tnlabo’s blog   「付加価値」概念を基本に経済、経営、労働、環境等についての論評

人間が住む地球環境を、より豊かでより快適なものにするために付加価値をどう創りどう使うか。

支払能力シリーズ11: 分配と成長の基本的関係

2016年12月14日 11時43分27秒 | 経営
支払能力シリーズ11: 分配と成長の基本的関係
 「人間が資本を使って付加価値を生産する」と繰り返し書いてきましたが、これが今日の分配と明日の成長との間に密接な関係があるという経験的な事実の基本にあることがご理解いただけてきているのではないかと思います。

 一般的な労使関係論の中では、人件費と資本費への分配は「労使の分配」という形で認識されますが、これはいわば、昔の「労資関係」の名残りで、使:使用者が、資:資本家のように思われているだけで、現実には、使用者は資本家ではありません。
 今の使用者(マネジメント)は、企業の「長期的な安定発展」を考える「システム・マネジャー」の役割を担っているのです( 経営者革命)。

 従って、経営者は企業の長期的な安定発展を構想・計画するためにはいかなる技術革新、どれだけの資本投下が必要かを常に意識し、そのための資本のどれだけを利益から、資本市場から、金融機関から調達するかを考えることが必須となります。

 これは、おカネの面の投資の問題ですが、もう一つ、その技術を開発し、使いこなす人間が、実はより重要な問題かもしれません。これには、従業員の教育訓練、適切な人材の採用といった人間への投資が必要になってきます。

 経営者はそのための資本(資金)の調達に責任があります。実はこのうち、人間にかかわる部分は「人件費」です。旧来の労働分配率理論では、この分析は出来ません。

 すでにシュンペーターが、名著「経済発展の理論」で、経済発展のベースは、技術革新と書いていますが、技術革新を進めるのも人間で、それを生産に応用するのも人間で、実際に生産するのも人間です。
 ビジネスがサービス業であれば、こうした発展は100パーセント近く人間への投資によるものという事でしょう。

 正確に言えば、労働分配率の中の教育訓練などの対人投資部分は「投資」と読み替えて分析する必要もあるのでしょう。

 企業の成長発展のためには技術開発・革新を含めた設備投資、いわゆる企業高度化のためにどれだけの資本支出が必要になり、そのうちどこまでを内部留保で賄うか(人件費に関わる部分は経費になりますから)が企業発展のカギになります。

 こういいますと、「すべては企業のためで、『人間が資本を使って』の『人間』の部分はどうなるの、といったことになりそうですが、ここで「将来基準」の問題が出てくるのでしょう。
 企業の発展の中身は生産性の向上です(品質も価格に反映されます)。生産性の向上が早ければ、労働分配率は一定でも、生産性の向上に比例して賃金上昇率も早くなります。

 企業経営における経験的な事実として、労働分配率の低めの企業の方が成長が早い、あるいは逆に成長率が高かった時代の労働分配率は低かった、という分配と成長の関係は明らかです。「成長率と労働分配率は逆相関」の関係にあるようです。

 さて、こうした分析を適正労働分配率の検討にどう生かすかが労使の課題です。

支払能力シリーズ10: 労働側から見た適正労働分配率

2016年12月12日 14時29分32秒 | 経営
支払能力シリーズ10: 労働側から見た適正労働分配率
 このシリーズのテーマである「支払能力」という言葉が、そもそも経営側の視点のものですから、労働側からのそもそも論ということから言えば、「労働分配率は高いほどいい」というものかもしれまあせん。

 もともとヨーロッパで始まった労働運動というのは、労働を搾取する資本家に対しての戦いだったのでしょう。( マルクスの時代、ピケティの時代
 しかし日本では少し違っていたようです。日本では江戸時代から、「丁稚奉公から入って、暖簾分けまで」といった従業員を一生面倒みるという、いわば家族主義的経営の意識があったようです。

 こうした拠って立つ文化の違いは、今の労使関係にもつながっているようですが、それはさておき、一般的な労使関係論から見れば、労働側からは適正労働分配率というより「より高い賃金」の主張が当然で、かつては学説としても、労働分配率は労使の力関係で決まるといったものが通用していました。

