6月1日の茶会で信長が有る程度の規模で公家達のリストラを勧告するつもりが有ったのか?それともそこまでは考えていなかったのか? と言うのは今となってはわかりませんが、信長の行動や政策、言動を見聞きした公家の中にはリストラされるかも知れない恐怖が増していた人が少なからずはいたと思われます。
例えばこの茶会では暦の話があったとされています。
それまで朝廷が定める公式の暦である「宣明暦(京暦)」には誤りがあり、本能寺の変の前日である6月1日には日食は起こらず、信長が要請している三島暦ならば日食が起きるはずとの事で、明確にしようと6月1日の皆既日食(NASAのサイトでは当日は実際に日食になる計算との事です)に信長が殆どの堂上公卿達と本能寺に集まったとされ、実際に日食が起きた事が確認されたか、或いは京都が雨天であまりはっきりとはわからなかったものの、雲が少なく日食が確認された他のエリアの人達から実際に日食が起きた事が報告されるだろう事は明らかとなったはずなのです。
なのでそれが多くの人達に知られてしまうと暦に関連する分野の公家達は面目丸潰れとなり、信長に「不労所得者」のレッテルを貼られる前に「信長を消してしまおう」と考えたグループが公家衆の中には多少なりとも存在していたとしても自然ではないでしょうか。
当日、茶会のメンバーで信長以外は次の通りです。
引用開始(一部抜粋)
大日本古記録 言継卿記(一) 279頁 より
近衛前久、近衛信基、九条兼孝、一条内基、二条昭実
鷹司信房、聖護院道澄、今出川晴季、徳大寺公維、飛鳥井雅教、庭田重保、
四辻公遠、甘露寺経元、西園寺実益、三条西公国、久我季通、高倉永相、
水無瀬兼成、持明院基孝、山科言経、庭田重通、勧修寺晴豊、正親町季秀、
中山親綱、烏丸光宣、広橋兼勝、東坊城盛長、五辻為仲、竹内長治、花山院家雅、
万里小路充房、冷泉為満、西洞院時通、四条隆昌、中山慶親、土御門久脩、
六条有親、飛鳥井雅継、中御門宣光、唐橋在通
引用終了
トップ5名は、
太政大臣 近衛前久
右大臣 内大臣 近衛信基
前関白 九条兼孝
関白 左大臣 一条内基
前内大臣 二条昭実
です。
更に招かれたのは大友氏と関係が深い商人、茶人の島井宗室。
そして上記の公家の家業は次の通り。
引用開始(一部抜粋)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%82%E4%B8%8A%E5%AE%B6
摂家 近衞家[2][3] 藤氏本流[4] - - 2,862石 有職故実 摂政・関白 公爵
摂家 九條家[2] 藤氏本流 - - - - 2,044石 有職故実 摂政・関白 公爵
摂家 鷹司家[2] 藤氏本流 近衞 - - - 1,500石 有職故実 摂政・関白 公爵
摂家 二條家[2] 藤氏本流 九條 - - - 1,708石 有職故実 摂政・関白 公爵
摂家 一條家[2][5] 藤氏本流 九條 - - -2,044石 有職故実 摂政・関白 公爵
(中略)
土御門家 阿倍氏 - 近衞 外様 旧家 183石 天文道
・陰陽頭
引用終了
当日は当時の天文道・陰陽頭である土御門久脩が茶会に参加しています。
そしてその上位で家業が「有職故実」で暦を含む全体を管理する立場である、近衞、九条、鷹司、二条、一条の名も有ります。
暦の問題に関してだけで、仮に信長が公家衆と上手く柔軟に関わって行こうとするつもりなら、敢えて信長の名で暦の変更を行う要請はせず、表面上は別の暦の名で公家達と内々に打ち合わせ、あたかも公家達が自ら暦に修正をくわえた形にするなど「ソフトランディングの方法をとれたはずではないか」、と筆者は思うのです。
信長は三島暦への変更を全面に出して公家衆に「意味の無い事をして不当な所得を得ている」とレッテルを貼らんばかりの挑戦的な態度をしている、と公家達が思ったのは自然と考えられます。
