6月1日発売のシングル『翼はいらない』を聴いた。
発売前にも歌番組やミュージックビデオのショートバージョンで見聴きしていたが、一応CDでフルコーラスを聴いてから感想を書こうと思って、待っていた。
フォーク調の曲で、このタイトルから、有名な『翼をください』へのアンサーソングであることは明らかだ。
「願いが叶うなら翼がほしい。翼を広げて大空を飛んで行きたい。」と朗々と歌い上げる『翼をください』は、一フォークソングの枠を超え、多くの人々に歌われ、教科書に載ったり、サッカー日本代表の応援歌になったりもしたスタンダードナンバーである。その曲を意識して、反対の意味の歌詞をつけたフォークソングで勝負して来たのは挑戦的だと思う。
「翼があってもどこに行きたいのかわからない。翼がなくても歩いて行く。今持っているものだけで幸せだ。」と歌う『翼はいらない』は、現代という時代を反映していて、現実的で堅実なメッセージソングだ。
確かに、どんなに願っても人間に翼は生えないので、『翼をください』は現実逃避的で空疎な歌だと言える。辛い現実、閉塞した社会に失望し、せめて空想の中で自由を謳歌したいという当時のフォークソングに共通する一種の弱々しさはある。(それが悪いと言っている訳ではない。)一方、メロディーは突き抜けたように清々しく、力強い。だからこそ、広く長く歌い続けられるスタンダードになったのだろう。
それに対して『翼はいらない』は、現実逃避せず、空想ではなく、自分のできることを地道にやって幸福を目指すのだという、非常に物わかりのいい若者の歌だ。こういう若者が多いので、社会変革を目指す学生運動は盛り上がらず、留学する学生も減り、結婚もしない、免許や車も持たない風潮が広がっているのだろう。(それが悪いと言っている訳でもない。)
『翼はいらない』のミュージックビデオでは、学生運動の集会で『翼はいらない』を歌っているが、完全にミスマッチだ。社会変革を叫ぶ連中の前で、今の社会を是認して大人しく生きていくと宣言するのはそぐわない。実際の1972年には生まれなかった歌だろう。しかし、最後には学生たちも一緒になって歌っているのは、これも爽やかで前向きな気持ちになれるメロディーの力だろう。
ところで、『翼はいらない』は、もう1曲別の曲のアンサーソングでもあるだろう。その曲は『365日の紙飛行機』だ。その曲も「紙飛行機になって自由に空を飛びたい」という思いを歌っていて、『翼をください』と似ている。つい最近自分たちが歌い、幅広くヒットした曲の全く正反対の歌詞の歌をしれっと出してくるあたりが、挑戦的で「何でもアリ」のAKBの真骨頂だと言える。
50代の私は、フォークソング全盛時とは微妙にずれてはいるが、こういうノスタルジックなフォーク調の曲には惹かれてしまう。『思い出せない花』や『渋谷川』にも惹かれたが、『翼はいらない』も気に入った。
素朴なメロディーがいいし、「A A’ B A」という単純な曲構成も好ましい。『真夜中のギター』『白い色は恋人の色』『花嫁』など、当時のフォークソングの多くも同じ構成だ。
1点だけ難を言えば「つばさーはいーらないー」というサビ部分の歌詞が、間延びした感じで、少しダサい。
歌いだしの「翼があったらー」「翼が生えたらー」はそう思わないので、「いーらないー」の「いー」が良くないのだと思う。何回も聴いたり歌ったりするうちに慣れては来ると思うのだが。
ミュージックビデオは、厳格な時代考証などを求めたりしてはいけないのは承知だが、学生運動のリーダー役の指原が茶髪なのはさすがにありえないと思ってしまった。
歌番組でのパフォーマンスは、フォークダンスを模したような振付だった。『アッカンベー橋』のミュージックビデオを思い出したが、激しいだけのダンスではなく、メンバーの顔もよく見られるので良いと思った。
発売前にも歌番組やミュージックビデオのショートバージョンで見聴きしていたが、一応CDでフルコーラスを聴いてから感想を書こうと思って、待っていた。
フォーク調の曲で、このタイトルから、有名な『翼をください』へのアンサーソングであることは明らかだ。
「願いが叶うなら翼がほしい。翼を広げて大空を飛んで行きたい。」と朗々と歌い上げる『翼をください』は、一フォークソングの枠を超え、多くの人々に歌われ、教科書に載ったり、サッカー日本代表の応援歌になったりもしたスタンダードナンバーである。その曲を意識して、反対の意味の歌詞をつけたフォークソングで勝負して来たのは挑戦的だと思う。
「翼があってもどこに行きたいのかわからない。翼がなくても歩いて行く。今持っているものだけで幸せだ。」と歌う『翼はいらない』は、現代という時代を反映していて、現実的で堅実なメッセージソングだ。
