快気分析

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仕組みとアプローチ -  本能寺の変 弥助は日本の歴史を変えたのか

2017-12-06 20:25:33 | 地震 津波
 前回の記事で弥助が行ったのは二条城と書きましたが、二条城とは二条御所、二条新御所などを含む総称なので、より正確には二条新御所です。
 悪しからず。
 ところでイエズス会の教会が本能寺の近くにあっ たと言う事からも、弥助がイエズス会かその関係者の所に寄って信長の首をそこに置いた可能性が有る、と言うのは有る程度考えられるかと思います。
 首を持ったまま二条新御所まで行くのは、途中で捕らえられる可能性が高い事、そして二条新御所で結局は弥助が捕らえられているのですから、信長の首は明知方の手に入ってしまいます。
 そのような事を仮にイエズス会が想定していれば教会かイエズス会の関係者、或いは関係の深い商人、或いはもしかして一部の公家などの所に置いて行ったと考えても良いのではないでしょうか。
 信長の首が見つからなかった事も、明智方の味方をする武将が少なかった原因の一つであるとされ、それが短期で敗因に繋がったとする考え方も多いようです。
 仮に信長の首を明智方が手に入れて晒せば明智軍と織田、豊臣軍の戦いが長引き、そうなれば、筒井順慶、長宗我部氏は無論、北条氏、上杉氏なども本格的に動き出した可能性は高く、更には細川藤孝、徳川家康も明智方に味方したはずだとする考え方が有っても不自然では無くなり、大混乱となって果たしてどちらに軍配が上がったかわからなくなって来るのです。
 こうした事を考えると、「弥助と言う人物たった一人が信長の首を持ちだした(かもしれない)が為に、日本の歴史が変わってしまった可能性だって有る」と言う事にもなって来ます。
 本能寺の変について様々な資料に目を通していると、こうした仮説に辿り着く事も有るわけで非常にドラマティックな面が有り、止められなくなって来ます。