神谷から坂道を登って七色紙の里に行ってきた。七色紙というのは土佐七色和紙のもととなったもので染色に詳しい養甫と安芸国友と製紙家の新之蒸が研鑽を重ねて生み出したものだ。新之蒸は伊予の国の住人でたまたまこの近くで病を患い養甫と武将の安芸国友に介抱してもらったことでお礼にと紙漉きの技術を伝授したところ染色に詳しい養甫が色をつけることを提案。国友の指図で村人を巻き込んでの試行錯誤といったところであろうか。ようやく完成し体調もよくなったので伊予の国に帰ろうとした新之蒸を見送りに来た安芸国友が製法が他国に伝わることを防ぐため仏ヶ峠で背後から新之蒸を斬ったという話が残っている。その後国友は山之内一豊に七色紙を献上し七色紙の製造独占権を得て明治になるまで安芸家は栄えたということだ。戦国時代の話だからと言ってしまえば終りなんだけど後味が悪い。経済優先は何時の時代でも同じか。高知県人はさすがに後ろめたかったのかこの仏ヶ峠ちかくに七色紙の祖 新之蒸の碑を大正年間に建立している。その少し下がったところに国友の墓があった。往時はこの辺りの道が主要道路で佐川へでて越知の松山街道へと続いていたんだろな。途中の小野なんかちょっとした宿場町ではなかったんだろうかと少し広いところがある公民館まえでそう思った。いつでもタイムスリップしたような風景。土佐の山間にある。

パラレルワールドに迷い込んだ感じがするのは俺だけだろうか?

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