確かに、どんなに願っても人間に翼は生えないので、『翼をください』は現実逃避的で空疎な歌だと言える。辛い現実、閉塞した社会に失望し、せめて空想の中で自由を謳歌したいという当時のフォークソングに共通する一種の弱々しさはある。(それが悪いと言っている訳ではない。)一方、メロディーは突き抜けたように清々しく、力強い。だからこそ、広く長く歌い続けられるスタンダードになったのだろう。
それに対して『翼はいらない』は、現実逃避せず、空想ではなく、自分のできることを地道にやって幸福を目指すのだという、非常に物わかりのいい若者の歌だ。こういう若者が多いので、社会変革を目指す学生運動は盛り上がらず、留学する学生も減り、結婚もしない、免許や車も持たない風潮が広がっているのだろう。(それが悪いと言っている訳でもない。)
『翼はいらない』のミュージックビデオでは、学生運動の集会で『翼はいらない』を歌っているが、完全にミスマッチだ。社会変革を叫ぶ連中の前で、今の社会を是認して大人しく生きていくと宣言するのはそぐわない。実際の1972年には生まれなかった歌だろう。しかし、最後には学生たちも一緒になって歌っているのは、これも爽やかで前向きな気持ちになれるメロディーの力だろう。
ところで、『翼はいらない』は、もう1曲別の曲のアンサーソングでもあるだろう。その曲は『365日の紙飛行機』だ。その曲も「紙飛行機になって自由に空を飛びたい」という思いを歌っていて、『翼をください』と似ている。つい最近自分たちが歌い、幅広くヒットした曲の全く正反対の歌詞の歌をしれっと出してくるあたりが、挑戦的で「何でもアリ」のAKBの真骨頂だと言える。
50代の私は、フォークソング全盛時とは微妙にずれてはいるが、こういうノスタルジックなフォーク調の曲には惹かれてしまう。『思い出せない花』や『渋谷川』にも惹かれたが、『翼はいらない』も気に入った。
素朴なメロディーがいいし、「A A’ B A」という単純な曲構成も好ましい。『真夜中のギター』『白い色は恋人の色』『花嫁』など、当時のフォークソングの多くも同じ構成だ。
1点だけ難を言えば「つばさーはいーらないー」というサビ部分の歌詞が、間延びした感じで、少しダサい。
歌いだしの「翼があったらー」「翼が生えたらー」はそう思わないので、「いーらないー」の「いー」が良くないのだと思う。何回も聴いたり歌ったりするうちに慣れては来ると思うのだが。
ミュージックビデオは、厳格な時代考証などを求めたりしてはいけないのは承知だが、学生運動のリーダー役の指原が茶髪なのはさすがにありえないと思ってしまった。
歌番組でのパフォーマンスは、フォークダンスを模したような振付だった。『アッカンベー橋』のミュージックビデオを思い出したが、激しいだけのダンスではなく、メンバーの顔もよく見られるので良いと思った。
この部分について思うことがあります。
この曲には、わざわざ設定の年月が指定されています。
1972年という学生運動全盛期からはかなりずれた時期です。
この時期が何を示すかを思い出すと、「しらけ世代」です。
学生運動が敗北し、夢は夢だったと思い知らされた若者が社会に戻っていった時代の若者達を表します。
つまり、1972年は既にこの曲のような若者が大半になった年だったのです。
この曲はあの年に決定的になった「若者の敗北感」を抱えた曲なのではないでしょうか。
そして1972年の閉塞感は、現在の状況と非常に似ていると思います。
確かに、ミュージックビデオで1972年とわざわざ指定しているのに違和感がありました。
学生運動の歴史を物の本で振り返ると、は1960年安保改定への反対運動で第1のピークを迎え、国会前のデモで女子学生が亡くなる事件も起きました。第2のピークは1960年代後半で、ベトナム反戦、安保改定反対を訴え、東大安田講堂封鎖事件なども起きました。
オレンジの海さんが仰るように、1972年は学生運動は勢いを失っていて、一部先鋭化した集団により内ゲバ、あさま山荘立てこもり事件などが起きた年です。
大義名分と求心力を失った学生運動家たちにとって、『翼はいらない』のメッセージは、心に響く歌だったのかもしれません。
そして、南沙織が1971年にデビューし、1970年代前半はアイドルの夜明けと言える時代だったとも言えます。
ちなみに、私が生まれて初めて自分の意志で買ったレコードは、南沙織のデビュー曲でした。
私は秋元康氏の1歳年下です。
「僕たちは戦わない」の時も思いましたが、この曲も実は若者に対して歌っている曲ではないと感じます。
秋元氏や私の世代には、両曲ともストレートに刺さります。
マーケッティング的にこれで良いのかどうかは置いておくとして(笑)、秋元氏は選挙投票券付きのシングルに於いては、「どうせ売れてミリオンは超えるのだから好きなことをやろう」と考えているのではないかと穿った見方をしています。
いずれにせよ学生運動に間に合わなかった世代で、憧れとか後ろめたさとのようなものがあります。そんな身には「翼はいらない」は刺さります。
秋元氏は、どうせ売れるので好きなものを書くという確信犯でしょう。