「壁はみな鈍(にぶ)き愁(うれひ)ゆなりいでし
象(ざう)の香(か)の色まろらかに想(おもひ)鎖(さ)しぬれ、
その隅に瞳の色の窓ひとつ、玻璃(はり)の遠見(とほみ)に
冷(ひ)えはてしこの世のほかの夢の空
かはたれどきの薄明(うすあかり)ほのかにうつる。
北原白秋「邪宗門ー序楽(四十一年二月)」からの引用。
国道150号線バイパスを静岡方面に向かい、日本坂トンネルに差し掛かる手前で左にそれると、まるで時空を越えてしまったかのような錯覚を抱かせる風景に出くわす。
この道は、『万葉集』にも詠まれた最も古い時代の東海道(やきべつの小径)で、奈良時代には、日本坂峠を越えるルートが東西を結ぶ幹線ルートだった。
当時、東国の任地に向かう中央官庁の官吏や、九州の防衛のに向かう防人達、また、中央に運ばれる産品や年貢の荷駄隊が行き交ったことになる。
(街道の西は、村人たちが大井川の治水をお願いした「小川のお地蔵さん」で知られる海蔵寺があり、小泉八雲の小説「漂流」の題材となった「甚助の板子」が奉納されている。)
その古道の高草山と満観峰を結ぶ峠の山峡に、「花沢の里」と呼ばれる集落がある。
木曽路など日本の旧街道には、まだまだ当時の面影を残すという宿が点在する。しかしその多くは、土産物屋に改築された家屋に観光客が押し寄せる喧騒の中にある。だが、ここ「花沢の里」には、週末しか開かない(・・・ような)レトロな庭カフェ1軒だけがある程度。あくまでも静けさの中。
特徴のある家並みの多くは、長屋門造りというこの地域独特の建築様式で作られている。
明治の終わり、この花沢地区は輸出用のみかんの産地として栄えた。収穫時期に、たくさんの雇用人を住まわせるための建築様式らしい。
石垣を築いた土台に乗った形で軒が連なり、壁は木造板造り、最上部には真っ白な漆喰で壁を引き立てている。
家々のそばを流れるせせらぎは、静かな音を奏でて村人の生活の一部になっているようだ。
小雨に光る緩やかな坂道には、ところどころに無人販売がある。切干大根や、梅干。そして静岡市の青島平十氏によって発見された青島みかんが売られている。
家並みが途切れると菜の花や、雪やなぎ、水仙や梅が咲き乱れている。
梅雨のころはホタルを追っかけて、また夏の日にはひぐらしの声でも聴きながら、時を忘れてこの里を歩いてみたい。
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