平安後期の国母 。藤原璋子 (ふじわら の しょうし/たまこ、 1101(康和 3)年 - 1145(久安 元)年)。
京都市右京区花園扇野町にある法金剛院は、平安前期、右大臣 ・ 清原夏野 の山荘だったものを死後に双丘寺とし、858(天安 2)年、文徳天皇の勅願によって天安寺が建立、その後、1130(大治5)年に璋子が復興する。
璋子はここで晩年を過ごし、今も、法金剛院の北、五位山中腹の花園西陵に眠る。
1144(康治3)年、近衛天皇即位と得子の皇后冊立と相前後し、藤原得子を標的にしたと考えられる呪詛事件が起こる。藤原璋子は、この事件の裏で糸を引いているという風説が流されたことにより権勢を失い堀川局とともに法金剛院において落飾。
その翌年の1145(久安 元)年、三条高倉第にて崩御したとき、鳥羽院は璋子を看取り、臨終の際は大声で泣き叫んだという。・・・愛されていたんだな。
養父・白河院の寵愛のもと、璋子は女人として並びなき栄華を味わうのだが、白河院が亡くなると、後ろ楯をなくした彼女は、とたんに不幸のただなかに突き落とされてしまう。美人が故に運命に翻弄された人生だった。
花園駅前のイタリアンのお店クチーナナトューラリスモダナオヤで昼ごはん。有機野菜にこだわっているそうで、前菜の野菜サラダを一口食べたら・・・。やるじゃん。
富山出身の若手シェフだが、味は確かだ。野菜の一つ一つが個性たっぷりの強烈な味がした。
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記憶に残るお弁当 下田ダイバーズ