快気分析

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仕組みとアプローチ -  地球の自転速度が謎の低下を起こしていると言う話

2018-06-13 21:03:33 | 地震 津波
 地球の回転が《謎の速度低下》を起こしていると言う話が有り、しかもそれを発表しているのがアメリカ地質学会との事なので、今回はこの件について記事にしてみました。

引用開始(一部抜粋)

https://indeep.jp/earth-rotation-mysteriously-slowing-down-and-earthquakes-must-increase/

「地球の回転が《謎の速度低下》を起こしている」 :アメリカ地質学会の衝撃的な発表。そして来年、大規模地震の発生数は大幅に上昇するという予測も公開

投稿日:2017年11月21日
アメリカ地質学会が「大地震と唯一の相関関係を持つ過去の事象」を探り当てる。それは地球の回転速度の変化だった

(中略)

地球の自転の速度が4年連続で減速している

引用終了

 ここ数十年徐々にと言うのではなく、「4年連続で減速している」と言う所がミソな気がします。
 何故かと言うと、最近4年て火山噴火が世界的に活発になっている期間にほぼ一致しているからです。
 何が言いたいのかと言いますと、今月7日の記事、サブタイトル「世界的な火山噴火多発で地中深くは体積減少している、と言う考え方」で書いたのですが、地中深くの部分が火山活動の活発化で溶岩となって地上や海中に噴出、その他にも火山灰、火山性ガスなどが地上や大気、海中に「物質移動」しています。
 別に難しい事ではなく単純に考えると、「地中深くに有った物質が地上や大気、海中に移動した分、地球の質量は地球の中心からより離れた場所への移動となった。それだけ質量が移動すれば角運動量保存の法則で地球の自転は遅くならなければ逆におかしい」と言う事ではないでしょうか。
 これに対して「地中深くのものが地表や地上に移動してもそれだけプレートが潜り込みやすくなって、結局同じではないか」と言う疑問も有るのかも知れません。
 しかしマグマや火山灰や火山性ガスなどは地表だけでなく大気や海中にも多量に移動しているはずです。
 この部分が地上よりも「地中深くに比べて地球の中心からは遠い」と言う事は言うまでも有りません。
 それだけでなく、大地震でプレート境界間などの固着が外れた所が多くなり、それだけプレートが潜りやすくなった結果、その摩擦などの熱発生でマグマが従来より多く発生し、それだけ地殻は温度上昇した部分が多くなったと思われ、それが最近の火山噴火多発なわけですが、ならば地殻の体積膨張が当然考えられ、その分地球の質量はより地球の中心から遠くなったと考えられます。
 なので地球の自転速度が遅くなってもそれは当然有り得る事、と言うか逆に自転速度が何も変化しなければ変で、何か別の大きな要因があると言う事ではないでしょうか。
 もう一つ、ここ4年では有りませんが地下の鉱物資源などを採掘して殆どを地上で利用しています。
 これも地下の重たいものを地上に移動させるのですからやはり地球規模で考えると質量はより地球の中心から遠い所に移動している可能性はゼロでは有りません。
 鉄、銅に限らず多くの重たいものを採掘してもそこにはせいぜい水を充填するだけでしょうから、地下深くはより軽くなり、地上やその付近は重たくなる、と言う事です。
 ただ標高の高い所の鉱床から採掘して標高の低い所でその金属を利用すればそれは逆に「地球の中心へ質量が移動する」事になります。
 全体でどうなのか、と言う試算を私は見た事が有りませんが、少なくとも最近の火山噴火の多発が地球の自転に影響していると言う事は言えるのではないかと考えています。

 


仕組みとアプローチ -  家康がイエズス会と裏取引をしていたとする考え方 その2

2018-06-13 07:52:39 | 明智光秀
 今月8日の記事で「家康がイエズス会と裏取引をしていたとする考え方」について書きましたが、歴史を紐解けば関ヶ原の戦いの前にも有ったと見られる事で出て来ます。
 それは秀吉の没した後の1599年に家康が行おうとした加賀征伐計画。
 この時は前田利家正室である芳春院(まつ)が徳川方に人質になる事で結局はそれでOKとなってしまいました。
 無論、前田家が徳川方に縁戚関係構築を積極的の展開するなどの努力も有ったようですが、それが可能だったのに対し、そうした対策が実施しようにも不可能だった他の大名も多くいたわけですからやはりどこかオカシイと考えるしか有りません。
 京極高次が山崎の戦いで明智方に与したにもかかわらず、その後に妹が秀吉の側室になったと言うだけで多少の謹慎期間の後に大名に復帰してしまったのと似ています。
 では前田利家を領主とする前田家がどうなのかと言うと、キリシタン大名とまでは言わないまでも、どうもかなりの親キリシタン大名だったようです。
 秀吉による禁教令の後に高山右近が前田家に身を寄せているのもその一つです。
 少なくとも「家康は親キリシタン、つまり親スペイン、ポルトガル勢力であった前田利家には手が出せなかった」と思っています。
 そして江戸時代も加賀前田家の繁栄が続いたのは、家康がスペイン、ポルトガル勢を味方につける裏取引から手を引く事が鮮明になって来た大阪の陣の頃までに、前田家は徳川氏と縁戚関係、その他で徳川方に何とかうまく取入り、辛くも徳川方から敵対してしまう事から逃げ切ったから、と言う所ではないでしょうか。
 明智光秀はキリシタンである高山右近、京極高次を家臣団の一部としていたので、イエズス会がてっきり後押ししてくれると思い込み、山崎の戦いで高山右近が離反する直前まで油断していたのが敗因の一つになったのかも知れません。