降って来るもの

写真と散文とぽえむ

思惟の空海に

2023-01-06 21:18:12 | SI27

     思惟の空海に

 

動き始めると

僕の想いは

いつでも言葉の海に漕ぎ出す

決まって言辞の雲に語り掛ける

 前頭葉の空海へ

そこで

豊かに巡り会える人と

同じように

languageと出合う瞬間を待つのだ

 流氷のように

 千切れ雲のように

幾万のpieceから生まれる

今其処に在る奇蹟との

邂逅を待つのだ

 難しい事じゃない

唯、思惟の空海に

魂を預けるだけの・・

 

 

     証

 

僕が生きた証は

書く事でしか残していけないから

愚鈍にmemo帳を拡げpenを握る

 而して

僕が辿った高高の物語が

一tの紙と千本の penを介して

提示されるのだ

 若しかしたら

誰の目にも触れないかも・・

と想い乍ら

 

 

     心配

 

心配してもらえることの幸せ

心配を抱いてくれる人が居る幸運

心を配られることの安息

見えない豊かさを 

 形にできることの馥郁

誰かに見守られていることの安らぎ

あの人が居ることの

その人が居ることの

 限りない心の豊満

その恩恵で

僕の人生は揺ぎ無く頁を重ねる

 

その確信が我が血の一滴

その結ぼれが骨の髄

その交わりが神経を潤し

その複合体こそが

我が肉体となり

その歓喜こそが

茫洋のcosmosを拓いてゆく

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

遺言のように

2023-01-06 04:55:15 | SI27

     今日は書かぬと決めて

 

今日は書かぬと決めて

止める苦痛を試してみたのだ

今日は書かぬと決めて

途切れる痛手を検証してみたのだ

 

肉体の痛みは

勿論、恒常的な苦痛だが

何時かは慣れるかも知れぬ

書く事を止めたその時、精神の痛みは

心の喪失感は如何許りかと

自問してみたのだ

 

身体中を廻る血の流れのように

心中を潤すlanguageの水量が

どれ程の物流なのかを

この試みで

おもんばかってみたかったのだ

 

きっと、答えは直ぐにでる

 

今日は書かぬと決めた日の

時間の様子や

風景の有り様や

胸の空海の佇まいや

擦れ違う様々な気息が

そのことの是非を教える

 

僕のinochiの半分は

languageとの共生に存する

僕のlifeの重量の半分は

言葉たちに因って支持される

 

何にしても

人生の途絶は

この想いの幾万倍に違いないだろうが・・

 

 

     蛙カワズのUta

 

或る日、或る時、不意に気づく

吾胸の空海は”井の中”に過ぎず

吾が心の言辞帯は

 ”蛙の思惟”にしか過ぎぬと・・

 

哀しくはない、虚しくはない

その気づきが

inochiの幹を太らせてゆく

 

 

     交心録

 

日記帳ほどの緻密さはないけれど

メモ書き程の簡便さでもなく

手紙を書くほどの熱量でもないけれど

僕に

僕の年月を彩る書物が有る

 

心の交わりの軌跡を記述した

一冊の単行本がある

生きてきた年月の数値を

円やかに包み込む

inochiの書籍が有る

 

 

     遺言のように

 

最期を匂わせる脈絡や言葉は

lastを予感させる色合いや色相は避けたいけれど

なるべく

万物の様相と同じように

始めには必ず終わりが有って

創造できないbeginningと同じく

closingにも予告など無いから

それが、今を生きる前提だから

そのことに微塵の疑いも無いから

それは、必定の定理だから・・

 

さり気無く語りたいけれど

 

もしも僕の名前が

今日も明日も一週間先も一か月後も

この村内で捜せなくなったら

ああ、万甫は居なくなったんだと

あのまんぼさんは、退村したのだと

定石通りの道筋を辿って

writerとしての役割に

無事に終止符を打ったのだと

爽やかに納得してもらいたい・・

 

それが何時なのかは

吾が胸の裡でもunknownなので

このSI一篇を

遺言のように置いてゆく・・

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする