降って来るもの

写真と散文とぽえむ

考える人

2024-01-27 21:54:05 | 詩30

     考える人

 

Rodinの”考える人”のように

肉厚のU字溝に腰掛ける

目的は、白紙のまま

そのうち

考える人の頭部から

意味有る言葉が生まれるだろうか?

考える人の塑像は

僕の分身のようでも有るが

赤の他人のようにも映り

僕は唯の目撃者のようでもある

それだから

暫くはその様子に目を凝らして

僕の人なのか?

他の人なのか?

結論は

其処に厳と居座る考える人の

次の動きを待つしかない

 

 

     明らか

 

真っ直ぐ坂道を上る

けれど

体は逆向きなので

進んでいるのか?

退いているのか?

解らなくなる

渾沌の間に

時間の渦巻きに

飲み込まれそうな気がする

そうなのだ

進んでも戻っても

この一秒一分は

その刹那に消滅してゆくもの

“明らか”なのはそれだけなのだ

 

 

     TVer

 

TVの機能に

”TVer"と言うのが有るのを知った

つくづく

時代は時とともに

前に進んでいると感じる

いつでも

その速度に置き去りにされるのは

足腰が弱り、頭の構造が劣化してきた

君達の先輩に他ならない

 優しく、教えよ!!

時代を手繰り、新しい息吹を塗し

君達に贈り届けるのは

我等、団塊の世代の手柄なのだ

確かに、経年劣化は否めないが

先達としての誇りは有る

それ故

無視や嘲笑や蔭口などは

 酷過ぎるというものだよ・・

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柵のある風景

2024-01-27 06:06:05 | 風景

   ~~~ヾ(^∇^)おはよー♪ございます

 何時もの散歩道を歩いていて、ふと気づく。そう言えば道沿いの田圃も畑もすべての耕作地が柵で囲われていると云う事実に。

 去年の秋から冬にかけて”東北の熊”が話題に上ったが、動物の種類が違うとはいえ、このあたりの害獣”鹿や猪”(人間がそう言ってる)に対する対策も大変なもので、僕等が少年の頃とは風景が一変してしまった。

 片道3000歩ほどの道程を行く間の風景は当に柵の間を歩くという風情なのだ。

 

網の仕切りだったり、鉄の柵だったり

  

   

一体、費用対効果は如何許り何だろうと心配になる

 

  

けれど、こんな風に防御しなければこのあたりの農業は成り立たないのだ

お墓さえ荒らされるので・・

土手も猪に掘られて・・

何とか対策を!!と

  去年2頭の鹿が・・

きっと”焼け石に水”の対策なのだが・・

  

斯くして”柵のある風景”は延延と続くのだ

 

  

   

 

     柵のある風景

 

柵のある風景に身を置きながら

時々、否、屡々

これは若しかしたら

僕等人間が柵の中にいるのではないか?との

錯覚に陥る

否否、この仕切りは

智慧ある我等人間が

他の獣と区別する為に築いた壁なんだと

強く自分に言い聞かせながら

林立する柵に囲まれた人間様の道を

威風堂々と歩く

 

何処かに、共生の道は存在するのか・・

 

 

コメント (2)
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