快気分析

何か快適な気分になれるような記事にしたいです。

仕組みとアプローチ -  大阪府北部の地震と慶長伏見地震 そして伏見城の倒壊と加藤清正の復活

2018-06-21 19:50:12 | 地震 津波
 今月発生した大阪府北部の地震については有馬-高槻断層帯が少なくとも関連しているとの考え方が多いようです。
 過去のの地震で有馬-高槻断層帯が大きく関連した大地震には、例えば1596年に発生した慶長伏見地震が有ります。
 この時の状況ですが、伏見城が倒壊、そして秀吉は加藤清正のに助けらた言うのが通説です。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%B6%E9%95%B7%E4%BC%8F%E8%A6%8B%E5%9C%B0%E9%9C%87

歌舞伎「増補桃山譚」(ももやまものがたり)の通称である。明治2年(1869年)東京市村座で初演された。

内容は、伏見大地震の時(真夜中)、石田三成の讒言で秀吉の怒りを買い閉門中の加藤清正が第一番に豊臣秀吉のいる伏見城へ駆けつけ、動けない秀吉をおんぶして脱出させ、閉門を解かれるという話である[8][9][10]。
だが、地震発生から2日後の日付でこの地震について領国に伝えた清正自身の書状[11]には、秀吉一家の無事であったことと、自分は伏見の屋敷がまだ完成していなかったために被害を免れたと記されており、更に京都から胡麻を取り寄せる予定であったことも書き加えられている。つまり、この地震の時に清正は伏見でも京都でもなく恐らく大坂の自分の屋敷に滞在していた[注釈 4](清正は大坂から伏見の秀吉を見舞ったことになり、時間を要することになる)とみられ、この逸話が史実ではないとみられる[12]。

引用終了
  
 これについて「ここまで極端に秀吉が助けられたのかどうか」と言う点で疑問に考える向きも多いかと思います。
 しかし仮にここまでではないとしても筆者は「この大地震で加藤清正が実は復権を果たしたのではないか」と考えています。
 それが何のか?と言えば、「野戦にも秀でた武将がやはり必要だった事に秀吉が気がついた」と言う事ではないかと思います。
 宇喜多氏や毛利氏などへの中国地方攻めで、竹束採用の出現により鉄砲を駆使した戦闘方法が弱体化されつつある状況では、堅牢な城が敵方攻略のベースとなると当時は秀吉が強く認識し出したのではないかと考えられます。
 それで野戦などの戦闘に秀でた武将などを冷遇し始め、その例が加藤清正の冷遇開始。
 ところが慶長伏見地震で伏見城が倒壊し、防衛システムとしてはとても機能できない事に気がついて、改めて野戦などに秀でた加藤清正に依存する方向に舵を切った、と言う事なのではないかと個人的には考えています。
 そしてこの大地震で家康のラッキーがまた繰り替えされました。
 家康の徳川軍は野戦には突出した能力が有った事です。
 秀吉は野戦のマジシャンである徳川を更に無視出来ないでいる内に死去してしましました。
 家康の強運は他にも有ります。
  

仕組みとアプローチ -  大阪府北部の地震 活断層の可動限界と寿命、更には復活

2018-06-21 07:35:40 | 地震 津波
 以前の記事で書いた通り、活断層には可動範囲と言う限界値と言えるものが有る事が少なくなく、従ってこれまでの活動した履歴から「活断層」と認識されていても実は既に可動範囲の限界値となってしまっている「不活断層」で有るものも少なくない、と考えています。
 今月発生した大阪府北部の地震についても次のようなニュースが有りました。

引用開始(一部抜粋)

http://www.yomiuri.co.jp/science/20180618-OYT1T50053.html

震度6弱の地域付近、長さ数十キロの「断層帯」
2018年06月18日 13時17分

 18日朝、大阪府北部で震度6弱を観測した地域の近くには、長さ数十キロ・メートルの「有馬―高槻断層帯」がほぼ東西に、「生駒断層帯」と「上町断層帯」がほぼ南北に走っている。政府の地震調査研究推進本部によると、いずれの断層帯も30年以内にマグニチュード(M)7~7・5程度の地震が懸念される主要な断層だ。

 気象庁は、地震波の解析から「東西方向から圧縮する力が働いた」と説明。「有馬―高槻断層帯のごく近くで起きたが、この断層帯が動いたかどうかは分からない」としている。

引用終了
 
 仮にこれまで確認されていた活断層ではない場所で、今回の地震と地殻のずれが発生したのであったとするならば、それは次のようなケースが考えられます。

 第1のケース。
 上記の通り、これまで活断層だったと思われていた所が既に可動限界となり、このエリアにかかる力が従来の活断層の近接部にかかって新たな活断層となった。
 第2のケース。
これまでは活断層と認識されていなかった所に実は活断層が有った。
 第3のケース。
 これまでは既に活動を停止していると考えられていた「不活断層」が周囲も含めた力のバランスの変化や地殻や地下水の状況変化などで再び活動を開始して「復活断層」となった。

 断層帯の内部や近辺ではこうした多くのケースが可能性として存在し、更にはこれまで知られていた断層帯から離れたエリアで新たな断層帯が発生する可能性もゼロではないと考えています。