 当然、労働分配率を高めるためには労働者の組織力を拡大強化し、ストライキなど力の行使も含めて、交渉力を強めるという思考方法になっていたと思われます。

 しかし、こうした主張では、本当の問題解決はないという事がこの何十年かで次第に理解されてきたように思われます。

 事の始まりは日本的労使関係に立つ日本の労組の意識改革だったと私は考えています。
 これはこのブログでも、世界に先駆けて 石油危機を克服した日本労使の対応として詳述していますが、それ以来日本では賃金インフレの高進といったことは無くなりました。

 1970年代ら80年代にかけて、力で高賃金を獲得しようとする労組の攻勢で、軒並み先進国病に罹患して疲弊した欧米主要国でも、 サッチャー改革や、オランダのワッセナー合意に象徴されるような労組の行き過ぎの抑制を強く意識した政府の政策変更がありました。

 さらにその後は、新興国からの安価でしかも高性能な商品の流入などが一般化し、欧米でも労働組合は「無理な賃上げで企業のコストを高めれば、結果は自分の雇用に降りかかる」という認識・理解が進み、労組の運動は極めて抑制的なものになったようです。

 こうして、21世紀の今日に至り、異次元金融緩和の下でも労組は沈黙、先進国の中で賃金インフレやスタグフレーションは、ほとんど見られなくなりました。

 こうした観点から見れば、今、労働側からも、適正労働分配率とは何か(言い換えれば可能な賃上げの限界はどこか)という問題を考えなければならない状況が生まれつつあるという事になるのではないでしょうか。

 すでに触れましたように、日本では連合は、政府の賃上げ奨励を追い風に、より高い賃上げを取ろうなどといった行動はとっていません。
 連合の考える日本経済の安定成長と整合的な賃金要求が、例年の主張になっています。

 先に書きました「真理は中間にあり」の中間点を具体的に探り出す作業が、労使共通の問題として論議される環境条件は整ったという事ではないでしょうか。

支払能力シリーズ9: 人間と資本と労働生産性

2016年12月12日 13時49分02秒 | 経営
支払能力シリーズ9: 人間と資本と労働生産性
 企業活動の目的は付加価値を生産して、それによって社会をより豊かで快適なものにしていこうというものでしょう。豊かさ・快適さを求めるのは、人間としては当然での欲求です。

人間はそのために企業という組織を発明しました。もちろん企業には、小は個人企業から、大は世界企業までありますが、複式簿記で活動を計測管理し、それによってより効率的な生産活動をしようという基本は同じでしょう。生活維持のための生業とは違うのです。

 この「企業」という場で、「人間が資本を使って」付加価値を生産するのです。そして、それによって、人間が「豊かさ」や「快適さ」を手に入れるのです。

 ここで意味を持ってくるのが「人間が資本を使って」というところでしょう。
 資本は運転資金になったり設備資金になったりしますが、企業にとっては、そうした企業活動に必要になる資本があります。その資本がないと生産活動はうまくいきません。

 最も解り易いのは資本設備の例でしょう。例えば運送というビジネスです。資本がなければ背負って運びますが、それでおカネ(資本)を稼いで自転車を買えば能率(生産性)は上がります、さらに稼いでモーターバイク、また稼いで軽トラと使用できる資本が増えれば、生産性は飛躍的に上がります。どんどん進んで、鉄道、新幹線や、巨大タンカー、ジャンボジェットまで行きます。 

 生産性というのは(ここでは「労働生産性」ですが)「1人当たり付加価値」(=付加価値/従業員数)で計算されるわけで、これが豊かさ・快適さの源です。
 これは企業での計算ですが、国ならば、「国民所得/人口」で、これで国別の豊かさのランキング付けをしているわけです。

 ですから、企業でも、国でも、どれだけの設備の高度化をしているかが、労働生産性の重要な決定要因になります。
 勿論、その国・企業で働く人の能力や、勤勉さも影響しますが、能力が高く勤勉な人間が「より高度の設備」を使えば、ますます生産性は上がります。

