昨晩は「気の薬」をもらった、桂三枝の話芸を楽しみしっかりと笑った
昨晩は、「気の薬」をもらいに岡山市民会館に行った。「笑いは、気の薬」と言われるそうだが、「薬」をもらったのは「国際ソロプチミスト西大寺」が主催した「第三回チャリティ落語会を楽しむ会・桂三枝独演会」である。まさに落語を楽しませてもらい、しっかりと笑った。
この「会」には昨年も参加させてもらったが、やはり桂三枝の話芸を聴きたくて、今年も参加させてもらった。このところ岡山にも、人気の志の輔を始めとしてたくさんの落語家の方々が出演していただいている。ありがたいことだ。
それにしても、落語というのはスゴイ。舞台の一人芝居もそうだが、落語は小道具となるのは、扇子と手ぬぐいのみで人を惹きつける。話芸以外の何物でない。下手な落語は聞けないが。
財団法人「落語芸術協会」のHPには、「落語とは」との説明で、次のように書かれている。「噺の最後に『オチ』がつくのが特徴。歌舞伎など、ほかの伝統芸能と違い、落語は身振りと手振りのみで噺を進め、一人何役をも演じます。衣装や舞台装置などを極力使わず、演者の技巧と聴き手の想像力で噺の世界が広がっていく、とてもシンプルで身近な芸能です」。そして「落語の歴史落語の始まりは」、「室町時代末期から安土桃山時代にかけて、戦国大名のそばに仕え、話の相手をしたり、世情を伝えたりする『御伽衆(おとぎしゅう)』と呼ばれる人たちでした」と書かれている。
これからも、お金が許せばできるだけ落語を楽しみたいと考えている。いろいろな辛いこと、悲しいことを忘れ、元気がもらえるからだ。その意味で、「笑いは気の薬」は、その通りだと思う。