コロナの影響で、憲法記念日の集会などは限定的になっている。
例えば次の報道の通り。
★≪「護憲」「改憲」ネットで訴え 新型コロナで集会中継―憲法記念日≫(時事)など。
改憲をしたい安倍氏に、国民はきびしい姿勢。
★≪改憲議論「急ぐ必要ない」72% 朝日新聞世論調査≫(朝日)とある。
あと、次の社説を記録しておく。
●社説 憲法記念日に考える コロナ改憲論の不見識/東京 2020年5月3日
●社説 きょう憲法記念日 危機に乗じた改定は論外/北海道 05/03
●憲法記念日/危機だからこそ生きる理念/河北 2020年05月03日
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●「護憲」「改憲」ネットで訴え 新型コロナで集会中継―憲法記念日
時事 2020年05月03日18時14分
新型コロナウイルスの感染拡大を受け、憲法記念日に大規模な集会を開いてきた護憲派、改憲派の団体は3日、規模を大幅に縮小し、演説の様子をインターネットの動画投稿サイト「ユーチューブ」などで中継した。
東京都千代田区の国会正門前では、護憲派が中継のための「5.3憲法集会」を開催。「安倍9条改憲NO!」などと書かれたプラカードを掲げ、市民団体や学者らが改憲反対を訴えた。
憲法学者の稲正樹さんは「今回の事態で表現や集会の自由といった憲法の基本的人権が制限されている。真に必要な場合にとどめるべきだ」と指摘。法学者の浅倉むつ子さんは「日本国憲法を貫く本当の平和主義と反暴力の考え方を世界に向かって発信すべきだ」と訴えた。
一方、改憲派は東京都新宿区の会議室で、主催者のみの「憲法フォーラム」を開催。安倍晋三首相は5年連続でビデオメッセージを寄せ、憲法改正に意欲を見せた。ジャーナリストの桜井よしこさんは「『国家なき憲法』で、(新型コロナという)国難を克服することができるのか」などと訴えた。
●改憲議論「急ぐ必要ない」72% 朝日新聞世論調査
朝日 2020年5月3日 5時00分
3日の憲法記念日を前に、朝日新聞社は憲法を中心に全国世論調査(郵送)を実施した。国会での憲法改正の議論を急ぐ必要があるかを尋ねたところ、「急ぐ必要はない」72%が、「急ぐ必要がある」22%を上回った。安倍晋三首相は改憲議論の加速を訴えてきたが、有権者の意識は高まっていない。
自民支持層の64%が「急ぐ必要はない」と答え、「急ぐ必要がある」は32%だった。無党派層では「急ぐ必要はない」75%、「急ぐ必要がある」18%だった。
世論調査―質問と回答
憲法を変える機運がどの程度高まっているかを4択で尋ねると、「大いに」2%と「ある程度」19%を合わせた「高まっている」が21%(昨年調査は22%)に対し、「あまり」58%と「全く」18%を合わせた「高まっていない」は76%(同72%)だった。
自民党が改憲案に盛り込んだ「緊急事態条項」も尋ねた。大災害時に内閣が法律に代わる緊急政令を出し、国民の権利を一時的に制限するなどの「緊急事態条項」の創設について3択で聞くと、「いまの憲法を変えずに対応すればよい」57%(同55%)、「憲法を改正して対応するべきだ」31%(同28%)、「そもそも必要ない」8%(同10%)だった。
自民支持層では「憲法を変えずに対応」51%、「憲法を改正して対応」42%、「そもそも必要ない」4%だった。
いまの憲法を変える必要があるかどうかを尋ねると、「変える必要がある」43%(同38%)、「変える必要はない」46%(同47%)とほぼ並んだ。
9条を変えるほうがよいかどうかについて、「変えないほうがよい」は65%(同64%)を占め、「変えるほうがよい」は27%(同28%)。自民支持層は「変えない」53%、「変える」40%に対し、無党派層は「変えない」72%、「変える」20%だった。
