壊れゆくブレイン(101)
ぼくは自宅で姪から借りた冊子を手に取った。パラパラとページをめくり、美緒の名前を探した。それは直ぐに見つかった。ぼくはソファのうえに身体を横たえ、行儀悪い読み方だなと思いながらも、その体勢こそがいまはいちばんしっくりしているようにも感じた。だが、ぼくは読み始めることをしなかった。起き直して、冷蔵庫の前まで行き、ビールを取り出し、ひと口飲んで、またさっきの姿勢にもどった。頭上にはきちんと印刷された文があり、横のテーブルには缶のビールがあった。だが、きれいな印刷された文字で読むより、ぼくは美緒の手書きの文字でも読みたかった。さまざまな難癖を見つけては、ぼくはその作業を先延ばしにしようとしていたのかもしれない。だが、それもついには終わり、ぼくは最初から読み出した。
「家族のアルバムを見ることは誰しもの楽しみかもしれません。わたしにとってもそうでした。両親は几帳面にわたしの成長の記録を残してくれました。赤ちゃんの髪が伸び、可愛らしいリボンがつけられます。自分のだけではなく、家族の分も見せてもらいました。すると、たまにしか会わない親戚のひとの顔も段々と覚えるようになりました。幼いわたしは両親にひとりひとりの名前をたずね、来年のお正月や夏休みに会ったときは、きちんと彼らの名前を呼んで挨拶しようとこころに誓いました。
ひとりの女性がいます。そのひとは父の妹でした。わたしがそのひとのことを訊こうとすると、両親は困ったような様子を浮かべます。あとで分かることですが、彼女は若いときに病気で亡くなってしまったようです。わたしも何度か会ったそうですが、残念ながらそのときの記憶があまりありません。
その女性の名前ももちろん覚えましたが挨拶することは当然できません。だけど、他のひとがその名前を口にするのが自然と耳に入ってきます。彼女の名前はわたしと結びつけるのに好都合のようでした。なぜならわたしたちの外見はとても似ているらしいのです。
わたしも大きくなり、自分の写真も増えました。髪形もかわり、洋服も徐々に大人に近いものを着るようになります。そのような時期にふと古い写真を見ると、わたしは彼女に近い容貌をしていることに指摘されなくても気付きました。わたしはそれを恐れるようになります。彼女に似れば似るほど、わたしは彼女と同じような短い人生しか待っていないのではないかという恐れでした。ひとは何かを学ぶときにはお手本が必要になります。良い見本は、悪い模倣になることはなく、良い本質を受け継ぐようになると思います。わたしの叔母のことを誰しもが誉めました。そのころの自分は反対にいたずらばかりを繰り返す子どもでした。だから、その女性の前例を見習う自分は、彼女の辛いところだけを引き継ぎ、若くして病気になるのだ、という幼いこころを不安に陥れるほどの心配に囚われていきました。
ある日、わたしはそのことを母に告げます。あなたは、あなたというひとつの存在なのだから、全部、誰かと同じ人生を歩むことはないとはっきりと言ってくれました。また手足の長さがそれぞれひとりひとり違うように、同じことはしたくてもかえってできないものだとも説明してくれました。そういう視点で写真を見ると、わたしと叔母の差異も目につくようになります。唇の形も違いますし、目のまわりの表情も異なっています。しかし、それはパーツの問題であって、全体から受ける印象は相変わらず似ていたままでした。
わたしはさらに成長をつづけます。叔母の変化はこれ以上、アルバムに加わることはないのです。わたしは考え方自体を転換させようと思いました。彼女は幸せな結婚をしたとも聞きました。若いときに両親を亡くす不幸もありましたが、わたしの両親は元気でいろいろなことを応援してくれています。留学したことが生かされ英語にも堪能で、東京できちんと働いていたようです。わたしは悪い前例をすべて忘れてしまい、彼女の良い模範となるべく長所を見つけようと決心しました。同じように英語を学び、同じように仕事でも誇りをもって頑張るのだ。でも、なるべくなら、彼女みたいなひとから英語を教わりたかったな、と弱気になることもあります。それで、これからもいまはいないのですが、彼女の良かったところをほかのひとにも訊きまわり、良い前例の確かな証拠を収集したいです。それで、いつかわたしに似ていると言われるかもしれない女の子たちの見本になれるような女性に自分もなりたいと思います。」
ぼくは一度読み、さらにビールを飲み、また二度読んだ。
しばらくひとりで天井を見上げていた。裕紀の美点をぼくは知っている。それを知らずに終わる人々が世界のほとんどなのだということも大人の理性で知っている。だが、それを真摯に知りたいという気持ちをもっている少女がいたことにも驚いている。ぼくの姪もそういう気持ちをもっていた。その若いふたりは自分の未来を恐れていた。だが、恐れる必要などまったくないのだとぼくは言ってあげたい。でも、それは言葉として期待に応えられるほど伝わってくれないのかもしれない。自分でただ勝ち取るしか方法はないのだろう。ぼくが、あの裕紀を失ったばかりの日々から抜け出せたように。
「前例を恐れない」という題名だった。ぼくはその冊子を閉じ、自分の部屋の机に置く。ぼくは美緒という女性が大人になったときのことを考える。いつか恋をする。信頼の置けない自分みたいなひとに会わないことを願う。病気などしない健康な身体をもっていることも望んだ。しかし、そこまでだった。裕紀の未来が停まったように、美緒という女性が白髪になったり、腰を曲げて歩くということは想像できない。実際、そうなるにはあまりにも未来は長過ぎた。また反対にあまりにも人生は早過ぎ、疾走する馬を捕まえられないような不安感もぼくに与えた。
