私が選んだ『教科書に載せたいアイドル史の100曲』に、筒美京平作曲の作品は12曲含まれていた。
しかし、それ以外にも素晴らしい楽曲は沢山ある。
榊原郁恵『ROBOT』(1980年)。
榊原郁恵は私が最初に好きになったアイドルだ。
ホリプロスカウトキャラバンの初代優勝者。1977年のデビュー後、順調にヒット曲を重ね、2年目の『夏のお嬢さん』が代表曲となる。『100曲』でも当然その曲を挙げている。その後、好感度の高いタレントとして2020年の現在まで活躍を続けているが、アイドルとしては『夏のお嬢さん』のピークを越えることはなかった。
『夏のお嬢さん』後も、様々なタイプの楽曲を出し、試行錯誤を続けたが、大きなヒットはなかった。
そんな中の1曲が筒美京平作品の『ROBOT』である。テクノポップを取り入れた革新的な楽曲。ロボットをイメージするような銀色の超ミニのタイトスカートで、カクカクした振り付けで歌っていた。興味深いチャレンジだったが、時代がこの曲に追いついていけなかったからか、大ヒットとまでは行かなかった。アイドルファンの間では評価が高く、『レコードコレクターズ』2014年11月号の「80年代女性アイドルソングベスト100」では28位にランクインしている。
小泉今日子『半分少女』(1983年)。
『100曲』では『なんてったってアイドル』を挙げているが、小泉には筒美京平作品が多い。
小泉のデビュー年は迷走していた。『私の16才』『素敵なラブリーボーイ』とカバー曲が続き、オリジナルの『ひとり街角』『春風の誘惑』もどこか古めかしい楽曲だった。ファーストアルバムでは少女漫画とのタイアップもしていた。スタッフは、小泉で古典的なアイドル像を追求していたのだと思われる。実際、可愛らしいルックスと、地声を押し出すような拙い歌唱など、古典的なアイドルとしての高い資質を備えていたことは事実だ。1年目の楽曲も私は好きだ。
ブレイクスルーが起きたのは初の筒美京平作品『真っ赤な女の子』だった。実験的な楽曲を与えられ、「聖子カット」の髪を短く切り、新たなアイドル像であるオリジナリティのある「コイズミ」または「Kyon2」が降臨した。
それに続いて発売されたのが『半分少女』だ。一見するとまた古典的な路線に回帰したようにも思えるが、1年目とは似て非なるもの。「コイズミ」化した彼女が歌うと、爽やかな風が吹くような新鮮さを感じる。1年目のスタッフが追求した普遍的な「アイドル的なもの」と、『真っ赤な女の子』で現れた革新性が融合され、「古くて新しい」境地を切り拓いて見せた会心作だと思う。前出の『レコードコレクターズ』でも40位にランクイン。小泉今日子の楽曲では4番目だ。
次の『艶姿ナミダ娘』(これは筒美作品ではないが)と合わせたガール3部作(女の子→少女→娘)は、小泉今日子の様々な可能性を示した金字塔である。
それにしても、小泉の歌唱は何年経っても上手くならない。ミュージシャンではなくアイドルなのだ。それが素晴らしい。
守谷香『あの空は夏の中』(1987年)。
守谷香は松竹レインボーガールで、実はTBS『ザ・ベストテン』にランクインしたこともあるのだが、一般的な知名度は低い。むしろアイドルとしての活動を終えた後、X-JAPANのTOSHIとの結婚、宗教団体への傾倒でゴシップを提供した。
デビュー曲の『予告編』、2曲目の『あの空は夏の中』は、筒美京平作品であり、アイドルポップの真髄と言うべき名曲だ。特に『あの空は夏の中』は、銀色夏生作詞で、さり気ないエピソードの中に甘酸っぱい初恋の香りが漂う佳曲である。後に銀色夏生の詩集のタイトルにもなっていたくらいなので、自身も気に入っていたのだろう。
筒美京平の楽曲も負けていない。筒美作品はポップな楽曲が多い印象があるが、この曲はフォークソング調で、幼く淡い感情を乗せるのにマッチしている。しかし決してベタベタしておらず、湿度の低い爽やかな曲調だ。浅田美代子『赤い風船』とも似たトーンだ。こういう作品も書けるのが、彼の引き出しの多さだろう。
守谷の歌唱も絶品。幼くたどたどしい歌唱は楽曲にぴったり。単に拙いだけではなく「下手の醸し出す良さ」を引き出されていて、正にアイドルの真髄だ。
松竹レインボーガールなのに映画主演もなく、子供向けテレビ番組『世界はじめて物語』のお姉さん役をしばらく務めていた。後に『失恋座』という至高の名曲も出している。教科書には載らないかもしれないが、忘れられないアイドルの1人だ。