 これを説明する数字が、資本装備率です、これは労働装備率とも言われます、本当は「労働の資本装備率」で、計算式は、「固定資本/従業員数」です。従業員1人当たりの設備額が大きいほど、通常、生産性も高いのです。「労働生産性は資本装備率に比例する」つまり、価格が2倍もする高度な設備を持っている工場では、労働生産性は2倍になるという経験値が生まれてくるわけです。

 さて、ここで問題になるのは、設備投資の高度化にかかる資本(おカネ)をどう調達するかという問題です。
 「銀行から借りてくる」というのも1つの答えでしょう。しかしこれはそう簡単ではありません。「資金の7割は用意しました。3割分借りたい」なら可能性ありでしょうが、「3割用意しました。7割借りたい」といったら、よほど信用がない限りダメでしょう。

 そこで自前の金をどこまで「用意出来るか」が大事になってきます。自前の金は、基本的には企業の創った付加価値から人件費等を払って、利益を計上し、その中から法人税を払って、当期純利益、そこから配当も払って、残った内部留保が原資です。

 という事で、企業が付加価値を労使で分配する場合、労働分配率をどの程度にするのが適切かと考える場合、将来の設備投資計画(広くは経営計画)から逆算して「このくらいでないと」設備投資に必要な自己資金が用意出来ない、という経営の立場が出てきます。

 通常、企業は3年とか5年の中・長期経営計画を立てて、その中でこうしたことを考えることになるのでしょう。
 では、従業員あるいは労働組合から見ると、適正労働分配率はどんなことになるのでしょうか。

ホタル飼育の副産物

2016年12月10日 17時57分19秒 | 環境
ホタル飼育の副産物

 

 寒くなって来ていますが、我が家のヘイケ蛍の幼虫の生育状況は、現状、順調に進んでいるようです。
 今、幼虫にやっている餌はカワニナです。

ゲンジ蛍の餌はカワニナで、ヘイケの方はタニシという事になっていますが、へいけボタルはかなり雑食で、カワニナも大好きで、よく食べますし、スーパーから買ってきた冷凍シジミでも育ちます。

 我が家では、近所の川にカワニナがいるので、現状、それで飼育していますが、先ず餌のカワニナを飼育しなければならないわけで、発泡スチロールの箱に水をはってカワニナを飼います。そこでカワニナの餌が必要になります。カワニナの好きな餌は「白モクレンの枯葉」と先輩に教えてもらって、何枚も拾ってきて1枚ずつ順に入れてやります。

 10匹から20匹程度のカワニナがいるのですが1枚の葉は、数日でなくなります。しかしよく見ると、全部食べてしまったのではなく、葉脈の部分は食べないのです。我々が魚の骨を食べないようなものでしょう。

 それでピンセットでつまんで取り出してみると、見事の葉脈だけが食べ残されています。本当にきれいに葉の部分だけ食べられているのを見て、思い出したのは、戦中、戦後、物がない頃、この葉脈を赤や黄色や青く染めた「しおり(栞)」が女の子などの間ではやっていたことでした。

 当時、こんなに綺麗に葉脈だけ残して「しおり」にするのはどうやって作るのだろうと感心したことがありました。
 まさかタニシに食べさせて作ったのではないでしょうが、偶然にもそれと同じものが出来たので、正にびっくりです。

 絵具で色を付けてもいいのですが、先ずは写真を撮って、パソコン上で色をつけたの上の二枚です。色のついていないのは白い紙の上において、影と一緒に撮ってみたものです。

 こんな経験が出来たのも、カワニナのお蔭で、そのもとは蛍の飼育ですから、ホタル飼育の副産物です。お蔭様で、70年も前の綺麗な「しおり」に再会できたわけで、世の中、何がどこに繋がっているか解らないものだなどつくづく感じているところです。
 

トランプ氏とアメリカの再生

2016年12月08日 12時10分15秒 | 経済
トランプ氏とアメリカの再生
 ソフトバンクの孫正義氏がトランプ次期アメリカ大統領に会って、アメリカに5兆円余の投資をし5万人の雇用を創出すると約束して、トランプ氏は大変喜んだというニュースが飛び込んできました。

 TVで見ても、トランプ氏の表情は本当に嬉しそうで、孫氏のことを「マサ」と呼び、孫氏も人懐こい表情で親密感を示し、まさにビジネスマン同士の素晴らしい交歓のシーンという感じで拝見しました。

