前回の記事で、
(中略)
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とか、
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の表示がありましたが、これは(中略)を書こうとして仮入力したものを(中略)にまとめて変更するつもりが、変更しきれなかった分です。
今後なるべく漏れなく(中略)と書くつもりですが、変更しきれない事があれば(中略)と見てください。
悪しからず。
もう一つ、相模トラフと書きましたが、以前の記事にも書いている通り広義には相模トラフとその延長、つまり神奈川県内陸部も含みます。
今回は南海トラフやその延長(フィリピン海プレートとユーラシアプレートの境界エリア)の大地震と、その20年前後前に発生している大地震について調べた結果を書きたいと思います。
引用開始 3件(一部抜粋)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)#%E5%AE%A4%E7%94%BA%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%80%9C%E5%AE%89%E5%9C%9F%E6%A1%83%E5%B1%B1%E6%99%82%E4%BB%A3
1185年8月6日(8月13日)(元暦2年7月9日) 文治地震(元暦大地震) - M 7.4、死者多数。法勝寺や宇治川の橋など損壊。余震が2か月ほど続く。琵琶湖の水が北流したという記録がある。鴨長明が『方丈記』で詳述。南海トラフ巨大地震説[57]、および琵琶湖西岸断層帯南部の活動による説[58][59][60]がある。滋賀県文化財保護協会によると、長浜市の塩津港遺跡はこの地震(堅田断層によるとする)液状化でできたものという[61]。
1200年頃 地質調査によれば南海トラフ地震が発生した可能性もあるが疑義あり。
(中略)
1474年終盤 - 1475年初頭(文明6年冬)京都で大地震[66]
1495年9月3日(9月12日)(明応4年8月15日) - 鎌倉大仏殿が津波で破壊されたと記録されている(『鎌倉大日記』[67])。この記録が明応7年の明応地震の混同として扱われて、「理科年表」には記載がない。地層[注 9]や史料[68]の調査から、相模トラフを震源とする関東地震の可能性が疑われている[69][70][71]。
(中略)
1498年
6月30日(7月9日)(明応7年6月11日) 日向地震 ※ - M 7〜7.5、死者多数。同日、畿内でも地震。南海道沖の地震との説もある[72]が、史料の無理な解釈が含まれ、『九州軍記』の記述を話半分に聞けば九州付近で起こったスラブ内地震であるという解釈も可能[73]。『九州軍記』は後の創作である可能性が高く日向灘の震源は否定されるとの見方がある[74]。
9月11日(9月20日)(明応7年8月25日) 明応地震(東海道沖の巨大地震) - M 8.2〜8.4、
(中略)
1585年7月31日(天正13年7月5日) 大阪・京都・伊勢で大震。
1586年1月18日(天正13年11月29日) 天正地震(東海東山道地震、飛騨・美濃・近江地震) - M 7.8〜8.1(それ以上の可能性あり、あるいはM 8クラスの地震が3つ以上同じ日に立て続けに発生した可能性あり)、死者多数。飛騨・越中などで山崩れ多発、白川郷で民家数百軒が埋まる。内ヶ島氏、帰雲城もろとも滅亡。余震が1年以上続く。三河湾と若狭湾という日本海・太平洋両岸での大津波記録が複数あり、複数の巨大地震の同日発生の可能性がある。少なくとも養老断層(愛知県)、阿寺断層(岐阜県)の2つの断層の活動(いずれもM 8クラスか)の可能性が高い。さらに若狭湾に津波をもたらした断層も活動したと考えられ、3つのセグメントでのM 8クラス地震が同日に少なくとも3つ以上発生した可能性が高い[注 10]。
1590年3月21日(天正18年2月16日) 安房で地震 - 2mの隆起あり。潮が引いて3キロの干潟が形成された。
1596年・・以下の3つは連動型地震の可能性がある。
