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● 2009/7/2 上記中日新聞と審査会への再度申し立ての新聞の印刷用PDF版
● 2009/4/2 検察が再度不起訴にしたことの新聞記事の印刷用PDF版
● 検察審査会への再度の申し立て書 印刷用PDF版
● 検察審査会への再度の申し立て書 データ・ワード版
審 査 申 立 書 (選挙ポスター代・水増し詐欺事件)
岐阜検察審査会 御中
2009年(平成21年)7月1日
Ⅰ 申立の趣旨
第2. 検察庁の再度の不起訴決定に対する当事者や県民、市民の願い
1. 山県市の2004年の市議選におけるポスター代詐欺事件に関して、岐阜県警捜査2課が検察庁に議員や印刷業者らを書類送検していたことについて、岐阜地方検察庁は2007年12月20日付けで不起訴とした。
2008年1月9日の私たちの申し立を受け、岐阜検察審査会は2008年6月16日、「本件不起訴処分は不当である。」と決定した。
これに対する2009年3月31日の岐阜地方検察庁の再度の「起訴猶予」決定は、政治家の不正を放置するものとして許しがたい。
2. 有権者の信を問う選挙における候補者の不正はきわめて重大である。
山県市民だけでなく県民には、不正を働いた議員は罪に問われるべきで、辞職すべき、いまだに県議や市議に就いていることは許されない、との声は強い。
しかも、本件山県市での「選挙公営水増し事件」を契機に、全国で選挙公営のポスターや燃料費の問題が噴出しており、政治家の良心が問われている。
その点を考慮すると、いっそう、今回の不起訴は放置できない。
さらに、市民の判断を反映させようという裁判員制度の開始を前に、岐阜地方検察庁が、市民の声としての岐阜検察審査会の要求を無視することは、多くの県民に強い不信感と失望をもたらしたのである。
よって、当事者として、市民の良心に期待し、かつ、検察庁の政治家優遇ともとれる後ろ向きな姿勢を改めさせるべく、再度、岐阜検察審査会に審査を申し立てる。
Ⅱ 申立の理由
(略)
第6. 起訴事実を裏付ける事実と当初申し立ての援用
(略)
第7.検察庁の不起訴理由の誤り
1. まず、貴審査会のが昨年2008年6月に不起訴不当との議決については、報道では次のようにまとめられている。
○ 昨年6月の検察審査会の指摘は「計画的かつ悪質。反省の情や社会的制裁も不十分だ」として、2人が「辞職していないこと」を重視した(2009年4月2日 朝日新聞)。
○「公金意識が薄く動機に酌量の余地はない。議員辞職せず不十分」(4月2日 朝日新聞)
○ 審査会は、「自己中心的で計画性も高い。議員を辞職していないことなどから、他の辞職した関係者との刑罰の不均衡がある」として不起訴不当を議決(4月2日 読売新聞)。
○ 検察審査会が08年6月に「辞職しておらず反省の情がない」などとして不起訴不当を議決していた(4月2日 毎日新聞)。
では、2009年4月2日の新聞記事に示される検察庁の不起訴理由は誤っていることを、記事を引用しつつ、以下で述べる。
2. 検察の「事件後に別の選挙で当選した」との認識の誤り
○岐阜地検の石崎功二次席検事は「辞めていないことが不利な事情にはならない」と説明した。2人が事件後に別の選挙で当選したことにも触れ、「選挙で選任されており、民主主義のプロセスに進退を委ねるというのも一つの合理性がある」と話した(4月2日 朝日新聞)。
○事件発覚後の別の選挙で当選しており、民意を尊重すべき――などと、今回の処分の妥当性を説明(4月2日 読売新聞)
(1) このとおり、検察は被疑者の2人が事件後に別の選挙で当選したと認識している。
しかし、本件ポスター代水増しが秘密裏に行われたのは、2004年4月の山県市議選である。他方で、この水増し行為がなされたことが初めて社会に周知されたのは、2007年6月の県警による議員への捜査開始の新聞報道である。つまり、事件の発覚後に選挙で有権者の審判を経たかのような検察の認識もしくは表現は明らかに間違っている。