 こうした、まさに実体的な日米経済の交流は、現実的であるだけに、政治的交流に増して、我々にも実感できるものでしょう。
 こうした多様な側面から、今後の日米関係が多様な形で織り上げられていくことは極めて大事だと思われます。

 孫氏のアメリカの今後を読み、迅速に行動に出たこと、機を見るに敏といいましょうか、流石といいましょうか、驚くばかりです。

 アメリカを経済活動、ビジネスの場としてとらえると、今でも、ある意味では世界で最も素晴らしい場所でしょう。ビジネスだけではありません、ゴルフでも野球でも、やはりアメリカは能力ある人たちにとっては羨望のアリーナでしょう。

 ただ純粋に経済という立場で考えますと、これからのアメリカ経済の再生は、それでいいのかなという疑問も感じてしまうところです。
 世界の資本や経営能力がアメリカという舞台で活躍する。それがアメリカへの資本の流入を生み、雇用を生み出し、アメリカ経済は一見華やかに活況を呈するのですが、その舞台を支えるアメリカ自体の経済力はどうなのでしょうか。

 アメリカが今の万年赤字経済で世界中から借金しなければならないという経済から脱出し、 自力で世界に貢献できるような経済体質を作るためには、自らの力で十分な付加価値を生み出し、その中から自らの力で資本投下を行い、自らの労働力でコスト競争力のある企業、産業を持たなければならないのでしょう。

 いま中国は巨大な資本力を持っているようですが、人民元安を恐れています。人民元安で、海外からの資本の引き揚げを恐れるからです。
 中国は労働コストの安さで、海外資本を呼び込みました。アメリカはアメリカという「活躍の舞台」の魅力で、海外資本を呼び込むのでしょうか。

 トランプ氏がどんなアメリカを考えているのか、まだまだ分かっては来ませんが、「アメリカ・ファースト」の現実的な中身が何なのか、次第に見えてくるのではないでしょうか。注意深く見守ることが必要なようです。

支払能力シリーズ8: 適正労働分配率:単に労使間の分配か?

2016年12月07日 16時54分55秒 | 経営
支払能力シリーズ8: 適正労働分配率:単に労使間の分配か?
 適正労働分配率というテーマを、歴史的な面も含め、「労使間の分配」の在り方として論じてきました。

 しかし、この問題は、付加価値という成果の単なる「労使の分配闘争」、「分捕り合戦」といったレベルで論じていいものでしょうか。すでにお気づきの方も多いと思いますが、実はこれこそ、経済活動、経済学、経営学の根幹に関わる最も重要な問題なのです。

  マルクスからピケティまで、経済社会における最重要な問題は、富の分配の問題でしょう。富の配分の在り方が社会の構成員の間で納得出来る範囲のものであれば良いのですが、それが限度を超えて偏ったり歪んだりしてくると社会は不安定になります。

 経済社会が安定して発展していくためには、富の分配は極めて重要な要素で、その分配の最初の段階は、すでに述べましたように、付加価値を生産している所、つまり企業という場で労使の分配という形で行われるのです。

 高すぎる労働分配率も、低過ぎる労働分配率も企業の安定した発展を齎しません。「真理は中間にあり」と書きましたが、さて、中間のどこにあるかを考えることを「始めなければならない」のでしょう。

 その伏線として提起した問題が、前回の「実績対応か目標対応か」という問題です。ここでは、問題点を具体的にするために、企業という場を前提にして話を進めたいと思いますが、一国経済といった問題の場合も、当然基本は同じで、類推可能と考えています。

 ここで最初に考えて頂きたいのは、「現在の分配は将来の成長を規定する」という命題です。もう少し単純にすれば「分配と成長の関係」ということになりますが、「今日の分配の在り方が、将来の(企業の)成長を規定する(重要な要素である)」という「現実」です。

 このブログでは、企業の定義として「企業とは、人間が資本を使って付加価値を生産する場所」と書いてきています。
 ご承知のように、生産の三要素は、土地、労働、資本です。今日の認識では土地は資本のうちで、生産要素は労働と資本です。そして、労働と資本は対等ではありません。主人公は人間(労働)です。

