企業における人件費支払能力測定の実務:第2回
―高度成長期の「賃上げ吸収策」から―
支払能力測定の実際に入る前に、もう1つ、昔話をしたいと思います。
日本経済では昭和30年代に入って、神武景気、岩戸景気がありその後昭和39年(1964年)に東京オリンピックがあって、いわば高度成長期の前半の時代でしたが、昭和40年に至って、戦後最大の不況」といわれる深刻な不況に見舞われました。
山陽特殊鋼の倒産や山一證券行き詰まり日銀の特別融資で救済されるなど、高度成長期の多様なツケが回った形でした。
この不況からの回復にまつわるエピソードについては「 景気回復策あれこれ」「 株式投資大成功の話」などで触れてきました。
昭和41年以降の「いざなぎ景気」は、昭和45年(1970年)の「大阪万博」まで続きますが、この間大幅賃上げの動きが年々強まり、インフレ抑制のための引き締め策に加え、1971年のニクソンショック( ブレトンウッズ体制の崩壊)、さらに1973年の第1次石油危機で止めを刺され、日本経済の高度成長期は終わります。
ところで、このいざなぎ景気の中で言われたのが「賃上げ吸収策」という言葉です。長期の好況と、労働組合の攻勢の強さに、企業はついつい大幅な賃上げをしてしまい。その賃上げコストを吸収するために「賃上げ吸収策」を考えるという大幅賃上げ対応策です。
最初は、賃金制度の中身や、諸手当、福利厚生費などの減額といった人件費内部の問題のように考えていた企業も、最後には、「賃上げコストの吸収は、企業全体の効率化、生産性の向上で」という事に帰着していきました。
しかし、賃上げ吸収策ではとても追いつきませんでした。企業の生産性向上、日本の経済成長を超えた年々の賃上げは、日本経済を自家製インフレ、賃上げとインフレのスパイラルに陥れることになりました。
その極め付けが「 第一次オイルショック」による経済大混乱です。
この経験から、労使双方は「賃上げと経済の関係」をより合理的なものにしなければならないという理性的な対応を、春闘の中に持ち込み、当時の使用者団体の日経連は、それまでも掲げてきた「生産性基準原理」の徹底を言い、労働組合側も「経済整合性理論」を打ち出し、日本の賃金決定は、マクロレベルでの合理性獲得の時代に入りました。
しかし、日本の賃上げは「企業レベルの労使交渉」で決まります。個々の企業の状況はマクロ経済と必ずしも同じではありません。
ならば企業はどう考えればいいのか。ここでの問題「企業の支払能力」はそれです。
冒頭に、「賃上げ吸収策」という概念を出しましたが、企業の支払能力というのは、いわば「賃上げ吸収策」を賃上げの事後ではなく、賃上げ前に持ってきて、予め吸収できる限度の人件費上昇を測定(予測計画)するという事になります。
ですから、人件費支払能力の策定は、長期的な企業の成長発展を前提に、「その企業の成長発展と整合する人件費計画」なのです。まさに経営計画の一環で、「如何にすればベストの企業成長が可能になるか」と「如何にすれば最大限の人件費を長期安定的に支払えるか」を共に満足する「解」を探すことにほかなりません。
ここでの「企業の人件費支払能力」とは、そうした意味のものです。
―高度成長期の「賃上げ吸収策」から―
支払能力測定の実際に入る前に、もう1つ、昔話をしたいと思います。
日本経済では昭和30年代に入って、神武景気、岩戸景気がありその後昭和39年(1964年)に東京オリンピックがあって、いわば高度成長期の前半の時代でしたが、昭和40年に至って、戦後最大の不況」といわれる深刻な不況に見舞われました。
山陽特殊鋼の倒産や山一證券行き詰まり日銀の特別融資で救済されるなど、高度成長期の多様なツケが回った形でした。
この不況からの回復にまつわるエピソードについては「 景気回復策あれこれ」「 株式投資大成功の話」などで触れてきました。
昭和41年以降の「いざなぎ景気」は、昭和45年(1970年)の「大阪万博」まで続きますが、この間大幅賃上げの動きが年々強まり、インフレ抑制のための引き締め策に加え、1971年のニクソンショック( ブレトンウッズ体制の崩壊)、さらに1973年の第1次石油危機で止めを刺され、日本経済の高度成長期は終わります。
ところで、このいざなぎ景気の中で言われたのが「賃上げ吸収策」という言葉です。長期の好況と、労働組合の攻勢の強さに、企業はついつい大幅な賃上げをしてしまい。その賃上げコストを吸収するために「賃上げ吸収策」を考えるという大幅賃上げ対応策です。
最初は、賃金制度の中身や、諸手当、福利厚生費などの減額といった人件費内部の問題のように考えていた企業も、最後には、「賃上げコストの吸収は、企業全体の効率化、生産性の向上で」という事に帰着していきました。
しかし、賃上げ吸収策ではとても追いつきませんでした。企業の生産性向上、日本の経済成長を超えた年々の賃上げは、日本経済を自家製インフレ、賃上げとインフレのスパイラルに陥れることになりました。
その極め付けが「 第一次オイルショック」による経済大混乱です。
この経験から、労使双方は「賃上げと経済の関係」をより合理的なものにしなければならないという理性的な対応を、春闘の中に持ち込み、当時の使用者団体の日経連は、それまでも掲げてきた「生産性基準原理」の徹底を言い、労働組合側も「経済整合性理論」を打ち出し、日本の賃金決定は、マクロレベルでの合理性獲得の時代に入りました。
しかし、日本の賃上げは「企業レベルの労使交渉」で決まります。個々の企業の状況はマクロ経済と必ずしも同じではありません。
ならば企業はどう考えればいいのか。ここでの問題「企業の支払能力」はそれです。
冒頭に、「賃上げ吸収策」という概念を出しましたが、企業の支払能力というのは、いわば「賃上げ吸収策」を賃上げの事後ではなく、賃上げ前に持ってきて、予め吸収できる限度の人件費上昇を測定(予測計画)するという事になります。
ですから、人件費支払能力の策定は、長期的な企業の成長発展を前提に、「その企業の成長発展と整合する人件費計画」なのです。まさに経営計画の一環で、「如何にすればベストの企業成長が可能になるか」と「如何にすれば最大限の人件費を長期安定的に支払えるか」を共に満足する「解」を探すことにほかなりません。
ここでの「企業の人件費支払能力」とは、そうした意味のものです。