(2) 被疑者横山の場合、水増し後の次の選挙は、2007年4月の県議選で当選したのであるが、県警が捜査を開始したのはその直後であり、県議会議員選挙から2ヵ月後の2007年6月に捜査が公になった。だからこそ、有権者である山県市民や岐阜県民は2004年4月の山県市議選はもちろん、2007年4月の県議選においても「だまされた」、だから「やめるべきだ」と考えるのである。
しかも、現在に至るまで、自民党の山県市部長を務めるなど、有権者の反感はいっそう強い。
(3) 被疑者宮田の場合、水増し発覚後の最初の選挙は、2008年4月の市議選である。事件発覚後、水増しを認める記者会見をしながら、議員辞職せず、この選挙に臨んだ。2008年4月の市議選は、結果的に「無投票」であったので、有権者の信任は得ていない。議員辞職しないばかりか、次の選挙に立候補するという有権者に不遜な強気での姿勢が、結果として「無投票」となったことで「信を問わない選挙」になり、ラッキーにも関門をくぐっただけである。だからこそ、有権者である山県市民や県民は2004年4月の山県市議選で「だまされた」、2008年4月の山県市議選でも有権者の審判を経ていない、だから「やめるべきだ」と考えるのである。
(4) 2008年6月の貴審査会の決定は、このような事情や背景を了解の上で、議決されているのである。
(5) 検察が「民意」「当選」というが、そもそも、刑事事件として裁判所・検察・弁護人に委ねることと、選挙や解散・リコールなど地方自治法が定める参政権に委ねることは別ごとであって、互いに補完あるいは代替する制度ではない。これは、同一の不法行為であっても、刑事裁判における刑罰の認定と民事裁判における損害賠償や慰謝料の認定についての判断が異なるという制度の二本立てが存在することとも重ねて考えるべきことでる。
検察は、起訴しないための理由として「民意」「当選」とこじつけているに過ぎない。
3. 検察の「同種の事件でも起訴された事案はない」との認識の誤り
○容疑そのものについても、「私的利用を目的ではなく、同種の事件でも起訴された事案はない」(4月2日 朝日新聞)。
○同地検は「この種の公金詐欺で被害弁償したのに起訴された事例はなく、議員辞職していないことをことさら不利益に考えるのは難しい」(4月2日 岐阜新聞)。
○岐阜地検は、弁償が済んでいることなどから、「当時辞職しなかったことを不利益(な材料)と考えるのは難しい」としている(4月2日 毎日新聞)。
(1) 選挙公営制度は全国共通であるけれど、実際に、ポスター代(その他の費目も含めて)の水増しが発覚したのは、岐阜県警の捜査による本件2007年6月の現職議員への聴取開始が全国初なのである。本件山県市の事例が端緒となって、全国では他にも数件、警察の書類送検がなされていると聞く。ともかく、全国初の事例として最先端をいく本件事件において「この種の公金詐欺で起訴された事例はない」との理由が、いかに的外れであるかは明白である。
(2) しかも、通常の詐欺とは異なり、政治家の刑事犯は、特に厳罰に処されるべきだから、検察の他に例のないとの理由付けは許されない。
(3) また、当初申立書で主張立証したように、山県市の職員が公金に関する不正事件において起訴されているし、県職員の場合も同様に起訴されているのである。
4. 検察の「選挙費用の負担軽減」という誤り
○ 私的な詐取行為ではなく、選挙費用の負担軽減(4月2日 読売新聞)
全国の圧倒的に多数の、大部分の候補者が適法に選挙公営を利用しポスターを作成しているに、一部の候補者の水増し行為を「私的な詐取行為ではなく」というのは、検察が刑法犯を擁護するものというしかない。
また、選挙は本来、候補者とその支持者がボランティアで行うものである。費用も有権者の寄付と本人の自己負担が基本とされている。しかるに検察の「選挙費用の負担軽減」だからそれほど問題はないとの認識は許されるものではない。
日本の選挙の基本を定めている「公職選挙法」は、第1条において「・・選挙が選挙人の自由に表明せる意思によって公明且つ適正に行われることを確保し、もつて民主政治の健全な発達を期することを目的とする。」としているのである。