9月1日(文禄5年閏7月9日) 慶長伊予地震(慶長伊予国地震)- M 7.0、寺社倒壊等。同年同月に発生した一連の内陸地震のさきがけとなる。四国を走る中央構造線断層帯での地震と考えられている。
9月4日(文禄5年閏7月12日) 慶長豊後地震(大分地震) - M 7.0〜7.8、死者710人、地震によって瓜生島と久光島の2つの島が沈んだとされている。大分県を走る別府-万年山断層帯(べっぷ-はねやま だんそうたい)での正断層型地震と考えられている。
9月5日(文禄5年閏7月13日) 慶長伏見地震(慶長伏見大地震、文禄の大地震) - M 7 1⁄2±1⁄4、京都や堺で死者合計1,000人以上。伏見城の天守閣や石垣が損壊、余震が翌年春まで続く。淡路島〜神戸〜大阪北を走る六甲・淡路島断層帯での地震と考えられている。
(中略)
17世紀
江戸時代(1603年頃 - 1868年頃)
17世紀前半・・津波堆積物の分析から、この時期に千島海溝南部(十勝沖から根室沖まで)を震源とするM 8.6クラスの地震が発生したと推定されている。1611年または1635年説あり[76]。
1605年2月3日(慶長9年12月16日) 慶長地震(南海トラフ津波地震説、東海はるか沖地震説、または房総沖と南海沖の二元地震説、伊豆・小笠原海溝地震説あり) - M 7.9〜8、
(中略)
1707年
10月28日(宝永4年10月4日) 宝永地震(南海トラフ全域が震源域) - M 8.4〜8.6(Mw 8.7[95]〜9.3[96][97])
(中略)
1741年8月29日(寛保元年7月19日) 寛保津波 - M 6.9(Mt 8.4)、死者2,033人。北海道西南沖の大島で火山性地震。大津波発生、佐渡・能登・若狭にも津波。
1751年5月21日(寛延4年4月26日) 高田地震 - M 7.0〜7.4、死者1,541人。越後・越中で地震。高田で火災など。
1762年10月31日(宝暦12年9月15日) 佐渡島北方沖で地震 - M 7.0程度、死者あり。液状化現象、津波による家屋流出など。
(中略)
1771年4月24日(明和8年3月10日) 八重山地震(明和の大津波) - M 7.4〜8.0(Mt 8.5, Mw 8.7[100])、死者約12,000人。最大遡上高85m(日本記録『大波之時各村之形行書』)。安房まで津波の到達と記録あり。
(中略)
1830年8月19日(文政13年7月2日) 京都地震 - M 6.5±0.2、死者280人。二条城など損壊。
1833年
5月27日(天保4年4月9日) 美濃西部で地震 - M 6 1⁄4 死者11人。余震は8月まで、震源は根尾谷断層付近。
12月7日(天保4年10月26日) 庄内沖地震(出羽・越後・佐渡地震、天保4年羽前沖地震) - M 7 1⁄2±1⁄4(Mw 8、Mt 8.1)、死者40〜130人。能登半島・東北・北陸の日本海沿岸に津波。1964年新潟地震の津波よりも規模が大きい[108]。
(中略)
1854年
7月9日(嘉永7年6月15日) 伊賀上野地震(伊賀・伊勢・大和地震) - M 7 1⁄4±1⁄4、死者約1,800人。
12月23日(嘉永7年11月4日) 安政東海地震(東海道沖の巨大地震) - M 8.4 (Mw 8.6[109])、死者2,000〜3,000人。房総半島から四国に津波、特に伊豆から熊野にかけて大きな被害。ロシア船ディアナ号(プチャーチン提督来航)沈没。
12月24日(嘉永7年11月5日) 安政南海地震(南海道沖の巨大地震) - M 8.4 (Mw 8.7[注 16])、死者1,000〜3,000人。紀伊・土佐などで津波により大きな被害(串本で最大波高11m)。大坂湾に注ぐいくつかの川が逆流。道後温泉の湧出が数か月間止まる。
安政東海・南海地震は32時間の時間差で発生した。両地震による死者の合計は約3万人との説もある。余震とみられる地震は9年間で2,979回記録(『真覚寺日記』)
(中略)
1891年(明治24年)10月28日 濃尾地震 - M 8.0、濃尾平野北西部などで最大震度7相当と推定[111][112]。死者・行方不明者7,273人。根尾谷断層の発生。
1892年(明治25年)12月9日・11日 石川県・富山県で地震 - M 6.4(9日)、弱い津波。死者計2人。
