ちょっとずつちょっとずつ部屋を片付けています。この調子でいけば部屋が片付く前に人生は終わるようですが・・・。
手話通訳問題研究誌の創刊号が出てきました。会費は年間千円です。
伊東しゅん祐先生の手話劇のためのシナリオ 絵姿女房が載っています。
この当時は伊東先生のお宅が事務局でした。会計は長く奥様がやってくださってましたねえ。
ちょっとずつちょっとずつ部屋を片付けています。この調子でいけば部屋が片付く前に人生は終わるようですが・・・。
手話通訳問題研究誌の創刊号が出てきました。会費は年間千円です。
伊東しゅん祐先生の手話劇のためのシナリオ 絵姿女房が載っています。
この当時は伊東先生のお宅が事務局でした。会計は長く奥様がやってくださってましたねえ。
今日は朝から福岡
三好春樹さんの 老人介護基本のき講座を受けに行ってきました。
前にも書きましたが、もう40年近くも前 福祉事務所で生活保護のCWをしていた頃、三好さんにお世話になったことがあります。
「自己決定」では どうしたいですか、そうですか はいわかりました、ではない・・・共同決定が大切だとのお話には介護だけではなく私たちの仕事にも共通する部分があります。
部屋を片付けとるといろんなもんが出てきます。
上は1975年2月2日の第25回近畿ろうあ者大会の記録
河野勝行さんが「障害者運動ーその歴史と展望」と題して話されています。
大会スローガンは
1 全ての差別をなくし、みんなが明るく暮らせる社会に
1 障害者のくらしを脅かす物価値上げに断固反対
1 手話通訳制度を確立するとともに手話サークル活動に大幅助成を
1 障害福祉年金の所得制限撤廃と大幅増額をかちとろう
1 道路交通法88条を改正し、全ての聴覚障害者に運転免許取得権を
1 各府県ごとに最低1カ所の公立聴覚障害者会館を建設させよう
1 障害者の働く権利の完全保障と職種・職域の大幅会報を
1 障害者の老後生活の安定と聴覚障害老人ホーム建設の早期実現
1 障害者の学ぶ権利を保障させ、ろう教育の大幅改善を
です。
全通権山口支部の機関誌は1986年3.1発行となっており、手話通訳の制度化へ向けて県内各地の手話通訳者が報告をしています。
表紙とも16ページの薄いものですが、時代を読むことができます。
いるよ!と言ってくださる方があればお送りします。ただし各1部です。
今日は、少年鑑別所の説明をお聞きしました。
勉強になりました。ありがとうございました。
ニュースで
デタラメな安倍首相を見ているとこの国で税金を払うのが本当に嫌になります。
怒らんとあきません。
今日は4675歩 2.5㎞
朝から仕事で世羅町です。
これまで広島バスセンター〜世羅町のルートしか知らなかったんですが、歩いているうちに河内駅経由があることを知りました。
おかげで2時間近く早く帰ることができました。(写真は河内駅前の薬屋さん)
バスセンターで買った朝日新聞
家で読んだ中国新聞
そして日経はこの程度 ちょっと恥ずかしいなあ
今テレビニュースを見ています。
公明党の山口委員長が「佐川さんは民間人ですから・・・」とかの言い訳をしています。
いえいえ、「ご本人の名誉のためにも」きちんと解明することが必要です。
今日は色々動きましたが、途中タクシーも使ったので10060歩 6.2㎞
部屋を片付けていると色々貴重なものも出てきます。10日の夜には
森滝市郎先生の写真が2枚出てきました。
1986年に広島で全国手話通訳問題研究集会を開き 開会式での記念講演を森滝先生にお願いしたんです。
多分お願いにお宅を訪問した際にお借りした写真だと思うんです。
お返ししてなくて、大変失礼なことを・・
11日 弁護士会館でのさようなら原発ヒロシマ集会で森滝春子さんにお返ししました。
長い間、申し訳ありません。
今日は4487歩2.4㎞
ミニーさんがゆっっくり眠れるように・・・仕事から帰ってくると、敷きっぱなしの私の布団にお二人が寝ておられました。今朝の新聞です。秋篠宮は福島原発事故について話し、安倍首相は一言も触れない・・・。 安倍総......
先日、江波の街を歩きました。牡蠣打ち場では多くのベトナム人が働いておられます。
と言っても、労働者ではありません。
外国人技能実習生といった権利が奪われた制度でです。
こんなところも広島に住む僕らはしっかりと知らなあかんと僕は思います。
テレビは森友学園問題の財務省文書改ざん事件です。
広島のブログでは「て・に・を・は 程度だ」と書いてあるものもありましたが、とてもそんなもんではありませんよね。
日本会議の名前まで出てきます。深い深い問題が・・・
ABE退陣以外にこの問題の解決はありませんよね。
松山へ昨日は朝一のスーパージェットで松山へ。療育手帳の相談と判定です。 愛媛県児童相談所ではとても親切丁寧に対応してくださいました。そのあと、松山で事務所を開かれた射場弁護士......
そうか去年は松山へ行ったんやなあ。
このおじさん、今もなんやかんやとあちこち行ってはるわ。
今日は東北大震災から7年目の3月11日、弁護士会館で開かれた
さようなら原発ヒロシマ集会に参加してきました。240人の会場はいっぱい、立ち見の人もおられました。
福島現地から人見やよいさんが報告と訴えをされた後、おしどりマコ・ケンさんのトークショー。
おしどりマコ・ケンさんは夫婦の芸人コンビ。マコさんは鳥取大学医学部生命科学科の出身(中退)。原発事故後の政府の「直ちに問 題はない」発言に違和感を覚え、会見に出席するようになった。11年4月19日、会見で原発から上がる白煙について質問し、3カ月後、大気中に放出される放射性物質の数値を東電から引き出した。
福島県で取材した母親らの声を元に、子供たちの甲状腺被爆に関する問題も追及。東電会見取材は600回以上に上り、原発事故被害者の集団訴訟も追いかけている。マコさんが会見取材、執筆、ケンさんは写真撮影などを担当する。
東電会見で質問するマコさんの姿がドイツ人関係者の目に留まったのがきっかけで、14年に核戦争防止国際医師会議(IPPNW)他のサイトへドイツ支部主催の国際会議に招かれ、マコさんが福島の現状について講演。その後もドイツを毎年訪れ、会議や学校で事故後の状況を伝えている。16年、第22回平和・協同ジャーナリスト基金奨励賞他のサイトへを受賞した。
まあ、よう勉強してはります。ここまでいかんでも僕ももっと勉強せなあかなあ・・・とおもいました。
市民病院でお昼を食べて、午後は原爆ドーム前の集会に参加、デモ行進もあったんやけどちょっとしんどくなったんで中座。
今日は6879歩、4.4㎞
部屋を片づけていたら、手話サークル会報の「創刊号」が出てきました。1974年4月15日付です。
中を開いてみると今は県ろうあ連盟老人部長の川本忠夫さんが、当時は広島市ろうあ協会の青年部長「福祉の向上のために」と題して「・・・一般社会の中で、堂々と自分の意見を言い、視野を広げてゆけるか」と社会教育として青年講座を開くことを紹介されています。この講座はろうあ協会青年部の要望で広島市の青少年センター事業として始まったのでした。
また、あすなろのレクリェーション係、会計、会報係・・・などの紹介。当時のあすなろ事務局は県社協の中にありました。
当時(1973年)学習会記録もあります。5月23日には「5月から会費100円」とか6月20日には名称あすなろと決定!!とも。「ちぐさ」というのも候補とした上がったようです。
・・・てな具合でなかなか片付いてはくれません。