 人間が資本を使って付加価値を創るのです。ですから付加価値は、生産の「要素」である「労働」と「資本」に帰属します。この2つがの字通り「要素費用」で、「人件費」と「資本費」です。そしてその分配は労使交渉で決まります。

 ここまでは、企業という場が、先ず付加価値の分配をする場で、それは労使交渉という形で行われることの説明ですが、最も基本的な命題
  「今日の分配が将来の成長を規定する」
を説明するためには、「人間が資本を使って」付加価値を創るという事が関係してきます。この点を次回のテーマにしたいと思います。

財界はどんな日本経済を目指すのか

2016年12月06日 12時45分18秒 | 経済
財界はどんな日本経済を目指すのか
 昨5日、経団連の榊原会長は、定例記者会見で、2017年の春季労使交渉においても、従来路線を進む考えを示したようです。
 
 マスコミは、官製春闘4年目などと書いていますが、安倍総理が毎年「賃上げ、賃上げ」と繰り返す中で、矢張り政府の意向も忖度しなければならないでしょうし、経団連自身も、余裕のある企業は、ある程度の賃上げをしてもいいという考えもあるのでしょう。経済の勢いを維持するためには、賃上げを続けることが必要との主張のようです。

 確かに、経済をバランスのとれた成長に持ち込むための必要条件として、経済成長に伴う賃金の上昇は必要でしょう。このところの実質経済成長は、ごく僅かですが、「それなりの」賃上げは必要でしょう。(当ブログ「支払能力シリーズ」参照)

 ただ、企業は、変転する内外の経済情勢に敏感で、固定費上昇につながる「ベア」には二の足ですから、経団連も、賞与や手当など多様な形でといっているようです。
 「経労委報告」が発表されれば多分その中では「企業は自社の支払能力を勘案」といった言葉が入るのでしょうが、最近の経済状態に関連する数字を見てみましょう。

 名目経済成長率はこの所(2四半期)0.1、0.2%の低空飛行、消費者物価は0.4%程度の下落(海外要因が主、国内コスト関連部分は微かに上昇)、10月の賃金は(毎月勤労統計)は前年比0.1%の上昇(所定内は0.3%上昇、超過勤務手当の方はマイナス1.4%、例の事件の影響か?)、所定内給与では、正規労働者0.2%上昇、パートタイマー0.3%上昇…、といった状況です。

 何れにしてもほとんど静止状態、かすかな前進、といったところですが、 GDPの四半期報に見るように、不振の原因は家計消費の不振、その原因は賃金低下ではなく平均消費性向の低下というのは明らかです。

 正規よりパートの賃金の方が上昇というのは、格差是正の見地からはいいのですが、正規の賃金は就業規則で決まり、パートの賃金は市場(労働需給)で決まっているのですから、これは景気次第、円レート次第でしょう。

 同じように、企業の収益も円レート次第で、この所の「トランプ円安」で株価は上昇ですが、「トランプ・ツイッター」は心配の種、いつどうなるかわかりません。

 この不安定さの中で、「出来るところは賃上げを」といってもできる自信のある所はあまりないでしょう。これは企業も家計も同じです。従って、ともに貯蓄に励みます。貯蓄してもゼロ金利です。それでも貯蓄するのが日本人です。

 財界はどんな日本経済を望んでいるのでしょうか。安倍さんはカジノと賃上げですが、経済三団体などは、政府に対して、国民に対しても説得力のある、あるべき日本経済の姿を強力に提言してくれないのでしょうか。

支払能力シリーズ7: 適正労働分配率:貢献度対応か将来志向か

2016年12月05日 12時43分49秒 | 経営
支払能力シリーズ7: 適正労働分配率:貢献度対応か将来志向か
 前回労使が協力して生み出した付加価値を労使で分けるとき考え方の基準として、「貢献度」と「将来志向」を挙げました。
 貢献度による分配は「過去基準」です。将来志向による分配は「未来基準」でしょう。

 現実の分配論争は、歴史的に見ても、大体この2つのどちらを強調するかで論争になっているというのが経験的にも見て取れると思います。
 ところで、純粋に理論的に言いますと、こうなるのでしょう。

