田舎で陶磁器商を営んでいた父の趣味は、古いガラクタのような陶磁器集めだった。
商品の陶器に囲まれて過ごした幼い日々。そのせいか、益子など陶器屋がならぶ街角に立つと心に安らぎを覚える。
父が集めていた陶磁器は中国のなんとかの時代のものとか、国内では九谷焼やら萩焼きやら益子焼やら・・・。そのコレクションの中には清水焼があったように記憶している。
陶器に囲まれて暮らしていた当時は、門前の小僧と同様に、習わずとも国内の陶器についてはだいたい見分けがついていたように思う。ただし、清水焼だけはその特徴がわからなかった。
さて、清水寺に通じる道はいくつかあるが、そのひとつに茶わん坂がある。その昔、茶わん坂で多くの陶工が技を競った街であることからその名がつけられたという。人間国宝・近藤悠三記念館や、6代目清水六兵衞の家などもある。
陶器は、その土地の風土で生まれる。その土地の上質な粘土、釉薬に使う長石などの石。その土地固有のものが独特の風合いをもたらす。したがって、上質の粘土のを算出する土地が有名な焼き物の里の条件だ。その意味で、京都では上質の粘土が採れるわけではなく、信楽焼の里(滋賀県)などから持ってきているものと思われる。そうした事情により、清水焼は比較的低温で焼成する陶器から、高温でガラス化させた色鮮やかな磁器まで清水焼は幅が広く、清水焼独特の特徴というものは顕著ではない。
陶器の見立てができたのはだいぶ昔の話だ。普段使いの食器も、耐熱のプラスチックを使っている今となっては、100均の安物と作家が作った清水焼を並べられたら、それらを見分けられる自信は残念ながらまったくない。
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