しかし、それ以外にも素晴らしい楽曲は沢山ある。
榊原郁恵『ROBOT』(1980年)。
榊原郁恵は私が最初に好きになったアイドルだ。
ホリプロスカウトキャラバンの初代優勝者。1977年のデビュー後、順調にヒット曲を重ね、2年目の『夏のお嬢さん』が代表曲となる。『100曲』でも当然その曲を挙げている。その後、好感度の高いタレントとして2020年の現在まで活躍を続けているが、アイドルとしては『夏のお嬢さん』のピークを越えることはなかった。
『夏のお嬢さん』後も、様々なタイプの楽曲を出し、試行錯誤を続けたが、大きなヒットはなかった。
そんな中の1曲が筒美京平作品の『ROBOT』である。テクノポップを取り入れた革新的な楽曲。ロボットをイメージするような銀色の超ミニのタイトスカートで、カクカクした振り付けで歌っていた。興味深いチャレンジだったが、時代がこの曲に追いついていけなかったからか、大ヒットとまでは行かなかった。アイドルファンの間では評価が高く、『レコードコレクターズ』2014年11月号の「80年代女性アイドルソングベスト100」では28位にランクインしている。
小泉今日子『半分少女』(1983年)。
『100曲』では『なんてったってアイドル』を挙げているが、小泉には筒美京平作品が多い。
小泉のデビュー年は迷走していた。『私の16才』『素敵なラブリーボーイ』とカバー曲が続き、オリジナルの『ひとり街角』『春風の誘惑』もどこか古めかしい楽曲だった。ファーストアルバムでは少女漫画とのタイアップもしていた。スタッフは、小泉で古典的なアイドル像を追求していたのだと思われる。実際、可愛らしいルックスと、地声を押し出すような拙い歌唱など、古典的なアイドルとしての高い資質を備えていたことは事実だ。1年目の楽曲も私は好きだ。
ブレイクスルーが起きたのは初の筒美京平作品『真っ赤な女の子』だった。実験的な楽曲を与えられ、「聖子カット」の髪を短く切り、新たなアイドル像であるオリジナリティのある「コイズミ」または「Kyon2」が降臨した。
それに続いて発売されたのが『半分少女』だ。一見するとまた古典的な路線に回帰したようにも思えるが、1年目とは似て非なるもの。「コイズミ」化した彼女が歌うと、爽やかな風が吹くような新鮮さを感じる。1年目のスタッフが追求した普遍的な「アイドル的なもの」と、『真っ赤な女の子』で現れた革新性が融合され、「古くて新しい」境地を切り拓いて見せた会心作だと思う。前出の『レコードコレクターズ』でも40位にランクイン。小泉今日子の楽曲では4番目だ。
次の『艶姿ナミダ娘』(これは筒美作品ではないが)と合わせたガール3部作(女の子→少女→娘)は、小泉今日子の様々な可能性を示した金字塔である。
それにしても、小泉の歌唱は何年経っても上手くならない。ミュージシャンではなくアイドルなのだ。それが素晴らしい。
守谷香『あの空は夏の中』(1987年)。
守谷香は松竹レインボーガールで、実はTBS『ザ・ベストテン』にランクインしたこともあるのだが、一般的な知名度は低い。むしろアイドルとしての活動を終えた後、X-JAPANのTOSHIとの結婚、宗教団体への傾倒でゴシップを提供した。
デビュー曲の『予告編』、2曲目の『あの空は夏の中』は、筒美京平作品であり、アイドルポップの真髄と言うべき名曲だ。特に『あの空は夏の中』は、銀色夏生作詞で、さり気ないエピソードの中に甘酸っぱい初恋の香りが漂う佳曲である。後に銀色夏生の詩集のタイトルにもなっていたくらいなので、自身も気に入っていたのだろう。
筒美京平の楽曲も負けていない。筒美作品はポップな楽曲が多い印象があるが、この曲はフォークソング調で、幼く淡い感情を乗せるのにマッチしている。しかし決してベタベタしておらず、湿度の低い爽やかな曲調だ。浅田美代子『赤い風船』とも似たトーンだ。こういう作品も書けるのが、彼の引き出しの多さだろう。
守谷の歌唱も絶品。幼くたどたどしい歌唱は楽曲にぴったり。単に拙いだけではなく「下手の醸し出す良さ」を引き出されていて、正にアイドルの真髄だ。
松竹レインボーガールなのに映画主演もなく、子供向けテレビ番組『世界はじめて物語』のお姉さん役をしばらく務めていた。後に『失恋座』という至高の名曲も出している。教科書には載らないかもしれないが、忘れられないアイドルの1人だ。