 貢献度対応は、過去の実績基準ですから、今年生み出した付加価値の労働への配分はそれへの労働の貢献実績を基準に行われるべきという事になり、結果的に、将来は過去の延長線上で推移するという事が前提になっているという事になります。
 将来計画は、今年生み出した付加価値を、将来の必要によって労使に配分しようとするものですから、将来は過去と違ったものを目指すことが出来るということになります。

 さて、どちらが合理的かという事になりますと。単純にどちらが正しいというのではなく、配分に関わる労使が、どちらの視点を重視するかで合理性も、納得性も、その中身が変わって来る様に思います。
 従業員サイド(労働組合)は通常、こんなに一生懸命働いたのだからもっと貢献度を評価すべしといった論陣を張るでしょう。
 経営側は、企業の将来の安定と発展を考えれば、資本蓄積も重要といった主張をするでしょう。

 ただ、こうした論争の中で、具体的に数字を出して、貢献度や将来計画の論拠を示すはあまりないようで、そのために客観性よりも力関係や交渉力が重視されるといったのが現実の労使の論争でしょう。

 ある意味ではこれは当然で、従業員の貢献度を数字で把握するといったことは容易ではありません。生産関数にしても、従業員の数を基準にするのが通常で、「従業員の質やヤル気」を数値化することは至難でしょう。

 他方、将来志向による分配の説明としてよく使われるのは「家庭」の例です。
 通常、家庭における経済的貢献度は父親が絶大です。貢献度対応にしますと、父親に殆ど配分しなければならないことになりそうですが、実際には主婦が財布のひもを握り(日本特有のようですが)分配先は子供の育成・教育が最優先、というのが実情のようです。
 これこそ将来志向の典型でしょう。

 「 米百俵」などという教訓もあり、将来のための支出(投資)の大切さはよく言われますが、現実は将来志向だけで生きていけるものでもないでしょう、失敗の可能性もありますから、実績としての貢献度と将来志向との適切なブレンドが大事ではないでしょうか。

 この辺りが、労使交渉、春闘の最も重要な部分で、力関係でない合理性を求めての話し合いができるかどうかで良い結果になるかどうかは決まるようです。

 2017春闘向けての連合の ベア2%基準という要求についても、こうした基準で考えれば、連合が労働の貢献度と日本経済の将来との両方をにらみながら、合理的な要求基準を模索していることが分かると思います。

支払能力シリーズ6: 適正労働分配率に関する理論

2016年12月04日 10時52分45秒 | 経営
支払能力シリーズ6: 適正労働分配率に関する考え方

 現実の世界で労働分配率がどう決まるかという研究は歴史的にいろいろあります。伝統的に根強いのは「労使の力関係」です。労働組合を組織して交渉力を高めれば高い賃上げが取れるなどと説明されます。

 不況の時は高くなり、好況の時は低くなるというのも一般的な見方です。利益は景況によって大きく変化しますが、賃金の方は(慣性の法則みたいなものがあって)急には上がったり下がったりしにくいので、結果的にそうなります。
 これは現実の労働分配率の動きの分析ですが、「適正」労働分配率の立場からはどうでしょうか。

 大きな立場は2つあるように思います。
・第1は、生産に対する労働と資本の貢献度に従って配分するという考え方、
・第2は、将来がより良くなるように配分するという考え方でしょう。

 第1は、「生産関数」などを使って、生産に対する労働と資本の重相関を計算し、どちらが何%寄与したかを測って、その割合で分配すれば合理的という事になります。
 第2は、企業や一国経済が、将来より良く発展するように配分しようという考え方です。
さて、どちらが「適正労働分配率」の考え方として合理性が高いでしょうか。

支払能力シリーズ5:適正労働分配率へのアプローチ

2016年12月03日 15時07分50秒 | 経済
支払能力シリーズ5: 適正労働分配率へのアプローチ
 検索しやすいように、今回から「支払能力シリーズ#」を先に持ってきました。
 前回、労働分配率論争という言葉を使いましたが、この言葉には長い歴史があります。