(中略)
1911年(明治44年)6月15日 喜界島地震 - M 8.0(mB 8.1)、死者12人。
(中略)
1925年(大正14年)5月23日 北但馬地震 - Mj 6.8、兵庫県豊岡市で最大震度 6。火災発生、死者428人
(中略)
1927年(昭和2年)3月7日 北丹後地震 - Mj 7.3(Mw 7.1)、京都府宮津市と兵庫県豊岡市で最大震度 6。震源付近で震度7相当と推定[127][112]。死者2,925人。
(中略)
1944年(昭和19年)12月7日 東南海地震(昭和東南海地震) - 三重県沖、Mj 7.9(Mw 8.2)
(中略)
12月21日4時19分頃 南海地震(昭和南海地震) - 和歌山県沖〜四国沖、Mj 8.0(Mw 8.4[131])
http://www.nagai-bunko.com/shuushien/tenpen/ihen01.htm
1179(治承 3)年
5月28日 夜地震。(玉葉30、31)(源平盛衰記)(山槐記)
7月 7日 地震。21日にも地震。(玉葉30、31)(源平盛衰記)(山槐記)
11月 7日 京で大地震。(玉葉30、31)(源平盛衰記)(山槐記)
http://www.nagai-bunko.com/shuushien/tenpen/ihen02.htm
1213(建保 1)年
1月 1日 鎌倉で大地震。堂舎倒壊。(本朝年代記 2)
5月21日 午刻大地震。音があり、舎屋破壊、山崩れ地裂く。
(吾妻鏡21)(皇帝紀抄 8)(本朝年代記 2)(和漢合運指掌図)
地震のために改元。(古事類苑)
引用終了
見ての通りで、これらから言える事は、「南海トラフやその延長(フィリピン海プレートとユーラシアプレートの境界エリア)で発生した大地震の約20年位(前後数年の幅をとるとして)前に近畿、中部、上信越地方などで大地震が発生している事が多い」と言う事です。
今後もこの傾向が再現されるのかどうかはわかりませんが、有る程度の目安にはなるかも知れません。
(中略)
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とか、
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の表示がありましたが、これは(中略)を書こうとして仮入力したものを(中略)にまとめて変更するつもりが、変更しきれなかった分です。
今後なるべく漏れなく(中略)と書くつもりですが、変更しきれない事があれば(中略)と見てください。
悪しからず。
もう一つ、相模トラフと書きましたが、以前の記事にも書いている通り広義には相模トラフとその延長、つまり神奈川県内陸部も含みます。
今回は南海トラフやその延長(フィリピン海プレートとユーラシアプレートの境界エリア)の大地震と、その20年前後前に発生している大地震について調べた結果を書きたいと思います。
引用開始 3件(一部抜粋)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%B0%E9%9C%87%E3%81%AE%E5%B9%B4%E8%A1%A8_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)#%E5%AE%A4%E7%94%BA%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%80%9C%E5%AE%89%E5%9C%9F%E6%A1%83%E5%B1%B1%E6%99%82%E4%BB%A3
1185年8月6日(8月13日)(元暦2年7月9日) 文治地震(元暦大地震) - M 7.4、死者多数。法勝寺や宇治川の橋など損壊。余震が2か月ほど続く。琵琶湖の水が北流したという記録がある。鴨長明が『方丈記』で詳述。南海トラフ巨大地震説[57]、および琵琶湖西岸断層帯南部の活動による説[58][59][60]がある。滋賀県文化財保護協会によると、長浜市の塩津港遺跡はこの地震(堅田断層によるとする)液状化でできたものという[61]。
1200年頃 地質調査によれば南海トラフ地震が発生した可能性もあるが疑義あり。
(中略)
