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快気分析

何か快適な気分になれるような記事にしたいです。

仕組みとアプローチ -  家康がイエズス会と裏取引をしていたとする考え方

2018-06-08 21:09:14 | 明智光秀
 家康がイエズス会と裏取引をしていたのか・・・・・と言ってもそれは光秀亡き後事です。
 2016年9月16日の記事、サブタイトル「関ヶ原の戦い 二度死にかけた島津義弘」で書いたのですが島津義弘は元々は東軍に与するつもりで伏見城に来たのに、入城を断られ、その内に西軍に加担させられる事にない、あげく西軍として関ヶ原にいて、実際には西軍方の戦闘に参加しなかったにもかかわらず、西軍が敗戦確実となった時に、命からがら逃げ延びます。
 しかし島津義弘が伏見城に来たのに、入城を断られるなどと言う事は家康が予め指示していたから以外には有り得ません。
 当時、少しでも味方を作れるかと言うのが重要な課題だったからです。 
 このように経緯についてやや違和感が有るのと、更には「島津の退き口」などまでして逃げ帰る島津義弘らを井伊直政や本多忠勝らが不自然と思えるような執念で追っています。
 井伊直政はこの時に受けた銃創がもとで暫く後に落命とも言われているのが定説です。
 もう勝負はついているのに、何でリスクをとってまでこのような追撃をしたのでしょうか。
 これが何を意味するかと言うと、こうです。
 「家康は関ヶ原の戦いでイエズス会との裏取引を行って有利に誘導した。その裏取引の材料の一つは反キリシタン大名である島津氏にはある程度の討伐すべきであった為、討伐の姿勢をリスク度外視でするしかなかった」と言う事かと考えています。
 「イエズス会は禁教令を徹底した秀吉とその家臣ら(キリシタンであった小西行長らをも含む)を見放し、家康にシフトし始めた。家康もそれに応じ、うまく利用して関ヶ原で勝利を得た。がしかし狸爺である家康は心底からスペイン・ポルトガル勢に従属しようなどとはさらさら考えていなかった。がそれは当時表面には出さなかった。そして後にイギリス、オランダなどのプロデスタント系キリスト教勢力が強くなって来たのを利用して大坂の陣ではこれら勢力から優秀な大砲を手に入れて豊臣方の篭る大坂城に砲撃を行って勝利した」。
 大坂の陣関連については以前の記事で書いた通りです。
 
 

仕組みとアプローチ -  関東大震災(1923年)前と現在の似ている点 その1

2018-06-08 06:46:37 | 地震 津波
 最初に「関東大震災(1923年)前と現在の似ている点を挙げる」と言うだけですので、「全ての点に於いて関東大震災(1923年)前と現在の似ているわけではなく、似ていない点も有る」と言う事は最初に書いておきたいと思います。
 
 ではトップを何にすべきかですが、これから行きましょう。

引用開始(一部抜粋)

https://www.sankei.com/life/news/180506/lif1805060044-n1.html

1世紀ぶり夜空で“競演” 木、土、火星が相次ぎ最接近、同方角に


 木星、土星、火星が10日から夏にかけて地球に相次ぎ最接近し、空のほぼ同じ方角に明るく並ぶ。約1世紀ぶりの珍しい現象だ。肉眼でもよく見える絶好の観察機会で、天気が良ければ夏まで天体ショーが楽しめそうだ。
 最接近するのは木星が5月10日、土星が6月28日、火星が7月31日。国立天文台の資料によると、現在も午前2時ごろには南西から南東の空に月とともに並んでおり、木星がマイナス2・5等級と最も明るい。
 この3惑星が連続的に最接近し、同じ方角に見えるのは大正11(1922)年以来。色は木星が薄茶、土星が黄、火星が赤で「肉眼でも色の違いが分かる」(同天文台)という。

引用終了

 と言う事で1923年の前年にあたる1922年に今年と同様な事が起きていました。
 「それと地震がどう関係有るのか?」となると「引力条件が僅かに似た点などなのか、それとも宇宙線などの変化なのか?」と言う程度なのかも知れませんが、最初から「関係ないよ」とかの先入観に支配される事のな無い様に、淡々と似ている点を挙げました。