 マルクスが資本論を書いたのは「剰余価値」(現代で言えば「付加価値」でしょう)の分配が資本家に偏り、現実に剰余価値は労働者の働きによって生み出されているのに、労働者は資本家に搾取され、ごく少ない取り分しか受け取っていないと考えたのがきっかけでしょう。

 こうして労働分配率が低すぎると、それは革命にまで発展することにもなります。現代でも、労働分配率が少な過ぎれば、ストライキに繋がるというのは起こりうることです。さらに、1929年の世界恐慌のように、富が偏在、プロレタリアは購買力がなく、需要不足から恐慌に発展する可能性が高まります。

 逆に労働分配率が高すぎるとどうなるのでしょうか。これは1980年代のヨーロッパアメリカに見られた現象です。

 2度の石油ショックの後、原油値上がりにより発生した輸入インフレを、賃上げでインフレをカバーするという理由で賃金を引き上げましたが、、結果は競争力の低下で、企業収益は低迷、高インフレやスタグフレーションが一般化し、経済成長率は低下、先進国病と言われ、主要国の多くで政権交代が起きました。

 労働分配率は、高すぎても、低すぎても、企業経営、国民経済はうまく行かないようです
 という事になれば、推論の結果は「真理は中間にあり」、つまり両極端の中間のどこかに、望ましい労働分配率があるという事になるのでしょう。
 この辺りが、労働分配率論争の「解」を探る適正労働分配率へのアプローチの入り口になるのではないでしょうか。

 さらに論を進めるために、次回は、適正労働分配率を考える場合の、よって立つ2つの考え方を見てみましょう。

安倍政権はそんなにカジノが欲しいのか

2016年12月02日 11時08分55秒 | 社会
安倍政権はそんなにカジノが欲しいのか
 安倍政権は、今日にもカジノ法案(IR法案)の衆院通過を強行したいようです。そのために嫌がる公明党も巻き込もうと努力し、公明党も与党という地位に固執するせいか、結局賛成に回るようです。

 日本では賭博は昔からご法度です。賭博は人間を堕落させ、不公平を助長し、多くの場合犯罪の温床になります。
 賭場のシーンはTVの時代劇にもよく出てきますが、誰もがこれは悪いことだと思ってみています。

 ですから、今日の現実の世界で、スポーツ選手などがギャンブルに手を出し、永久追放になっても、誰も異議を唱える人はいません。
 これを政府公認の場でやろうというのがカジノでしょう。政府もやっぱり「間が悪い」のでしょう、IR(integrated resort)推進法案などと中身の良く解らない名前にしています。

 推進論の論拠は、これによって、観光客を大幅に増やすことが可能になるというもののようです。
  すでに書きましたように(「カジノで観光客を…?」2014.8.3)政府がもし、海外からの観光客を増やしたいのであれば、それは、日本といういう国が、「訪れるに足る国」という海外からの認識を基本に置くべきで、それを支えるのは、日本の文化、日本の文化遺産、日本独特のの景観、日本人のおもてなしの心といった要素でしょう。

 カジノがあるから日本に行くという観光客がどの位いるのか分かりませんが、そういう客は、日本でなくても、カジノがあればどこでもいいのでしょう。異文化への接触、文化の相互理解といった高次な観光の目的とは関係ない低次元の問題です。

 カジノの存在意義の源、ギャンブルでもなんでも、カネさえ入れば手段は何でもいいといった風潮は、今日のマネー資本主義を生み、世界経済の健全な成長を阻害し、格差の拡大を齎し、今日の世界の経済。社会の不安定の原因を生み出しています。

 繰り返して書いていますように、日本人は昔から、「額に汗したカネ」と「あぶく銭」とを識別する「お金の由来」についての 道徳的に鋭敏な識別感覚を持っています。
 その日本で、「儲かるなら手段は何でもいい」といった考え方を、政府が率先して「やろう」というのは「日本の伝統文化の冒涜」ではないでしょうか。

 一方で、IR推進法案反対の立場からも、「ギャンブル依存症を増やす」などという低次元の反論しか出ていないというのも、何とも嘆かわしいことです。

 政治家たるもの、日本が素晴らしい国であることを目指すならば、日本文化、日本人の伝統的意識の中での優れた面を大事にすることにもっと関心を持ってもいいのではないでしょうか。