日々のことを徒然に

地域や仲間とのふれあいの中で何かを発信出来るよう学びます

旧 友

2010年08月21日 | 回想
           

数年前、どこかに仕舞いこんだ古いノート、折にふれ探していたそれが見つかった。何の変哲もない26穴のファイル、厚手の濃い茶色の表紙が懐かしい。

開くと原子記号や化学反応式、物質の特性を表すグラフや結合の仕方、伝熱や蒸留などといった、化学プラントを運転するに必要な項目が目に飛び込んでくる。そしてそのひとつひとつがよみがえってくる。

好んで使っていた万年筆のインク、ブルーブラックの色は少し褪せた感じはするが、合いの手の朱の色鉛筆とのコンビネーションはそのままで、丁寧によく書き残したとものと、自分をほめてやりたい。

これは35年前、社内教育で受講した化学工学についての記録で、およそ150頁。15時からの就業前の1.5時間、希望する者が社内外の講師から講義を受けた。会社も力を入れたし期待もしたのか受講は超勤扱いだった。超勤も魅力だったがそれに勝る講座の内容だった。全講座を受講した。

講座は考えなが行うプラントオペレーションに役立った。この数年後に異動でプラント運転を離れたが、意欲的に学ぼうとした記念としてこの化工ノートは大切に残した。

しばらくぶりの旧友と会話するように頁を繰ってみる。よかったことだけが頁の間から話しかけてくる。いい職場だった。

(写真:講義を整理したノートの内容)
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休み中の登校日

2010年08月20日 | 生活・ニュース
           

子どもたちの夏休みも残すとこ10日、近所の小学校は登校日のようだ。自分のときも、わが子のときも休み中に登校日があった。それは「先生の給料日だから」が陰の声だった。昔は給与振込みなんて夢にもでてこない、現金の時代だから。

「お早うございます」気合を入れられるかと思うほど大きな声で挨拶をくれた男の子。思わず大きな声で「お早う」と返す。夏ばてしていない元気な声、今朝の青空のように気分が晴れる。

「お早う」声をかけると「お早うございます」「お早う」と返してくれる子もいる。黙って下を向く子もいる。いろいろだ。高学年らしい女の子たちはなかなか返事をくれない。

大方の子がランドセルを背負っている。中には休み中の作品らしき大きな箱を抱えた子もいる。何が潜んでいるのだろう。首にかけた水筒の水を飲む子もいる。感心するのは全員が右側を通っている。低学年の子は手をつないでいる。

楽しい休みもあと少し、事故に遭わないで終わって欲しい、子らが登校を終わった道へ水をまきながらそう願った。

(写真:大きく開いて子らの声を聞いているような朝顔)
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どこいった夕立

2010年08月19日 | 生活・ニュース
           

花も暑かろうと朝の涼しいうちにたっぷりと水をやる。前の日の夕方にやった水へ追いうつようにやる。花によっては鉢のふちから溢れる手前までやる。なんとなくホットする。

いつから雨が降っていないのだろう。夕立も遠のいている。雷と大雨洪水注意報は毎日、定期便のようにメールが入る。雷の音も聞こえないしそれらしい雲も発生しない。最近はこの情報に期待をしていない。

夕立、こんな風景を思い出す。カンカン照りの午後、にわかに黒い雲が空を覆う。ザーという雨音と同時に大粒の雨が降り始める。遊びに夢中のときは隠れる事もせず雨と戯れる。洗濯物が濡れている家もある。

それが通り過ぎると青空からの陽射しが少しやわらぐ。木の葉から落ちる水滴が気持ちよかった。いま思えばこのとき、暑さに滅入っていた万物全てが生き返っていたのだろう。最近は降れば局地的豪雨となり被害が発生する。あのころの夕立はどこへ行ったのだろう。

ザーとひと雨きてくれると人も野菜も花もみんな息をふきかえすのに、思いながら夕方の水やりをはじめる。防虫スプレーをこの夏は幾つ空にしただろうか。

(写真:こんな雲いきでは驟雨は望めない、岩国城の上空)
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やっぱり秋が

2010年08月18日 | 自然 季節
           

あと数日で「処暑」。暑さがとどまり、まだ暑いけれど朝方涼しい風に秋の気配を感じる頃というのが暦上の言いまわしかた。しかし、そんん気配は感じられない。今日、市内の最高気温が36.3℃、これは8月の観測としては過去最高の温度という。

人は暑い暑いといいいながら涼しいところを求め、冷たいものを欲しがる中で、今日、秋を見つけた。トンボはセミとともに夏の昆虫だが、赤トンボは秋のものとされる。その赤トンボが群れをなして飛んでいた。