いまの日本の憲法が全体としてよい憲法かと聞くと、「よい憲法」63%(同62%)、「そうは思わない」27%(同25%)だった。この調査が始まった2013年以降、「よい憲法」が一貫して過半数を占める。
調査は3月上旬から4月中旬にかけて、郵送で行った。
●社説 憲法記念日に考える コロナ改憲論の不見識
東京 2020年5月3日
「憲法改正の大きな実験台と考えた方がいい」-自民党の大物・伊吹文明元衆院議長が言ったのは一月三十日でした。政府が新型コロナウイルス感染症対策本部を立ち上げた当日です。安倍晋三首相も「緊急事態条項」の言葉を挙げて、国会の憲法審査会での議論を呼び掛けていました。
緊急事態条項とは何でしょう。一般的には戦争や大災害などの非常時に内閣に権限を集中する手段とされます。暫定的に議会の承認が省かれたり、国民の権利も大幅に制限されると予想されます。明治憲法には戒厳令や天皇の名で発する緊急勅令などがありました。憲法の秩序が一時的に止まる“劇薬”といえそうです。
◆危機感ゼロだったのに
でも、一月末ごろ、政府に緊急事態の危機感は本当にあったのでしょうか。むしろコロナ禍は「改憲チャンス」とでもいった気分だったのではと想像します。
なぜならコロナ対策は各国に比べて後手後手。政府は東京五輪・パラリンピック開催にこだわっていたからです。まるで危機感ゼロだったのではないでしょうか。
つまりは必要に迫られた改憲論議などではなく、「コロナ禍は改憲の実験台」程度の意識だったのではと思います。それでも、改憲の旗を掲げる安倍政権には絶好の機会には違いありません。
実際に国会の憲法審査会では与党側が「緊急事態時の国会機能の在り方」というテーマを投げかけています。
「議員に多くのコロナ感染者が出た場合、定足数を満たせるか」「衆院の任期満了まで感染が終了せず、国政選挙ができない場合はどうする」-。
こんな論点を挙げていますが、「もっともだ」と安易に納得してはいけません。どんな反論が可能なのか、高名な憲法学者・長谷部恭男早大教授に尋ねてみました。こんな返事でした。
◆「非常時」とは口実だ
「不安をあおって妙な改憲をしようとするのは、暴政国家がよくやることです」
「大型飛行機が墜落して、国会議員の大部分が閣僚もろとも死んでしまったらどうするかとか、考えてもしようがないこと」
確かに「非常時」に乗じるのが暴政国家です。ナチス・ドイツの歴史もそうです。緊急事態の大統領令を乱発し、悪名高い全権委任法を手に入れ、ヒトラーは独裁を完成させたのですから…。
衆議院の任期切れの場合なら、憲法五四条にある参議院の「緊急集会」規定を使うことが考えられます。「国に緊急の必要があるときは、参議院の緊急集会を求めることができる」との条文です。この点も長谷部教授に確かめると「『できる』が多数説です」と。
つまりコロナ禍を利用した改憲論はナンセンスと考えます。不安な国民心理に付け込み、改憲まで持っていこうとするのは不見識です。現在、国会議員に感染者はいません。ならば今後、感染しないよう十分な防護策を取ればよいだけではありませんか。
それにしても明治憲法にはあった緊急事態条項を、なぜ日本国憲法は採り入れなかったのでしょう。明快な答えがあります。一九四六年七月の帝国議会で、憲法担当大臣だった金森徳次郎が見事な答弁をしているのです。
<民主政治を徹底させて国民の権利を十分擁護するには、政府一存において行う処置は極力、防止せねばならない>
<言葉を非常ということに借りて、(緊急事態の)道を残しておくと、どんなに精緻な憲法を定めても、口実をそこに入れて、また破壊される恐れが絶無とは断言しがたい>
いつの世でも権力者が言う「非常時」とは口実かもしれません。うのみにすれば、国民の権利も民主政治も憲法もいっぺんに破壊されてしまうのだと…。金森答弁は実に説得力があります。
コロナ禍という「国難」に際しては、民心はパニック状態に陥りがちになり、つい強い権力に頼りたがります。そんな人間心理に呼応するのが、緊急事態条項です。
