5月3日の神戸新聞に『中村うさぎが斬る 都知事4選』というのが載っていた。「おそらく共同の記事だろうから中国新聞にも載っているかな?」とも思ったが、「イヤ載ることはないのでは」と思い直して持って帰ってきた。
案の定中国新聞には載っていなかった。少し長いけど打ってみる…
都知事選でまた当選した石原慎太郎という男は、私にとって非常に興味深い存在である。
彼ほど数多くの失言を繰り返しながら失脚しない政治家は珍しかろう。しかも失言の多くは「マイノリティ差別」。
外国人、ゲイ、女性、障害者…いわゆる「社会的弱者」と考えられている人々を傷つける発言ばかりである。
つまり、この男は「弱い者いじめ」をしているに他ならないのだが、本人はどうもそれを「強さ」や「男らしさ」の表明だと考えているらしい。でもさ、ふつうに考えて「弱いものイジメ」するヤツッて、本人が弱っちい証拠じゃないか!
で、失言を咎められると必ず逆ギレし、「俺は世間の馬鹿どものくだらんバッシングに屈するような弱い男じゃねーぞ!」とばかりに吠えてみたりするんだが、なんかもう、その様子がますますイタくて見てられない。この人、どうしてこんなにマッチョなふりをするんだろう?仮面の下から、ひ弱で劣等感の強い地金が丸見えなのにー!
彼がマッチョぶるのは、彼の臆病さの裏返しであろう。彼はおそらく超ド級の「怖がり」なのである。女が怖い、ゲイが怖い、外国人が怖い。恐いからつい攻撃的になり、いわれのない暴言を吐いてしまう。弱い犬ほどよく吠えるってヤツだ。
それでは、何がそんなに彼を脅かすのか?しょっちゅうマッチョぶりってないと「男じゃなくなる」…すなわち「去勢恐怖」のようなものが、彼を常に支配しているのだろうか?
ここにおもしろいエピソードがある。1956年9月9日号の「サンデー毎日」に掲載されたもので、高校一年の時に左翼にかぶれた石原は母親から「大衆のために両親や弟を、そして地位も財産も捨て、獄につながれても公開しない自信があるなら、私は反対しないが、その覚悟をしてほしい」と言われ、あくる日に断念した、というものだ。
このエピソードを石原は後に「女親っていうのはバカだから。主義主張が母親の意見で変わるなんてウソですよ」と否定している。だが、この差別的な否定のことばによって、彼は図らずも馬脚を現しているのだ。なるほど、彼の「去勢恐怖」の核心は「母親」だったのか!
バカどころか、この上なく冷静かつ論理的な言葉で、若き慎太郎をぐうの音も出ないほどやりこめた母親。家族や財産を捨てるほどの覚悟が、このヘタレ息子には1ミクロンもないことを余裕で見抜いていた母親。
石原のマッチョな虚勢は、去勢恐怖のマザコン少年が必死で強がっている図に他ならなかったのだ。そして、そんな石原を支持する人々は「マザコンの空威張り」と「強い父」の見分けがつかないわけだが、それは日本の父親が総じてマザコンだったからなのである。