東京大学運動会ヨット部

東大ヨット部の現役部員によるブログです。練習の様子、レース結果、部員の主張から日記まで。

あと328日

2021年12月13日 22時00分00秒 | リレーブログ

お疲れ様です。

本年度、ディンギー班主将を務めさせていただきます調亮太郎です。


普段から様々な形でヨット部を応援、支援して下さる保護者の皆様やLBの皆様、そしてヨット部に関わる様々な関係者の皆様に感謝申し上げます。


今年度もどうか宜しくお願い致します。



昨年度は、「凡事徹底」を掲げ、全日本シングルを目指し活動した1年でしたが、残念ながら470級片クラスでの全日本出場、そして18位と悔しい結果に終わりました。


直前の練習や走り合わせから、もっと上を目指せるはずだと思っていましたが、3,4日目は無風でレースが行われず、その気持ちを晴らせないまま、無念にも全日本は終わりました。


最終日、APA旗が掲揚され、淡青に曳航されながらハーバーに向かう途中、サポートしてくれた皆への申し訳なさや、遣る瀬なさを抱き、もっと普段からできることがあったのではないかと思い、この悔しい気持ちは1年間忘れまいと強く感じました。



何が足りなかったのか。



東大ヨット部は、このコロナ禍においても新勧にある程度成功し、現在もディンギー班3学年で36人を抱える大所帯です。

一方で、部員が少なかった数年前から結果を伸ばせていないどころか、落としてしまっている状況にあります。


勿論ヨット部の価値は決してインカレでの成績で決められるものではありませんが、この現状は厳しく受け止めなければなりません。



全国のヨット部を見ると、様々なカラーの大学がいます。


セレクションで固められた少数精鋭の大学もあれば、セレクションと未経験者の融合で競争を生み出すのに成功している大学もいる。

セレクションがいなくても少数の非常に高いヨットへの意識で結果を残している大学。多くの未経験者を抱え、切磋琢磨して力を付けている大学。



僕らの少し上の代までの東大は、三つ目に挙げた、「セレクションがいなくても少数の非常に高いヨットへの意識で結果を残している大学」だったのでしょう。


現在の東大ヨット部が目指す形はどこなのか。それはきっと、多くの未経験者を抱えながら、みんなで切磋琢磨して高いレベルを目指す大学なのではないか、と思います。


少数でも戦えるということ、その財産を先輩方が遺してくれました。そしてそれを受け継いで、更なる高みを目指すには、きっと数の力が必要だし、今の東大にはそれがある。


練習への意識や、モラル、規律が存在しない大人数の組織は、烏合の衆です。少数精鋭の大学にも勝てない、寄せ集めの集団でしょう。

しかし、部員が沢山いても馴れ合いにならず、その全員が情熱を持って部活に取り組んでいるチームなら、これまでにない力を発揮できると確信しています。



今年のスローガンは「好み、好まれる。」になりました。


スローガンには、チームのメンバーがヨットを楽しみ、ヨット部を愛せるように、そしてヨット部が皆に応援されるように、という意味があります。


まず、チームが一つに纏まるために、構成員がチームのことを好きになれるようなチームでなければなりません。

そのために、特に下級生がチームにいづらい気持ちを感じることがないよう、上級生が率先して、環境を整備していきたいと考えています。

そういった内部環境が整ってやっと、外部から愛されるようなチームになるのだろうと思います。



そして今年の目標は、全日本総合入賞です。


長年達成できていない目標でもあり、昨年よりも目標が高く設定されています。


非常に厳しい道のりになるでしょう。

しかし、部員全員が熱量をもってヨットに取り組むことができれば、達成できるはずだと信じています。


課題は山積みだし、目標は高いところにありますが、だからといってやることが高尚になる訳ではありません。

一つ一つ、目の前のことからこなしていける、忍耐強さをチームで身につけられればと思います。



今年一年、どうか応援宜しくお願い致します。





ディンギー班主将 調亮太郎




希望の波跡

2021年12月13日 08時50分22秒 | 引退ブログ

 

こんにちは。

クルーザー班主将を務めておりました、中野です。

 

