こんにちは。
仰秀のトリマーを務めていました、四年の落合輝です。
引退ブログということで、少し息をしているうちに過ぎ去ったこの3年半のことを思い出して、感じたままに長々と書かせていただきます。全日本選手権が終わってから半月も経っていないのに、すでにだいぶ長く経った気がする土曜日の快晴です。
自分の大学生活に、開放的なひと時を、と思って入ったヨット部ですが、そのひと時は大学生活の大部分を占めることになりました。実際の時間以上に、コロナで後半の二年間ほとんどキャンパスに行かなかった学生の気分において、部活の存在はなおさら大きかったです。
入部した頃の私は、まだ一ヶ月も経っていないのに寮の先輩から「落合君はまだ部活続けてるの?」と聞かれるほど、運動部に似合わない、いかにも文化系の静かで根性のなさそうな人間だったようです。1年の冬、本郷で開かれたオフ期間中の全体ミーティングのとき、すでに私たちの同期の三割ほどがそれぞれの思うところに従って部活を去ったか去ろうとしていましたが、私も冗談半分に「マネージャーになろうかな」と言っていました。私は一年のあいだはスナイプに乗っていましたが、ヨットは難しいし、体力も足りてないから辛いし、マークは見つけられないし、寒いし…。自分の成長と限界、どちらが先に来るのか、見ものだな、などと他人事のように思っていた記憶があります。
2年になる際、人数不足が限界を迎えていたクルーザー班に呼ばれました。そのうち戻るつもりで小網代に荷物を移しました。新勧ののちフォアデッキとしてクルーザーの基本を学び、8月に突然空いたバウマンの座を任され、全日本までの一ヶ月半、ひたすら動作とスタートの練習。これなら出来る、という自信をもちました。自信をもてるまで練習できる環境があったことが、自分にとって幸運でした。今年の全日本における維摩のような、多くの場面で船を主導するバウマンにはなれていなかったものの、船のなかで欠かせない役割を一つは担えているという実感が、励みになりました。そして賑やかな後輩たちがやってきました。仰秀チームが一気に明るくなりました。高校時代の延長でいつもやんややんやと言い合っている維摩と萩原、それに板坂、それにもまして奔放に自分たちが楽しむことに全力な美緒と香穂、そしてゆづ。自分も、彼らのようにのびのび楽しもうかな、と思いました。ありがたいことに後輩たちはその楽しそうな輪の中に巻き込んでくれました。
全日本が終わり、順当な流れとして私がトリマーをやることになり、この時になって仰秀で最後までやり通すのだと決心しました。トリマーの目線から改めて思ったこと。ディンギー班から飛んできた太朗さんに「落合はヨットやってて何が一番楽しい?」と聞かれ、「風だけで走ってるんだなぁと思う時」と答えました。本当にそうでした。そして最後までそうでした。眺めるだけだった海原に自分たちで船を出し、海はどこまでいっても水で、ヨットは風だけで進み、雨は雲から降るもので、雲は浮いているんだなぁ、と感じること。自分にとってヨットを純粋に楽しむとはそういうことでした。
3年になるタイミングで部活動は中断を余儀なくされました。新入生と顔をあわせることもなく、動画ミーティングをする日々。賑やかな合宿所にいられないのを寂しく思う一方で、ちょっと天気が悪くて出艇できない期間が長く続いているのと同じだとも思いました。限られた部活という時間の中で、レースに勝つことを一番の目標にやっていたわけではなかった私は、無責任ではあるものの焦りを感じませんでした。次第に断続的に練習できるようになって、すぐ最上級生に。大会の予定は定まらず、2月から加入してくれた「ひで」とそれから間もなく入ってくれた関根と友成たちを育てながら、自分たちの技術を高める練習。ただ一日一日の練習を充実させることしか考えていませんでした。私はそれで十分楽しかったし、それ以外のことを一旦保留にしておける状況が、心地良いとさえ感じ、どうすればみんなが今日の練習で一番成長できて充実感を得られるか、を考えることに自分の存在価値を認めていました。合宿所はあいかわらず賑やかで、偏屈だった私の頭もだいぶバカになりました。
8月末、合宿再開。しかし9月頭のフリートレースは中止。9月末、全日本の開催に兆しが出て来る。この段になって初めて、レースで勝つことが目標になりました。最後のレースで中途半端な成績だったら折角の引退レースが勿体無いと思いました。新体制の初レースも、仰秀には十数年ぶりのトップフィニッシュがありましたが、それは文字通り「望外の喜び」でした。全日本では狙いを定めて勝ちたい。10月のフリートレースは目標通りの4位、ただ上も下も差があり喜びは薄いものでした。11月のフリートレース、目標はダボハゼに勝っての3位。結果、3位で目標達成、これには喜びました。自分史上最高にピカピカな船艇の仰秀で臨む全日本の目標は、5位。月光とシエスタが2艇ずつ出すことを考えると、それ以外の全てに勝たなければ届かない目標でしたが、勝てると思いました。クルーにはダボハゼに勝つ実力があるし、そのうえで自分が10日間近くかけて磨いた仰秀なのだから勝てないわけはない、と。やはりだいぶバカになったようです。
