日本の墓の歴史から、古今東西の墓、いろいろな弔いの方法などを見ながら、これからの弔いを考えさせられる内容になっています。
教科書にも載っている日本の巨大な古墳も、大化の改新以後、薄葬制により、様変わりしたようです。驚いたのは、淳和上皇は遺言で骨を砕いて散骨せよと命じ、嵯峨上皇は墓を造らず草の生すままにして供養もするなと言明しています。現在の墓じまい、散骨ブームに通じる葬送意識であると指摘されていました。
現在の葬送で驚かされたのは、骨仏です。無数の遺骨を粉末状にして固め仏像にしたものだそうです。永久供養の一種ですね。
わたしの父が望んでいる海洋散骨についても書かれていました。陸上に散骨すると死体遺棄に問われる可能性があるそうですが、海洋ならば、節度を持って行う分には死体遺棄とはならないようです。しかし、条例で禁止されている地区もあり、漁業の風評被害などにも配慮せねばならずブログに〇〇沖に散骨したなどと書かないように注意が必要です。
土葬の風習では、死体を埋める墓(捨て墓)と、詣でる墓が別れており、魂と肉体を別物と考えられていたようです。こういうのを見ると、骨は海にまいて、web墓で墓参りというのも良いかないと思ったりします。
墓や葬送の歴史を学ぶと、なんでもあり感が増してくると同時に、墓参りの厳かな雰囲気を思い出し、なんともいえない時の流れを感じる瞬間も大切だなと思います。
最後に、コスト面や付き合いのわずらわしさを考えると墓は無用なものかもしれないと思うと同時に、心を落ち着かせ家族や親戚の良好な関係を保つ機能・効用だと指摘しています。また、ご先祖との対話ができる手段であり、「自分は何者か」を問答する機会を与えてくれるのも墓であるとしています。
そして、非科学的・非合理的な時間をもつことも即物的な時代に生きる者にとって大切なことであると問いかけていました。
生きている以上、逃れられない問題であるので、少し考える時間があってもよいでしょう。
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