降って来るもの

写真と散文とぽえむ

IF

2019-01-17 15:02:21 | 詩17

              IF~刹那を縒りて~

 人生はいつでも「if」なのだ。もしも、あのとき・・の過去も、もしも、叶えられるなら・・の未来も、何一つ約定のない時間という刹那の空間の、天運と不可解を生かされて在るHomo sapiensにとって、その存在を覆う全てはifの世界。

 希望と絶望と夢と現実が織りなすそれぞれの曼荼羅を生きることが、イノチに与えられた使命と運命で、その生滅の過程を人生と云うのだ。

 取り留めのないその一生で、僕は幸いにも(か否かは?だが)書くという、或いは書けるという一つの能力を授かっていた。それ故その天啓に応えるべく僕は全力を尽くし、軈て何時かそのチカラが枯渇するまでは、それが天職のように書くことに勤しみたいと思っている。

 人生という”夢幻渡行”を継続中の、それだから何時でもその旅の途次の由なし事を、新たに「IF~刹那を縒りて~」のタイトルを付し、もってそのライターとしての使命を果たして行く覚悟であると、揺ぎ無く宣言し「詩17」の前書きとする。


                 2019-H31- 01/17 15:02:15 万甫

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沈黙のしじまへ

2019-01-17 06:34:32 | ふるさと

           おはようございます!!


 去年、悪意と云う黒い塊を胸に宿してしまった輩に、父と母と僕の聖地とも呼ぶべき故郷の家に、無断で侵入し、部屋中を蹂躙するという、忌々しくて悲しくて苦々しい出来事を経験した。

 その影響が少なからず残って、近頃は以前のように弾んだ気持ちと一緒に帰る!と素直に言える感じではなく、ある種の警戒心と緊張感とを携えての帰郷になってしまった古里。

 罪作りな泥棒ですが、もしもばったり鉢合わせ・・などと想像すれば、どうしても明るい日中の間に!!となってしまうのです。この間の日曜日もまさにそんな気持ちを抱いて、午前の明るい日差しに恵まれた10時から正午まで、換気をし、掃除をしたり沈黙する故郷の表情をカメラに収めたりしてきました。

思い出の詰まった場所へと続く道

穏やかな陽射し

映画「backツーダfuture」のようにもしも”デロリアン”に乗って50年も60年も前に遡れたら、その当時、僕が生まれた村には20軒以上の家々が存在し、とんどの行事も東出と西出の東西に分かれて行われ、同時に二か所で煙が立ち上ったものでしたが、今はヒトの住む家が4軒、人の数は6人の消滅寸前の村になっているのです。

画像は、自分の家の正月飾りを自分たちで作ったとんどの櫓で燃やしている家族。実情を知っていると寂しさの極まる風景に。

到着すると、緊張しながら玄関を開けて中に入り、久しぶりに全ての戸やガラス戸を開けて換気。それから家の周囲の掃き掃除をし、冬枯れの風景を・・と少し周囲を歩いてみましたがシャッターを押すほどの高揚も起こらず仕舞いの成果なしに。

年末に落とした枯葉やゴミが再びビッシリト屋根に積もって、まるで無人の寂しさを強調しているよう。

冷暗所としては最適の”いなや”から、熟成3年の梅酒を3本の小瓶に詰めて持ち帰りました。

現住所より確実に5度以上は低い気温のふるさと。出る時が4℃でしたから多分氷点下のはずで、それが故郷の静寂のしじまを凍てつかせる。

 

                          静寂のふるさと

 

                 竹爆ぜる 音山間に 谺する  一軒だけの とんど櫓の

  

                 細々と 煙あがりて その後は  無音のしじまに 戻るふるさと

 

                 主なき 家を囲みて 冬の花  凛と際立つ 赤白の花

 

                 空をゆく ジェット機の音 ことさらに  鄙の閑寂 深め強める

 

                 降り立てば 身を刺す 冷気  百分を  晒し留まり 暇乞いする

 

                 夏暑さ 知らずの故郷 冬来れば  骨身に寒気 容赦なく沁む

 

                 二度ならむ 町から二里の 山間を  上り詰めれば 零下五度なり

 

                                      01/17 07:45 万甫

 

コメント (4)
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