    ところが男性の平均寿命が全国26位に転落した。 
    そしてその原因は肥満にある。(http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-10523-storytopic-11.html)

    ところが東京で開かれた国際人口学会でベルギーとドイツの二人の教授がこれに異を唱えた。
     
    元々沖縄の高齢者は戸籍がインチキなので信用できない。 
    云ってみれば沖縄はインチキ長寿県であった。
     
    だから沖縄の男性は元々タンメー、・・・じゃない、短命であった。
    その論拠としてその中のM教授は二泊三日の沖縄旅行をして百歳のF老人に面談して話を聞いたと言う。

    二泊三日どころか30年も沖縄の百歳老人に面談調査研究をして来た鈴木教授としては聞き捨てにならない。
      
    たった一度の二泊三日の調査で沖縄の「百歳老人」の年齢はデタラメだ、とか沖縄の戸籍もデタラメだ、・・・と、 このように安易に決め付けられては「由々しきことである」。

    教授は「胸が煮えたぎるのを覚えながら」怒りの反論を試みた。

    教授のこれまでの百歳老人調査の結果や沖縄役所の戸籍制度の正確さを縷縷説明した。

    ところがさらに悪い情報が入ってきた。

    米国のH大学の助教授が先のニ教授の発表を引用して「沖縄の戸籍は詐称・インチキと書物にかいて近く世界に公表する」と言う。

    例え誤報でも一旦それが活字になって世に流れると一人歩きを始める。

    教授は問題が起きては遅いと判断し、「沖縄の名誉のため」反証の為の調査を始めた。

    百歳以上の12人の超老人の調査を始めるのだが、その間の老人ホームの独居老人の調査での担当課長とのやり取りに教授の怒りが更に増幅された。

    既に亡くなっている件の独居老人の死亡年月日の問い合わせに、担当課長の言葉が奮っている。

    「そういう事情なら来所はお断りします。・・・本人に聞いてください」。

    地元地方公務員の担当課長の言葉に、教授はブチ切れる。

    「それでは後生(グソー・あの世)まで行かねばならない」

    「これでは官僚自ら戸籍詐称を認めたことになる!」

    個人情報保護法が施行されてから、・・死亡した年月日は本人ないし家族の許可が無い限り明らかに出来なくなった。

    しかし「・・・二十年前の死亡年月日まで伏せなければならない理由は無かろう」。

    この程度の事は法律の施行人である行政官の裁量の問題だ。

    単に法律の厳格な施行で我を張るだけが官僚の権力ではなかろう!

