爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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壊れゆくブレイン(98)

2012年08月17日 | 壊れゆくブレイン
壊れゆくブレイン(98)

 雪代が家でパソコンに向かっている。広美が料理をもっと作りたいということでレシピをまとめ、その情報をメールで送っている。結果としてそれが自作のリストにもなり、自分でも喜んでいた。まるで財産がふえたとでもいうように。

「わたしがいなくなっても、これで、わたしの料理が再現できる」
 それでも、その繊細な味の違いは再現したものを食べてみないと分からない。彼女はそれで写真にも残した。リストが増えていくという単純な楽しみのためだが、食べるぼくの側に食欲の問題があった。
「そんなに多すぎない?」という言葉が料理を前にしてつい口に出る。
「いいのよ、誰かに上げれば。でも、こんな状況が来るのを知っていたら、3人で暮らしたときからはじめていれば良かった」と雪代は言う。
「それなら、広美に直接教えたら良かったのに」
「それもそうね。でも、バスケとかで忙しかったから」

 広美も作った料理の写真をメールで送ってきた。それを雪代はリストに添付する。不慣れなところはぼくも手伝った。それで、親子が作った料理が横に並んでいる。キャリアの差はもちろんあるが、こういったものは自然に覚えていくのだろう。ぼくは、裕紀の分もあったら良かったのにと単純に思う。レシピもなく、その味を伝授したであろう母も、受け継いでくれる自分の子どももいなかった。ただ、ぼくの味覚の一部が覚えているだけだ。

「ねえ、なに食べたい?」と、雪代に訊かれたときに、ぼくはある品を告げる。
「わたし、そういうの作ったことあったっけ?」と、むかしの記憶をさぐるように雪代は遠い目をする。
「多分、ないかもしれない」

 ぼくはそれを外食で食べたのかもしれないし、母が作った場合もある。それに、裕紀も料理が上手だった。その可能性のどれかを雪代は考えているのだろう。もしかしたら、どれも当て嵌まらないかもしれない。ただ、それに似たものをインターネットのサイトで調べ始めていた。

「ねえ、こんな感じ?」雪代は振り向いている。ぼくはそこに近付き、彼女の肩に手を置いて、画面を見た。
「うん、こういうのだよ」
 雪代はペンを取り、ノートにメモをはじめた。小さな声で何かを言っている。
「そのままコピーしてリストにすれば?」と、ぼくはお節介な言葉を付け足す。だが、彼女の耳には入っていないのか、敢えて耳をふさいでいるようだった。

 いっしょに買い物に出掛け、メモを参考に雪代が食材を選んでいる。ぼくは思い出というのをきちんと保管したり管理することを考える。思い出を細分化してインデックスを付け、リストにする。それを元に頭で再現する。しかし、人間の細やかな機微は、ある場面に出くわしたり、匂いや風が運ぶ湿った風などにも反応する。だからこそ、リスト化は不可能なのだ。そして、あのとき、あの一回だけという場面がより貴重な思い出となり得るのだ。

 雪代は食材を分類し、冷蔵庫に入れた。そして、必要なものを水で洗い、包丁で切った。軽やかな音がする。ぼくは大根をおろす役目が与えられる。レシピも何もない。ただ、焼きあがった魚の横に添えられるもの。その香ばしい予兆の匂いがしはじめている。それにつられ、ぼくの胃袋は低い音をだす。

 ぼくは裕紀が作ったものと似ているものをテーブルの上に見つける。雪代はそれを写真に撮った。写真もこのあとに娘に送るのだろう。
「こんなのだった?」
「うん。こういうのを望んでいた」
「食べて。どう?」ぼくの口の動きを彼女は見ている。
「おいしいよ」
「そう、良かった。記念すべきリストの50番目。100ぐらいいくと思う?」
「だって、ぼくが雪代が作ったものを食べたの、いままでで100どころじゃないじゃん」

「そうかもね」ぼくらには毎日の日常を送る夫婦の姿があった。金字塔と呼べるような大掛かりな日はあまりない。繰り返し。再現。だが、以前と同じものももうない。また同じものを望んでも、できることばかりでもない。ぼくを興奮させたあの若き輝ける日をもう一度、味合うことも不可能だ。それは追憶という形式で満足させるしかない。料理はその意味では手っ取り早いようだった。裕紀の作ったものでさえ、似たようなもので代用できる。しかし、本人の存在には代わりがない。

「料理って、作っただけでは完成じゃないよね。誰かの口に入り、喜んでもらったことで100に近付く」
「何だって、そうだよ。ぼくが売ったマンションだって、そこに置いておくだけではまったくの無価値な四角い箱。住んで、どこかに傷がつくかもしれないけど、生活の喜びを得た場所になった時点で、完成に近付く」
「映画もそうか。見て、感動して涙をながして、それが価値になる」

 ぼくは若いときに雪代を見た。彼女と同棲して、別れて二度目の結婚相手として選んだ。どこがゴールか分からないが、ぼくらは完成に近寄ろうと努力しているのだろう。ただの美しい少女ではもちろんない。大人になり、髪や肌もかわる。だがこの費やした年月はぼくらの生活の重みの姿でもあった。それを取り出すことはできないかもしれないが、いまそばに誰かがいるということはどんなことよりも嬉しい事実だったのだ。