レースの詳細は萩原が必要十分な振り返りを書いてくれました。第1レース、「幸運でした。完璧でした。」いきなりトップをとってどんな気持ちになればいいか分かりませんでした。第2レース、2位。これならば実力を示したと言える「2レース連続で1.2位。興奮で鼓動が止まりませんでした。」鼓動が止まらなくて本当に良かったです。第3、第4レースは月光の中澤オーナー曰く「いつもの仰秀」の10位、13位。一つずつ順位を上げて行けば良い、と思いながらタクティシャンにそう声をかけてあげなかったことが悔やまれました。第5レース、「基本に忠実に。4位。」ケースから始まった第6レースは「追い上げるも10位。」追い上げたことを褒めてあげたいです。第7レース、「ほぼ満点のスタート。」そうでした。それで本部船の方を見やったら、さらに高い位置でFOXや月光が一斉にバウを揃えて波頭を切っていました。あの気迫、あの場面であの完璧さ。それをほぼ同じ風位で走りながら見られていること。今年の全日本における私たちのチームの位置を象徴するような景色でした。まるっと二年間という長きにわたって不満をみせずバウマンを務め続け、スタートにおいてあそこまで導いてくれた維摩に感謝しています。
最後のレースが終わってハーバーに帰り、今は月光の若手の牽引役である仰秀復活の立役者、松山さんとお話しました。どんな気分かと問われて、その時は言葉が思い浮かびませんでした。最後にちゃんとヨットレースができたな、とは思いました。やはりそう簡単には勝てない、でも勝てる可能性は十分ある。よく闘った。でもまだ自分たちが現実的に上に行ける余地があった。誇るべき結果は残したけれど大満足でもない。良し悪しありました。それゆえか割に淡々としていました。心の奥にかわらず流れていたのは、「ヨットに乗って海に出ていた時間は幸せだったな」という感慨でした。いつの間にかこんなにヨットが好きになっていました。我ながら笑えます。休日の全てを使ってあんなに毎日のように乗っていたのに、まだヨットに乗りたい気持ちがあります。それは「このメンバーに囲まれて」という前提も含まれているかもしれません。このメンバーだからこそ、ここまで幸せな気分で過ごせました。
現役への言葉は個別に残したので、先にLBさんにお伝えしたいことを。
四年間、ヨットを続けられる環境を与えてくださり、ありがとうございました。どれだけお世話になったか、まだ分かっていないかもしれませんが、あらゆる方面からのご支援をいただきました。結果で恩返しできていれば嬉しく思います。田端様は「仰秀が月光とシエスタの前を切る夢を見ました!」というわけで、全日本で観覧艇を出してくださいました。正夢にできて光栄です。ぜひこれからも仰秀の活躍を楽しみにしていてください。
直近の先輩方、私のような部員でもヨットを続けられる場所を与えてくださり、ありがとうございました。すぐに上達したり、ヨットレースの面白さが分かってレースで勝つために邁進できたりしなくても、受け入れてくれる寛容な東大ヨット部で良かったです。ヨットの色々な楽しさを知ることができました。
それから同期の中野。お疲れ様。だいたい全部任せきりでした。自分が補えたのは部屋の整理と細かい手先の作業くらいでした。中野がいなければ自分もこんな気楽な感じではやってこられなかったでしょう。大変お世話になりました。そんなにすごくよく話をしたという気はしないけど、なんだかんだ濃い関係になった気がしますね。社会人になっても暇ができたらまた一緒にヨットに乗りましょう。
後輩たち。もうそんな言うことはないけども。笑
維摩、萩原。頼もしくなりました。このチームでの成績の半分は君たちの負うところです。とても助けられました。とはいえ色々抜けているところもあるので、お互いに言い合ってうまくやっていってください。
ひで。「仰秀は世界一ぃ!」を現実のものにすべく頑張ってください。上手い人に学べばどこまでも上達していけると思います。
関根、友成。楽しみにしています。二人で補い合いながら、うまくなって、仰秀を盛り上げていってくれたら嬉しいです。
美緒、香穂。このチームを明るくしてくれてありがとう。通い練習の時でも楽しく部活生活を送れたのは二人のテンションが朝から「ぶちあがって」いたからかもしれません。その明るさに何度も助けられた気がします。
かなちゃん。仰秀に来てくれてありがとう。すべてこれからだけど、必ず自分なりの貢献があるから、焦らず楽しんでください。
そして最後まで読んでくれた人だけに。ご存知のようにTシャツを作りました。欲しい方は改めてサイズとともにご一報ください。何かの機会にお届けします。
夜になってしまいましたので、これで終わりにいたします。
四年間ありがとうございました。
東京大学運動会ヨット部
落合輝