    その後、教授の怒りが爆発する。

    関わったK課長の事を「融通の利かない石頭」、「意地っ張り」、「腑抜け」と怒りは納まらない。

    確かに教授の怒りは良く判る。

    暴飲暴食の挙句肥満日本一を記録し、その身から出たサビで「平均寿命日本一」の座から転げ落ちた沖縄のタンメー達にも腹が立つ。

    が、それはまだいい。

    沖縄の高齢者の年齢をインチキ呼ばわりし沖縄の役所の戸籍制度をデタラメと罵る欧米学者には我慢できない。 

    それを本にして世界中にばら撒かれたら沖縄の名誉に関わる問題だ。

    その沖縄の役所の名誉を守るための調査。

    それを妨げるのが他ならぬ沖縄の「お役所仕事」。

    其処でで我を張り通す「石頭官僚」には鈴木教授の怒りのボルテージは更にあがる。

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    沖縄おばーが教えた標準英語

    2007-12-10 09:08:12 | 未分類

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    ■持ち帰り箱は英語で何という■

    高級レストランで食事を終えたセレブの奥様がウエイターを呼んだ。

    「美味しい食事でしたわ。 でも私小食なので残しちゃいました。 家の犬に食べさいたいので持ち帰りにしてもらえません」

    「かしこまりました、奥様。 それで割り箸は何本お付けしましょうか」

    犬用の割り箸付き持ち帰りは、日本では笑い話のオチになってしまうが、アメリカで持ち帰りはごく普通のことで笑い話にはならないという。

    もっともファーストフーズ店の普及で「テイクアウト」という言葉が一般化した現在、何もわざわざ「うちの犬の・・」なんて言い訳する必要も無いとおもうのだが。

    先日ラジオの英会話番組でレストランの「持ち帰り箱」が話題になっていた。

    英語の素人が考えるには「テイクアウト」と言って残り物を指差せば済むと思うし、少なくとも「テイクアウト ボックス」で通用すると思うのだが、・・・「ドギーボックス」[doggy box?]と言う便利な単語があるとは知らなかった。

    だが、誰も犬用と考える人はおらず家で待つ家族用か後で自分が食べることは公然の秘密なので、それに割り箸を付けても当たり前過ぎて面白くも何とも無いのだ。

    この「ドギーボックス」のようにある意味が秘められた言葉を熟語と言うのだろう。

    もし「ドギー・ボックス」や「テイクアウト・ボックス」という便利な単語を知らなかったら、持ち帰り用箱は・・・・
    the box in which I pack the leftovers for my dog.・・・うーん、とでも言うのだろうか、・・・(やめときゃよかった)(冷汗)。

     

    ■町屋小(マチャーグワァー)はおばーの城■

    米軍占領時代の沖縄には町屋小(マチャーグワァー)と呼ばれる雑貨屋が待ちのいたるところにあった。

    食料品を中心の雑貨屋といえば今ではコンビにを連想するだろうが、マチャーグワァーでは商品の他に店主のおばーの人情も扱っていた。

    今では諸悪の権化のようなイメージの米軍基地だが、当時は英語の分からないおばーと日本語の分からない米兵が身振り手振りで他の思想に談笑する姿はけして珍しい光景ではなかった。