全日本から早3週間が経ちました。これがJ24全日本の振り返りブログとして最後の投稿となります。引退ブログはまだ誰か書くのかな。かなり長い文章となってしまいましたが、読んでいただければ幸いです。

 

まずはじめに、この4年間でお世話になった全ての方にこの場をお借りして改めて感謝申し上げます。

 

度々ご迷惑をおかけしながらも、様々な形で支援してくださったLBの皆様、レースや練習を通じて我々を鍛えてくださった月光をはじめとする社会人チームの皆様、自分をヨットの世界に招き入れてくれた直近の先輩方。本当にありがとうございました。

 

ディンギーの同期のみんな、4年間お疲れ様。気付いたら半分以下にまで減っていたけど、辞めた同期があれだけ応援に駆けつけてくれたのは残った11人がそれぞれ本気でヨット部に向き合う姿があったからこそだと思います。早速機会を逃したけど()、来年からはみんなで船に乗ろうな。

ディンギーの後輩のみんな。よく会う人もいれば中々会えない人も多かったけれど、勝手に応援してたし今後も陰ながら応援してます。賑やかすぎるディンギー班の雰囲気も僕は大好きで、みんなともう少し接する機会を作れればな、という後悔は少しあります。3月までは暇なので声かけてくれれば飯でも何でも奢ります。

 

 

さて、たった一度のブログでこの濃密すぎる4年間を振り返るなど到底無理があるのですが、折角の機会なので思い返してみます。最後の最後の自分語りにしばしお付き合いいただければ幸いです。

 

「海外でレースに出てみたい!」というミーハーな気持ちで入部を決めた3年半前。最初は海が怖くて仕方ありませんでした。沈して溺れたらどうしよう。ロープが絡まったらどうしよう。結局この恐怖心は最後まで消えませんでした。でも、それで良いんだと思います。海が身近なセーラーだからこそ自然の恐ろしさに抗ってはいけないし、万が一に備えなければならない。これは後輩たちみんなに伝えたいです。

一方で、「4年間常にヨットを最優先に生きてやる」と意を決したのも入部当初でした。高校の部活を悔いある形で終えた自分は、何でもいいから一つ全力で打ち込めるものを探していました。何も知らない海の世界を一から学んでいくのは面白くて、一つのコミュニティに全力を注ぐタイプの自分には最適でした。

ホッパー練や江ノ島でのレース運営を経て、9月から小網代へ。初めての全日本では正直足を引っ張りながら、ただ声を枯らしてブローコールすることしかできませんでした。

 

翌年の3月には、気づいたらフォアデッキに自分一人しかいませんでした。自分しかいないなら、自分が何とかするしかない。ここからの2.3ヶ月で精神的に強くなった気がします。

5月に落合が小網代に来て、夏に後輩たちが加入して、いざ全日本。タクティシャンとして、フォアデッキのまとめ役として、最低限の役割は果たせたのかな。

今振り返ると最初で最後の海外遠征となったマイアミワールドは、ただただ楽しい思い出です。連れて行っていただいたJellyfishの皆さん、ありがとうございました。

来年は仰秀としてこのビッグフリートに挑むのか、もっと強いチームにならないとな、と練習に励んでいた矢先、新たな壁となったのは未知のウイルスでした。

 

4月から7月までの活動自粛、その後の合宿の制限、さらにはレースの中止。引退された先輩方からは「しんどいだろう」と労いの言葉をいただきました。正直、それほどしんどくはなかったです。言ってしまえば、思い切って休息を取れる期間でした。

入部当初に4年間の全てをヨットに捧げると決意したものの、それは限りなく難しいことでした。振り返るとあっという間にも思える4年間という時間は、その中を走っている人間にとってはあまりに長い。気持ちが先走る時もあれば気持ちが付いてこない時もあるのは当然で、時には休むことも必要。そんなことを学べたのは、最初に全てを捧げようと思わせてくれたヨット部のおかげです。

唯一心残りなのは、春日さんと太朗さんの引退レースまでもが中止になり気持ちよく送り出せなかったこと。だから、今年の全日本で同じレースに出られて良かったです。

 