しかし、それは国会を飛ばして内閣限りで事実上の“立法”ができる、あまりに危険な権限です。
◆法律で対応は可能だ
ひどい権力の乱用や人権侵害を招く恐れがあることは、歴史が教えるところです。言論統制もあるでしょう。政府の暴走を止めることができません。だから、ドイツでは憲法にあっても一度も使われたことがありません。
コロナ特措法やそれに基づく「緊急事態宣言」でも不十分と考えるなら、必要な法律をつくればそれで足ります。罰則付きの外出禁止が必要ならば、そうした法律を制定すればよいのです。
権力がいう「非常時」とは口実なのだ-七十四年前の金森の“金言”を忘れてはなりません。
●社説 きょう憲法記念日 危機に乗じた改定は論外
<a href="https://www.hokkaido-np.co.jp/article/417992">北海道 05/03 05:00
日本国憲法が施行されて、きょうで73年となる。
新型コロナウイルスの感染拡大で、国民の生命、暮らしがかつて経験したことがないような危機に直面している中での記念日だ。
特別措置法に基づく緊急事態宣言は全都道府県に広がり、6日の期限は延長の方向だ。人との接触を減らすための外出自粛や店舗休業などの要請は続くだろう。
新型コロナと向き合う医療従事者は過酷な環境にある。経済の停滞で仕事を失ったり、収入がなくなったりする人が続出している。さまざまな制限によって厳しい生活に直面する多くの人がいる。
憲法の3原則の一つである基本的人権が大きく揺らいでいる。
政治がいま、取り組むべきは憲法の理念の徹底だろう。
にもかかわらず、安倍晋三首相は改憲に前のめりの姿勢を崩していない。国民の苦境を考えれば、憲法の見直しへ動くことなどあってはならない。
■緊急事態条項が浮上
首相は先月、「緊急時に国家や国民がどのような役割を果たし、国難を乗り越えるか。憲法にどう位置付けるかは極めて重く大切な課題だ」と述べた。
これは自民党が2018年にまとめた改憲4項目の一つである緊急事態条項の導入について、国会での議論を促したものだ。条項は大災害時に政府に非常の措置を取ることができる権限を与える。
法律と同じ効力を持つ政令を制定することができ、国民の生命や身体、財産を保護するために、あらゆる分野に強権を発動することが可能となる。
国民の私権を大幅に制限できる措置が恒常化される仕組みを非常時の中で整えたい思惑が透ける。
首相は改定憲法施行の目標を今年に置いていた。主眼としたのは改憲4項目にある9条への自衛隊明記だ。東京五輪で醸成された国威発揚の機運を利用して進めたいとの考えがあったと言われる。
しかし東京五輪の延期など、首相の想定は実現が困難な状況だ。
そこで9条に代わって浮上したのが緊急事態条項なのか。それはコロナ禍での国民の不安を都合よく利用することにほかならない。
さらに自民党は先月中旬、憲法改正推進本部の会合を開き、緊急事態への対応を議論した。感染拡大による国会への影響が考えられるからだという。
論点は、国会議員が感染し、憲法が定めた衆参両院の本会議開会の定足数を満たせなくなる可能性と、事態の長期化で来年10月の衆院の任期満了までに選挙が実施できなくなる恐れ、の2点だ。
これらをもって憲法審査会を開催するよう野党に提案した。
だが野党は新型コロナ対策を優先すべきだとして応じていない。当然の対応だろう。
現憲法には衆院解散後に必要が生じた際には、参院の緊急集会を開催することができると54条にある。非常事態への対応は可能ではないか。不急の体制ならば、混乱時に性急な議論は避けるべきだ。
■独裁生む危うさ潜む
海外に目を向けると、強権が発動されたケースは多い。中国・武漢の封鎖をはじめ、欧米でも罰則を伴った外出禁止や店舗の休業要請が行われている。強制的な措置で効果が出ている例もある。
だからだろう。政府の権限を強化し、私権制限を拡大してでも対策を徹底した方がいいとの考えは広がりを見せる。