    給料日の前「アイハブ ノーマニー ペイデイ プリスン ビアーOK?」と言ってビールを給料日払いで飲ましてもらう若い米兵の話も良く聞いた。

    勿論、やさしくはあっても逞しいおばーが意味も分からず金も貰わずにビールを渡すわけは無い。

    「ノーマニー」「ペイデイ」「ビアーOK?」という三つのキーワードで

    「この子は給料前で金が無いが給料日払いでビールを飲ましてくれ」と言っているのだ、と意味は完全に理解していた。

    おばーにとって米兵が給料日にビール代を払いに来るどうかはともかく、

    近々ベトナム戦線にでも行くかも知れない孫のような年頃の米兵に、ビールをねだられたような嬉しい気持ちだったのだろう。

    ■おばーが教えた標準英語■

    久しぶりに顔見知りの米兵に会っても逞しい沖縄のおばーは会話に戸惑うことを知らない。

    思いついたことをそのまま口にすれば思いは自ずと通じた。

    それも耳で覚えた英単語を連ねればことは足りた。

    「久し振り」と言う短い言葉には「長い間逢っていない人にやっと逢えた」と言った意味が織り込まれている。

    沖縄の方言には「お久し振り」という便利で熟した言葉は無い。

    強いて調べて見たら「ナガデー  ンーダン」がこれに相当する。

    「ナガデー」は長い間で、「ンーダン」が見ないを意味する。

    長い間見かけなかったと言う意味になる。 

    そのまんまと言う感じだ。

    英語で「久し振り」を表現したらどうなるか。

    貧弱な受験英語を引っ張り出して模範解答?を試みてみると、

    ≪I haven't seen you for a long time.≫ 或いは

    ≪It has been a long time since I saw you last. ≫、・・・どうも硬すぎる。これも宦官、・・・じゃない、汗顔ものだ。

    それに、まんまじゃないか。

    だが、これで入試に合格するかどうかは保証の限りではないが、なんとなく意味は通じるだろう。

    ところが沖縄発の「久し振り」の熟語が一般英語として普及していると言う。

    沖縄のおばーは方言の「ナガデー ンーダン」をそのまま英単語を置き換えた。

    ≪Long Time No See≫

    沖縄方言が標準英語になったと言う話。

    おばーパワー恐るべし。

    沖縄のおばーが米兵に英語を教えていたのだ。

    27年に及ぶ米軍占領時代に沖縄はしぶとくアメリカから多くのものを学び取ったが、その一方でアメリカも多くのものを沖縄から学んだ。

    その中の一つが≪Long Time No See≫

    即ち「久し振り」と言う意味の沖縄イングリッシュだ。

    何と言う簡略にして明快な言葉だ。 くどくど説明は不要だろう。

    正式な英語教育を受けていない沖縄のオジー、オバーは耳学問で色んな英語を覚えた。

    レストランで出す「お冷や」は「アイスワラ」

    軽食店は「コーヒーシャープ」

    自動車修理工場は「バリーシャープ」

    あえてスペルアウトするとbody shopとなる。

    そんな中で文法も、主語も述語も無視したオジー、オバーが使う≪Long time no see.≫は純然たる沖縄イングリッシュだった。

    だが、それが米軍人達の間にその簡便さゆえ愛用されるようになった。

    彼らが帰国して本国で待つ知人、友人に久し振りに逢って発した言葉。

    それが沖縄仕込みの≪Long time no see≫だった。

    ≪Long time no see≫は本国アメリカで使われ認知され、そして正式な英語(米語)として日本に再上陸してNHKの英会話教室でも紹介された。

    うーん、確かに「お久し振り」には≪Long Time No See≫が言葉としては熟している。

    とは言っても英語の専門家でもない当日記が言うと,どうせ何時ものヨタ話だろうと眉に唾つける人もいるだろう。

    だがこれは何時ものヨタ話ではない。

    きわめてアカデミックな応用言語学の話だ。

    英語・言語学の権威でNHKの語学講師も勤めた比嘉正範教授(★)の応用言語学の成果であると言えばこの話も信憑性を帯びるだろう。

    もし久し振りに逢う英語圏の友人がいたら、是非一度≪Long Time No See≫を使って欲しい。

    そして、もし「文法的に間違っている云々」といわれたら、沖縄のオジーやオバーが作り出した「沖縄英語」だと説明して欲しい。

    もし、「そんなスラングは使わない」といわれたら、ハーバード大大学院教育学研究科博士課程修了の専門家の応用言語学の研究成果であると説明してあげて欲しい。

    きっとネーティブ・スピーカーに畏敬の眼差しで見られることは請け合える、・・・いや、少なくとも会話の絶好の話題になることだけは請合える。

     

    ★比嘉正範(ひが・まさのり) 一九二九年、沖縄県生まれ。ボストン大教育学部英語科卒、同大学院英米文学科修士課程修了。ハーバード大大学院教育学研究科博士課程修了。教育学博士。ハワイ大文理学部准教授、筑波大現代語現代文化学系教授、放送大教養学部教授などをへて、九六年から龍谷大国際文化学部教授兼同学部長。専門は応用言語学。実生活での言語の使用と外国語の習得を研究対象にしている。

     ★NHK英会話教室を比嘉教授が担当していた時、沖縄発の標準英語≪Long time no see≫が紹介された。

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    韓国も注目!教科書検定   日本の検定は二重基準だ!

    2007-12-09 16:29:46 | 教科書

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    二年前の4月、当時小泉内閣の外務大臣だった町村信孝氏は教科書記述に抗議する韓国の潘基文外交部長官に対し毅然と次のように答えた。

    日本の教科書検定過程は韓国と違う。 一連の過程を経た個別の記述については、政府が削除や修正を要求したり修正したりすることはできない」と。

    つまり日本の教科書検定制度は、専門家で構成された教科書検定調査審議会が下した判断に、政治は介入できない、という当然の主旨だった。

    その結局、韓国の修正要求は1件も受け入れなかった。(竹島、従軍慰安婦)

