AKB48 チームBのファンより

鈴木紫帆里さんを中心にAKB48 チームB について語るサイトです。

『初恋バタフライ』は奇跡のパフォーマンス。HKT48デビュー曲はこれを超えられるのか?(ときめき研究家)

2012-12-16 21:54:02 | ときめき研究家
『永遠プレッシャー』タイプCを購入。
このCDには、AKB48の『永遠プレッシャー』『とっておきクリスマス』に加え、HKT48『初恋バタフライ』の3曲が収録されている。付属のDVDには、その3曲のミュージックビデオのほか、ファン投票3位になり製作された『桜の花びら(前田敦子ソロバージョン)』のミュージックビデオ、じゃんけん大会実況の後編が収録されている。非常に豪華なオマケだ。
タイプAにはSKE48『強がり時計』、タイプBにはNMB48『HA!』が収録されているほか、付属DVDの内容もそれぞれ異なっている。その他にも、タイプD、劇場盤もある。
タイプA、タイプB、タイプCは、3枚とも購入するのが当たり前と言わんばかりの構成だが、異議ありだ。オマケで釣って何枚も買わせようとするのは、まだわかる。それを買うか買わないか、何枚買うかは自分の判断だ。しかし、収録曲が異なるタイプを何種類も発売する商法は、結局楽曲をすらオマケ扱いにしており、クリエーターとしての自負に欠けていると思う。
更に、今回、タイプA収録のSKE48『強がり時計』、タイプB収録のNMB48『HA!』は音楽配信すらされていない。これは、聴きたいならどうしてもCDを3枚買えということなのか。

と、いつもの批判をしたところで、一転して『初恋バタフライ』を絶賛する。
この曲は、HKT48の初オリジナル曲となる。HKT48としての初CDが来年出るようだが、それに先立ち、AKB48のCDの「オマケ」として発売された。これが、現在のHKT48というグループの勢いを感じさせる、アイドルらしい魅力的なパフォーマンスになっている。

教室に紛れこんだモンシロチョウに自己投影して、「あんな風に君のそばに行きたい」と歌う少年視点の片想いソング。これは秋元康の得意分野なので安心して聴けるし、「幽体離脱」「ポニーテール」「シャンプー」といったお馴染みのワードも出動している。
彼女が花で、自分が蝶というのは、森進一『花と蝶』、郷ひろみ『花とみつばち』のような伝統的な比喩だが、陳腐な印象はしない。「初恋はバタフライ・・・」というサビ部分は、少し愁いを帯びたメロディーとなり、初恋の切なさを暗示するが、「ここにいるのに」の部分が強い意志を感じさせるメロディーで高揚感がある。
振り付けは、チョウをイメージするようなお遊戯然とした動作が印象的。AKB48やSKE48の激しいダンスと比べれば、ゆったりとした動きのように見えるが、若々しさ、フレッシュさを感じさせて、彼女たちには似合っているダンスだと思う。

ミュージックビデオも秀逸だ。
放課後、兒玉の家で一緒に勉強をするために集まった宮脇、村重、本村、田島。兒玉の小学生の弟が、田島にほのかな恋心を抱くというストーリーを軸に、中学生の少女たちの魅力が充分表現されている。姉弟で勉強部屋を共有しているという設定もリアル。活き活きした歌唱・ダンスシーンのほか、教室内のモンシロチョウ視点の映像や、小学生の弟が描くパラパラマンガを織り込み、楽曲の世界観を活かしながらも、独立した完成度の高い映像作品となっている。

2トップの兒玉、宮脇に加え、彗星のように現れた研究生の田島がセンターを務め、存在感を発揮している。その次の4番手、5番手のポジションに、指原、多田の移籍組が座り、安定感を示す。ミュージックビデオ冒頭の2人の会話には、何となくニヤニヤしたくなる。多田は移籍して居場所を得たのは、よかったと思う。

総選挙分析ライターさんの影響で『HaKaTa百貨店』を見はじめて、メンバーの顔と名前も半分ぐらい覚えたところなので、私自身にとって、ちょうど面白い時期なのかもしれない。ただ、それを割り引いても、単純に楽曲としてウォークマンで聴いていて、ワクワクして来る素晴らしい楽曲だ。

「オマケ」でこれだけハイレベルの楽曲を出してしまって、来年の本物のデビューCDがこれを超えられるのか、半分心配で、半分は期待が高まる。
それにしても『永遠プレッシャー』タイプA、タイプBのCDを買った人がこの曲を聴けないことは、返す返すもったいないことだと思う。せめて今からでも音楽配信を開始してもらいたい。

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12月16日研究生公演(ナッキー)

2012-12-16 20:26:57 | 研究生/チーム4
12月16日研究生公演(ナッキー)

新ポジがあるかなと思い、14時公演モニター観戦しましたが、ありませんでした。

アイドルなんて(歌唱順)、、、小嶋、篠崎、佐々木、平田
ジェットコースター(歌唱順)、岡田奈2、茂木2、前田美
ヒグラシノコイ(左から)、、、内山、村山
愛しさのdefence(左から)、、、平田、橋本、高島
向日葵(左から)、、、、、、、、梅田、西野、大森、岡田彩

岡田奈々の「ジェットコースター」大島優子=島田=大森=高島ポジションは、今日が二回目、初めて見ました。
歌唱が魅力的です。上手なのだけど、切ない感じ。

研究生公演だけでなく、チームBもモニター観戦したいのですが、
12月に入って、チーム公演が減っているように思います。
発表されている12月21日までで、特別公演を除くと、
チームA 3日3回
チームK 4日6回(二回公演が二日)
チームB 2日2回
研究生  8日9回
11月は3分の1くらいの感じでしたが、12月は半分まではいきませんが、研究生公演が多くなっています。

