
「私にだって訳があってギターを弾いている」
誰しもが何らかの訳を抱えながら生きている。安定した毎日を過ごしている人にはピンとこないかもしれないけど。どうして今日もケチャップで汚れた子供のシャツを洗濯しなくちゃならないのか。それにも必ず訳はある。
若く不安定な日々を生きているこの映画の主人公たちは、生きる意味が分からないままそれでも個々の訳を問い抱えながら生きている。
ハルレオという女性デュオとサポートする男性シマのロードムービー。
ただ、三人の演奏旅行はその先に解散という了解があってのことだ。静岡、三重、大阪、新潟、山形、北海道、そして東京と三人の旅を縦糸に、それぞれの過去や織りなす感情が横糸として絡む。冒頭の歌詞通りギターを弾きながら小さなライブハウスを巡る三人に寄り添うことが出来れば、きっとこの映画が好きになれると思う。
主役三人が良かった。TVドラマ「逃げ恥・・・」で繊細なゲイを演じた成田凌は影に徹する役所が合っているみたいだ。ナイーブな片想いを見せてくれた。門脇麦の達者なことは知っているが、難しいこの役をさらりと演じていて目立たない好演というのだろうか、とにかく玄人うけしそうな良い女優だと再確認。びっくりしたのは小松菜奈だ。門脇麦もそうだけど、歌が上手い。プロの歌手なんかより演技力がある分だけ、本当のデュオみたいだ。気になって調べてみたら彼女の出演作は結構観ている。デビュー作「渇き」から冬に観た「来る」まで7本も観ていた。二人ともテレビでは映えない魅力があり、映画女優なんだな。
男と女が三人寄ればどうしたって三角関係の恋情を描きたくなるのだろうけど、それは要らなかったように思う。ハルがレオに抱いている友情以上の感情だけでこの映画の人物設定は充分深みを増したと思うからだ。原案も脚本も塩田監督がひとりでやってるみたいだから、若い女の子特有の擬似同性愛感情は上手く表現できなかったかもしれないけど、デュオの熱心なファンである女子高校生が頬寄せ合ってイヤーフォンから流れる歌を聴くシーンだけで伝わるものは伝わる。ハルの孤独な心のつぶやきはしっかり届いている。
さて、そんなにこの物語が上手く作られているかといえばそうでもない。
監督の「黄泉がえり」は脚本の上手さもあって感動的な良作だった。それでもあの映画を一層感動的にしていたのは音楽の使い方だった。印象的な楽曲と野外コンサートが物語に彩を与えていた。
「さよならくちびる」もライブハウスでの演奏が何度も挿入される。歌っている歌は三曲しかないけど、最後の演奏シーンでは一緒に口ずさめるほど刷り込まれて、なんだかライブに参加しているような錯覚を覚えた。音楽が上手く使われたからこそ物語以上の感動があった。
題名の表題曲も良い曲だったけど、個人的にはあいみょんが提供した「誰にだって訳がある」「たちまち嵐」の二曲にハルレオの真髄があるように感じる。内省的な前者に対して、嵐は必ず来るけど大丈夫と歌う後者は二人の今後を暗示しているようで心癒される。
ラストシーンで別々の道に分かれていった三人が辿る1分後をわたくしは信じる。