tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

なまはげに会いに

2018-02-19 22:09:07 | プチ放浪 都会編



「泣く子はいねがー、親の言うこど聞がね子はいねがー」「ここの家の嫁は早起きするがー」
奇声を発しながら練り歩き、家に押入って怠け者、子供や初嫁を探して暴れる。

子供のころ、テレビで見た「なまはげ祭り」の映像。訪れるなまはげを怖がって子供たちは泣き叫ぶ。
手には大きな出刃包丁、そして片手には生首を入れる手桶(と子供のころは思ってた)。
口べらしのために生まれたばかりの子を殺す間引きの歴史もあって、江戸時代から続くという「なまはげ」行事には、
理不尽な暴力をふるって子供や嫁を脅し叱りつけ、まわりの大人たちはそれを楽しんでいる印象しかなかった。
そうしたテレビの報道を見て、「なまはげ」はトラウマとなった。
子供たちを救ってあげようとする大人は一人もいないように見えた。
土地の人は、世界に誇る「古来からの道徳のしつけ」と主張するが、どんな理不尽でも権威には服従するということを教える側面があることは間違いない。
名目上は子供たちの健やかな成長のためみたいなことを聞くが、見る限り子供たちは大抵、尋常ではない怖がり方だ。
秋田の男鹿と聞けば、今でも少し怖い。

が、しかし、これは祭りの本質ではなかった。
実際は、家々で主人が正装して迎え、怒り狂うなまはげの問いに対し、家族のしでかした日常の悪事を冷静に釈明するなどした後に、酒や餅などのごちそうのもてなしをする。
家々の主人をヒーローに仕立て上げる茶番とまでは言わないが、少なくとも地域コミュニティの中で起こるトラブルに対し、冷静に話し合って解決策を探ための教育と言えなくもない。
つまり、泣き叫ぶ子供たちに祭りの本質があるのではなく、怒り狂う鬼に対して冷静に対峙する一家の主がこの祭りの本質だ。

さらに言うのなら、鬼に扮する若者たちは、最初は各家々になまはげが訪問してよいかどうかたずねたりという種々の雑用を担いつつ、ようやく一人前に認められてから「なまはげ」デビューと相成るらしい。
その「なまはげ」修行期間中に、狭い地域コミュニティでの無難な身のこなし方を学ぶこととなる。
つまりは、「なまはげ」は、仮想する天災などの理不尽なトラブルに対する処置訓練ということになる。
それならば、「なまはげ」は怖い存在でなくてはならない。

最悪なのは、祭りを歪曲して今も伝えるテレビ。今もなお、テレビ画面の前の多くの幼子たちに「なまはげ」に対するトラウマを植えてつけている。
そうした本質を伝えようとしない怠け者たちの生首を切って、手桶に入れて山奥に捨ててきてもらいたいと願う。
「ナマハゲさん、まんず、この餅っこで御免してくなんしょ」とか言っても、許されるもんじゃない。
今までしてきたその罪はめちゃくちゃ重い。
 

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