それでもこれだけなら、生活の保障さえされる目途が有れば公家達もまだ有る程度は信長に我慢出来たたのかどうか、と言う所かも知れません。
しかしそれだけではなく、更に信長は毛利攻めで石見銀山を手に入れようとします。
御領所であった石見銀山は、当時毛利氏が朝廷の代行として一括管理を行い、その褒美として毛利氏が少なからぬ配分を得ていた形をとっていたと思われる状況で、やはり朝廷には莫大な資金が入っていたわけであり、仮に信長が毛利氏を討伐し石見銀山を手に入れた場合、銀で得られた利益が本当にそれまでの割合通りで朝廷に入るのか? 仮に減らされるのあれば、(天皇家や縁戚関係が有る程度以上の公家は影響無いのかも知れないとしても)そのクラスまで行かないような公家達などはリストラされる恐れを抱いていたと見るのが普通ではないでしょうか。
暦の問題だけでも信長が危険視されるだけでなく、更に石見銀山の管理利権獲得まで実現化された場合、両者のANDで考えれば、やはりリストラされる事を想定する公家衆はいたと考えています。
更に公家の中でも毛利氏や石見銀山、更に足利義昭と親しい、或いは利権やその他で関係が深いグループがもし有ったならばやはり信長によるリストラの憂き目に遭う事を恐れていたと見ています。
「朝廷黒幕説」は天皇が中心となった説が多いようですが、筆者は天皇中心説ではなく、朝廷全体への資金が減らされる事がダメージとなるグループの公家、暦の管理に関係する公家、更には毛利氏や旧室町幕府と利害やその他で関係が深い公家がもし有ったなら、彼らは「信長の時代となっても安泰が保障されていたと筆者には思われる天皇家や一部公家」とは全く立場が違っていたグループとして存在していたと見ています。
朝廷とは天皇家だけでなく、公家も含むという解釈のようですので、「朝廷黒幕説」というのは間違いとは言えないのですが、天皇家ではなく「公家で一部の人、或いはグループが追い詰められていた斉藤利三や伊勢貞興らへ、確実に信長を仕留められるのに役立つ情報を自分らのリスクが無い範囲で提供した」、と筆者は考えています。
例えばこの茶会では暦の話があったとされています。
それまで朝廷が定める公式の暦である「宣明暦(京暦)」には誤りがあり、本能寺の変の前日である6月1日には日食は起こらず、信長が要請している三島暦ならば日食が起きるはずとの事で、明確にしようと6月1日の皆既日食(NASAのサイトでは当日は実際に日食になる計算との事です)に信長が殆どの堂上公卿達と本能寺に集まったとされ、実際に日食が起きた事が確認されたか、或いは京都が雨天であまりはっきりとはわからなかったものの、雲が少なく日食が確認された他のエリアの人達から実際に日食が起きた事が報告されるだろう事は明らかとなったはずなのです。
なのでそれが多くの人達に知られてしまうと暦に関連する分野の公家達は面目丸潰れとなり、信長に「不労所得者」のレッテルを貼られる前に「信長を消してしまおう」と考えたグループが公家衆の中には多少なりとも存在していたとしても自然ではないでしょうか。
当日、茶会のメンバーで信長以外は次の通りです。
引用開始(一部抜粋)
大日本古記録 言継卿記(一) 279頁 より
近衛前久、近衛信基、九条兼孝、一条内基、二条昭実
鷹司信房、聖護院道澄、今出川晴季、徳大寺公維、飛鳥井雅教、庭田重保、
四辻公遠、甘露寺経元、西園寺実益、三条西公国、久我季通、高倉永相、
水無瀬兼成、持明院基孝、山科言経、庭田重通、勧修寺晴豊、正親町季秀、
中山親綱、烏丸光宣、広橋兼勝、東坊城盛長、五辻為仲、竹内長治、花山院家雅、
万里小路充房、冷泉為満、西洞院時通、四条隆昌、中山慶親、土御門久脩、
六条有親、飛鳥井雅継、中御門宣光、唐橋在通
引用終了
トップ5名は、
太政大臣 近衛前久
右大臣 内大臣 近衛信基
前関白 九条兼孝
関白 左大臣 一条内基
