AKB48 チームBのファンより

鈴木紫帆里さんを中心にAKB48 チームB について語るサイトです。

骨折してもステージで歌うアイドル (KC)

2010-10-28 23:52:44 | アイドルを回想(AKB48を含む)分析系
ときめき研究家氏の記事で「足を骨折。公演は中断するが、応急処置後に再開、骨折をおして最後まで演じきるという展開。」と読んで、巨人の星のオーロラ三人娘を思い出した。

このyoutubeは、バックにオーロラ三人娘(ソロボーカル橘ルミがセンター)の曲、1:50前後が怪我をおして歌っているので、冷や汗が出て、歌唱が乱れているところ。

この映像には、「有名になりたかったから、星さんとつきあいました」という橘ルミの告白が週刊誌の見出しとして出ている。

Wikiによると、
女性アイドルグループ「オーロラ三人娘」。テレビ局主催の新春ボウリング大会で、飛雄馬・花形・左門と共演しメンバーと共に積極的にアプローチをかける。
原作では半ば強引に星と付き合い始め、練習中にも人目憚らず押し掛けたり、場の空気を読まない傲慢な言動のワガママ娘ぶりが目立ち、最後は飛雄馬の怒りを買ってケンカ別れとなるが、アニメでは「星くんの戦いの場がグラウンドなら、私の戦いの場はステージ」と、足の怪我を押してステージに立つ根性を見せて飛雄馬を感動させるなど、かなりの人徳を持っており、マスコミに交際をゴシップ記事として扱われるようになると、汚れ役としてルミの方から別れを告げた。 

私の記憶では、橘ルミは、骨折した足に、客席からは見えないように(パンタロンをはいているので見えない)木をあてて、ステージに立った。木をあてる映像は、youtubeでは見つからなかった。

巨人の星の原作とアニメは、キャンディーズより前。衣装が60年代。70年代のアイドルは、こんな衣装ではない。
原作では、星と橘の出会いは1969年の2月。いしだあゆみ や 黛ジュン の時代に、想像力で作られた架空のアイドルとしては、アイドルの将来像を言い当てているように思える。

橘ルミは、AKB48にたとえると、フレンチキッスの三人の中の、柏木由紀というポジションでしょうか。

KC
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A6「目撃者」CDを聴いた感想 (KC)

2010-10-28 06:00:31 | 分析系 曲
1曲目の「目撃者」の歌詞と曲調が、衝撃的なので、他の曲が印象に残らない。
「目撃者」が耳にこびりついて離れないのは、絶妙なアレンジも効いている。
歌謡曲は、オーケストラで、楽器のパートごとに聴いて楽しむという半田健人の(阿久悠が、「若いの、お主やるな」と認めた)鑑賞法に、最適。

歌詞の中で、「ベルリンの壁」には該当しないが、「天安門事件」に該当する歌詞を抜き出してみる。

「一発の銃弾が正義 奪った」「平和を叫んだデモ隊の中に倒れた」 
天安門事件は、銃弾だけでなく、戦車が市民を攻撃した。

「隠ぺいされた真実」
中国共産党の統制により、国民は天安門事件を知らない。知っているのは、「目撃者」だけなのか。

「武器を持たない市民でも 道の上 寝転んで 愚かな国から自由を守る」

アイドルらしい曲とは、言えない。
「目撃者」だけではなく、A6セットリスト16曲で、アイドルらしい曲は、極端に少ない
ポップスターに憧れる女の子の心情を歌った「M04 憧れのポップスター」と
喧嘩して自分の気持ちに気がついた男の子が女の子に、ずっとそばにいたいと愛を告白する「M15 ずっと ずっと」の2曲だけではないだろうか。

残りの14曲は、AKB48より、SDN48が歌う方が似合いそうな大人っぽい曲ばかり。この点については、一曲ずつSDN48度合を分析してみたい。


「ずっと ずっと」は、B5のM14「オネストマン」と似ている。 同じ曲ではないかと、勘違いしてしまう。 ひょっとしたら本当に同じ曲なのかと思って、作曲者を比べてみたが、違う名前が書いてあった。 テーマも、男の子が女の子に、愛を叫ぶ、と同じ。


秋元康が、中国市場から否定されるリスクをおかしてまで、何故「目撃者」を書いたのか、私の解釈は、 「将来、中国の大衆に、愛される作詞家として、評価されたい。」 である。

現在、中国市場で儲けようと考えたら、中国共産党にさからわらず、一党独裁下の政治経済の枠組みの中で、エンターテイメントを売ればよい。
秋元康がインタビューで繰り返して語っている。「スポンサーの投資に見合う儲けを出すのは、プロデューサーとしての義務だが、基本的に儲けようとして企画を決めていない。面白いと感じたことをやっているだけ。結果として儲かることもあるし、儲からないこともある。儲けようとしてたてた企画より、面白いと思って実行した企画の方が、勝率はいい。」
このロジックから、秋元康は、別に、中国市場で儲けなくても、さらに言うと、締め出されても、「それでもよい」と思っていると推察できる。

「目撃者」という曲が世にでなければ、秋元康のかかる心情は分からなかったが、今はこの曲から推察できるということ。

何故、わざわざ、そんなことをするのだろう。

現在の政治体制を批判することで、将来民主化された中国から、
「目撃者」という曲を聴いて、勇気付けられた、と褒めて欲しいから。
自由のために戦った同士として、愛される存在になりたいから。

かなり高度な妄想モードだが、意外に、これが真相なのかもしれないと、真剣に思えてきた。
A6の1曲目「目撃者」を100回繰り返して聴くと、読者の方も、同じ気持ちになるかもしれない。

KC
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週間少年マガジン『AKB49』で、アンコール中止再現(ときめき研究家)

2010-10-28 00:15:48 | ときめき研究家
以前の記事でも紹介されていた週間少年マガジンの連載、意外に面白いので毎週読んでいる。

第12期研究生のオーデションに女装して紛れ込んだ主人公が、見事合格。今週はいよいよはじめての研究生公演「シアターの女神」初日という山場だ。
ところが序盤で他のメンバーと激突して足を骨折。公演は中断するが、応急処置後に再開、骨折をおして最後まで演じきるという展開。
これを舞台の袖で見ていた秋元Pと前田敦子。秋元Pが一言「前田、負けるなよ。」
この公演は、アンコールは行われなかったが、ファンの間で大評判となった。

ここで、実際のアンコール中止事件を振り返ると、最終曲が終了して3分経ってもアンコールの声がかからず、照明が点き、「満足させられなかった」と研究生が泣いて謝罪したというもの。当日の観客(テッドさん含む)は、後日別の公演に無料招待された。
この事件については賛否両論、このブログでも、様々な説が公開された。

今回の『AKB49』での架空のアンコール中止は、想像するに、怪我をおして最後まで演じた姿に、観客は満足し、それ以上アンコールを求めるまでもなかったという意図なのだろう。あるいは、怪我を心配して敢えてアンコールを求めなかった。

この漫画は、当然AKB48運営側の検閲を受けているはずだから、運営側のアンコールに関する考え方を反映していると見ていいだろう。
つまり、「アンコールとは、演者と観客の間に自然発生的に生まれた合意によるオマケ」という認識である。
観客が満足しなかったから合意ができなかった過去の事件に加え、観客は満足したけれど求めなかったという事例を示すことで、改めてこの考え方を強調したのだと思われる。
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