ミャンマーチーク屋さんのわが道を行く

日々の出来事と旅と愚痴と文句を勝手に語る日記。

リトル孫正義とセラドゥーラ

2012-12-08 10:17:29 | つぶやき
先週の香港では時間がなくて、好物の蝦ワンタン麺は一度しか食べれなかった。しかもその店がハズレでがっかりだった。中国ではいつもの路上屋台の野菜入り水餃子を食べた。やはり熱いものは涼しい時期に食べたほうがおいしい。一人だと目に付いたものや気軽に入れる飯屋で済ませてお終いだが、家族連れだとそうもいかない。

マカオでは、今回、初めてマカオ料理なるものを食べた。なんでも、旧宗主国のポルトガルが本国の味覚とアフリカやインドのゴア、そしてマレーシアのマラッカなどの各植民地産のスパイスを融合させて作ったのが始まりだという料理だ。見かけはともかく味は完全なる洋食風で、そこになぜ中華料理が融合されていないのかがちょっと不思議だった。

しかし、これが旨かった。

中でも「アフリカンチキン」は絶品で、丸ごとのチキンを野菜たっぷりのカレー風味のシチューのようなものでコトコト煮込んだもので、たしかにヨーロッパとアフリカとアジアのミックスと言うのも納得の味だった。また、マカオと言えば、エッグタルトが有名だそうだが、私は「セラドゥーラ」というスイーツに完全にハマってしまった。これは甘さ加減が絶妙のアイスケーキのようなもので、日本で市販されているアイスケーキ「ビエネッタ」より何十倍もおいしい。洋菓子好きにはたまらないだろう。

帰国してすぐに妻が「セラドゥーラ」作りチャレンジした。しかしマイナーなせいか、ネットに掲載されているレシピがほとんどなく、出来上がったのは、「なんじゃや、こりゃ」という代物だった。
しかし、もしも、完璧な「セラドゥーラ」を作れるなら、おそらく日本で大ヒット間違いなしだろう、という意見ではめずらしく妻と一致した。一発当てるならこれはもう、「セラドゥーラ」しかないのではないか、ならば、半年くらいマカオにスイーツ留学して、完璧にマスターした後、日本で「セラドゥーラ」と「エッグタルト」を柱にしたスィーツショップ「スィーツ・コロニアル」(仮名)をフランチャイズでやれば、「これは当たるぞ!」と浅はかながら思った次第である。いや、いやフランチャイズ前に小さなテイクアウトの店からでもいいかもしれない…。

やはりビジネスチャンスというものは海外にあるのだ。いや、少なくとも、そのヒントは海の向こうにある。今後も、出来る限り日本を出よう、そう確信するに至った旅だった。

後は、どなたか「スィーツ・コロニアル計画」にご賛同頂ける方を募りたい。

これであなたも、あっという間に「リトル孫正義」であろう…。

でも、甘い言葉と甘い思考には気をつけたい…。

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華の有る…

2012-12-06 21:52:34 | 時事(国内)
華の有る…という言葉がぴったりだった。彼が登場するだけで舞台全体がぱっと明るくなり他の俳優の輝きが失せこの人にのみ集中する、そんな役者だったそうである。

中村勘三郎が亡くなった。

私は歌舞伎など一度も観たことがないので、彼の偉大さを全く知る由もないが、まぁ、凄い人だったのだろうということくらいは想像できる。彼は歌舞伎の衰退を懸念し、新しい取り組みをいくつも考案してきたということもテレビで知った。おそらくは、周囲の嫉妬と批判を大量に招いたに違いない。それでもそいうもの全てを納得させてしまう力もあったと思われる。

元気なら、あと、20年はやれただろう。

梨園の世界に、この人に変わる人なんているんだろうか…?