前内大臣 二条昭実
です。
更に招かれたのは大友氏と関係が深い商人、茶人の島井宗室。
そして上記の公家の家業は次の通り。
引用開始(一部抜粋)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%82%E4%B8%8A%E5%AE%B6
摂家 近衞家[2][3] 藤氏本流[4] - - 2,862石 有職故実 摂政・関白 公爵
摂家 九條家[2] 藤氏本流 - - - - 2,044石 有職故実 摂政・関白 公爵
摂家 鷹司家[2] 藤氏本流 近衞 - - - 1,500石 有職故実 摂政・関白 公爵
摂家 二條家[2] 藤氏本流 九條 - - - 1,708石 有職故実 摂政・関白 公爵
摂家 一條家[2][5] 藤氏本流 九條 - - -2,044石 有職故実 摂政・関白 公爵
(中略)
土御門家 阿倍氏 - 近衞 外様 旧家 183石 天文道
・陰陽頭
引用終了
当日は当時の天文道・陰陽頭である土御門久脩が茶会に参加しています。
そしてその上位で家業が「有職故実」で暦を含む全体を管理する立場である、近衞、九条、鷹司、二条、一条の名も有ります。
暦の問題に関してだけで、仮に信長が公家衆と上手く柔軟に関わって行こうとするつもりなら、敢えて信長の名で暦の変更を行う要請はせず、表面上は別の暦の名で公家達と内々に打ち合わせ、あたかも公家達が自ら暦に修正をくわえた形にするなど「ソフトランディングの方法をとれたはずではないか」、と筆者は思うのです。
信長は三島暦への変更を全面に出して公家衆に「意味の無い事をして不当な所得を得ている」とレッテルを貼らんばかりの挑戦的な態度をしている、と公家達が思ったのは自然と考えられます。
それでもこれだけなら、生活の保障さえされる目途が有れば公家達もまだ有る程度は信長に我慢出来たたのかどうか、と言う所かも知れません。
しかしそれだけではなく、更に信長は毛利攻めで石見銀山を手に入れようとします。
御領所であった石見銀山は、当時毛利氏が朝廷の代行として一括管理を行い、その褒美として毛利氏が少なからぬ配分を得ていた形をとっていたと思われる状況で、やはり朝廷には莫大な資金が入っていたわけであり、仮に信長が毛利氏を討伐し石見銀山を手に入れた場合、銀で得られた利益が本当にそれまでの割合通りで朝廷に入るのか? 仮に減らされるのあれば、(天皇家や縁戚関係が有る程度以上の公家は影響無いのかも知れないとしても)そのクラスまで行かないような公家達などはリストラされる恐れを抱いていたと見るのが普通ではないでしょうか。
暦の問題だけでも信長が危険視されるだけでなく、更に石見銀山の管理利権獲得まで実現化された場合、両者のANDで考えれば、やはりリストラされる事を想定する公家衆はいたと考えています。
更に公家の中でも毛利氏や石見銀山、更に足利義昭と親しい、或いは利権やその他で関係が深いグループがもし有ったならばやはり信長によるリストラの憂き目に遭う事を恐れていたと見ています。
「朝廷黒幕説」は天皇が中心となった説が多いようですが、筆者は天皇中心説ではなく、朝廷全体への資金が減らされる事がダメージとなるグループの公家、暦の管理に関係する公家、更には毛利氏や旧室町幕府と利害やその他で関係が深い公家がもし有ったなら、彼らは「信長の時代となっても安泰が保障されていたと筆者には思われる天皇家や一部公家」とは全く立場が違っていたグループとして存在していたと見ています。
朝廷とは天皇家だけでなく、公家も含むという解釈のようですので、「朝廷黒幕説」というのは間違いとは言えないのですが、天皇家ではなく「公家で一部の人、或いはグループが追い詰められていた斉藤利三や伊勢貞興らへ、確実に信長を仕留められるのに役立つ情報を自分らのリスクが無い範囲で提供した」、と筆者は考えています。