1474年終盤 - 1475年初頭(文明6年冬)京都で大地震[66]
1495年9月3日(9月12日)(明応4年8月15日) - 鎌倉大仏殿が津波で破壊されたと記録されている(『鎌倉大日記』[67])。この記録が明応7年の明応地震の混同として扱われて、「理科年表」には記載がない。地層[注 9]や史料[68]の調査から、相模トラフを震源とする関東地震の可能性が疑われている[69][70][71]。
(中略)
1498年
6月30日(7月9日)(明応7年6月11日) 日向地震 ※ - M 7〜7.5、死者多数。同日、畿内でも地震。南海道沖の地震との説もある[72]が、史料の無理な解釈が含まれ、『九州軍記』の記述を話半分に聞けば九州付近で起こったスラブ内地震であるという解釈も可能[73]。『九州軍記』は後の創作である可能性が高く日向灘の震源は否定されるとの見方がある[74]。
9月11日(9月20日)(明応7年8月25日) 明応地震(東海道沖の巨大地震) - M 8.2〜8.4、
(中略)
1585年7月31日(天正13年7月5日) 大阪・京都・伊勢で大震。
1586年1月18日(天正13年11月29日) 天正地震(東海東山道地震、飛騨・美濃・近江地震) - M 7.8〜8.1(それ以上の可能性あり、あるいはM 8クラスの地震が3つ以上同じ日に立て続けに発生した可能性あり)、死者多数。飛騨・越中などで山崩れ多発、白川郷で民家数百軒が埋まる。内ヶ島氏、帰雲城もろとも滅亡。余震が1年以上続く。三河湾と若狭湾という日本海・太平洋両岸での大津波記録が複数あり、複数の巨大地震の同日発生の可能性がある。少なくとも養老断層(愛知県)、阿寺断層(岐阜県)の2つの断層の活動(いずれもM 8クラスか)の可能性が高い。さらに若狭湾に津波をもたらした断層も活動したと考えられ、3つのセグメントでのM 8クラス地震が同日に少なくとも3つ以上発生した可能性が高い[注 10]。
1590年3月21日(天正18年2月16日) 安房で地震 - 2mの隆起あり。潮が引いて3キロの干潟が形成された。
1596年・・以下の3つは連動型地震の可能性がある。
9月1日(文禄5年閏7月9日) 慶長伊予地震(慶長伊予国地震)- M 7.0、寺社倒壊等。同年同月に発生した一連の内陸地震のさきがけとなる。四国を走る中央構造線断層帯での地震と考えられている。
9月4日(文禄5年閏7月12日) 慶長豊後地震(大分地震) - M 7.0〜7.8、死者710人、地震によって瓜生島と久光島の2つの島が沈んだとされている。大分県を走る別府-万年山断層帯(べっぷ-はねやま だんそうたい)での正断層型地震と考えられている。
9月5日(文禄5年閏7月13日) 慶長伏見地震(慶長伏見大地震、文禄の大地震) - M 7 1⁄2±1⁄4、京都や堺で死者合計1,000人以上。伏見城の天守閣や石垣が損壊、余震が翌年春まで続く。淡路島〜神戸〜大阪北を走る六甲・淡路島断層帯での地震と考えられている。
(中略)
17世紀
江戸時代(1603年頃 - 1868年頃)
17世紀前半・・津波堆積物の分析から、この時期に千島海溝南部(十勝沖から根室沖まで)を震源とするM 8.6クラスの地震が発生したと推定されている。1611年または1635年説あり[76]。
1605年2月3日(慶長9年12月16日) 慶長地震(南海トラフ津波地震説、東海はるか沖地震説、または房総沖と南海沖の二元地震説、伊豆・小笠原海溝地震説あり) - M 7.9〜8、
(中略)
1707年
10月28日(宝永4年10月4日) 宝永地震(南海トラフ全域が震源域) - M 8.4〜8.6(Mw 8.7[95]〜9.3[96][97])
(中略)
1741年8月29日(寛保元年7月19日) 寛保津波 - M 6.9(Mt 8.4)、死者2,033人。北海道西南沖の大島で火山性地震。大津波発生、佐渡・能登・若狭にも津波。
1751年5月21日(寛延4年4月26日) 高田地震 - M 7.0〜7.4、死者1,541人。越後・越中で地震。高田で火災など。
1762年10月31日(宝暦12年9月15日) 佐渡島北方沖で地震 - M 7.0程度、死者あり。液状化現象、津波による家屋流出など。
(中略)
