歌舞伎座さよなら公演・「御名残四月大歌舞伎」を万感の思いで昨晩堪能した
明治22年に現在の木挽町に初代の歌舞伎座が建立され、現在の四代目・歌舞伎座が再建されたのが昭和26年。121年の歴史を持つ歌舞伎座は、400年の歴史を持つ歌舞伎の殿堂として愛され続けてきた。今月末までの「歌舞伎座さよなら公演・御名残四月大歌舞伎」公演を最後に取り壊され、新しく新築開場するのは、三年後の春となる予定と聞く。
ところで、私と歌舞伎との本格的な出会いは、今から13年前の1997年のことだ。それまで「こんぴら歌舞伎大芝居」等は観ていたが、歌舞伎座には行ったこともなかった。
そんな私を歌舞伎に引き合わせてくれたのは、今は鬼籍に入っている杉崎元松竹労組委員長だ。杉崎さんとは、山田洋次監督の岡山でのご講演や「山田洋次フェスティバル」開催で大変にお世話になった。たくさんの思い出がある。
その杉崎委員長に、「中村勘九郎(当時)に岡山でコウエンをしてもらえないか?」とご依頼のお電話をしたのがきっかけだ。すると松竹関西演劇部の笹川さん(現大阪松竹座支配人)が紹介され、片岡愛之助丈(翌年の「おかやま・歌舞伎・観る会」の発足会に駆けつけていただいた)の舞台をご案内いただき、歌舞伎の舞台を魅せていただいた。
私は「なんで」と思いながら、楽しませていただいたのだが、杉崎委員長は「歌舞伎の公演なら、岡山は関西が担当だ」ということで、笹川さんに「岡山で歌舞伎の公演をやりたいらしいので、連絡を取って欲しい」と電話されたようだ。私が依頼したのは、「勘九郎(当時)の講演」だったのだが。こんな笑い話から始まったのが、私の「歌舞伎貧乏」だ。
ともあれ、その後その年の10月に、「おかやま・歌舞伎・観る会」を立ち上げて以降、ほぼ毎年岡山の地で歌舞伎公演を開催してきた。加えて、毎年松竹座の歌舞伎公演を、一月と七月には観劇してきた(観劇ツアーバスを出した)。個人的にも、歌舞伎座でも何度か観劇した。片岡仁佐衛門の襲名披露パーティにもご招待をいただいたりもした。
そんな思いをいっぱいに、「歌舞伎座さよなら公演・御名残四月大歌舞伎」を魅せていただいた。きら星の如く並ぶ次代の歌舞伎界を担う(若手)人気俳優達の舞台を観て、この人達が新しい歌舞伎座での舞台を担うのだと思いと、少しだけ安心できた。確実に次の世代の歌舞伎俳優が育ってきていることを確認できた。嬉しかった。
そんな今月の歌舞伎座に、既に片岡我當丈の部屋子としてご披露されている上村吉太朗丈が、今回の「御名残四月大歌舞伎」でも披露されており、その「ご挨拶」歌舞伎座に掲げられていた。歌舞伎座の売店で、歌舞伎俳優達のプロマイドが販売されているが、上村吉太朗丈も大きく育って欲しいと願った。
ともあれ、今月末で現歌舞伎座は取り壊しとなるため、たくさんの人たちがカメラを構えていた。多くの人たちの心に焼き付けられて、現歌舞伎座は間もなく幕を閉じる。激しく寂しさを感じる。