今では「写真を撮る」と言う。子どものころは「写真を写りに行く」とか「写真を撮ってもらう」とか言った。写真機は写真屋さんにある物、そう思い込んでいた。
小学4、5年生の頃だったと思う。近所に大きな家があり、そこには芝生の広い庭があった。そこは時おり腕白子どもの遊び場でもあった。その家に日本語を話すのに日本人とはちょっと違う感じのお客さんが見えた。
「ハワイからのお客さん」と聞かされたがハワイがどこか知ろうともしなかった。
ある日そのお宅から「写真を撮るから子ども全員がおいで」と声がかかった。母が洗濯済の服を準備してくれたことをなぜか記憶している。5人が揃って伺い、芝生の庭で撮って貰った。そのときの白黒の写真はセピア色に変わったが、丸坊主頭とおかっぱ頭の姿が懐かしい。
初めて自分の写真機を手にしたのは高校を出て初給料のころ、交換レンズ付きのそれは給与の3ヵ月分くらいした。借りて撮っていた不便さにさよならした嬉しさは今も忘れていない。初めての被写体は錦帯橋だった。
これまで何台の写真機を使っただろう。頼まれて撮った写真も、無理やり受け取ってもらった写真も数多い。嬉しいことに焼き増しを頼まれたこともある。
写真にまつわる話はいろいろあるが「ハワイの人に撮ってもらった写真」が記念写真の1号で、その時から「自分の写真機」を、気持のどこかに潜めたのかも知れない。古いアルバムを開くときそう思う。
今は、アルバムに変わりパソコンの中へ取り込んでおく。色あせることもなく開かれるのを待っている写真の1枚1枚は箱の中でどんな話をし合っているだろう。
(写真:日の出直後の長~い影が印象的な記念撮影する人)