1771年4月24日(明和8年3月10日) 八重山地震(明和の大津波) - M 7.4〜8.0(Mt 8.5, Mw 8.7[100])、死者約12,000人。最大遡上高85m(日本記録『大波之時各村之形行書』)。安房まで津波の到達と記録あり。
(中略)
1830年8月19日(文政13年7月2日) 京都地震 - M 6.5±0.2、死者280人。二条城など損壊。
1833年
5月27日(天保4年4月9日) 美濃西部で地震 - M 6 1⁄4 死者11人。余震は8月まで、震源は根尾谷断層付近。
12月7日(天保4年10月26日) 庄内沖地震(出羽・越後・佐渡地震、天保4年羽前沖地震) - M 7 1⁄2±1⁄4(Mw 8、Mt 8.1)、死者40〜130人。能登半島・東北・北陸の日本海沿岸に津波。1964年新潟地震の津波よりも規模が大きい[108]。
(中略)
1854年
7月9日(嘉永7年6月15日) 伊賀上野地震(伊賀・伊勢・大和地震) - M 7 1⁄4±1⁄4、死者約1,800人。
12月23日(嘉永7年11月4日) 安政東海地震(東海道沖の巨大地震) - M 8.4 (Mw 8.6[109])、死者2,000〜3,000人。房総半島から四国に津波、特に伊豆から熊野にかけて大きな被害。ロシア船ディアナ号(プチャーチン提督来航)沈没。
12月24日(嘉永7年11月5日) 安政南海地震(南海道沖の巨大地震) - M 8.4 (Mw 8.7[注 16])、死者1,000〜3,000人。紀伊・土佐などで津波により大きな被害(串本で最大波高11m)。大坂湾に注ぐいくつかの川が逆流。道後温泉の湧出が数か月間止まる。
安政東海・南海地震は32時間の時間差で発生した。両地震による死者の合計は約3万人との説もある。余震とみられる地震は9年間で2,979回記録(『真覚寺日記』)
(中略)
1891年(明治24年)10月28日 濃尾地震 - M 8.0、濃尾平野北西部などで最大震度7相当と推定[111][112]。死者・行方不明者7,273人。根尾谷断層の発生。
1892年(明治25年)12月9日・11日 石川県・富山県で地震 - M 6.4(9日)、弱い津波。死者計2人。
(中略)
1911年(明治44年)6月15日 喜界島地震 - M 8.0(mB 8.1)、死者12人。
(中略)
1925年(大正14年)5月23日 北但馬地震 - Mj 6.8、兵庫県豊岡市で最大震度 6。火災発生、死者428人
(中略)
1927年(昭和2年)3月7日 北丹後地震 - Mj 7.3(Mw 7.1)、京都府宮津市と兵庫県豊岡市で最大震度 6。震源付近で震度7相当と推定[127][112]。死者2,925人。
(中略)
1944年(昭和19年)12月7日 東南海地震(昭和東南海地震) - 三重県沖、Mj 7.9(Mw 8.2)
(中略)
12月21日4時19分頃 南海地震(昭和南海地震) - 和歌山県沖〜四国沖、Mj 8.0(Mw 8.4[131])
http://www.nagai-bunko.com/shuushien/tenpen/ihen01.htm
1179(治承 3)年
5月28日 夜地震。(玉葉30、31)(源平盛衰記)(山槐記)
7月 7日 地震。21日にも地震。(玉葉30、31)(源平盛衰記)(山槐記)
11月 7日 京で大地震。(玉葉30、31)(源平盛衰記)(山槐記)
http://www.nagai-bunko.com/shuushien/tenpen/ihen02.htm
1213(建保 1)年
1月 1日 鎌倉で大地震。堂舎倒壊。(本朝年代記 2)
5月21日 午刻大地震。音があり、舎屋破壊、山崩れ地裂く。
(吾妻鏡21)(皇帝紀抄 8)(本朝年代記 2)(和漢合運指掌図)
地震のために改元。(古事類苑)
引用終了
見ての通りで、これらから言える事は、「南海トラフやその延長(フィリピン海プレートとユーラシアプレートの境界エリア)で発生した大地震の約20年位(前後数年の幅をとるとして)前に近畿、中部、上信越地方などで大地震が発生している事が多い」と言う事です。
今後もこの傾向が再現されるのかどうかはわかりませんが、有る程度の目安にはなるかも知れません。