南木佳士『陽子の一日』、久しぶりにワクワクしながらページをめくった
今日は何とも暑かった。まだ5月も半ば過ぎだというのに、もう夏日。今週はずっと25度を超えるという予報だ。近年春が短い。もう、夏がやってきている。
さて、いつもは終活&逝き方に関わる本や、一昨年の3・11関連の本を多く借りて読んでいる。そうした中で、最近小説をいくつか読んだ。そうした中の一冊が『南木佳士『陽子の一日』(文藝春秋刊)だ。著者は芥川賞の受賞者であるが、これまでほとんど読むことのなかった作家だ。この本は、どうして借りたのか、その記憶もない。
大きな総合病院に30年間努めていて、今は総合外来診療と人間ドック診察を担当している還暦を迎えた女医・陽子。その陽子の一日をたどりながら、陽子の病院にきていた後期研修医から陽子に送られてきた、かっての同僚医師(患者、研修医の指導医)の「病歴要約」として書かれた半生の物語を読んでいくというストーリーだ。
著者は医師であり、医療用語がたくさん出てきたりもするが、生きていく重さや哀しみが凝縮しており、人間の老いや性などの掘り下げはとても共鳴できた。素晴らしい作品だ。
静かな口調(文体)でありながら、交錯する二人の医師が各々の人生をどう生きてきたのか、早く読みたいとワクワクしながらページをめくって一気に読んだ。エンターティメントの作品ではないのに、これだけのわくわく感は久しぶりだ。私もいろいろとあるが、頑張って生きていこうと思った。「ふうう。」(小説の中で頻繁に出てきた陽子のため息)。
私はipadに四苦八苦、ICT社会の中で上地雄輔は「脱携帯電話生活」を宣言
このところipadが使いこなせなくて四苦八苦している。ただ、他の方から見れば、ブログやフェイスブックをしているとなれば、前期高齢者としてはともあれは「ICT社会に馴染んでいる」方なのかも知れないが・・・。
そのICT社会は、とてつもなく便利な社会をもたらしている。当然だが私もその恩恵に浴している。例えばパソコンでの検索、いまや「広辞苑」を使うことはほとんどない。また、当初は使用を拒否していた携帯(まだスマホではない)も、今や手放せない。携帯の登録件数は、もう700件近くにもなっている。
そんな中で、少し以前だがタレントの上地雄輔が、「しばらくの間『脱携帯生活』に入ることを同日朝の公式ブログで宣言した」との報道に接した。そのブログでは、「君もあなたもあったでしょう 携帯がなかったあの頃!!携帯を持っていなかったあの時!!」「超便利な携帯をちょいとだけ封印して、小さな画面を集中してうつ向いて見ずに、いろんな物、人、動物、海川山風空木々、月星太陽、全てを香ったり、聞いたり、見たり、触ったり、口にしたり五感で感じてみます!ちょっと待ってて♪」と上地雄輔は訴えかけている。
今電車に乗っても、本を読んでいる人を見かけることは滅多にない。ほとんどの人が下を向いてスマホを操作している。もう少し自然や人間としっかり向かい合った暮らしを大切にしなければと、タレントの上地雄輔に教えられた。そうは言っても、私自身まだ携帯を持たない暮らしをする勇気はない。トホホ、だ。
今年も旭川の土手に黄色い絨毯が敷かれる、オオキンケイギクが咲き始めた
今年もまた、旭川の土手でオオキンケイギクが黄色い花を咲かせ始めた、もうすぐ黄色い絨毯が敷かれることだろう。旭川下の大根畑では、もう収穫を終えている。また、新しいお野菜が植えられることだろう。
格別変わることのない風景だ。それでも、人はいつも同じではない。私は今年もこの光景を見ているが、来年その光景が見られるという保証はない。それ故、その日、その日を大切に生きたいものだ。