先日ネットで、長男の高校入学式に出席するため勤務先の高校の入学式を欠席した埼玉県の女性教諭について、その行動の是非に関する議論が沸き起こっていた。
教え子と自分の子供の入学式と、どちらを優先させるべきだったのか・・・。
「教師は聖職者か労働者か」という議論だ。
「初日にいようがいまいが、それが大問題になるとは到底思えない」など、女性教諭を擁護する声が優勢だったようだ。
ぼくらの時代、高校の入学式に親が参列するのはまれだった。親の参列は小学校まで、それも、母親か父親のどちらか一方のことが多かった。
それどころか、農家の人たちは田植えの準備で忙しく、こどもの入学式どころの話じゃなかった。
・・・入学式のお祝いにデパートのレストランに連れてってももらえるわけだが、席に不在の父親の背中を通して、仕事の厳しさ、取り組む姿勢を学んでいた。
また、入学式を欠席した農家の子供たちとも仲良くやっていくすべをいろんなことを通して学んできた。
なによりも大切なのは、「個人の権利」をことさら強調する自己中増殖の教育ではなく、「家庭より公務を優先している大多数の先生たち」に、きちんと感謝の気持ちを示す教育ではないだろうか。
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