いよいよ始まった最後の一年。自分が主将になることは1年生の頃から分かっていたのですが、いざ始まってみると最初は戸惑うことも多々ありました。

リーダーに必要なものとは何なのか。統率力、決断力、実行力、リスクマネジメント、チーム内外とのコミュニケーション、モチベーターとして常に目標を示し続けること。22年の人生の中で正面から向き合ったことのないものばかりで、自分に何があって何が欠けてるのかすら分かりませんでした。

勿論、最後になってもこれら全ての力を身につけられたとは思えません。特にチームメンバーとのコミュニケーションという面では、少人数のチームだから大丈夫だろうと勝手に思い込み、今思うと一人一人とちゃんと向き合う時間は作れていなかったな、などと反省もしています。

けれど、「自分がリーダーとしてどんな振る舞いをできるのか」という問いに対して、何となくだけどこの一年を通じて答えを掴めたのは大きな財産です。

 

自分で舵を持ちたいと思ったのはいつ頃だったでしょうか。それまでの仰秀はヘルムとトリマーは2年おきに交代、というシステムが出来上がりつつありました。けど自分の代は同期が2人で、一個下は当時3人いて、今後もっと部員が増えた時にこのシステムは続かないのではないか。何より一度しかないヨット部人生で舵を持たずには終われない。そんなことを思って先輩たちに我儘を受け入れてもらいました。3年の夏頃から少しずつ練習もさせてもらいました。

不安は勿論ありました。それまで海面と他艇ばかり見てセールもテルテールもそれほど見てなかった人間が一体どれほど走れるのか。

そんな不安を払拭できたのが、去年12月のフリートレースでした。まさかのトップフィニッシュ。あの時の足の震えは今でも覚えています。

 

ただ、その後も全てが順調だったわけではありません。3月のアニオルズカップはまたも中止になり、フリートレースも感染状況を鑑みて中々開かれず。9月上旬頃には全日本の開催は絶望的との見立てでした。

リーダーとして目標を示し続け、モチベーションを上げさせなきゃいけないはずの自分自身のモチベーションが中々上がらない。夏頃に抱えていたそんな悩みは、落合にすら相談できませんでした。

だからこそ、畠山さんや徳毛さんをはじめ全日本の開催に尽力してくださった皆さんに自分は感謝してもしきれません。

9月末に全日本の開催が決まった時は腹を括りました。計測の準備とか船底の整備とか、スイッチが入るまで極端に面倒くさがり屋の自分には大変なこともあるけれど、最後2ヶ月ぐらいまた全てを注いでやろうと。

10.11月のフリートレースは、このチームの完成形が徐々に見えてきて楽しかった。特にフリートレースでだほはぜに勝って3位という目標は、畠山さんだけでなく僕自身ですら無謀だと思っていました。それを達成できた。俺たちならいける。そんな自信が、自分だけでなくチーム全体に漲っていました。

 

全日本の各レースの振り返りは、もうみんなが充分してくれました。

本当に正直なことを言うと、僕個人としては最後までリザルトというものにそこまで強い拘りはありませんでした。全日本5位という目標もチームとして目指す共通のゴールが必要だったまでで、前を走れれば勿論気持ちいいけど、自分たちの納得できるレースが出来ればいいかな、ぐらいの気持ちでいました。その欲の無さが緊張感をほぐした場面もあれば、詰めの甘さにつながった場面もあります。というか後者の方が多分多いです。でもそれが今の自分のヨット観なので、そこに対して後悔はありません。

 

同期の齊藤崇に借りた三万円のサングラスの最大の役目は、最終レースが終わってから油壺の湾に入るまで、その内側で溢れ続けた涙を隠すことでした。最近気付いたのですが、自分は意外と感情に素直で涙脆いようです。

あの時の感情は、目標を達成できず7位に終わった悔しさでも、このチームが最後の時を迎えた寂しさでもありません。こんな晴れ晴れとした形で引退を迎えられたことに、ただ1人で感極まっていました。最後にあれだけ充実した7レースを走ることができた自分は、幸せ者です。

 

