不思議の縁
33歳での結婚を機に一念発起して勤め人を止め、まるで畑違いの自営業に転身して36年目の春になる。自営だから自由度が高い。その一点で気に入って人生の半分以上を刻んだという訳だ。
振り返って過去を想えば、その選択(この方向に踵を向けた切っ掛けには、それはそれで奥深く、当に不思議の縁が隠されているのだが、それは又何れ‥という事にして)は間違っていなかったのだと確信できる状況にある。
30歳を越えて一から始めたクリーニング業の最初は、何とかやってゆけそうな目途が立つまでご多分に漏れずの難行苦行だったが、3ヵ月を過ぎた頃から徐々に軌道に乗り出し、幸いに途中で挫けて放棄するという最悪の事態には至らず今に至っているところを見ると、多分日々にヒトと触れ合いの有るこの仕事が性に合っていたのだと思える。
お客さんとのそれぞれに新しい小さな縁を紡いでゆく日々の中で、その最大の苦闘中にいち早くお客さんとして縁を結んでくれたのが〇〇〇〇さんだった。親しく話せるようになった頃にその女性が何と同じ高校を卒業した後輩であることが分かったのだ。10数年の後輩だったが、懐かしい話の中には、当時と変わらずまだ在職の先生も居て当に不思議の縁を感じた。
ところがその人との縁の糸はそれだけでは終わらなかった。僕は21世紀になった西暦2000年を挟んで都合6年間(もはや30歳を超えた息子が6年生の時から)地元の少年野球団の監督をさせてもらったのだが、何とある大会の試合相手の監督さんが、彼の後輩の旦那さんだった。知り合ってほぼ30年が経過した今でもその不思議の縁はますます艶を増して継続している。
それから、〇〇〇〇さん姓との縁はまだある。今回の新築に関わって”一条工務店”から地盤工事を請け負っていたのが同じ姓を持つ現場責任者で、何とその”〇〇グリーン”の監督から手渡された名刺には、驚いたことに長女たちが住む京都の〇〇〇市に本社があると記載されていたのだ。此れも不思議の縁の一つに違いない。
それから、最後に同じ姓の不思議について述べる部分は多分に個人的なものかも知れないのだが、吾が愛した”長島ジャイアンツ”を救うかも知れぬ若きスラッガーの存在。彼は同じ県の我が従姉が住む市の出身なのだ。だから不思議の縁に導かれてその活躍と大成をを願って応援している。
今回の記事のように、姓の不思議の縁ではないけれども、僕はたくさんの縁yosugaを貰っていかされていると改めて感じる。此れを書いている瞬間にも周りにはそんな温かい空気が充満して、僕の一日の始まりを優しく告げてくれるのだ。感謝![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/clover.gif)
04/19 06:50:06 まんぼ