ぼくは自宅で姪から借りた冊子を手に取った。パラパラとページをめくり、美緒の名前を探した。それは直ぐに見つかった。ぼくはソファのうえに身体を横たえ、行儀悪い読み方だなと思いながらも、その体勢こそがいまはいちばんしっくりしているようにも感じた。だが、ぼくは読み始めることをしなかった。起き直して、冷蔵庫の前まで行き、ビールを取り出し、ひと口飲んで、またさっきの姿勢にもどった。頭上にはきちんと印刷された文があり、横のテーブルには缶のビールがあった。だが、きれいな印刷された文字で読むより、ぼくは美緒の手書きの文字でも読みたかった。さまざまな難癖を見つけては、ぼくはその作業を先延ばしにしようとしていたのかもしれない。だが、それもついには終わり、ぼくは最初から読み出した。
「家族のアルバムを見ることは誰しもの楽しみかもしれません。わたしにとってもそうでした。両親は几帳面にわたしの成長の記録を残してくれました。赤ちゃんの髪が伸び、可愛らしいリボンがつけられます。自分のだけではなく、家族の分も見せてもらいました。すると、たまにしか会わない親戚のひとの顔も段々と覚えるようになりました。幼いわたしは両親にひとりひとりの名前をたずね、来年のお正月や夏休みに会ったときは、きちんと彼らの名前を呼んで挨拶しようとこころに誓いました。
ひとりの女性がいます。そのひとは父の妹でした。わたしがそのひとのことを訊こうとすると、両親は困ったような様子を浮かべます。あとで分かることですが、彼女は若いときに病気で亡くなってしまったようです。わたしも何度か会ったそうですが、残念ながらそのときの記憶があまりありません。
その女性の名前ももちろん覚えましたが挨拶することは当然できません。だけど、他のひとがその名前を口にするのが自然と耳に入ってきます。彼女の名前はわたしと結びつけるのに好都合のようでした。なぜならわたしたちの外見はとても似ているらしいのです。
わたしも大きくなり、自分の写真も増えました。髪形もかわり、洋服も徐々に大人に近いものを着るようになります。そのような時期にふと古い写真を見ると、わたしは彼女に近い容貌をしていることに指摘されなくても気付きました。わたしはそれを恐れるようになります。彼女に似れば似るほど、わたしは彼女と同じような短い人生しか待っていないのではないかという恐れでした。ひとは何かを学ぶときにはお手本が必要になります。良い見本は、悪い模倣になることはなく、良い本質を受け継ぐようになると思います。わたしの叔母のことを誰しもが誉めました。そのころの自分は反対にいたずらばかりを繰り返す子どもでした。だから、その女性の前例を見習う自分は、彼女の辛いところだけを引き継ぎ、若くして病気になるのだ、という幼いこころを不安に陥れるほどの心配に囚われていきました。
ある日、わたしはそのことを母に告げます。あなたは、あなたというひとつの存在なのだから、全部、誰かと同じ人生を歩むことはないとはっきりと言ってくれました。また手足の長さがそれぞれひとりひとり違うように、同じことはしたくてもかえってできないものだとも説明してくれました。そういう視点で写真を見ると、わたしと叔母の差異も目につくようになります。唇の形も違いますし、目のまわりの表情も異なっています。しかし、それはパーツの問題であって、全体から受ける印象は相変わらず似ていたままでした。
わたしはさらに成長をつづけます。叔母の変化はこれ以上、アルバムに加わることはないのです。わたしは考え方自体を転換させようと思いました。彼女は幸せな結婚をしたとも聞きました。若いときに両親を亡くす不幸もありましたが、わたしの両親は元気でいろいろなことを応援してくれています。留学したことが生かされ英語にも堪能で、東京できちんと働いていたようです。わたしは悪い前例をすべて忘れてしまい、彼女の良い模範となるべく長所を見つけようと決心しました。同じように英語を学び、同じように仕事でも誇りをもって頑張るのだ。でも、なるべくなら、彼女みたいなひとから英語を教わりたかったな、と弱気になることもあります。それで、これからもいまはいないのですが、彼女の良かったところをほかのひとにも訊きまわり、良い前例の確かな証拠を収集したいです。それで、いつかわたしに似ていると言われるかもしれない女の子たちの見本になれるような女性に自分もなりたいと思います。」
ぼくは一度読み、さらにビールを飲み、また二度読んだ。
しばらくひとりで天井を見上げていた。裕紀の美点をぼくは知っている。それを知らずに終わる人々が世界のほとんどなのだということも大人の理性で知っている。だが、それを真摯に知りたいという気持ちをもっている少女がいたことにも驚いている。ぼくの姪もそういう気持ちをもっていた。その若いふたりは自分の未来を恐れていた。だが、恐れる必要などまったくないのだとぼくは言ってあげたい。でも、それは言葉として期待に応えられるほど伝わってくれないのかもしれない。自分でただ勝ち取るしか方法はないのだろう。ぼくが、あの裕紀を失ったばかりの日々から抜け出せたように。
「前例を恐れない」という題名だった。ぼくはその冊子を閉じ、自分の部屋の机に置く。ぼくは美緒という女性が大人になったときのことを考える。いつか恋をする。信頼の置けない自分みたいなひとに会わないことを願う。病気などしない健康な身体をもっていることも望んだ。しかし、そこまでだった。裕紀の未来が停まったように、美緒という女性が白髪になったり、腰を曲げて歩くということは想像できない。実際、そうなるにはあまりにも未来は長過ぎた。また反対にあまりにも人生は早過ぎ、疾走する馬を捕まえられないような不安感もぼくに与えた。