見かけたのは郊外のスーパー駐車場。気づく人はいなくて独り占めだった。あわてて手のひらサイズのデジカメを取り出したときは時すでに遅し、飛ぶ場所が変わった。

自然も生きものも季節の移り変わりを織り込んでいる。暑い暑いもしばらく、赤トンボを目で追いながら冷房のきいたスーパーへ入った。

(写真:トリミングして見つけ出した赤トンボ)
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真昼の公園

2010年08月17日 | 生活・ニュース
           

           
「こう暑いと何もしとうない」「何が並んでも食べとうない」という会話。暑さが人の意欲を削いでいることが分かる。各地で体温を超える気温が連日観測されなど、この夏は尋常な暑さではないようだ。

それでも木陰に身を寄せると一息つける。樹上のセミの鳴き声は「あーつい あーつい」と聞こえる。そんな中で真っ赤なサルビアと葉鶏頭、競い合うように真っ青な上空へ向って揺れている。夏とこの熱い赤色はよく折り合っている。

道べりの小さな公園。そろそろ色づいた葉が散り始めた桜の木が数本、セミの声、サルビアと葉鶏頭、木陰のベンチのお年寄り2人、通りがかりの自分だけ。地面は白っぽく光って眩しい。

遊具も暑さに負けている。特にブランコの「ダラー」とした様子は、気だるい夏の午後そのままで、公園の今の時間によく似合っている。セミ捕りの子どもらでもいればと思うが、そばの道を歩く人も見えない。

話し込んでいたお年寄は「そいじゃあ」「水分補給をしようでよ」と言って分かれた。公園はセミの鳴き声が占拠した。

(写真:夏日に似合う燃えるようなサルビアの赤)
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懐かしい旧町名

2010年08月16日 | 町かど
         

時代が変わり制度が変わり生活様式も変わり、それにあわせて町も姿を変えさせられる。仕方ない、変化へ順応しなければ生活していけなくなる、取り残されてしまう。

そんなひとつに町の名前がある。横山側から錦帯橋を渡った岩国側には、1600年頃(慶長年間)の町割りによって造られた城下町の町並みが残っている。ここは。岩国城に向かう縦方向の道幅約4.5m、横方向の道幅は2.7mとほぼ統一された基盤の目のように作られた、と書いてある。

子どもの記憶で最も栄えていたのが本町、そこは玖珂町、柳井町、鍛冶屋町、塩町と呼ばれる区分けがあった。本町は一時、銀座と称し1から4丁目まで区分けされていた。祭りには動けないほどの人出でにぎわっていて。

この城下町一帯は「丁目番号」制度で「岩国」ひとつにまとめられた。それで道を尋ねられると困ることが多い。旧町名がこの歳になっても浸み込んでいる。

古い町名を忘れさせないと、歴史町名を記した表示があちこちに取り付けてある。どの表示も板は黒ずみ墨も薄れ読み辛くなっているが、昔を知るものには懐かしい。城下町らしいものが沢山残っており、また 伝統的建造物も各所にある。これらの保存について検討されているが、問題は多いという。

(写真:歴史町名を記した木の札と城下町の図面<webより>、ちなみに本町は2、3、7、9)
 
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生きたくても

2010年08月15日 | 生活・ニュース
           

8月の手帳を見ていて気づいた。6日、9日、12日、15日と「なか二日おき」の日。何か深い意味があるように感じた。

6日は広島、9日は長崎それぞれに原爆投下の日。12日はJAL機の御巣鷹山墜落の日。そして今日は終戦記念日でお盆でもある。

これらの日は、生きたくてもそうできなかった一つ一つの命から、いま、生きている者へ「生きるとはなんだろう」「命とはなんだろう」「平和とはなんだろう」と考えて欲しい、そう訴えているように思える。

また、生きるということは大変だ。大変だけどもできる限りそのありがたさを感じて頑張って欲しいと、生きたくても生きられなかった命の一つ一つが呼びかけている日のように思う。

「8月は祈りの月」と誰からか聞いた覚えがある。そのときは深く思いもしなかったが、こうゆうとなのか、と気づいた。生きている事のありがたさをかみしめ、頑張っていこう。

戦没者は300万人余、原爆や爆撃などでの死没者を合わせれば「生きたくても生きれなかった」数百万の人の口惜しさを偲び正午に黙祷した。

(写真:全国戦没者追悼式、NHK-TVより)
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旧駅舎の天井

2010年08月14日 | 町かど
               

1945(昭和20)年の今日、岩国駅周辺は100機余のB29による絨毯爆撃で、500人を超える死者と1千人近い負傷者が出た。爆撃の跡は蜂の巣状の惨状となった。日が変わった翌日、玉音放送で日本の敗戦を知る。それが確定しているのに「なぜ」という気がする。

