とても世話になった2人の友人の死を聞いた、その分豊かに生きたいと思う
最近我が逝き方について、考えるための本を結構読んでいる。まさに死が身近に感じている。そんな中で、このところ2人の近しい人の死に接した。2人とも私よりは相当に若い人たちであり、その死を聞いた時には、いずれも唖然とした。
1人は私が職場で机を並べて仕事をした仲間だ。一緒に仕事をした時期は短かったが、それでも私が退職した今でも、毎年必ず年賀状をくれる。職場の同僚であった当時から、実に礼儀正しい笑顔を絶やさない好青年であった。そんな彼が病魔に冒されて、過日鬼籍に入ってしまった。いささかのショックだ。
ショックと言えば、私が労働組合運動に参加していた頃に、一緒に頑張っていた仲間が、死んだとの報を聞いた。とても大柄な彼であり、かつまだ若いのに病魔に冒されるとは思ってもみなかった。彼ともたくさんの思い出がある。
私が参加している「おかやま・歌舞伎・観る会」の舞台の荷下ろしなどに彼の仲間も誘って、いつも駆けつけてくれていた。人の世話をするのが好きな、人の良い性格で、誰からも慕われていた。
2人の死を聞いて、悔しくてならない。職場の同僚だった彼の今年の年賀状を見ると、三人のお子さんの笑顔がある。一番下は、6歳だ。本人はどんなにか悔しかったことだろう。
そんな彼たちの死に遭遇して、私にできることはご冥福を祈りつつ、自分自身が彼らの分までより豊かに生きることしかないと考える。。そんなことを自分に言い聞かせている。