研究生公演の出演メンバー、ポジション予想(ナッキー)

12月19日
相笠萌・岩立沙穂・内山奈月・梅田綾乃・大森美優・岡田彩花・岡田奈々・北澤早紀・小嶋真子・佐々木優佳里・篠崎彩奈・高島祐利奈・西野未姫・橋本耀・平田梨奈・村山彩希
休演は、前田美月、茂木忍ー初の休演

新ポジなしの公演ができます。
アイドルなんて(歌唱順)、、、小嶋、篠崎、岩立、岡田奈
ジェットコースター(歌唱順)、高島、北澤、岡田彩
ヒグラシノコイ(左から)、、、内山、村山
愛しさのdefence(左から)、、、平田、橋本、梅田
向日葵(左から)、、、、、、、、佐々木、西野、大森、相笠


12月21日
相笠萌・岩立沙穂・内山奈月・梅田綾乃・大森美優・岡田彩花・岡田奈々・佐々木優佳里・篠崎彩奈・高島祐利奈・西野未姫・橋本耀・平田梨奈・前田美月・村山彩希・茂木忍
休演は、北澤早紀・小嶋真子

新ポジなしで、公演が可能です。
アイドルなんて(歌唱順)、、、平田、篠崎、岩立、岡田奈
ジェットコースター(歌唱順)、高島、茂木、前田美
ヒグラシノコイ(左から)、、、内山、村山
愛しさのdefence(左から)、、、相笠、橋本、梅田
向日葵(左から)、、、、、、、、佐々木、西野、大森、岡田彩

ナッキー
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ブログで引用された和歌を再録(編集ナッキー)その1

2012-12-16 12:40:47 | アイドル論
ブログで引用された和歌を再録(編集ナッキー)その1 2009年4月の記事

「桜の花びらたち」と「会いたかった」の含意(ときめき研究家)

早乙女さんの卒業を嘆く管理人さん、今日観たアイドルを明日も観られるとは限らないと説くナッキーさん、「桜の花びらたち」の歌詞はそのはかなさを暗示しているというKCさん、一連の記事は読み応えがあった。
KCさんの読み解きは見事で、彼女たちにはじめて与えられたシングル曲が、彼女たち自身のはかなさとそれゆえの美しさを歌ったものだとは、何て周到なメッセージだと思う。

「桜の花びらたち」には、別の読み解きもできる。
AKB48のメンバー一人一人を桜の花びらに擬しているというのは、KCさんと同じ解釈だが、桜の花は1つでも美しいが、枝に咲きそろってこそより美しいことから、AKB48というグループとなることで一層輝きを増すという含意があるのではないか。
もっと言えば、日本人が特別な花として愛でてきた桜に擬すことで、和歌と同様、アイドルという伝統芸能を継承して行くのだという決意表明にも受け取れる。

「会いたかった」も含意の深い楽曲である。
第1には、素直に、自転車を漕いで彼に告白しに行こうとしている歌詞の中の少女の歌であり、第2には劇場(やコンサート会場や紅白歌合戦)で歌われる局面では、観客(または視聴者)に対する「会いたかった」という生身のメンバー達からのメッセージソングである。
そして第3には、長い間熱中できるアイドルが存在しなかったアイドリアンから、AKB48メンバーへの「会いたかった」。カラオケで歌うときは、この意味の歌になる。
さらに第4は、「好きならば好きだと言おう」という、自分自身のときめきに素直な聞き手に対する応援歌である。これは、メンバーからと言うより、秋元氏からアイドリアン達への挨拶のように思えてならない。

久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ(紀友則)

桜とアイドルふたたび(ときめき研究家)

桜とアイドルの類似点をもう少し語りたい。
以前、和歌の「本歌取り」の話で、ナッキーさんが使っていたような記憶があるが、有名な2つの歌を引用したい。(もし記憶どおりなら、ナッキーさんの説の引用です。御免なさい。)

久方の光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ(紀友則)
 こんなにのどかな春の日に、風もないのに、どうして桜は落ち着きなく散ってしまうのだろうか。

世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし(在原業平)
 この世に桜というものがなかったら、いつ散ってしまうか心配になることなく、のどかな気持ちでいられるのに。

いずれも古今和歌集の歌である。どちらが先かは知らぬが、後から作った方は、当然先の方を意識して、ほぼ共通するテーマを、違った表現で詠んだのだろう。
桜を詠んだ歌は数多い。歌人は、先人の数多の作品群を知った上で、その上で自分のオリジナルの表現で、自分自身の感動を言葉にしようと挑むのだ。
鑑賞者は、1つの歌だけ単独で鑑賞してももちろんいいし、良さも充分味わえるが、桜を歌った別の歌を知っていると、一層味わいが増すということもある。これが伝統文化の基盤であり、厚みである。また、新しい歌が作られることで、昔の歌に改めて脚光が当たることもある。イチローの記録が、往年の大リーガーの記憶を呼び覚ますのも然り。
アイドルポップが伝統文化として21世紀、22世紀にも存続していくためには、もっと多くの「初恋」や「卒業」や「失恋」を歌った楽曲が作られ、鑑賞されなければならない。

紀友則の歌は、早乙女さんが突然卒業することを知った管理人さんの寂しさと似ている。
在原業平の歌は、今会えることを大切にしようというナッキーさんの戒めに似ている。

桜は儚く散るから美しい。アイドルも同じで、一瞬の輝きを残して去っていくからこそ感動する。もちろん長く輝きを維持しているアイドルもいるが、例外に属するだろう。または、アイドルではなく芸能人として息の長い活躍をしているということ。
自らを「桜の花びらたち」に擬するAKB48のメンバーは、アイドル宣言と同時に、伝統文化の継承者たることも宣言しているのだ。

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