合掌



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消滅

2012-12-05 21:16:04 | 時事(国内)
次期総選挙、たくさんの政党ができ過ぎて大変わかりにくくなったが、注目すべきところが、ここにもあった。

それは、もしかすると社民党が消滅してしまうかもしれないのである。かつては辻元氏などもいて、小選挙区議席も保有していたが、今回は頼みの彼女もすでにいない。すると比例の議席が頼りとなるが社民党はメディアに出ることも少ないしそれも期待薄である。

ともすれば議席ゼロの可能性も高いとか…。

仮に議席を取れなかったら、参議院の4議席だけとになり、国会議員5人を下回るのである。ものの本によると、最後は選挙区か比例代表の選挙で有効投票総数の2%以上の得票があるかが勝負となるとのこと。もしも小選挙区で議席を取れず、比例で友好投票数の2%を下回ると、政党要件を満たすことができず消滅となるのだそう。本来なら原発反対という社民党の以前からの主張が国民の支持を得ているわけで、支持率なども爆発的に伸びてもいいのだが、むしろ新党の勢いに押され、すっかり存在感が薄くなくなってしまった。

社民党はかつての社会党の流れを組んでおり、二大政党化するなら、その一方になれたかもしれないのに、それもこれも土井たか子が服のセンスのない福島瑞穂を後継者にしたことが要因のひとつだろう。そもそも福島さんは弁護士にもかかわらず、どうしてあのような説得力に欠ける話し方しかできなのか。それもちょっと疑問だ。もし私の弁護人が彼女なら、即刻、変えている。

まぁ、しかし、そうは言ってもなるようにしかならないだろう。これだけ小さくなった今、消滅するまで自分たちの主張を守るというのも一種の美学なのかもしれない。

また、国民新党も同じように消滅の危機らしい。さらに小沢グループも厳しいだろうと思いきや、未来の党を作り、かろうじて影響力を保つことができそうである。転んでもただでは起きないところは、だてに政治家を長くやっていない、ということかもしれない。

なんだか選挙に行くのがめんどうになってきたな…。

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コロアネ島

2012-12-03 20:49:00 | 旅行(海外)
最後の日、マカオの宿はコロアネ島の南端にとった。中心地のマカオ半島と違ってかなりの田舎だった。

マカオで暮らすほとんどの人はマンション暮らしだと思っていたのだが、ここでは一戸建てが普通だ。それもかなり古い家屋が多く、まるで中国の田舎町だった。そのところどころにポルトガル時代の欧風建築物がある。宿泊した宿もポルトガル時代の古い洋館を改装した建物で、見た目はコロニアルのいい感じだったが、バスルームなどは使った後、浴槽の水漏れで水浸しになって大変、不自由した。ただ、内装などにはポルトガルの古いタイルなどが使われていて、なかなか趣があってよかった。

コロアネ島の南端にある村の対岸は中国の珠海市だ。もっともマカオは周囲のほとんどが中国珠海市に囲まれているが、外国人は北の関門と中間にあるタイパ島からの橋からしか越境できない。コロアネ島にある対岸の珠海市に渡る船着き場は、現地の人々専用でかなりローカルな雰囲気だった。面白いと思ったのは、コロアネ島から対岸の中国を望むと高層ビルが立林し、どちらがマカオなのかわかならくなる。もっともそれは20年くらい前の中国とマカオの話で、今や中国の方がマカオを凌駕してしまったような感じだが。

また、コロアネには、半島マカオにあれほどいた大陸からの中国人観光客は皆無だった。反面、ポルトガル人の団体ツアー客がいたのには少し意外だった。

やっぱり田舎は落ち着くなと思った。人ごみは疲れる年齢になったということかもしれない…。

また、旅に出くなった。


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九広直達列車

2012-12-02 23:26:22 | 旅行(海外)
早朝5時半に起き6時にホテルを出て、香港の中国行きの列車が出ている紅磡駅へ向かう。まだ外は真っ暗である。紅磡駅へはホテルから地下鉄を2つ乗り換えていくのだが、途中の乗り換え駅の駅間が相当離れており、およそひと駅分歩くことになり結構、時間がかかる。

昼間の香港は人のいない場所を探すのが難しいほど人口密度の濃い場所だが、朝6時では人もまばらで、肌寒かったが空気も昼間ほど悪くなく爽やかだ。ホテルから最寄りの地下鉄駅までの道すがら、自宅なのか自社ビルなのか建物の入り口で何やら火を燃やしている老人を2人も見かけた。儒教の信仰なのか?