岩国駅の隣に西岩国駅がある。ここも鉄道の変遷のままに歴史を重ねてきた。西岩国駅のある地区は戦争による爆撃の被害に遭うことなく終戦をむかえた。そのため、築80年余の駅舎が今に続いている。

ローカル線の無人駅ではあるが、駅舎入り口のアーチ部分は五連の錦帯橋を模し、赤瓦の屋根や木製の改札口などが大正ロマンを感じさせる。2006 (平成18)年 8月、国の登録有形文化財に指定され、その銘版が歴史を教えてくれる。

その駅舎の元の駅事務室がイベント会場として利用されている。絵画・写真・書道などあらゆるジャンルの作品発表や展示など、年間を通して市民や観光の人を喜ばせてくれる。利用は個人から同好会など幅広い。

1979 (昭和54)年に開業50周年を節目に駅舎の永久保存が決定された。その際、改札口などとあわせ天井のシャンデリアなどが開業当時の姿に復元されたいう。このレトロさが展示を引き立てるの陰の力になっている。静かな雰囲気での作品観賞は小美術館を思わせる。

駅舎は現在、JR西日本から岩国市に移っており、NPO法人西岩国・駅と広域まちづくりの会が岩国市より駅舎の管理を受託している。元改札窓口に常駐者おられ、初めての方は声をかけるとよい。

(写真:レトロなイベント会場の天井)
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ある表明と確約

2010年08月13日 | 生活・ニュース
           

「(金融機関名)は、政府より平成19年6月に公表されました『企業が反社会的勢力による被害を防止するための指針』に基づき、反社会的勢力との関係遮断に向けた取り組みを行っております」。これはある金融機関の「お客様へ」という紙面の書き出し。さらに続く。

「これに伴い、(金融機関名)の取引にかかわる規定・定款に反社会的勢力との関係遮断に係わる規定をもうけさせていただきました。
また、新たにお取引をお申し込みいただく際には、反社会的勢力ではないことの表明・確約をお願いすることとしております。
お客様にはお手数をおかけしますが、何卒、ご理解ご協力を賜りますようお願い申し上げます」

申込人は次の事項に該当しない事を表明・確約する。
(1)暴力団  (2)暴力団員  (3)暴力団員準構成員  (4)暴力団関係企業  (5)総会屋等、社会的運動等標ぼうゴロまたは特殊知能暴力集団等  (6)その他前各号に順ずる者

この表明・確約にそむいた場合や虚偽の申告に伴い金融機関へ損害を与えた場合は取引の停止及びその損害を賠償するなどの責を負うことになる。

何十年と取引をし、1度も迷惑行為をしたことはない。たまたま満期になった定期を解約し新たな定期口座を開くときに求められた「表明と確約」、ここまで世情は変わっていると驚いた。ひとりでは絶対にできない反社会的勢力へのせめてもの抵抗と思い署名・捺印した。

反社会的勢力との絶縁は難しいといわれる。こうした見えない所での積み重ねがその力のひとつになるなら、市井のひとりとしては応じやすい。
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台風一過

2010年08月12日 | 生活・ニュース
           

お盆帰省で高速道は大渋滞という。そういう経験が1度もない自分にはその辛さは想像と映像で知るだけ。辛さの先に故郷がある、待っているくれている人がいる、だからそこへ向えるのだろう、と思う。

我が家の孫は新幹線で帰省するので駅まで迎えに出る。例年なら妻は改札口まで、私は車で、姿が見えて駆け寄ってくる孫を待つ・・・、今年は忙しくて帰省できなくなった。出迎えの家族との笑顔の会話を映像で見ながら、静かな我が家を見回した。

画面に映る家族の絆を見ながら、100歳を超えた方の所在不明者数が日ごと増えている現実にやるせない思いがする。不明者の調査を継続するのは当然としても、ここに至った訳についても思いなおし考え直さなければと感じる。

1年365日、毎日墓参りされる婦人を知っている。出会うと「散歩のついでです」と控えめにいわれるが、いつも生花が供わっている。その墓前からはその方の先祖への思いが伝わってくる。春の彼岸ころから少し様子が変わり、盆前から造花に変わった。

歳は90を越えられているが身内が近所に住まわれ、いま世間で心配されているようなことはないと思う。なら熱中症か、と心配している。

台風一過というのに今日も猛暑。帰省の皆さんの故郷はどんなに迎えてくれるのだろう。

(写真:暑さを忘れさせる故郷の流れ)
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