地底人の独り言

いつまでもみずみずしい感性を持ち続けて生きたいと願いつつ、日々の思いや暮らしを綴っていきます

ごあいさつ

いつも訪問してくれてありがとう。 「毎日が日曜日」の日々ですが、好奇心いっぱいに、ミーハー心を忘れず生きていく様や日々の思いを綴っていきたいと考えています。  是非とも、今後とも訪問をお願いします。また訪問していただいたら、足跡・コメントを残してくれたらなお嬉しいです(4桁の数字を半角小文字で入力忘れないでくださね)。 今後ともよろしくお願いします。

永六輔

2013年03月29日 | 読書

 

パーキンソン病に罹患してもラジオに出演し続ける永六輔さんに拍手を送る

 私の書棚には、雑誌『話の特集』(編集兼発行人・矢崎泰久、昭和40年・1965年創刊。雑誌の基本的なコンセプトは「反権力、反権威、反体制」)が一冊だけある(ただ、終刊号も残したはずだが、それは今は見当たらないので)。

 私は長くその雑誌『話の特集』を定期購読していたが、定年退職を機にトラック三台分もの書籍や雑誌などを、古物商に引き取ってもらった。その中に、雑誌『話の特集』も入っている。

 今手元に残っているのは、その号が「特集 深沢七」だからだ。この号は、昭和62(1987)年発行となっている。そしてこの号の永六輔の「無名人語録」は19回となっている。

 この雑誌『話の特集』を引っ張り出したのは、永六輔著『無名人のひとりごと』(㈱金曜日刊)を読んだからだ。雑誌『話の特集』の創刊直後から、永六輔は「芸人、その世界」の連載を開始し、次に「無名人語録」として連載を続け、1995年からは「週刊 金曜日」誌上へと引き継がれている。「無名人語録」の連載はもう45年余にもなるとのことだ。

 その連載の中から、2008年から2012年までのものを再構成・編集、加筆したのが『無名人のひとりごと』だ。この本のまえがきで、「小沢昭一さんという人は、『あれはずるいよ永さん、自分の言いたいことを誰かが言っているようにして、全部言っちゃっている』と言うんです」と書いている。まさにその通りで、永六輔の言いたいことが書かれているように思う。

 このためにも「人の話を聞いて回るということをしていて」、「取材ノートは昔から持っていて、離せません。一年で三冊くらいは使う」そうだ。こうした取材ノートを下に、書きそして喋ってきた永六輔。

 その永六輔がパーキンソン病に罹患し、彼の売りでもあった滑舌が悪くなった。それでも、元気にラジオ出演している。このことについて、批判の声もあると『無名人のひとりごと』の中でも書いている。私はその勇気をたたえるし、素晴らしいと思い、元気をもらっている。

 また永六輔はテレビでは自己規制のハードルが高く、ラジオは「ココまでは大丈夫」というのがあり、テレビとは縁を切りラジオを主な活躍の場としているそうだ。なるほどと納得する。小沢昭一が鬼籍に入ってしまっている今、永六輔にはいつまでも元気で発信し続けて欲しいと願う。

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アッシー君

2013年03月29日 | 身辺雑記

 

二日続けて東宝岡南へアッシー君、孫たちは映画を観て私はスタバで読書した

 一昨日は何とも寒かった。そして昨日はずいぶんと暖かかく20度近くにもなった。これだけ寒暖の差が激しい日々が続くも珍しい。体調の維持・管理が難しい。それでも今年もまだ風邪を引かずいられるのは、とても嬉しい。

 そんなお天気の中で、一昨日は下の孫が映画「ドラえもん」(孫の母、つまり我が娘も子ども時代は「ドラえもん」が大好きで、連れて行ったものだ)、そして昨日は上の孫が映画「ひまわりと子犬の七日間」を観るために、東宝岡南へ。私は二日続けて「アッシー君」をして、孫が映画を見終わるのをスタバで読書をしながら待った。

 こうした時間は本を読めるし、孫たちが喜んでくれるので悪くはない。それにしても、映画館は春休みの子どもたちのための映画のラインナップがずらりと並んでいて、ロビーは大変な賑わいをみせていた。

 一昨日のレディスデーでは、4000人もの人出だったとも聞く。アニメであったとしても、映画館で映画を観てもらえることは、上映運動をしている者にとっては嬉しい限りだ。

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映画を観た後

2013年03月29日 | 身辺雑記

 

東宝岡南で映画を楽しんだ後は、中央卸売市場でのランチとお買い物がコース

 昨日、孫とパートナーが映画を観た後、中央卸売市場へお買い物に行った。そしてまずは腹ごしらえと、ジェラートのお店「メルカート セントラレ」と備前食堂などを歩くと、小学校三年生の孫はお刺身を選んだ。

 その備前食堂から、ナント知人が出てきた。「映画の後?」との声がかかり、その後「私も同じコース」と、知人の言葉は続いた。少なくない人が、東宝岡南で映画を観た後に、市場を訪れているのだろう。かく言う私もその一人だ。

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