tetujin's blog

映画の「ネタバレの場合があります。健康のため、読み過ぎにご注意ください。」

法金剛院(待賢門院璋子)の桜

2012-04-22 22:59:06 | herb, plant

 

平安後期の国母 。藤原璋子 (ふじわら の しょうし/たまこ、 1101(康和 3)年 - 1145(久安 元)年)。
京都市右京区花園扇野町にある法金剛院は、平安前期、右大臣 ・ 清原夏野 の山荘だったものを死後に双丘寺とし、858(天安 2)年、文徳天皇の勅願によって天安寺が建立、その後、1130(大治5)年に璋子が復興する。
璋子はここで晩年を過ごし、今も、法金剛院の北、五位山中腹の花園西陵に眠る。

1144(康治3)年、近衛天皇即位と得子の皇后冊立と相前後し、藤原得子を標的にしたと考えられる呪詛事件が起こる。藤原璋子は、この事件の裏で糸を引いているという風説が流されたことにより権勢を失い堀川局とともに法金剛院において落飾。 
その翌年の1145(久安 元)年、三条高倉第にて崩御したとき、鳥羽院は璋子を看取り、臨終の際は大声で泣き叫んだという。・・・愛されていたんだな。 

養父・白河院の寵愛のもと、璋子は女人として並びなき栄華を味わうのだが、白河院が亡くなると、後ろ楯をなくした彼女は、とたんに不幸のただなかに突き落とされてしまう。美人が故に運命に翻弄された人生だった。

花園駅前のイタリアンのお店クチーナナトューラリスモダナオヤで昼ごはん。有機野菜にこだわっているそうで、前菜の野菜サラダを一口食べたら・・・。やるじゃん。
富山出身の若手シェフだが、味は確かだ。野菜の一つ一つが個性たっぷりの強烈な味がした。


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秀吉の花見 醍醐寺(だいごじ)

2012-04-20 22:25:24 | herb, plant

 

醍醐寺の金堂(国宝)は豊臣秀吉の命によって、紀州(和歌山県)の湯浅から移築されたもの。また、
国宝の五重塔は、醍醐天皇のご冥福を祈るために朱雀天皇が起工、951年村上天皇により完成。 京都府下最古の建造物だ。
下伽藍には、その他清龍宮本殿(重文)や、祖師堂、不動堂、大講堂、女人堂、弁天堂など多くの堂宇が点在している。

1598(慶長3)年、豊臣秀吉は醍醐寺で、諸大名からその配下の者など約1300名を従えて盛大に花見を催したという。秀吉が没する約半年前のことだ。

平安時代、貴族達は酒や肴を携えて花を愛で歌を詠んだ。当時の花見は梅や桃。しかも、庶民にはお花見など縁遠いものだった。
桜の花見が庶民に知れ渡ったのが、太閤さんの花見と言われた秀吉の「醍醐の花見」。これを機に庶民の間にも花見が広がっていったと言う。


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平野の雨桜

2012-04-19 22:19:52 | herb, plant

 

境内には、平野妹背(ひらのいもせ)、寝覚桜など50種400本の桜が咲き競い、江戸時代より「平野の夜桜」として名高い平野神社。
早咲の珍種「魁」は、十品種の中では最も早く咲き、その花は一重で枝垂れている。

平野神社の代表的名桜は平野妹背。淡紅色で、2、3花よりなる繖房形花序の桜だ。平野神社がルーツで、「妹背」とは、夫婦・仲の良い男女のこと。妹背桜の名は実を結ぶとき花柄の先に可愛い2つの実をつけることに由来する。

平野神社は794年(延暦13年)、平安遷都に先立ち、桓武天皇が奈良より勧請し創建された。本殿は国の重要文化財で比翼春日造りで特徴がある。一今木皇大神(いまきのすめおおかみ)など四神を祀っている。。
約50品種・400本の桜が植えられていて、平野妹背の他、寝覚、衣笠、 手弱女(たおやめ)、 突葉根(つくばね)などのルーツがここ。

・・・手弱女かあ。美しく、そして、しなやかにあれ。


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祇園夜桜

2012-04-18 22:50:42 | herb, plant

 

小雨に煙る石畳が夜桜のライトアップを反射してキラキラ輝いて見える。川筋に沿った町家が連なる祇園の町並み。サラサラと流れる白川沿いに枝垂れ桜が並ぶ。

・・・祇園まで来れば、やっぱり、花より団子。。
旅行者としての大切な資質の一つは、土地勘のない初めての地で手ごろで美味しい店を探し当てる嗅覚だ。祇園でも地元の人に人気の店がたくさんあり、わざわざネット検索の世話になることもない。というよりも、不確かな情報に振り回されて、店を探し回って無駄に疲労するよりも、自分の直感を信じて行動した方が確かだ。

四条通りから大和大路に入ってすぐのインドネシア料理屋さん。バリバリインドネシア [祇園四条]。
毎週金曜日は、ナシチャンプルがー1000円になる。サテ アヤム、サテ ウダン クマンギ、サテ リリットなどなど、それとテンペがワンプレートに乗ってくる。味はさすがに京都。本格的なエスニック風だ。
・・・やっぱ、これだよね。自分の勘を信じた方が満足度が高いし、たとえ外してもダメージは少ない。。


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清水さんから祇園へ

2012-04-17 22:28:40 | herb, plant

 

京都の道を語れるほど詳しくはないのだが、田舎者だからだろう、八坂の道が好きだ。
清水さんから八坂神社へ。三年坂、二年坂、一念坂そしてねねの道へとたどる石畳の道。

清水へ祇園をよぎる桜月夜 今宵逢うひと みな美しき(与謝野晶子、みだれ髪)
田舎者のぼくは、逆に清水さんから祇園へ坂道を下りながら”上がる”。

しとしと春雨の降り続く清水寺。
かつては清水山から阿弥陀ヶ峰・東福寺に至る山麓一帯が、鳥辺野と呼ばれる風葬の葬場のひとつだった。
鳥辺山の麓には、こんな話が残されている。
六道珍皇寺から東大路へ向けて坂道を上ったところに一軒の飴屋がある。ある日の夕暮れ、店の主人が店終いをしようと思ったところ、若い女が飴を買いに来た。以来、女は毎晩飴を買いに来るようになった。最初に飴を買いに来た晩から7日目。その日も女はやってきた。
「実は今日はおアシがございませんがアメをひとつ・・・」と女は言う。

人間、死ぬときには、六道銭といって三途の川の渡し銭として、銭を六文、棺桶に入れる。その女はそれを持ってきたのではとゼニなしでアメを与えてそっと後をつけると、二年坂、三年坂を越えて高台寺の墓原へ入っていく。そして、一つの塔婆の前でかき消すように消える。

・・・寺の住職とともに最近埋葬された女の墓を掘り起こしてみると、墓の中から生きた赤ん坊が見つかり、脇には女が買い求めた飴が散らばっていた。

母親の一念で一文銭を持ってアメを買ってきて、子どもを育てていた。それもそのはず、その場所は「コオダイジ(高台寺)」。
(米朝ばなし『上方落語地図』講談社文庫より)

清水さんから東山の祇園への八坂の道は、かつて「都の都たるところ」といわれた道だ。


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