    そして、今年の10月1日、福田内閣の官房長官だった町村氏は、記者会見で、沖縄の「9.29県民大会」で「教科書意見書撤回」が決議されたを報道を受け記者会見で次のように語った。

    関係者の工夫と努力と知恵があり得るかもしれない」と。

    「11万人」集会の幻に怯えた渡海文科大臣も次のように述べた。

    沖縄県民の気持ちを受け止め、何ができるか選択肢を検討したい」と。文科相「重く受け止める」/検定経緯調査に着手

    「軍の強制」復活も/文科相、訂正申請容認

    教科書検定には政治介入は出来ないと韓国に大見得を切った日本の関係閣僚が「11万人」集会の知らせを受けて突然態度を変え出したのだ。

    関係大臣の態度豹変に警戒注目するのは日本の保守派だけではない。

    韓国紙中央日報の金玄基(キム・ヒョンギ)東京特派員も日本の教科書検定の行方に注目している。

    これって敵の敵は味方ってこと?

    沖縄左翼の数を頼んだゴリ押しに屈した政治家が、

    これに介入して、文科省が教科書の書き換えに応じた瞬間、

    韓国側は牙を剥いて抗議してくるだろう。

    「日本の教科書の竹島は独島と書き変えよ」

    「従軍慰安婦の記述を復活させよ」と。

                         ◇

    中央日報から以下引用

    取材日記>教科書問題 日本の二重基準

    ♯1.2005年4月7日、日本の町村信孝外相は向かい合って座った潘基文(バン・キムン)韓国外交部長官から激しく抗議を受けた。当時、扶桑社の中学校歴史・公民教科書の独島(ドクト、日本名・竹島)関連部分が検定の結果、「韓国が不法占拠している竹島」という表現で記述されたからだ。 また「従軍慰安婦」表記はすべての教科書から消えた。

    町村外相は潘長官の追及に「日本の教科書検定過程は韓国と違う。 一連の過程を経た個別の記述については、政府が削除や修正を要求したり修正したりすることはできない」と言って対抗した。

    その数日後に日本を訪れた韓国国会議員団に対しても「ご存知ないようですが、(修正が)できなくなっているシステム」と短く語った。さらに日本外務省のホームページに「日本教科書検定制度」というコーナーを設け、親切にも英語・ハングル・中国語の翻訳版まで付けた。専門家で構成された教科書検定調査審議会が下した判断に政治は介入できない、というのが主な内容だった結局、韓国の修正要求は1件も受け入れなかった。

    ♯2.2007年10月1日、日本政府の町村官房長官が記者会見場に現れた。太平洋戦争末期の沖縄戦で日本軍が住民に集団自決を強要したという内容が高校教科書検定過程で削除されたことについて、沖縄県民11万人が先月29日に抗議大会を開き、怒りを爆発させた直後だった。彼は「関係者の工夫と努力と知恵があり得るかもしれない」とし「(修正)検討を文部科学省(文科省)に指示した」と述べた。すると、文部科学相も「沖縄県民の気持ちを受け止め、何ができるか選択肢を検討したい」と述べた。日本政府は各教科書出版社に訂正申請をさせ、これを受け入れるという便法で「日本軍が集団自殺強要」表記を復活させる方針だ。

    日本政府が2005年の教科書波紋当時に‘盾’とした検定制度はその間、一行も変わっていない。 にもかかわらず日本政府が今回の沖縄の件では自ら‘不可能’と主張してきた政治介入に動くという自己矛盾に陥った。

    沖縄の‘票’が重要なのは理解できる。 しかし日本政府は、韓国に対しても‘日本固有の検定制度’云々という軽薄な言い訳が通用しなくなることも悟らなければならない。 教科書検定制度関連の英語・中国語版説明を読んだ全世界のネチズンに対しても同じことだ。

    金玄基(キム・ヒョンギ)東京特派員 <LUCKYMAN@JOONGANG.CO.KR< p>

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