実際、緊急事態宣言が北海道を含む全国に発令されたことについて、北海道新聞社が先月中旬に実施した全道世論調査では「評価する」と答えた人が76%を占めた。
ドイツの法学者カール・シュミットが言う「委任独裁」が思い出される。戦争など非常時に主権者の全権委任によって一時的、例外的に行われる独裁である。
非常時にはこうした事態が生じてしまう危うさが潜んでいることを認識しておかねばならない。
■権力監視を怠りなく
日本の特措法に基づく緊急事態宣言は非常時の一時的な措置であり、出口の時期が示される。危機対応は常に平時には終了させることが想定されていないと危険だ。
だが自民党が改憲で目指す緊急事態条項は、一度出した政令の解除手続きに触れていないとの指摘がある。強権が継続していく可能性を示している。
コロナ禍が長期化してもこの条項実現につなげるべきではない。
権力者は政策について、情報開示と説明を尽くして、主権者である国民の理解を得ていく。それが国民主権の根本である。
そんなことはお構いなしに権力が暴走すれば、民主主義は崩れる。憲法が政権を縛る立憲主義が欠かせないゆえんだ。だから国民は監視を怠ってはならない。この非常時に改めて認識したい。
●憲法記念日/危機だからこそ生きる理念
河北 2020年05月03日
日本国憲法が1947年に施行されて以降、幾多の災害や経済危機、政治の混迷という峠にぶち当たってきた。
ことしは、世界を恐怖に陥れる新型コロナウイルスとの闘いのさなかに、73回目の憲法記念日を迎えた。
日本国憲法の思想を体現しているのは、「すべて国民は、個人として尊重される」の一文とされる。
国家は国を動かす力を持ちながらも、国民一人一人の自由な生活空間を侵してはならないとうたう。
人権の尊重と、相反する国家権力からの干渉を、どうやって均衡させていくのか。答えを探り続けてきたのが、戦後日本の民主主義の歩みと言える。
正体の知れぬ感染症を前に、世論の一部には「もっと国民や経営者の私権を制限し、従わなければ厳しい罰則を」と求める声がある。
強権をもって従わせる欧州やアジアの国に比して、生ぬるいということだろう。
しかし、その声は大きなうねりにはならず、広がりを欠く。緊急事態宣言が出たころから、マスクをして外出を控えるのが日常になった。
要請に対し、程よい付き合い方でこなし、順応しているように見える。政府も、自主的に自重してくれると期待している節がある。
長い年月の末、「個人の自由」はしっとりと浸透し、いまの社会の力量で難局を乗り越えてみせるという静かなスタイルを身に付けたのではないだろうか。
感染拡大が長引き、厳しい措置を求めたいとなったら、「言論の自由」に基づき、広く英知を集めて議論しよう。再び憲法の出番である。
要請に従わない行動に対し、陰湿な嫌がらせをするのは避けたい。個々人の思考が止まり、全体の空気にのまれていくことにつながる。
治療のとりでを守る医療従事者に、心ない態度と偏見のまなざしを向ける風潮もある。こういう時に国会と内閣は自制を求め、医療人を勇気づける強いメッセージを出してもらいたい。
市民が憲法になじむ一方で、国政をつかさどる国会議員は、どれほど中身を理解しているのか、疑わしくなる場面が目立つ。
森友学園を巡る公文書改ざん、「桜を見る会」で見られるように首相官邸に権限を集中させたあまり、国会の著しい機能低下を招いている。
議院内閣制では、立法府と行政府は緊張感を働かせつつ、かじ取りをする。それとは裏腹に与党内の議論は低調で、長期政権の顔色をうかがうばかりである。
国会はにらみを利かせてこそ、憲法の定める健全な秩序を生むと学び直すべきだ。
立憲主義国家の行く手には、まだ宿題が待ち構えている。日ごろから点検を怠らず、不断の努力で成熟度を高めていきたい。
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