4. 検察の「犯行は場当たり的で計画性も認められない」との認定の誤り
○ 犯行は場当たり的で計画性も認められない(4月2日 読売新聞)
山県市選挙管理委員会が選挙の前に候補者らに配布した「選挙公営制度」の解説
(略)
このように、契約時点から「候補者と意を通じた業者」によって、選挙公営制度で認められていない「ハガキ」代や「リーフレット」、「名刺」など他の印刷物を「ポスター代」に「突っ込んで」、「ポスター代を上乗せ・水増し請求する」という詐欺行為が、検察のいう「犯行は場当たり的で計画性も認められない」ケースだとは、社会通念としても到底考えられない。
まさに、昨年の検察審査会の「計画的かつ悪質」という決定がぴったりである。
5. 裁判員制度の開始の意義
(1) 「裁判員制度は、市民が刑事裁判に参加して、裁判官と一緒に、有罪・無罪を判断し、有罪の場合は言い渡す刑罰を決める制度」(日本弁護士連合会のQ&A)である。
本件事案は、裁判員制度の公判が適用される事件ではない。しかし、裁判員制度は、裁判員制度の公判が適用される事件だけでなく、適用されない事件においても、その趣旨が通じているというべきである。そうでなければ、裁判員制度の公判が適用される被疑者だけが新制度によって、市民参加・市民感覚に基づく新しい有罪無罪の判定や量刑の判断に基いて裁かれ、他方で、その他の事件の被疑者は「従来のままの基準や判例で裁かれる」という不合理が生じる。
よって、裁判員制度の公判が適用されない事件、しかも不起訴を原因として検察審査会の会議に付されるような案件については、裁判員制度の開始に機を同じくして市民参加・市民感覚に基づく判断が従前以上に要求されるし、市民参加・市民感覚が発揮されてしかるべきである。
本件に関して検察が「民意を尊重すべき」と主張しているが、まさに本件にかかる検察審査会の当初の決定こそ「民意」として尊重すべきである。
加えて、本件が、単なる個人的な詐欺でなく、政治家の選挙における詐欺行為だから、なおさら検察審査会という県民、有権者、納税者の代表としての意見が尊重されるべきである。
(2) 「刑事裁判では、『無罪の推定』」が重要な原則とされています。『無罪の推定』とは、犯罪を行ったと疑われて捜査や、刑事裁判を受ける人について、刑事裁判で有罪が確定するまでは『罪を犯していない人』として扱わなければならないとする原則です。そして、刑事裁判では、被告人が犯罪を行ったことにつき、検察官が『合理的な疑問を残さない程度の証明』」をしない限り、有罪とすることができません。」(同前)とされているところ、本件事件においては、すでに辞職した前市議らも、本件申し立てにかかる2人の議員も、いずれも、「行為」を認めているのである。
このような事案において、不起訴とする姿勢が通るなら、検察が立件する事件はきわめて少数となることは疑いない。検察は、本件においてやはり「政治案件」として後ろ向き姿勢を貫いていることは、国民から検察に委ねられた責務を放棄するものというしかない。
(3) 裁判員制度は、従前の裁判官だけが「有罪・無罪を判断する」ことから転換して、市民参加、市民感覚で「有罪・無罪を判断する」ことを取り入れる制度である。この観点からすれば、本件における検察の「私的な詐取行為ではなく」とか「犯行は場当たり的で計画性も認められない」とか、「同種の事件でも起訴された事案はない」との理由付けは、検察が裁判員制度の趣旨を無視しているというしかない。
(4) 裁判員制度は、従前の裁判官だけが「量刑を決める」ことから転換して、市民参加、市民感覚で「有罪の場合は言い渡す刑罰を決める」ことを取り入れる制度である。この観点からすれば、本件における検察の不起訴は旧態然とした認識であって、検察が裁判員制度の趣旨を無視しているというしかない。むしろ、昨年の検察審査会の決定にある「反省の情や社会的制裁も不十分だ」「他の辞職した関係者との刑罰の不均衡がある」との理由付けの方がはるかに、裁判員制度を理解しているというべきである。
以上
書証の目録 (略)
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