全日本トップフィニッシュという形で、仰秀の歴史に新たな一ページを刻めたこと。

明るくて強い家族のようなチームを、全員で作り上げられたこと。

今年よりもっと良いチームを作れば、もっと高みを目指せるという「希望」を、後輩たちへの置き土産にできたこと。

これら全てを、僕は誇りに思います

 

最後に、小網代のみんなに一言ずつ。

 

友成。君は誰よりも真面目で、規律を守ってくれる後輩でした。今年主将をやって分かったのは、君のような人がチームには絶対に必要だということ。まだ小網代に来て3ヶ月少々で分からないことも多々あると思うけど、これまでLINEに書き続けてきた自分の反省を振り返ってみてください。きっと自分が成長してきたことが分かるはず。

 

関根。君のヨットセンスと飲み込みの早さははっきり言って異常です。自分にもこんな特殊能力があったらな、と何度思ったことでしょう。

ブログのハッシュタグに書いていた通り、フリートレースではまだ3番だし全日本ではまだ7番、世界の舞台での位置などもはや未知数です。でも君たち下級生には、残された時間が沢山ある。自分たちの限界を決めつけず、でも決して焦らず、突っ走ってみてほしい。

 

ヒデ。まず、小網代に来てくれてありがとう。去年の今頃スナイプにも乗せてあげるからと言ったのに、結局全然約束を守れなくてごめんね。あとレース当日に敷き布団の下で寝落ちしててごめんね。

加入当初は馴染んでくれるか少し心配だったけど、すっかり生き生きと活動してくれていて何よりです。

君は海でも陸でも、時に上級生よりタフだと思って見ていました。そのタフネスさ故に、そして同期プレーヤーがいないという事情故に、1人で背負い込みそうで心配だけど、周りには頼れる人がたくさんいます。頼れるものは何でも頼って肩肘張らず、引き続きヨットを楽しんでくれ。

 

美緒、香穂。この2人は、敢えて2人に対して書かせてもらいます。

君たち2人の行動力と活力は、本当にすごい。海に中々出られないという壁を自力で超えていき、時にチームとしてしんどいはずの状況でも2人がそんな雰囲気にさせなかった。ご飯を作り続けてくれたことは勿論だけど、それ以上に大事なことを教えてくれたことに僕は感謝しているし、尊敬してます。

これからはかなちゃんと3人で、また新たな小網代三姉妹としてチームを盛り上げ続けてくれな。

 

萩原。君は今年になって(後輩ができてからかな?)、人として丸くなった気がします。勝ち負けに誰よりも拘る姿勢は、タクティシャンとして大事な要素。最初の頃から1世代前のタクティシャンより常に良いコースを引いてくれていました。でも、ヨット部ではレースの勝ち負け以上のものが得られると自分は思ってます。勿論プレーヤーとしても、まだまだいくらでも伸び代はあるはず。

最後の一年、最上級生として堂々と、視野を広く、そしてポジティブに、チームを引っ張っていってくれ。

 

維摩。今年のレースでスタートを褒められ続けたのは、間違いなく君のおかげです。今年の夏頃から上級生としての自覚がはっきり芽生えたのか、最後の半年は自分の目の届いてない部分をカバーしてくれて助けられました。最後、世界選手権の切符をちゃんと渡してやれなくてごめんな。

今後は常に自分の言動が後輩たちに見られていることを忘れずに、良いチームを作ってくれ。そしてセーラーとしてもリーダーとしても、今年の俺をさっさと超えてってくれ。適当人間に見えて実は誰より責任感の強い君なら、大丈夫。

 

落合。僕にとって絶対に替えの効かない、唯一無二の相棒でした。ありがとう。

 

 

全日本の後、たくさんの方から「良いものを見せてもらった。感動した。」といったお言葉をいただきました。選手としてこれ以上の喜びはありません。

これからも、人の心を動かせるような人間であり続けたいです。

 

4年間本当にお世話になりました。

 

東大ヨット部に幸多からんことを願って。

 

 

20211213

 

那覇へと向かう機上より、快晴の中に邦の秀を仰ぎつつ

東京大学運動会ヨット部

クルーザー班前主将

中野