7時前に紅磡駅に着き、急いで朝ごはんの肉まんと切符を買い、出国審査を受けて7時25分発の広州東駅行きの列車に乗った。購入した切符を見ると11月27日という日付けが目についた。今日は誕生日だった。海外の誕生日なんてチベットのシガツェ以来十年以上ぶりだな、などと思いながら、そういえば、初めての海外の誕生日は確か香港だったなと思い出した。あれは19歳のときだからちょうど24年前になる。

24年前の香港も今とさほど変わらないようにも思えるのだが、それでも古い建物がなくなり、さらに近代化した高層ビルが増えて、昔よりずっとすっきりした感がある。

旅をしていた頃も、度々、こうやって早起きして列車やバスに乗った。「25年か、早いな…」などと昔を思い返しながら、いつの間にか寝てしまったが、つかの間の旅気分はなかなか心地よかった。

旅先の早起きも、たまにはいいかもしれない…。

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乗り遅れる!

2012-12-01 02:16:39 | つぶやき
帰国致しました。

仕事後にのんびり休日を…のつもりが、やはり2歳児連れの海外だとなかなか思うようにならず、やっぱり大変、疲れた。そもそも今回は行きの飛行機から大変だった。台湾乗り継ぎの香港行きだったが、まず台北に着く30分ほど前から、娘が「耳が痛い!」と泣き出した。飴を与えても、飲み物を与えてもどうしようもなくそのうちに「お家に帰る!」と騒ぎだし通路に転がり始めた。抱っこも拒否するし、どうもこうも手を付けられない状態になってしまった。もしここに、あの、さかもと未明がご機嫌斜めで乗っていたら、大目玉を食らったかもしれない…。

そうこうしているうちに、飛行機は30分遅れで台北に到着した。そのころにはようやく娘も落着いた。当初乗り継ぎ時間は50分だった。おそらくこれは国際線の乗り継ぎで同一航空会社という条件でも最短の時間だろうと思われる。それが30分遅れて残り20分である。本来なら、この時点で出口のところで職員が「香港」というプレートを持ち、乗り継ぎ客をスムーズに誘導するのが一般的である。しかし、チャイナエアラインは何もなかった。

「おそらく遅れて出発する予定なんだな…」とこの時、勝手に理解した。これがいけなかった。

そして、妻が「子供のオムツを替えたい…」というので、特に急がず、オムツを替えに行った。その後、子と3人でトボトボ歩きながら乗り継ぎ便ゲートに向かった。時刻は出発予定時刻ジャストである。この間、案内放送の類は一切無かった。(と思われる…)
そしてゲートに着くと、そこに乗客は誰もおらず、私たちは乗り遅れたことに気がついた。

飛行機に乗り遅れた。

これまで何十回、いやおそらくは百回を超えるほど飛行機の乗りながらこんなことは初めてだった。しかも乗り継ぎ便である。普通、考えられないだろう。職員に聞いてみた。「私たちだけですか?」すると「もう、一人います…」とのこと。ということは、その他多くの乗客は、あのわずかな時間できっちり乗り継いでいるわけである。

やはり、あの時、オムツを替えていたのがいたのがいけなかったのか…、それにしてもどこか解せなかった。しかし問題はこの先の便の確保だ、といっても職員はすぐに「次の便に振り替えますから…」ということで2時間後の香港経由ジャカルタ行きの便を確保してくれた。もしも「知りません…」などと言われたら、「案内放送くらいしろ!」とブチ切れようかと思ったが、とても親切だったし、オムツ替えの自己責任もあるし、何よりも他の客は乗り継いでいるわけで、やはり急がなかった私たちのいけなかったのかもしれない…と、その時は納得した。

しかしである。

「果たして、あの20分で荷物の積み替えが可能なのか、しかも、積み終えてオンタイムで出発するなんて、ありえるのか…?「もしかすると、この香港便に乗り継ぐ乗客が数人だったので、初めから置いていくつもりで定刻に出発したのではないのか…?」「いやいや、香港に乗り継ぐ客が数人なんてことはないだう…」と、も思う。

なんだか、今でもどこか解せないでいる。

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